118話 龍と少女の物語5《A LOST SONG》
「あ”ー……家族とかのこと聞いちゃうかぁ」
家族がいるのか。
少女の口ぶりからすれば種族にとって当たり前のことなのだ。
しかして龍である彼は、そんなことさえ考えたことすらなかった。
「龍って生まれたらほぼ独り立ちみたいなものなんだよねぇ」
「え!? そうなの!?」
少女は驚きのあまりぽかんと口を丸くした。
通常であれば未熟で生まれるのだろう。しかし龍は卵のなかであるていどの成長を終えて生まれてくる。
ルスラウス大陸最強種族の名を冠する龍族は――時勢もあって――血の繋がりをさほど重要視しない。
スードラは眉間を寄せて困り笑みを浮かべる。
「とくに僕らの世代なんかはドライで、羽化した直後に野に放つのが当たり前だったんだよ。親の仕事は生んでから卵が羽化するまでを見守るくらいかな」
「ええ!? じゃあお母さんのおっぱいを飲んだりしたことないの!? お腹すいたときとかどうするの!?」
「生まれてやることは当然魔物狩りだね。僕ら子供でも強いからはじめての狩でさえ大概成功するし、あんまり困った記憶とかないや」
「ならお父さんに抱っこしてもらったりたかいたかいしてもらったこともないの!?」
「ははは……自分で飛べるしね」
少女は、すっかり好奇心の虜となってしまう。
新緑色した目は朝露に濡れた葉のよう。燐光をまぶして爛々と輝いている。
このような小さく区切られた敷地に閉じ籠もっているせいか。外の種族に興味津々といった様子だった。
「ねえもっと! もっと海神様のこと教えて!」
「案外君は欲しがりさんだね。大きくなったら良い女性になりそうな予感がするよ」
それからもしばらく他愛もない話で盛り上がった。
やれ友だちはだの、やれ寂しくないのかだの、初恋の子はどんな子だったのかだの。質問に攻められるとはまさにこのこと。
しかしスードラも少女と言葉を交わすことが不思議と嫌ではなかった。
どうにも身の上を探られるというのは、こそばゆい。普通ならばちょいと軽くいなしてやるのだが、今日は少し気分が良い。
「それに200年前くらいから龍族も外の種族を見習うようになったからね。いまはちゃんと子育てするようになっているんだよ」
「よかったー! 生まれてすぐに独りぼっちになっちゃうなんて寂しいもん!」
少女は屈託なく、それでいて良く笑った。
大袈裟で、幼い身の振りで、両手でわあと円を描く。
それを見ていると強いとか弱いとか、その辺のもやもやが本当にどうでもよく思えてくる。
「ちなみに服を着るのも君たちを見習って着ているんだよ。龍族は基本裸で暮らしていたからね」
「おお! でも……海神様の服って下着みたいだよね?」
「君も大きくなったらだんだんと自分の本当の魅力に気づいてくるはずさ。あとはたくさんいる男たちを手玉にとって見極められるよう感覚を磨くんだ」
「むづかしいね……うん、海神様はすごくむづかしいことをいってる気がする……」
考えるより感情が先に身体を動かしているのだ。
そう思わせるくらい少女はころころと表情を変える。
嬉しいときには嬉しい顔をする。悲しいときは呆れるほど涙を流す。怖いときは体裁を気にせず震え青ざめる。
それはきっといつか成長していくなかで忘れてしまったもの。多くの生き死にを垣間見てスレてしまった心のささくれとでもいうべきもの。
――ああ、そうか。
ふと唐突に気づく。
彼女が自分を見ているのではないことに。
――惹かれていたのは僕のほうだったんだ。
いつの間にか彼女を見るのが楽しくて仕方がない自分がいた。
屈託なく笑うその表情が愛おしい。だからつい根無し草の自分が彼女の隣に居着いてしまっている。
興味をもっているのは自分のほう。反応を見たくて、話を聞きたくて、ついつい色々喋りすぎてしまう。
スードラは、木枝から垂れた鱗尾を緩やかに振ってニコリと頬を和らげる。
「家族は、好きかい?」
気分屋としての質問だった。なんとなく聞きたかっただけ。
なにせ返ってくる言葉は容易に予想がつく。
「うんっ! 家族も大好き! 村のみんなも大大だーい好きっ!」
ほうらやっぱりね、なんて。心で思っても口にはださない。
少女がこうして期待に応えてくれたことが嬉しい。この愛おしい時間を慈しみたくてたまらない。
「それよりこのカマナイ染めの色、どうかな! 実はお父さんが数の少なくて花が見つけずらい珍しい色で染めてくれたんだよ!」
「淡い色合いが優しくてとっても可愛いと思うよ。可愛さでいうと僕の次くらいだね」
「えーっ!! カマナイ染めのほうが可愛いよー!!」
この歌がずっと聴ければそれで良かったのだと思う。
この優しさだけで調律された歌がいつまでも響きますようにと願う。
翼なき龍は、生まれてはじめて故郷という帰る場所を羨んだ。
………………
報を耳にしたのは、あれから3日と経たなかった。
耳にしたというのは少し違うのかもしれない。いつも遊びにきている少女が2日と訪れぬことに違和感を覚えたのだ。
悠久の時を生きた龍にとって数百の如きは刹那にすぎぬ。なのにスードラは堪えきれぬ焦燥を胸の奥にくすぶらせ、いつしか村へ飛び立っていた。
そして村に着いたとき迎えてくれた少女は、すでに笑顔を閉ざしていた。
「……お父さん」
どれほど涙を流したのだろうか。
くりくりとした目のフチは真っ赤に腫れ、若竹のような喉から発す声もしわがれていた。
「こんなのって、っひぐ――や”だぁ”ぁ”ぁ”!!!」
少女の涙は枯れることがない。
簡素な担架に横たわる父に縋り付い泣きわめく。
それを止める者はいない。粛々とした空気で彼女の声だけがこの村に流れる唯一の音だった。
スードラが村へ辿り着いたときには、葬儀が執り行われていた。
少女の父の死因は、長くからこの土地に伝わる風土病なのだとか。原因は不明であり治療法も見つかっていないらしく、不治の病とされているらしい。
病の特徴としては、じょじょに感覚を失っていくという悍ましいもの。
まず初期症状は、言語障害からはじまる。それから聴覚を失い、視界を閉ざされ、触れる温もりさえ感じなくなっていく。
スードラは前髪を書き上げるとふぅ、と短く吐息を零す。
――なるほど、だからエルフなのに代替わりが激しかったのか。
そして病の正体を知って色々と判明することもあった。
住まうエルフの少なさも、村の規模でさえ、おそらく病が起因している。
――しかもエルフは土地に根づく種族。さらにはカマナイ染めの染料はこのカマナイ村でしか見つかっていない特別な花。種族的にも伝統としてもこの村からでるということ事態がエルフの特性に反する行為。
スードラは、葬儀を見守りつつ頭を整理していく。
普段の彼ならば参列するなんて考えには至らなかっただろう。
しかしこのカマナイ村の民の顔は全員覚えてしまっている。情も湧く。
それくらい――彼にとっては――長い付き合いとなっていた。
少女の父の遺体を乗せた担架が村の男衆の手により担がれる。
「あれはいったいどこに連れて行こうとしているんだい?」
スードラはふと気になって近くのエルフに尋ねた。
すると女性のエルフはわざわざ下手な笑みを貼りつける。
「この村の風習として魂を天に還し終えた器は、エカマプタの咲く花畑に埋葬すると決まっているのです」
――エカマプタって……たしかカマナイ染めの染料に使う花だったはず?
その話はスードラも断片的ながら耳にしたことがある。
よくペラペラと喋る少女が度々口にしていたこと。エカマプタ。この地のみで採取可能とされる珍しく特別な花の名称だった。
「もしお慕いしている海神様に父の行く末を御見届けいただけるのであれば、ソルロちゃんの心の支えとなるかもしれません」
そういって彼女はスードラへ一礼すると、花畑に向かう参列の最後尾に加わった。
さすがにここまで出向いておいてわざわざ尾を翻す理由もないだろう。というよりここまできて帰るほうがよほど心に染みがつく。
――普通を愛せよ……か。
厳粛な空気に苛まれながらも、少し離れて後につづくことにした。




