『※新イラスト有り』108話 人の力《F.L.E.X.》、種の力《MANA》
身をしならせ風を巻く。全長約60mにも及ぶ巨体が空を泳ぐ姿はまさに圧巻の域。
悠々として轟々。隆々なれど急流。鼻先に当たった雲は弾丸に打ち抜かれるが如く渦を巻いて散っていく。
大地を飛び立ち安堵した鳥たちは知る。危険のない空にこそもっとも尊大な存在者が災害の如く現れるのだと。
大空の覇者の進行を妨げる者は何者もいない。
「FUUUUUUUUUU!!!」
海を司りし龍は、長き胴を潮流させながら空を裂いた。
獰猛な牙の狭間からだす音はさながら旋律に近い。猛々しさよりエレガントな調べに聞き惚れる。
高度およそ6000mに青き長き巨躯が舞う。壮大な景色、雄大な大陸、緑あふれる比翼の大地。美しきかなそのすべてが線となって通り過ぎていってしまう。
背に乗った人間たちでさえ豆粒と変わりない。
「うっひょ~すっげえ~!! マジモンの龍の背中に乗れるなんて夢を見てるみてぇだぜ!!」
ジュンはたまらず海龍の背から身を乗りだし大地を覗いた。
轟々ととり巻く風圧は濁流の生む飛沫に似ている。
青空に額をさらしながら嬉々として隣にある空を一目に見渡す。
「見ろよ鳥も雲もなにもかもが慌てて俺らを避けていくぜ! しかも下には緑色の大陸が目いっぱいに広がってやがる!」
くぅぅたまんねぇな! さしずめ童心に返ったかのようなはしゃぎかただった。
幻想的すぎる世界を現実に垣間見ているのだから無理もない話ではある。
「落ちると面倒だからあんまり身を乗りださないでよー! フレックスを使えば死なないとは思うけど探すの手間なんだからねー!」
夢矢が注意してもジュンはもう止まらない。
それにかき消されぬよう声を張ってもそのまま風とともに流れていってしまう。
「お前らももっと感動しろよ俺らの乗ってるのは龍だぞ、龍! でけぇかっけぇつえぇすげぇが本当にこうして存在するなんて最高だと思わねーのか!」
「確かに感動はしてるけどこれから向かうのは呪いの蔓延るエルフ国なんだからね! もっと緊張感とか色々あるでしょ!」
夢矢は辟易と吐息を吐いて肩を落とした。
すると今度は耳奥をくすぐるみたいに別の声がどこからか響いてくる。
『緊張されすぎちゃって張り詰めすぎるよりはよっぽどマシさ。僕ら龍の背に乗ってはつらつとしていられるのはある意味強みだね』
脳内に反響し尾を引く声の主は、スードラだった。
くるる、と。喉を鳴らしながらぐん、と速度を上げる。
「ジュンの場合はなにも考えてないだけなんだよ! 幸先不安だからサポートは珠ちゃんが良かったなぁ!」
「でも珠のヤツ東に指名されかけたら途端に面倒くせぇって即降りしてたぜ。遠征は俺にやらせるから船の護衛は任せろってよ」
「そんなぁ! 同じセイントナイツのメンバーなのに見捨てられたぁ!」
スードラが海龍形態になってからというものジュンはずっとこう。
半べその夢矢をよそに、好奇心旺盛な子供のよう。年上だというのに目を満天の星の如くキラキラ輝かせていた。
絶対的存在の名は、人間たちでさえ生涯に1度は伝え聞く。よもやそんな伝説がこうして実物として存在するとは夢にも見ない。
現状ブルードラグーン搭乗員の第2世代は、3名のみとなっている。
「まったくしょうがないなぁもう。まだ力の使いかたに慣れてるわけじゃないのにさぁ」
夢矢が先日世代上昇したからといって持て余すだけの余裕はなかった。
そのため今回の任務はジュン、夢矢という第2世代2名を戦闘の主軸とする構成になっている。
「それにしてもこの大陸の言語には僕ら人間にもわかるよう翻訳の道理が効いている? だから類似する最強の存在を龍という架空の名に当てはめているのかな?」
「でもこのつるつるの鱗の感触は最高。触ってるとひんやり冷たいのに指がふにふに弾力で押し返される、気持ちいい」
夢矢が思考するすぐ横では、リーリコが海色の鱗に横たわっていた。
身体全体に日光を反射するほど滑らかな鱗がびっしり敷き詰められている。
鱗の1枚1枚が手のひらほども大きく、弾力があって柔らかい。見た目は鮮やかでアクアマリンのように美しい。それはもう1枚がちょっとした宝石のであるかのよう。
否、おそらくは1つの個体で宝石以上の価値があるのだろう。それだけ海龍という龍は雄々しくも美しい。
『僕の鱗は水生生物のソレさ。柔らかいけどそのぶん鉄のようにしなやかなんだ』
「つまり他の龍もつやつや?」
『他の龍だったらもっとゴツゴツで鎧みたいだから触れたもんじゃないよ』
そう言いながらスードラは長い蛇のような肢体をくねらせる。
すると夢矢はむっつりと白い頬を膨らませた。
「こんな姿を隠してるんだったら余裕もあって当然だよね。しかも僕の雷撃だって実はそんなに効いてなかったっぽいし」
『あの時は他種族の形態であるナチュラルスキンだったからちょっとはピリッとしたよ?』
ぴりっ、と。人ならばスタンガンレベルの電撃でさえ龍にとってはこのていどの扱い。
せっかく覚醒してまで見舞った攻撃が微塵も効いていないとなれば腹も立とうもの。
夢矢は小動物のような愛らしい目尻を吊り上げ、業を煮やす。
「こっちは本気で倒そうとしてたのにさ! まったく本気なんてだしてなかったってことじゃないか!」
対してスードラの反応は『だって僕ら強いもん』端的だった。
『この姿で戦ったら攻撃はもちろん1%も効かないし、キミたちどころか聖都ごと寝返りで倒壊させかねない。でもキミたちに合わせて本気で戦ったっていうのは本当だよ』
龍は決闘行為とその勝敗を重んじるという。
なにより彼自身の性格として遊びを中途半端に終わらせるとは思えない。
こうして背に人を土足で乗せているあたり本気であるという部分は事実なのだ。
「むぅ……なんか言いくるめられてるみたいでやっぱり納得いかないなぁ」
だからといって腹の虫がおさまるわけではない。
地上から離れ出立しおよそ20分ほど経ったか。地平線にいっぱいに広がっていた景色に変化があった。
「おい! 森だ、すっげえ広い森がどこまでもつづいてるぞ!」
いの一番気づいたのは、ジュンである。
気移りしっぱなしだった視線が緑の絨毯を見つけてより輝きを増す。
『あれが目的地であるエルフ領だよ。彼らエルフ族は木々や草花なんかの自然とともに生ける種族さ』
地上にわあ、と広がるのはまさに密林だった。
木々というにはあまりにも多すぎる。そしてその1本1本の幹にたっぷりの葉を蓄える。
命芽吹かぬアザーという星を死の星と呼ぶのならこちらは命の結晶。切れ目なくつづく青葉がせせらぎながら一党らを静かに迎えてくれていた。
そしてここが目的地。5感を失う呪い病に侵されたエルフ国。今なお拡散する呪いに嘆く民の病床。
ふと緑の上に差し掛かったところでスードラは飛ぶ速度をぐん、と落とす。
『ところでさっきからひとことも発しない人間がいるんだけど……』
きゅるる、と。喉が甲高い音を奏でた。
のたうつ首を回し胴部分を覗く。
と、その先にはコンパクトに膝を抱えた少年がいた。
「さささささ、ささささ、ささ、寒いぃ……!」
寒い。とにかく寒い。
インナーにパラスーツを着ていてもなお寒い。
ミナトは真っ青になりながら全身をガタガタに震わせている。
「て、てて、手と、脚と……か、かか、顔が凍る……!」
気温は昼近辺でおよそ15度はあるだろう。
しかし上空と飛翔が重なると環境は牙を剥く。龍の背は、遠くにある地上が流れるほどの速度も相まって極寒だった。
「主に顔と手足の指先がヤバい! 感覚がなくなって逆に暖かくなってきてる気さえする!」
『うわぁ……寒すぎて錯覚状態になってるじゃないか……』
ミナトだけがスードラの背を楽しむ余裕さえなく、凍えていた。
インナーに宇宙服兼用のパラダイムシフトスーツを着ているとはいえだ。寒いものは寒い。
それもそのはずノアの制服だけでは風通しがよすぎてならない。しかも露出している顔やら手は冷風をモロに浴びてしまっていた。
なのにこちらが極寒と戦っているのにも関わらず。ジュンたちはさも日常とばかりに龍の背でくつろいでいる。
「ああそうか。ミナトは第1世代能力を使えねーんだっけか」
「僕らは寒いと感じたらほぼ自動的に能力を発動しちゃうから気づかなかったね」
2人は、いまさら思いだしたかのように普段より近くにある天を扇いだ。
ミナトは焦点の合わぬ瞳をギョッと剥く。
「な、なな、なんの話してるんだよ!? なんでオレ以外はそんな元気にくつろげてるんだ!?」
よくよく見れば他の全員の身体に薄い膜が。フレックスを張り巡らせているではないか。
しかもジュンと夢矢だけではない。もう1人も寝そべりながら体表面に蒼をまとわせている。
「フレックスは人体に影響を及ぼす熱と冷気を自動で遮断する。第1世代の防衛能力さまさま」
リーリコは寝返りを打ちながらむっくり上半身を起こした。
それからミナトのほうに眠たげな目を細める。
「う、ううう、う、裏切り者ォ!?」
「変態第2世代能力を使うのによくいう。逆になぜ第1世代を使えないのか不思議でならない」
「オレだってこんなワイヤー飛ばすくらいの能力ならそっちがよかったやい!? あとその光学迷彩ローブ貸してくださいお願いします!?」
やだ。返答は、無情だった。
リーリコは話を聞き届けたとばかりに龍の背へ横たわってしまう。
「フレックスっつーのは個人が望む通りに能力が使えるようになるわけじゃねーからな。俺なんか亜轟が良かったってのに不敵適正のほうが大きかったしよ」
「僕はついこの間雷伝が使えるようになったけど、最近は重芯の鍛錬ばっかりやってたっけ」
ジュンと夢矢がいうように蒼き力は気まぐれ。フレックスは望む者に望まれる力を与えることはないという。
たとえ身体が巨大で筋骨隆々だからと力に特化するわけでもない。博識で読書を好むような女性にも力任せに単純な能力が分け与えられることもあるのだとか。
だから開発トレーニングも得意不得意で行わず、幅開いメニューをこなす。とにかく好き嫌いなくすべての能力を開発する。ゆえに第2世代へ進むのは強運の持ち主とさえ仄めかされている。
そして第2世代能力でさえ未だ発見に至っていないものも多くあるらしい。
ジュンはくつろぎながら体重を後ろに反らす。
「第2世代っつーと、重芯、不敵、雷伝、心経、亜轟か? この辺りは特に有名どころだよな?」
そうして指折りながら第2世代の能力を上げていく。
夢矢もこくりと首を縦に揺らす。
「それ以外にも特異な現象を起こす能力もここ最近になって発見されているね。あまりに現象として小さすぎるせいか実体化が微妙で第2世代認可されてないのものも多いけど」
「チーム白衣の乙女が使う調乖とかが未認可だな。体の構造を把握するだけだから実現化はしねぇ。そういう微妙な能力はおおまかに準第2世代っていわれてるな」
「あとはチーム天使の工具箱の則動も精神を機械と同期させるから準第2世代の枠組みだね」
2人は意見交換をしながらうんうん青い空を仰ぐ。
いまさら首を捻ったところで答え合わせになるはずもない。いまのところフレックスという能力は単純に未解明なのだ。なぜ使えているのかもなにが覚醒の紀元となっているのかさえわかっていない。
ただ大抵の場合は先人に遅れて発生するということ。未知の能力が解明されるとやがて人々に派生していく。
そして第1世代能力もまったく同じ形で派生し、人類は身につけてきたのだとか。
「そういえばミナトくんの能力って認可は確実だけど名前がついてないよね?」
夢矢は白く反った指をくるくると回す。
ジュンも思いだしたかのように手に打つ。
「確かにそういえばそうだな。実体化発現は余裕でしてるし第2世代条件は余裕で100%クリアしてるな」
そうして2人が視線を送る先にあるのはメタリックブルーの流線型。ミナトの腕に括られた小型のフレクスバッテリーがあった。
しかし話が振られても反応は薄い。どころかミナトは閉口して明後日のほうをぼんやり眺めている。
――そんな……なのか? オレはもっとずっと……
多くから離れ、違った考えをもつ人間もいた。
これは使える人間と使えぬ人間の僅かな差異とでもいうべきか。
ミナトには、不思議とジュンや夢矢のような第2世代フレクサーがとても遠くにいるように思えてならない。
「――ぶぇっくしょい!!」
考え事をしていてもも冷えた身体は温まることはなかった。
勝手に寒さへ反応してしまう。ミナトはくしゃみをして飛びかけた鼻を啜る。
「ううう、ダメだ芯から冷えて寒気してきた……ここでたき火やっていいか?」
『別にいいけど上空の風のなかで火なんかおこせるの? それともいったん地上に下りて温まって再出発でもする?』
そんな最中。慈愛の光が触れた。
彼女は手にまとう光をミナトの背にそっと押しつける。
「《ウォームエンチャント》」
テレノアは静謐なる音色が意味を紡ぐ。
すると彼女が触れた部分からヒカリが膨らんでいく。
そしてミナトの身体が橙色に覆われていった。
「なんだこれ……魔法か? 頭から電熱毛布でも被ってるみたいに身体が温かくなっていく?」
「それはいま私がかけた《ウォームエンチャント》の効果です。寒いのならばいってくださればよかったのに」
テレノアは身体を傾けながらにんまりとした笑みを浮かべる。
「私もソルロちゃんも寒くなかったので気が回りませんでした。次からはいつでも温かくして差し上げるのでおっしゃってくださいねっ」
美しくも聖母の如き柔らかな光だった。
ミナトは「あ、ああ……」辛うじて受け答えるも、全身を覆う光に戸惑いを隠せない。
闇に火が灯るようにして身体に熱が集まっていく。というより微塵も寒さを感じなくなった。
まるで日光に全身を抱きしめられているかのような錯覚さえ覚えてしまう。身体の表面を橙色をした皮膜が張られ、触れられない魔法の衣が被せられていた。
「すっげえ! これがかの有名な魔法ってヤツか!」
「そういえばジュンは聖都に入るのもはじめてだもんね。いっつもブルードラグーンの護衛ばっかりだったし」
実質初体験。夢矢は慣れているようだが、大半の人間はそうではない。
だからかテレノアのかけた魔法に好奇心旺盛だった。
「ヒカリから話だけは聞いてたけど実感なかったんだよな! リーリコも触って見ろよめちゃくちゃぬくいぜ!」
「ほんと……あったかい。なにこれ、不思議?」
人間たちは魔法に大はしゃぎである。
ジュンとリーリコは、物珍しそうにミナトの表面に貼りつく魔法の橙に触れていった。
そして別のところからも称賛の声が上がる。
『わお! 《効果魔法》といえばけっこうな上級魔法じゃないか! 聖女ちゃんってけっこう熟練したやり手だねぇ!』
「魔法の教育や鍛錬は聖女としてみっちり仕込まれてますから基礎くらいならこの通りですっ」
テレノアは、スードラから褒められると、恥ずかしそうに朱色の頬を掻いた。
それでもどこか誇らしげにエプロン越しの薄い胸を僅かに反らしていた。
『なら僕と戦っているときももっと色んな呪文を使えばよかったんじゃない?』
「その、土壇場やいざ本番となるとどうにも機転が利かなくなってしまいまして……。あとあまりスードラ様へ暴力的な魔法は使いたくなかったことも起因してます」
そんな活気ある賑わいをミナトはどこか遠くから眺めている。
――っ!? 効果魔法だって……?
ともあれ魔法のおかげで風邪はひかないですみそうだった。
ミナトは見上げながら「サンキュウな」と、横のテレノアに礼をいう。
すると彼女は「いえいえですよ」短尺のスカートをぽんぽん叩いて折り目を正す。
それからさも当然のようにミナトの真隣にちょこんと腰を下ろした。
『それじゃあもう休憩する必要もなくなったしこのままエルフ国の首都に向かうよ。善は急げっていうし道草はほどほどにしておかないとね』
そう、一党らの脳に響かせてからスードラは再び飛翔を開始しようとした。
と、その巨躯が翻る直前に異変を感じる。
「……なんだあれ?」
ミナトの視界の僅かな部分になにかが横切って見えた。
地上。それも鬱蒼と茂る森の片隅に白く揺らぐ1本線が立っている。
よくよく見ればそれは狼煙である。それでいて根元では木々がときおり揺れた。
そしてより目を凝らすと、木々の間を縫うようにして、人影のようなものが移動している。
「スードラいますぐ下降しろ! 長耳の連中と魔物がすぐ真下の辺りで戦ってるぞ!」
『おっけぃ! ドンパチなら任せてよ!』
救援に向かうという判断は、迅速だった。
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