113話 偏執家の呪い《Paranoia Curse》
小さな村の広場で教団のエーテル族とエルフたちがひしめき合う。
教団の兵が鬼の襲来によって怪我をしたエルフたちを治癒魔法で治療していく。
背後にある木造ボロ屋はお世辞にも住みよい家とは言い難い。しかしこの潮風の吹きこむ村ではもっとも大きな家屋なのだとか。
こうして教団の指示の元で1箇所に集まると、かなりのエルフたちが傷ついているのがわかる。これで死者がいなかったのは奇跡としかいいようがない。
あと数分でも聖女一党の援軍が遅れていたなら。そう考えると神の加護とやらもあながち否定できなかった。
「……病ではなく呪い、ですか」
ザナリアは神経質そうな細眉を引き合わせた。
しばし手甲を額に添えて瞑する眼差しを空へ放る。
「承知しました。海龍様の呈する呪いという線にも理はあります。我が教団でも考慮すべき問題の1つに加えさせていただきます」
凜と寡黙な横顔は凹凸がクッキリとしていた。
美の多きエーテル族のなかでも彼女の美しさは群を抜く。
沈着冷静なカリスマさえ匂わせる。静寂多き端正さが美貌として形になっているかのよう。
これにはスードラでさえぴゅう、と口笛を高く鳴らす。
「わーお。聖女ちゃんのときと比べて即断即決だねぇ」
説明をした手前すんなり納得されるとは思っていなかったのだ。
前例としてテレノアに説明したさいのこともある。なのに彼女はすんなりと考慮にすると口にした。
ザナリアは潮風に攫われる髪を頬横で押さえ留める。
「早期に現地で調査をしているかたのお話を聞いて無碍にする理由はありません。もし頭ごなしに否定をするのならば無能の証明となり得ます」
これに合わせてスードラは「だってさ?」ちろりと海色の瞳を横に滑らせた。
ちょっと意地悪してやろうという意味ありありな微笑も浮かべる。
するとテレノアは背に水でも落とされたかの如くピシッと伸び上がった。
「わ、私だって別に否定とかしていたわけじゃないですよ!?」
「えー? そうだったけー? 僕あのとき聖女ちゃんになかなか信じて貰えなくて傷ついちゃったんだけどなぁ?」
演技じみた大袈裟な感じで腰を揺らすと尾も一緒に揺らぐ。
「僕ぅ、もしかしたらザナリアちゃんと組んだほうが正解だったのかもシレナイナァ?」
「そ、そんな待ってくださいぃ!? だ、だって呪いだなんて無情な手段が存在するなんて信じたくなかったんですもぉん!?」
対抗馬に乗り換えられそうになってすっかりベソ掻きになってしまう。
打てば響くとはまさにテレノアのためにあるような言葉だった。
しかもスードラだってそれをわかっていてからかっている。
「いえ。ですがしかし聖女様のお考えも察すに値するものがあります」
意外なところから援護が加わった。
テレノアは感涙を浮かべて「ザナリア様!」彼女の腕にひしっと縋る。
「確かに呪いの類いを使用しているのならば畜生の所業です。もし拘束されれば死罪はもちろんのこと万死に値する行為に等しい」
「私もそれがいいたかったんですぅ! そんな恐ろしいことするかたが大陸にいるなんて信じられないというお話だったんですぅ!」
聖女まさかのここで水を得た魚の立ち回りを見せた。
とはいえザナリアもとくにテレノアを振りほどいたりウザがることもない。
悪くいうなら無視、良くいえば意に介さず。間をとって我関せず、といったところ。だいたいそんな扱いを敷いている。
「ところで呪いってなんだろね?」
大陸種族たちが喧々諤々としているなか、鶴のひと声があがった。
夢矢は愛くるしい小顔を横にこてりと倒す。
「なんか恐ろしいものなんだろうなぁ、ていどしかわからないんだよね? いったいなにがどう恐ろしいんだろう?」
「それは俺も薄々気づいてたぜ。人を呪わば穴2つなんていうくらいだし、禄でもねぇってことだけは伝わってきてるがな」
呪い。少なくとも人間の意識にはすべからく良くないものという認識があった。
魔法に無頓着だからこそ謎が多い。ミスティックななにかという概念でしか捉えられていない。
こほん、なんて。テレノアはひと咳を入れる。ロンググローブを帯びた長い指を立ててみせる。
「呪いとはリスクを負うがゆえに強力な魔法なんです。先ほど私が使った詠唱魔法よりずっと別次元のものになります」
「詠唱魔法は時間を要し発動すると考えたほうがよりわかりやすいはずです。対して呪いは目や耳、歯。あるいは一定量の血液、片側の肺、肋骨、子宮……こ、うがん……などを犠牲として発動させます」
ザナリアからの容赦ない補足によって、気温が僅かに下がった。
気がしたというのが正しいのだろう。だが実際――男女ともに――ヒヤリとくるものがあるのも事実。
それとなぜか口にした彼女の顔色が僅かに桜色をしていた。言い淀んでいた辺りから鑑みるにそういう単語があったというだけだが。
癖で片頬をぴしゃりと叩くと、ミナトはようやく事態を受け止められた。
「何者かがエルフ族に並々ならない怨念を秘めて犯行に及んでるってとこかね?」
そうやってここまでの憶測をざっくりとまとめてみた。
するとここでおそらくはじめてまともに直視される。
「ほう……やけに鋭いのですね。なるほど、聖女様がお見初めになられるだけの裁量は十分にもっておられるようです」
ザナリアは驚き孕んだ瞳でミナトを見つめていた。
なおそのすぐ横でテレノアが「お、おみそぉ!?」頭からぼっ、と湯気をたてる。
「あ、ああ? 呪いなんて使うんだしよっぽど恨みつらみが濃い思想家だろう? なら犯人が異常者だって考えるのが普通じゃないか?」
「忌憚のない回転力を重視する良い考えかたをしています。情などを含まぬ辺りエーテル族とは真逆、非常に珍しい傾向です」
それからザナリアは順に人々の顔に視線を巡らせていく。
「それに他の人種族の方々も冷静に状況を分析しようと努力しているように見受けられます。先にあった戦闘での立ち回りもエルフたちから聴いておりますが……とても洗練されているのですね」
彼女は手甲で口元を覆い、こくりと頷いた。
そのうえ人見る目には怒りも悪気のない澄んだ色をしている。
「これは思ったより玉座争奪戦が肉薄するかもしれません。可能であれば私たちの教団にも欲しかったです」
ザナリアは硬い表情をふふっ、と和らげた。
まさに1輪の花が咲くが如し。こちらだって褒められて悪い気はしない。相手がザナリアという美人ならばなおさら。
だからといって手放しに喜べるわけではないのだ。実態はスレているだけだし、ノアではこき使われていただけに過ぎない。
ただ現場での状況判断は確実に養われている。ここよりもっと危険な死の星で遠征任務をこなした成果は他世界で輝いていた。
「もし呪いであるという観点で進めるのであればなかなかの慧眼だといえるでしょう。呪いなんてものはキワモノが好んで学ぶ禁忌の類いですので」
「でもこれほど大勢に被害を及ぼす呪いを振りまくなんて正気とは思えないのです。なぜならとうに術者の身体は……限界を迎えているはず」
呪いと病。やはり心優しいテレノアは理知的なザナリアと異なった立場にある。
テレノアとしては病として処理したいという感情がちらつく。エルフ族に呪いをかけて笑う輩がいると信じたくないのだ。
話が深くなるにつれて一党らの一帯をとり巻く空気が、ずんぐり重く立ちこめていった。
呪いの元凶が存在するならこれではもう悪意ではなく、狂者である。なんらかの意思に狂ってしまっただけの偏執家。
「はいはいそこまで難しく考えないのっ! 暗い顔してちゃ幸運だって逃げていっちゃうよっ!」
思い耽る情景に弾ける音が2拍ほど響き渡った。




