115話 龍と少女の物語2 《A LOST SONG》
治療を終えたエルフたちに誘われて後をついていく。
はじめは一党らも首を傾げた。しかし到着してみればなんてことはない。命の恩人への軽いサプライズが待っている。
昼の礼ということで聖女一行には細やかながらの晩餐が振る舞われていた。
戦闘を終えて夕日も沈み小腹も空く頃合い。人間たちもエルフたちの作ってくれる料理に舌鼓を打つ。
「新鮮な果物と野菜に釣りたての魚か! しかもそれを腹一杯に食えるなんてここは桃源郷かよ!」
「干し肉と茸たっぷりの山菜シチューだ! 僕らの船だと白く牛乳を入れたのがシチューって感じだけど、やっぱり煮こみ料理の醍醐味はこっちだよね!」
「果汁100%のぶどうジュースおいしい」
卓に並べられた料理がほかほかと湯気だって客を迎えてくれた。
エーテル国からエルフ国へ。食文化形態に差があるかもという懸念は杞憂だった。
卓の上には新鮮野菜や加工した果物がたんまり。肉も行軍用の干し肉が添えられ、それ意外にも塩漬けの焼き魚や煮魚など。
基本的には大陸種族と人間の味覚にそれほどの差異はない。ここでいうそれほど、というのはゲテモノを好むか好まぬかという現実にも起こり得る事象を指す。
なにより人と大陸種族の食文化形態は似通っていた。どの世にも食を好み愛し研鑽する者が発生するのだ。
「はいミナトさんあーんしてください」
そして数刻振りにまったく同じやりとりもまた発生する。
しかし今回のミナトは昼とはひと味違う。
「ンー……」
腹がいっぱいなのだ。
昼に食べたグラタンで今日の接種は済んでいる。
ゆえに食えと匙を伸ばされてもダメなものはダメ。テレノアから差しだされる食べ物からそっぽ向く。
「あーんしてくださーい」
お節介メイドからのつきっきりな介護だった。
すでに切り分けられたパイやら具だくさんのシチューがとりわけられている。
「ンー……ンー……。今日はもう誰がなんといおうと食べないぞ。そのとりわけた分はジュンにでも回してくれ」
だがミナトは負けなかった。
どれほど圧力をかけられてもそう簡単にめげぬ心を目指している。
テレノアがいくら回りこんできても顔を背けてしまう。そう、口さえ開けなければ料理は胃に入りようがない。
そうしてしばらく鍔迫り合いのような白熱した拮抗がつづく。ミナトが逃げてテレノアが食器を片手に負う。
「た、たた、異性に食事を食べさせる!? な、なんて破廉恥極まりない光景!?」
そんな男女の駆け引きを遠巻きに震える。
鎧を脱いで楽な格好になったザナリアは、テレノアの所業に打ち震えていた。
「聖女ともあろう高貴な位のものが公衆の面前でなにをしているというのですか!?」
羞恥に白い頬を真っ赤に燃え滾らせる。
ルスラウス教と直接関連をもつからか日常着も神聖さを損なわぬ几帳面さがあった。
聖都のシスターたちほど蠱惑的ではない。が、タイトな生地は彼女の臆面もない肢体を優雅に浮かす。
「衆目の最中で異性相手に色を振りまくとは――恥を知りなさい!?」
ザナリアは目くじらを立ててまくし立てた。
よほどこうした場面に耐性がないのか普段の冷静さは欠片もない。
対してテレノアはまったく意に介した様子がなかった。
「まったくもうしょうがないですね。これだからイヤイヤ期は手間がかかるんです」
匙を食器に戻すと、腰に手を添えふんと頬を膨らませる。
やれやれ首を横に振ってから呆れた感じでため息をつく。
それからなにを思ったのかミナトの膝の上にすとん、と。スカート越しでさえ弾力のわかる小ぶりな尻を落とした。
そしてぐびり、と。テレノアはテーブルに置かれた葡萄色のグラスをひと息に煽る。
「ふはぁぁ~……」
途端に目端がとろりと緩む。
そして吐かれた熱い息には確実なアルコールの刺激臭をまとう。
先ほどテレノアが煽ったのはどう考えてもジュースではない。おそらくは葡萄酒の類。
「わがままいうららこのアップルパイを喉奥ひ捻ひほみはふよぉ?」
あまりに呂律の回っていないへべれけだった。
恫喝。そして酒乱。
――こ、コイツまさか感情のリミットを外してきやがった!? たかがあーんしたいだけのために!?
ミナトは薄氷に立たされた。
首には腕が巻かれ逃げようにも難しい。さらには鼻先にアップルパイの切れ端が突きつけられている。
「ほぉらほぉらおいひぃれふよぉ?」
揺られて踊る先端に、恐怖する。
ミナトにはアップルパイの切れ端に突きつけられたナイフの幻覚を見た。
そして間もなくぽきりと心の折れる音がする。
「……イタダキマァス」
「はぁいっ♪ おあがりくださぁ~い♪」
もっさもっさ。頬張った生地をよく噛んでから呑みこむ。
食べてみれば普通に美味いし食が開いていく。甘酸っぱいリンゴと砂糖の甘みがふわ、と口腔内を幸福で満たしていった。
ミナトがようやく――いやいやながらに――食事を開始する。
「お食事はパワーであり命の源です。お食事をとらねば人も、私たちだって元気じゃなくなってしまいます。どのような暮らしをなさっていたのかは知り得ませんがこれだけは覚えておいてくださいね」
膝上からすとんと下りたテレノアは、にんまりと猫のように目を細めた。
そこへいよいよ耐えかねたザナリアが靴音甲高く歩み寄る。
「貴方、まるで給仕の真似事をしてどういうつもりですか!? 聖女であるという自覚さえなくなっているようですね!?」
「でもぉ……ルスラウス教のみな様はいまの私を聖女とお認めになられていないのでしょう?」
「グッ! そ、それは……っ!」
まさか返されるされるとはザナリア自身も思わなかったようだ。
しかもテレノアも酒が入っているから強気になっている。
「私は不出来な聖女ですもんねー。不出来であるがゆえに聖女らしくない行動をしてしまうのは仕方のないことなんですー」
口を山なりに尖らす。子供っぽくつんと顔を背く。
聖女であるということをルスラウス教団たちから責められつづけていた。聖女としてもつべき力をもたぬ異物であると蔑まれる。
ここにきて堪忍袋の緒が切れたのだろう。さらにいまはただ1人の聖女ではない。孤独ではない。
「それに聖魔法と神託を賜れねば私という個としての成り立ちはどうでもよいのですよね。ならば聖女としての能力をもたない私がどのような振る舞いをしたところでザナリア様にはなにも関係は――」
不平不満をぶちまけかけたところに、異音が轟く。
ドンッ、という鋭い音がくたびれた木造の屋内に木霊する。
それは木樽を模した小さなジョッキが卓に叩きつけられた音。さらにはなみなみに注がれていたはずの黄金色が底まで乾いている。
「…………」
ゆらり。つむじを見せるほど頭を垂れた銀の長髪が揺らぐ。
別の卓で食事をしていた教団員の1人が「……あ、やっべ」静かにそう口にした。
麦酒をたいらげたザナリアは、ゆらりゆらり。やじろべえのように左右に身体を揺する。
「己の不相応を棚に上げてよくもまあいけしゃあしゃあと浮き足立てるものですねェェ!!」
そして酔いが怒濤の誘爆を開始した。




