119話 龍と少女の物語6《A LOST SONG》
啜り泣く音を引き連れながらエルフたちは丘を登っていく。
村に住まうエルフの数が少ないためそれほど長くない参列だった。
獣道とは別の踏み鳴らされた道が緩やかな坂に1本つう、とつづいている。轍のように下生えを横たえている。そのためもう幾度とエルフたちが足を運んでいる道なのだとすぐにわかった。
そうして村を離れてどれほどか。静寂は時を遅くするし、空は厚い雲に覆われている。
「……ぐすっ……ひっ、く……!」
さらには少女の涙も無限ではない。
泣き晴れた瞼は重ったるく、晴れることはなかった。
未だ少女には死が隣にある。清淡な顔立ちのエルフは眠るように瞼を閉じ胸を上下させず横たわる。
しょせん供養というものは生者の自己保身に他ならぬ。世界を別つための大区切りとでもいうべきか。
とにかく埋葬を終え祈りを捧げてようやく、死は過去となる。
――なんとなく、なんとなくだけど……わかった気がする。
スードラは、目を細めて頼りない背を見守った。
己は孤独に慣れていた。ゆえに少女の望む普通をいまようやく理解する。
少女にとって日常とは幸福だったのだ。こうしていつ訪れるかさえわからぬ病に怯えつづけて日々を生きていたのだ。
――だからあの時この子は自分の命じゃなく誰かの死を遠ざけたがった。
それはスードラが彼女と出会ったときのこと。
あの時少女は声高に村の民の命を救うよう世界に縋った。
スードラからしてみればなんてことはない。たかが1つ目の巨獣相手如き槍の一振りでコトもない。
しかし少女にしてみればそれは奇跡に相応する出来事だったのだろう。
――彼女にとって僕は天空に住まう遠い神ではない、本当の神に見えていたんだね。
スードラは、身に余る名を幾度と脳内に反芻させる。
吉兆、幸福の象徴。海神様。
この風来坊がおこがましいことである。ただ気ままに目的もなくのらりくらりと生き、その途中で気まぐれに救っただけ。
「……フッ」
スードラは聞かれぬよう鼻を吹く。
こみ上げる嘲笑にも似た感情を震える腹のなかで堪えた。
参列者たちの向かう森の奥が開けていく。木立の隙間から黄色い光が大きくなっていく。
そうして間もなく木々が避けるかのように森の空洞へと辿り着いた。
「ここがエカマプタの……群生地?」
一瞬視界の変貌のあまり息が止まりかける。
自然食豊かな森にぽっかりとそこだけ大きな花畑になっている。
緑ばかりだった土地にここだけ色がついたかのよう。染料をまき散らしたみたいにわあ、と淡い花々が敷き詰められていた。
美しかった。それ以上の感想は必要ないくらい見違えていた。
スードラは、列から離れてたところで花の海に片膝を落とす。
「これは価値ある代物になるのも当然だねぇ。こんなに小さい花なのに僅かながらマナを帯びてる」
花に可愛いという感情が湧いたのははじめてかもしれない。
1輪に手を伸ばし、そっと愛でるように花弁に触れた。
エカマプタはとても淡い色をしている。ゆえに小ささも相まってか儚い感情を覚えさせられる。
しかも1輪1輪の色合いが微妙に異なり花畑に流れるようなコントラストをつけていた。
「これがカマナイ村の民たちが古くから守りつづける伝統の……――ッ、ハッ!!?」
急激に強烈な怖気が疾走った。
スードラは花を散らしながら反射的にその場で姿勢を低く構える。
本能が警笛を鳴らす。龍としての過敏な部分が遠ざけろと咆哮を発す。その恐ろしいという感覚に神経が尖って全身の肌が粟立つ。
「――ッ!? ――ッ!?」
慌てて前髪を揺らがし探りを入れる。
決して油断をしていたわけではなかったし、そもそも龍である自分がこれほどの気配を中心まで気づかぬはずがない。
その証拠にエルフたちは何事も感知することなく粛々と葬儀をとりすすめていた。
「あ、あれはッ!?」
探し始めて2秒ほどか。
ようやく元凶が発覚した。
「………………」
確かにそこに居る。
ソレは花畑のなかに身を潜めて同化する形で隠れていた。
視神経部を茎のように生やしエカマプタの淡い隠れ蓑に紛れるよう、1本だけ別のメがでている。
1つだけメがでていた。
目、眼、眼差し、眼球だった。新緑色の瞳だった。
「ま、魔物だって!? しかも、ヤバい!?」
龍に生まれ、龍に育ち、大陸最強種族と謳われた。
なのにこんな気持ちを味わったのはいつ振りだろうか。
その悍ましき瞳と、視線と視線が交差した直後、視界のすべてが暗転した。
「ウッ!? 目が――もっていかれた!?」
エルフたちの埋葬が進んでいく。
その背景で、スードラは久方ぶりに、ゾッとした。
…… ……… ……… ……
「それ以降僕の目はなにも映さなくなった。まあ呪いの被害者になったからこそ奇病ではないと判明できたんだけどね」
波間に語られたのはコトの真相のすべてだった。
スードラが語ったのは、カマナイ村という小さな村で起こった悲劇の全貌である。
ミナトは側頭部を殴られたかのような強烈な目眩を覚えた。
「いままでずっと、目が見えてなかったってことかよ……!」
どうしたらいいのかわからず拳を砂に突き立てる。
暗中模索。正しい反応も正解もなにもかもがわからなかった。
ここまで黙っていたスードラを怒ればいいのか、情けをかければいいのか。それらさえ混濁の渦中にある。
なにより騙され試されていたという部分すらどうでもよくなってしまった。それほどまでに彼の話した真実が鮮烈だった。
これほどミナトが混乱しているというのにスードラは普段と変わらず。どころかさっぱりとしすぎている。
「ちなみに討伐に行こうと再度エカマプタの群生地に足を運んだんだけど、もういなくなってた。どころか周囲に呪いをばらまくより凶悪な存在へと進化してしまった」
膝の上ですうすう寝息を立てるソルロを手慰むよう撫でた。
だいぶ彼の膝が落ち着くらしい。話の最中でも起きることなく絶え間ない穏やかな寝息を刻みつづけていた。
「僕に発見されたから巣を変えたのか。はたまた村の民の数がソルロちゃんのお父さんで分水嶺を迎えたのか。とにかくアイツはあの日以降エルフの国中を渡り歩くようになってしまった」
そうやって見えぬはずの薄く目を細める。
ソルロだけでなく、ミナトにも平等に小癪な笑みを振る舞う。
「エルフに怨念をもつという君の推理もおおよそ正しかったよ。なにしろヤツは呪われて死したのちに埋葬されたエルフを好んで貪ってる、味を覚えている。おそらくあのエカマプタの群生地は小型だったヤツにとって長きに渡る格好の餌場だったんだ」
んっ、と。スードラは脇の窪みを晒して伸びを入れた。
月明かりに照らされた白い肌が照って闇に浮かぶ。尾てい骨辺りから伸びるヒレ尾もピンと尾先まで張り詰めた。
ミナトは返す言葉を失っている。
「……っ!」
様々な感情が噴出して止まらない。
身体が強張り顔中の筋肉がひくひくと痙攣した。
1度冷静に対処べきなのだとわかっていても静まってくれない。平静を装いたくても感情が、牙が、剥きだしになってしまっていた。
「ヤツの能力は範囲的、あるいは直接的に呪いを根づかせる能力だ。たぶんだけどソルロちゃんのお父さんはソルロちゃんのローブを作るためあの呪われた花畑に長く留まりすぎたんだろうね。だから発症してからも呪いの進行が早かったんだと思う」
臭って臭ってたまらないのだ。
腐臭なんてものより遙かに臭気を秘めて鼻が曲がりそうなほど、香ってくる。
「それで……! お前はオレらになにを求めてんだ……!」
噛み締めた歯の隙間から絞りだすよう低く問う。
と、スードラはソルロを撫でる手を止めた。
「この子の失われてしまった声を、奏でる暖かな歌が聞きたい。もう1度でいいから聞きたいんだ」
……ただそれだけ。俯きがちに長いまつげの影を伸ばす。
青い海色の瞳が月の光に濡れる。結んだ唇をあまり開かず囁きのみを漏らした。
 




