107話 喫茶サンクチュアリ《Unknown Sky》
「いらっしゃいませぇ~♪」
本日も華やかな店員の屈託ない笑顔によって誘われる。
芳醇な木の香りとエージングされたコーヒーの豊かな香りが店内をいっぱいに彩っていく。
こうして細路地にある喫茶店の朝は気ままにはじまるのだ。
「2名様ですねぇ~♪ 空いてるお席にご案内致します~♪」
笑顔が翻ると腰まで伸びた艶やかなブロンドも一緒になって振り返った。
入ってきた冒険者たちを分け隔てない魅力が迎えると、客も思わずといった感じで笑顔を咲かせる。
「ご注文お決まりでしたらお呼び下さいませぇ♪」
落ち着いた色調のカフェ色がよく似合う。
いそいそと動くたび丈短いスカートが流れる。そこから覗く白い若木のような脚が眩しい。
ここ。喫茶サンクチュアリは、上流階級ではない外れ者たちにとっての止まり木。
そして人間たちにとっては、龍と戦った良くも悪くもな思い出の場所でもあった。
「こうして毎日かよってるけど、あの店員の子マジ天使だよなぁ。すさみきった心が洗われるようだぜぇ」
「最近目まぐるしかったからかこの喫茶店はちょうどいい癒やしスポットだねぇ」
「制服も可愛いし笑顔は晴れやかだし、いーい目の保養になるなぁ」
ふわり、と。店員の子が翻るたびちらりと覗く。
頼りないスカートから太ももと小ぶりな尻の境界辺りを覗かせる。
それをジュン・ギンガーは指で作った枠の中に捉えた。
聖都に仮住まい場を設けてもらった埒外たちは、魔法世界に少しずつ慣れはじめていた。
来客のたびに鳴る扉のベルを聞き流し、今日も今日とて面々は憩いを求めて集結している。
「いいよなぁ。ああいう腰回りと足回りがどっしりしてる子ってよぉ。それに比べて清楚な顔立ちってのも逆説的っつーかさぁ……」
ジュンは鼻の下を伸ばしていた。
そんな彼に鋭い眼光が刺さる。
「それノアじゃなくても普通にセクハラ発言」
監視役の少女の目は軽蔑を隠そうともしない。
それでいてコーヒーマグを傾けながらじっとりと湿っぽく睨む。
「いやいやわかってねぇなぁ、あれはこの店の制服なんだぜぇ? なら見なきゃこの店の超センスあるマスターに失礼ってヤツだろ?」
「極刑、悔い改めろ変態。それと店内だからって油断大敵」
リーリコ・ウェルズは、軽蔑の目でジュンを見ていた。
男なら誰しも触れてみたくなるぷっくり魅力的な唇をより尖らせた。
マグをテーブルに置くと身を覆う光学迷彩ローブの内側をもぞもぞさせる。
「ここは異世界。どこからなにがくるのかわかったものじゃない」
鷹の眼差しで椅子の上に丸くなり膝を抱えた。
端的な彼女の目は周囲からのあらゆる情報を集めている。
「でもいちおう平和な聖都のなかだしリーリコちゃんも常に見張ってなくていいと思うよ?」
夢矢が肩の力を抜くようフォローに入った。
が、「ダメ」あっけなく一蹴されてしまう。
「この間みたいな予期せぬアクシデントもある」
「……予期せぬアクシデントなんてあったっけ?」
「龍との決闘」
リーリコがキツく睨むと夢矢は「あぁ……」口からとぼけた音を漏らした。
実のところ彼女は、あの時すでに聖都へ紛れこんでいたという。
チーム《キングオブシャドウ》であるリーリコが背負うのはあくまで影としての立ち位置。
龍との決闘のさいも近くで見ていたがだいぶんヤキモキしていたらしい。
「で、でもいちおう勝ったからプラマイ零って事にはぁ……?」
「結果論は愚者の吐く常套手段。私の監視下ではもうあんな軽率なマネ2度と許さない」
「……ならないかぁ~……ならないよねぇ~……」
夢矢も自覚はあるためたじたじになってしまう。
リーリコの視線から逃げるように少女の如く麗しい顔を背く。いよいよ食い下がるのをやめた。
彼女の監視役という責務は危険察知を意味していた。なにがあるかわからない異世界だからこそ闇の目はすべてを注視し、見透かすのだ。
「つってもあっちの卓よりはこっちのほうが健全だと思うぜ?」
唐突にジュンが別の卓を指さす。
と、2人もあちらの卓を一瞥してから頭を抱える。
店内のとある一角だけ湿度が高くなっていた。
「はいっ、あ~んしてくださ~い♪」
公序良俗に違反するほどではない。
なのだが微笑ましくも思わず目を背けたくなる濃密さ。
聖女改めフリフリミニスカメイド少女テレノア・ティールによる強制ご奉仕が行われている。
「自分で食べられるからさ……できればもうちょっと離れて貰えるかな?」
「いえいえ遠慮なさらないでくださいね。命を救っていただいたご恩を返すにはこのでいどじゃ足りませんから」
肩にしな垂れかかられては抵抗する術はない。
片腕もがっちりと腕を回され拘束されてしまっていた。
肘の辺りには、ないというには柔らかく弾力ある感触がこれでもかと押し当てられている。
いっぱしの年ごろをした少女がメイドの格好をまとわりつく様は夜の店さながら。それだけならまだしも彼女はエーテル族であり、約束された美女だった。
これには見せられているほうの頬が朱色に染まってしまうというもの。
「すげーなーあれ。命を助けた恩人だからってあそこまで0距離とか逆にビビるぜ」
「い、いやあれはさすがにやりすぎだよ! ミナトくんを見る聖女ちゃん目が完全に女の子だもん!」
ジュンは呆れ、夢矢に至っては見ていらず頬を真っ赤に染めていた。
雰囲気だけで甘さが香る。
服を通して伝わってくる暖かさ。目前にまで迫る慈愛の笑み。これらすべて青少年には耐え難い快楽を強引に与えてくるもの。
浮かされかけた熱に混濁しながらもミナト・ティールは奉仕を享受せざるを得ない。
「あ……あ~ん」
「よくできましたー! まだまだありますからねっ!」
「も、もういいから十分だから。これ以上食べたら色んな意味でいっぱいいっぱいだから」
食事という生命の根幹たる行為を成功させるだけで拍手が送られる。
食べているグラタンのように男の脳を溶かす。これでは史上最強の甘やかし。
これほどつきっきりでご奉仕してくれるメイドがいては、さすがのミナトも「……あぁん」逃げられない。
そうやってる間にもテレノアは次の分をグラタン皿から掬いとる。
「いま冷ましてしまいますから少々お待ちくださいねっ。ふーっ、ふーっ……」
「ねえ、なんでグラタンなの? 別にグラタンじゃなくても良かったよね?」
「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ……」
「なんで答えないんだよ!? 冷ますほうに集中しすぎててなんかもう凄く怖いんだけど!?」
銀糸の如き麗しき頭には愛らしいヘッドドレスをちょこんと乗せた。
テーブルの上の皿からあっつあつのグラタンを匙で掬うと、ふぅ、ふぅ。吐息を吹きかけ冷ましていく。
十分に温度を下げたグラタンをそっと相手の口へと運ぶ。
「あぁん……もう一生お腹いっぱぁい。昨日も食べたし今日はもう食べなくていいよぉ」
「ダメですよぉ? 2日に1食とかいう正気を疑う食生活は私がきちんとただしてあげますからねぇ?」
「あぁぁ~ん……このメイドさん聖女なのに笑顔が仁王みたいで超怖いぃ……」
それからも奉仕という名の教育はつづいた。
夢矢は、いたたまれと呆れた笑みを作りながら眺める。
「あれはあれで自業自得なんだよねぇ。ごちそうしてくれる聖女ちゃんの前でいつもの食生活を披露しちゃったミナトくんが悪いよ」
「いっつも俺らが食わそうとすると逃げっちまうからな。ったく、飯食うだけであんなに女子と密着できるなんてうらやましいかぎりだぜ」
ミナトの拒食は昨日今日はじまったというわけではない。
アザーという死の星で死神と呼ばれていたころからずっとなのだ。
しかもチームメンバーでさテレノアほど強制はしなかった。その結果、満足に食事もせず痩せ衰え身に必要な肉さえついていない。
チームリーダーの憂鬱をよそにジュンは、食事を終えて意気揚々と伸びをする。
「あの杏ですらあんましミナトに食わそうとしてなかったしな。あれはあれで変わるチャンスになりそうだ」
椅子を後方にゆらゆら揺らす。
どこか冷めた――というかふてくされるような視線で、ミナトとテレノアの睦言に目を細めた。
するとリーリコは物珍しそうに彼を見る。
「……意外。ジュンもああいうのをうらやましいと思うの?」
「あ? そらどういう意味だよ? あんな可愛い子とベタベタしてるのをうらやましいと思うのは男として普通だろ?」
「だってジュンにはウィロがいる。てっきり2人はそういう関係だと思ってた。というよりだからノアのみんなウィロに近づかない」
リーリコのいう通りだった。
ジュンには、幼馴染みのウィロメナ・カルヴェロがいる。
頼れる兄貴肌のジュンと、それを横でそそくさとカバーするウィロメナ。この2人はほぼ常に一緒に行動していた。
そんなウィロメナは男たちからの人気の的である。スタイルも年不相応なほど抜群で、性格も物静かながら優しく慎ましい。見過ごすには惜しい逸材。
しかしウィロメナにはジュンがいる。船内ではおしどり夫婦ともっぱらの噂。幼馴染みという無類の絆の間に割っては入れるものなどいない。
「いやいやバカいってんじゃねーってありゃただの幼馴染みだぜ? それにウィロが俺の周りうろちょろしてんのも半端ねぇ世話焼きってだけだろ?」
なのに当の本人は、さもありなん。
ジュンは素の表情で煙たがるよう手をしっしと払う。
そんな鈍い男へ遠間から野次が飛ぶ。
「マジでいってるのかそこのこのバカズボラは? 鈍すぎて人じゃなく鉄に見えてきたぞ?」
腹をパンパンに膨らませたミナトからの罵声だった。
これにはジュンも年上として黙ってはいられない。
「んだとぉミナト!? どこぞの食虫植物ウツボカズラみてぇなあだ名つけんなよなぁ!? お前こそそんな美女はべらせてよくいうぜ!?」
「いやんっ! はべらせるなんてさすがにそこまでは早すぎますぅ~!」
「おいバカやめろ! これ以上テレノアを刺激するんじゃな――アッチィ!?」
火の着いたテレノアは奉仕の手を早めた。
さすがはエーテル族といったところか。ミナトの口の中にはもりもりと熱々のグラタンが放りこまれていく。
きっとウィロメナはそうではないのだ。ただ意中の相手が近くにいすぎただけ。それとその意中の相手はいささか鈍すぎた。
「……アイツはもっといいヤツを見つけて幸せになるんだっつーの……」
ジュンは、姿勢悪く椅子に浅く腰掛けると、木匙を咥えて黙りこんでしまう。
件の少女はこの大陸世界にはいない。それどころか未だノアの安比さえわかっていなかった。
リーリコはそんな物憂げな彼を見て申し訳なさそうに眉を寄せる。
「ごめんなさい……ノアのコトを安易に思いださせたかったわけじゃない」
夢矢はそんな彼女をへ伸ばしかけた手を止めた。
それから諦めたように首を横に振って短な髪をさらりと揺らす。
「そういうミナトくんだってどうなんだい?」
グラタンを完食しグロッキーな少年へ問う。
テレノアは満足した笑みを浮かべて店の奥へ皿を下げにいってしまった。
「ああ見えて杏ちゃんとかあんまり世話焼いたりしないからねぇ。他から見てるとけっこう噂が広がったりしてるよ」
「だな。杏ときたら顔が良いのにクソストイック。そのくせしクールだからか男子人気より女子人気のほうが高いらしいぜ」
ジュンも復讐とばかりにミナトへ向かってふふんと鼻を鳴らした。
「はぁ? それこそオレと杏はチームマテリアルのメンバーで別にただの友だちだし――」
「そういや杏のヤツもしお前がリベレイターになってノアを救ったなら身も心も捧げるとかいってたヨナー」
「へェー、杏ちゃんって以外と大胆なこというんダネー。しかもミナトくんってば本当に革命の矢として役目を果たしちゃったし、つまりそういうことだヨネー」
訂正しようとするも、すでに針のむしろである。
ジュンと夢矢は2人揃っていじる気満々の表情で遮った。
ミナトが困り果てて「お前等なぁ……」とふてくされる。
すると周囲はカラカラ鈴を転がすように笑い声を上げるのだった。リーリコでさえ耐えきれずといった感じで吹きだしてしまう。
こんな状況でなければ年相応の青春でも送れていたのだろう。それほどまでに各々は未だ少年少女の域をでないことを、心していない。
そして間もなく全員がほぼ同時に同じ思いをよぎらせるよう口を閉ざす。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
それぞれがそれぞれに思うものがあったのかもしれない。
ある者は家族。または旧友、古い付き合い、腐れ縁。同居人や姉弟、チーム、親友、仲間。もしくはそれらすべてか。
ここルスラウス別世界は、世界で区切られてしまった世界。人の育った世界は遠く、未だ帰る目算すら立っていない。
当然ミナトの脳裏に思い浮かんだ顔だって1つ2つで足りなかった。ノアで知り合った人々の笑う顔がずらりと思い出になって網膜の内側に並んでいる。
「……なんかとしてでも帰らないとだな。これでみんなとさよならなんてごめんだ……」
硬く握った拳を額に宛てがう。
ミナトは、すすけた横顔に鈍く乾いた笑みを貼りつけた。
ジュンと夢矢、それからリーリコもゆっくりと顔を上げる。
「ちゃっちゃと帰ってやらねぇとウィロのヤツにドヤされっちまう。ああ見えて心配性なのは折り紙付きだかんな」
「久須美ちゃんだけを1人にしておくの可哀想だしね。それに僕が帰らないと父さんにも心配かけちゃうから」
「キングオブシャドウのチームリーダーとして必ず王の下に帰る。私の使命は主と決めた王を守ることだけ」
誰もが同じ夢を空想に描いていた。
瞳に覚悟と気力を籠めて誓い立てる。必ずあの白き船に帰ることを心に決める。
いまのところは絵に描いた餅でしかない。帰るための船もほぼ半壊しており、どころか帰る術すらもたず。
それでも希望はあると思うことで諦めて曲がってしまわぬよう必死だった。
「あれぇ? なんかみんなして暗くない?」
ふととぼけた声が店内のなかに響いた。
するとそこには店に入ってきたばかりの漆黒の影が佇んでいる。
彼はローブのフード部分をはらりと脱ぐ。まとまった髪を散らすよう頭を振った。
「これからみんなで遠くにおでかけなんだからもっとテンション上げていこうよ」
男ともとれれば女ともとれる。そんな美少年がふふりと笑う。
怪しいほどに分厚く黒いローブに身を包む。裾からはにょっきり青く鱗めいた尾が覗く。
定刻ちょうどの到着だった。傍らには民族的紋様の描かれた白いローブの少女が付き添っていた。
すると皿を下げにいっていたテレノアがぱたぱたとミニスカートを揺らしながらこちらへ戻ってくる。
「あら、スードラ様のご到着ですね!」
白い手でぽんと拍を打つ。
それから朝の挨拶にしては上品な仕草で裾をつまみ礼をした。
優雅な所作に合わせ毛先の波立つセミロングの髪がふわふわと空気を孕んで浮き沈む。
するとそんな彼女の下へ白いローブの少女が駆け寄っていく。
「……っ!」
はらり、と。風に押されて被りの部分がはだけた。
そしてそのままテレノアのエプロンに包まれた胸へ飛びこむ。
「っ! っ! っ!」
「ソルロ様もおはようございます! 今日もお変わりなく元気いっぱいそうでなによりです!」
テレノアは額をぐりぐり押しつけてくる若いエルフの頭を優しく撫でてやった。
新緑色の髪が揺れ、笹場の如き長耳が犬の尾のように上下に揺れている。
そんな心温まる様子を横目に海龍スードラ・ニール・ハルクレートは、一党らをぐるぅり、見回した。
「じゃあ今日は昨日約束したとおり呪いの根源が隠れ潜むエルフ国に向かうよ。一気に飛んでいくから僕の背にしっかり捕まっててね」
本日から本格的な呪いの解呪を開始する。
そのためにこうして戦闘可能なメンバーが解呪班として揃えられていた。
ジュンは片手にもう片側の拳を叩きこんで気勢を上げる。
「っしゃあ! その病だか呪いだかを治しっちまえば良いわけだな! しかも悪ぃことしてるやつをぶっ飛ばしちまえばいいだけなんて楽勝だぜ!」
「しかも成功すればエルフ族の協力が得られるかもしれないからね! そうすれば聖女ちゃんを玉座争奪レースに勝たせるための戦力が増える!」
夢矢も卓に立てかけていた弓を拾い上げた。
これからエルフ国に殴りこむ。やる気は十二分に満ちていた。
しかしてスードラの中性的かつ屈託のない笑顔に騙されるほど、こちらもバカではない。
「……僕の本当の姿を見て驚かないようにね?」
なにせ彼と一戦をまじえている。
そんなミナトだけは、小癪な笑みの裏に魔性の姿を映していた。
「腹いっぱいで気持ち悪くなってきたし降りようかなぁ……この仕事」
この後、人間たちはあるていどの絶望を思い知ることになる。
真の龍は、あまりにも想定外で、スケールが逸脱していた。
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