117話 龍と少女の物語4《A LOST SONG》
「またきたのかい?」
あまりこの場にのんびり腰を落ち着けるつもりはなかった。
ただの道楽、一種の快楽のひと成分。あるいは気まぐれ、刹那的な脳のラグ。
ひとついえることは、ここはとても静かだということ。古木が青い風に揺られ軋みも葉すれの囁きも心地が良い。
だが居心地が良いとは別である。こうして毎日転がるようにちょこちょこお客がやってくる。
「うんっ! 村で採れた果物もってきたよ!」
少女は、今日も両手いっぱいに果実を詰めこみやってきた。
そして少女は、一切の毒気ない笑みで、彼女を迎えるスードラに、朝を伝えにくる。
スードラは眠気を目端に浮かべて元小鬼の巣穴からのっそり歩みでた。
「ここ魔物の巣穴なんだからあんまり近寄っちゃダメだよ」
「でも海神様がいらっしゃるって知ってるから大丈夫っ!」
「海神じゃなくて、かい、りゅう、ね。海神だと僕は天界の生き物になっちゃうでしょ」
スードラは、少女の抱えたバスケットから果実を拾い上げた。
しゃくり、と。赤く光沢のある果実を囓る。
なんてことはない普通の林檎だ。普通に美味しいし、普通のどこにでもある果実。
「じっと見てるけど、どうしたの?」
ふと視線を感じて視線を下げる。
すると少女が長耳をひくひくさせながらスードラを見上げていた。
「今日のお供え物、美味しい?」
浅緑色の瞳はわくわくと期待を孕んで輝いている。
葉を縫って降り注ぐ朝の黄色い線が若い彼女の瞳をより若々しく彩っていた。
「普通だね。昨日のお供え物も普通だったし、ずっと普通だよ」
スードラは屈託ない少女に屈託ない意見で通した。
おべんちゃらを使ったところでどうせ得もないのだから気をつかうだけ疲れる。
「っていうかわざわざお供え物なんてもってこなくていいよ? だって僕強いからその辺の魔物食べればいいだけだし?」
なのに少女は顔中で幸福を描く。
誰かを幸せにするような笑顔をピクニックシートの如くわあと広げるのだ。
「それはとーっても、すっごく良かったっ!」
「ふぅん? 変なのー?」
そういってスードラは、もう1口果実を頬張る。
それからもしばらく彼女は色気のない巣穴でにこにこと笑いつづけていた。
………………
ときおり気まぐれに巣穴を抜けて足を運ぶこともあった。
そこにいく理由なんて高尚ものは存在していない。
生物なんていつか生まれていつか死ぬ。生だってそれくらい揺蕩うにすぎないのだ。
もし高尚な理由を求めるのであれば、誘われたから。
ちんちくりんで手も足も短く未熟。男の怖ささえまだ学んですらいないであろう。
そんな無垢に手を引かれたから出向かされているだけ。
「みんなー! 海神様がきてくれたよー!」
「だから海龍だってあれほど教えたじゃないか……」
「龍神様が遊びにきたよー!」
「それもうワザとやってるよね? なんで海と龍の文字が君のなかで同居できないのかな?」
森の民は木々とともに生きるといってもいい。
木が根を張り土地に根づくようにエルフたちも森とともに育つ。
しかしこの土地は、質素というより簡素というほかない。ここは辛うじて村の体を成しているだけ。
こうして村へ訪れるのは、暇をしているか、まさに気まぐれの外れ者くらい。
だから呼び声に応じて集まるひとりひとりの顔くらいならばとうに覚えられた。
「で、なんでわざわざ僕のことを村に呼んだのさ? 村を助けたときのお礼ならもう十分に受けとったしもう受けとるつもりもないよ?」
すると少女は繋いでいた手を両手でぎゅうと強く握った。
エルフでしかも女子供の未熟な力なんぞは痛くもない。なにせこの身は龍である。
少女の体温は僅かに高い。だからこうして触れ合うと柔らかい感触が暖かかった。
「みんな海神様にいつも守ってくれているお礼がしたいんだって!」
お礼? ふと記憶にない単語に首を傾げる。
「そう! いつも村の周りでいたずらする魔物を倒してくれてありがとうってみんな感謝してるのっ!」
スードラが頭を掻くため腕をもちあげる。
と、しがみついた少女ごと手についてきた。
きゃーっ、だなんて。短く白い足をぱたぱたさせながら黄色い声できゃっきゃとはしゃぐ。
彼女が無邪気に暴れると、民族模様が描かれたローブの合わせ部分がめくれる。奥では無防備に晒されたヘソがぽっかりと口を広げている。
周囲のエルフたちはこれっぽっちも危機ととらず、やんわりとした笑みで眺めていた。
「海神様! いつもいつも村を守ってくれてありがとう!」
「ありがとう……っていわれてもねぇ? あと海・龍だから村のみんなも変な覚えかたをしないでよね?」
やはりというか記憶になかった。
一介の龍として食事をし、巣の周囲に紛れこむ無作法者を狩っていただけなのだ。
礼なんていわれる筋合いもなければ、こちらから求めるような浅ましいマネもするつもりはない。
ただこの村の長耳たちにとっては、それが普通。細やかな笑みが取り囲む、通常。
「……ふぅん?」
――まあ? 感謝されて嫌な気持ちにはならないけど?
不思議と胸の辺りがほわほわした。
その意味をいちおう考えてみたものの、あまり良くはわからなかった。
………………
カマナイ村。
この土地の名を知ったのは入り浸って10日ほど経ってからだった。
覚えたところで意味はない。だが、長く居着くと自然に覚えてしまう。
「へー、君のいつも着ているひらひらってカマナイ染めっていうんだ」
「ううんローブはローブだよ! でもこの淡く優しい色がカマナイ染めっていうの!」
少女はローブの端を掴むとこれ見よがしにスードラのほうへ引き上げた。
目の粗い麻布にほんのりとした色が灯っている。
裾に沿うよう刺繍が施されておりなんともいえぬ幾何学模様が描かれていた。
「これは特別な草や木を使って布に色をつけるんだよ! それにローブだけじゃなくてお布団やお洋服にも別の色だけど同じやりかたで染めるの!」
「つまりこの染め物はカマナイ村だけで作られる門外不出の名産品ってことだね。その技術が漏れないようにするためにこんな辺鄙なところに住んでるのかぁ」
木枝の上から足が4本ぷらぷらと垂れる。
今日もふたりはとくにやることもなければ、使命なんて厳かなモノも背負っていない。
手頃な木に昇って足を放りだす。踏みだす必要もないくらい暇だった。
とはいえスードラ自身も目的あって動くことがほぼない。だからこれも日常というやつ。
飽くなき時の巡りに唯一の変化があるとすれば彼女の存在だろう。ここ最近は隣にいつもの黄色い声で歌う主がいつも付き纏う。
「この模様はお父さんのお父さんのお父さんのお父さんのお父さんくらいからずぅーっと大切にされている染めかたと模様なんだよ!」
「つまり由緒正しい伝統ってやつだね。種族たちは歴史あるモノに相応の価値をつけたがる。僕ら龍族はそのへん良くわからないんだけどさ」
ねー! このように少女の話にはいつも唐突に終わりがくる。
話す内容に中身なんて求めてないのだろう。おそらくはそのときの気分で話している。
そしてスードラもまたそういうテキトーな感じは嫌いではなかった。馬が合うならぬ龍が合う。
――……あれ? 寿命が与えられるヒュームでもないのにずいぶん代替わりしてる?
「ところで海神様にも家族はいるの?」
……へ? あどけないまん丸な瞳に意表を突かれしまう。
考え事をしていたこともあってか、思わず声を詰まらせてしまった。




