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BREVE NEW WORLD ―蒼色症候群(ブルーライトシンドローム)―  作者: PRN
Chapter.5 【両手一杯の花束を ―WORLDS Scenario―】
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106話 聖女と、巫女《Saint & Blood》

挿絵(By みてみん)

蔓延する

瘴気の病


白き女王は

希望を縋る


失望の最中

訪れる

血の匂い


冥府の混在

 とある報が届いたのは2日前の夜のことだった。

 たいてい悪い予想というのは当たると決まっている。案の定したためられた文章を読めば頭を抱えたくもなる。

 とうとう新たな村から瘴気による病の患者がでたという凶報だった。


「これで原因不明の瘴気は4つの集落に影響を及ぼしているということが判明した」


 艶めく唇から悩みの吐息が僅かに漏れた。

 編み上げた根に落ち着いた美しき女性は、悩みの種に頭を揺らすしかない。

 薄地に沿われた丸く柔和な臀部を支えるのは、樹木。そして樹木にはカズラが伝い自然色を豊かに彩る。

 蔦は、樹木死してなお這い上がり、天を目指すといわれている。その飽くなき欲求は、およそ頂点へ君臨するモノによく似ていた。

 そして彼女もまたその1人である。

 天より返りし者と冠される白き髪の女王は、民を思い、憂いを噛む。


「現状エルフ領土には不治なる病が恐ろしい速度で蔓延し、悪なる影響を及ぼしている。もはや感化できぬほど、重篤な事態と危惧すべき案件だ」


「なのに瘴気の治療法はわからずじまいで刻一刻と事態は悪化の一途を辿る。目算もなく兵を動かすのは流行病だけに避けたいところね」


 女王と対面する者もまた美しく、気位が高い。

 身にまとうものも衣服ではない。青蔦と花弁を散りばめ、自然の豊かさを衣代わりに設えたもの。

 気丈な振る舞い、臆せぬ肢体、珠の如き美貌。それらがエルフ女の特徴と風潮されることも多い。大陸に住まう者ならば大概が心得ている。

 逆にエルフの男は、やれ弱腰だ、やれ尻敷かれだのと。肩身が狭い思いを強いられた。

 だが生命の道理なのだから声高に抗議したところで変えようがない。むしろ隣国のドワーフのほうが性質としては厄介ではあるところ。

 世にも珍しい白き髪の女王は蔦に背を預ける。


「このまま他国に漏れでもしたら政治的問題となりかねないな」



「そのための早期解決が望ましいという弁は聞き飽きているわ。こっちだって暇してるわけじゃないんだから」


「伝説的薬師のソナタが方々を駆け回ってくれているのは重々承知の上だ。であるがゆえに問題なのだがな……」


 もう幾度目かの重いため息を吐いた。

 謁見する彼女こそ大陸そのものが認める英雄だった。

 これもまた大陸に住まう者ならば常識の範疇。大陸でも数少ない伝説とさえ謳われるほどの逸材だった。

 だからこそ手に負えない。伝説を冠する1級品の手であってもエルフ国を蝕む病の進行を抑えられずにいる。


「なんらかの光明さえ発見に至らないものか……」


 白きエルフの女王はそれでも彼女に縋るしかなかった。

 なにしろ病が拡大しないよう村々を閉鎖するという決断を下したのも薬師である彼女だった。

 その機転のおかげで病の拡散に僅かな歯止めが効いている。

 これが国の独断では不満の声が病以上に蔓延しただろう。栄誉があるプロフェッショナルの発言だからこそ民も黙って耳を傾けてくれている。

 無論のこと薬師である彼女も――無責任に――任を放棄するようなタイプではない。彼女は病を治癒することに重きを置いていた。

 なにしろこの混血は、エルフという片側の一族を心から愛しているのだから。


「病の広がりかたに不思議と既視感があるのよね。なのに酷似する病の文献を洗いざらい探っても成果がでないの。なんだか狐に化かされてるみたいで気分が悪いわ」


「先代の集めた国庫の蔵書にも目を通してみたらどうだろう? 厄災や禁忌の呪法等が含まれているため公開は控えているがもしかすると役に立つかもしれないぞ?」


「いやよだってあれ数が膨大すぎて読み耽り終えたころには大陸中にパンデミックしちゃうもの。それに呪物を読むのって精神が削られるから好きじゃないのよ」


 少女は彩色異なる瞳を細めながら右往左往とねり歩く。

 片側の眼はエメラルドグリーンでまるで宝石のよう。もう片側もまた蜂蜜をとろかした琥珀色で済んでいる。


「これまで多くの病を治してきたけど、どの薬効も効果がないわ。せめて病状を押さえることくらいできても良いはずなのに……」


 そんな彼女が早足で右往左往すると男を惑わす肢体が誘惑的な波を打つ。

 身に帯びた花弁が数枚ほど散って王の間に彩りを落とす。他の純血よりいささか色濃い竹色の髪が光沢を流して揺らぐ。


「病、病、やまいぃ……! 呪物、呪物、呪いぃ……!」


「あまり根を詰めすぎないでくれ。もしソナタにまで倒れられでもしたらそれこそ八方塞がりになってしまう」


「う”~……でもなーんかモヤモヤするのよねぇ、この病気! 頭の片隅にあるようなないようなで……ほんっと鬱陶しいわっ!」


 少女は、とうとう癇癪でも起こすように髪を掻きむしりはじめてしまう。

 実益があるだけに病へ立ち向かうプライドも1級品なのだ。

 切羽詰まるとときおりこのような子供っぽい一面を覗かせることもある。


「知恵熱がでるかもってくらい大陸中の文献を読み漁ったってのにぃぃ! なんでもう1つの血の特性が発動しないのよぉぉ!」


 がっしがっしと。髪をかき乱すと彩る花弁がはらはら散った。

 感情の高まりに合わせ身を這う青蔦が伸びては散ってを繰り返す。

 そうしてあっという間に彼女の周囲には枯れ葉と朽ちた花弁があふれていった。


「キシシッ。ずいぶんとあられもなく乱れやがってるなァ。自然女王(ネイチャークイーン)ともあろう御方様がよォ?」


 その瞬間悪しき声が響き渡った。

 空間の喧噪が静寂へ裏返る。困り果てていた白き女王も、混血の少女のどちらもが、鋭利な眼差しを声の主へ集めた。


「貴殿を城に招いた覚えはないのだがな。とはいえ道楽で表にでてくるような質でもないか」


 白き女王は来客の存在に内心ひどく驚いた。

 だが高潔なる身として表情は固めたまま務めた。


「オメェらに呼ばれたていどでおめおめ外にでてくるわけねーだろ。しかもこんな真っ昼間のクソウゼー日の下なんぞには特にだ」


 手にした大鎌が、びょうと風凪の威嚇音を奏でた。

 王の御前だというのに遠慮のひとつもない。なにせ彼女も特別でいて横暴なる者。

 その上、挨拶さえなく玉座の間へかつりかつりと靴音高く踏み入っていくる。


「ただちぃとクソウゼー通り越すくらいクソウゼーことが蔓延してるんでなァ。大陸連中がどんだけ愉快に踊ってんのか見にきてやったってわけだ」


 女は、凶悪な鮫の如き笑みを浮かべた。

 身の丈より長い獲物を両肩に担ぐ。はち切れんばかりに膨らんだ2つの球体を見せつけるようまざまざと押しだす。

 自信過多、自意識過剰、自分本位、自由気まま、身勝手。しかも頭の両端に生やすのは山羊の角、背には皮の黒き2枚羽。

 どれも凶暴で禍々しい印象を与える特徴ばかりを揃えていた。

 女王と混血がむっつり黙りこんでいると、彼女は大袈裟に頭を垂らして横に揺する。


「その様子だと案の定なんもわからず野放しってかァ? 長耳エルフは能無しが種族特性だったとはなァ?」


「そういう貴殿は品性を備えず相手をコケにすることが特性らしい。これは種族ではなく貴殿の(タチ)の問題ではあるようだがな」


 わかりきった挑発に、負けじとこちらもキツくにらみ返す。

 すると女は、長い舌を唇に這わせ、顎を高く持ち上げた。


「キシシッ。青二才がずいぶんと切れ味のねぇ舐めた口きくじゃねーか。女王としての余裕がねぇってのが見え見えだっての」


「くっ……!」


 これには白き女王も口を閉ざすしかなかった。

 彼女の語る余裕がないというのは真実なのだ。

 すると唐突に脳内へ『ここは任せて、慣れてるから』という尾を引く声が耳奥に響く。

 白き女王は、それが《無性会話(テレパシー)》の魔法であることを知っている。


『この子がでてくるってことはだいたい意味が決まってるの。だから少し見守っててくれるかしら』


 混血の少女は、女王に一瞥をくれてからふいと目を背けた。

 そして大鎌の少女にふふ、と端正な笑みを傾ける。


「とはいえ堕落した生活を送る貴方が棺の間からでてくるなんてよっぽどよ。そこまでエルフ国に蔓延した病気を重い事態と捉えてくれてるのね」


「誰がァ!? 堕落してるゥ!? ってんだァ!?」


 途端にドスの効いたがなり声が鼓膜を削った。

 それはもう本当に軽めの挑発だった。なのに異常なまでに彼女の神経を逆なでていた。

 混血の少女は臆することなくつづける。


「だって貴方ってば噂に聞くところによると最近マナを集めすぎて大爆発させたらしいじゃない」


「魔力の貯蔵法を変えたらミスったってだけしとっくに解決し終えてんだよォ! あとどこでそれをどこのチクリ魔から聞きやがったか詳しく教えろォ!」


 唾を飛ばし、まくし立てんばかりの圧だった。

 対して混血の少女は優秀な美を崩すことなく応対する。


「ならそんな問題を解消した優秀な貴方がどうしてこんな似合わないところに出向いているのよ」


「テメェらがぐずぐずやってっから余がでてきてやってんだよッ! あんなクソウゼーもんに酷似したクソウゼーもんなんぞとっとと元凶を引きずりだして駆逐しゃーがれッ!」


 すぐさま少女はハッと反応した。

 怒気のなかにあったとある単語は、彼女自身が先ほど口にしたものだった。

 「……酷似?」と、繰り返しながら笹葉の如き先細りした長耳をひくりと揺らがす。

 その間に大鎌がびょう、と振るわれた。女もようやくといった感じで怒りをおさめていく。


「エルフ領土に広がってる瘴気は病発端じゃねぇ。元凶ありきの呪いだ。その昔大陸を包みこんだ冥府の呪いにそっくりだっていってんだよ」


「――ッ!? まさかそんな!?」


「ば、バカな!? いや、だがたしかに性質に類似点が多い……!」


 ふたりは虚を突かれるように全身を跳ねさせた。

 心臓を握られたのかというくらいの衝撃に愕然とするしかない。

 しかし身に覚えがあるだけに口を閉ざし震え慄いている場合ではなかった。

 もし女の語る事実が類似する呪いであるならば、最悪だった。


「あの時の呪いは冥界より賜りし宝物による災厄、呪いの効果は同調の強制だったはずだ。今回のが呪いとして関係性は希薄。だが見過ごせる代物ではないな」


「それも種族が内包する他種族間への敵対心を煽る悍ましき呪いよ。でもあれは200年前に確実に討伐されているはず……」


 想定以上に話は深刻だった。

 ゆえにふたりの混乱しかけた頭はすぐさま冷静をとり戻す。

 その間に大鎌の女は、下卑た笑み浮かべながら部屋隅から椅子をもちだす。


「そういや200年前の呪いはお偉いお偉いLクラスの英雄共が必死こいて討伐したんだったなァ?」


 どっかと肉の厚い尻を落とすように椅子を軋ませる。

 そうやって前後逆に腰掛けると、大っぴらながに股を作って背もたれに両腕を回す。


「討伐されたはずの呪いが復活したってんなら悠長なことしてらんねぇぜェ? キヒッ――なら200年前の英雄様らはなにも成せてなかったっていう無能の証明になっちまうなァ?」


 途端に少女は鬼の首でも討ちとったかのようにゲタゲタ笑いはじめる。

 下卑た笑い声が蔦の這う玉座の間に反射し木霊した。


「いますぐその口を閉ざして黙りなさい」


「……あぁ~ん?」


 しかし女の優位はそれほど長くつづかなかった。

 混血少女が指を振るのと同時。

 床から生え伸びた青蔦が女の首へ幾重にも巻きついた。


「ヒヒャッ! そういやそうだったなぁ! テメェもあの種族間戦争にウキウキと参加してた無能予備軍だったなぁオイ!」


 凜と澄んだ表情に刃の如き眼光が満ちる。

 横暴に押し負けぬこちらもまた鋭利。


「もう1度だけいうわ、黙れ。もし守れないのなら次は首をへし折るわよ」


 肌を刺すような静けさが怒りという感情を押しつける。

 蔦の絞首台に昇らされた女は「――ひゅぅ♪」すぼめた唇から音を漏らす。


「ならせっかく有益な情報をくれてやったんだ。それでからかったこととどっこいにしようじゃねぇか」


「……はぁ。そうね確かに有益過ぎる情報だわ。まさか蔓延しているのが病気ではなくて呪いとは思いもよらないもの」


 女がいなすように手を払うと、少女も呆れながら蔦を解く。

 解放された女は身体を回して背もたれに体重を預ける。


「キシシッ。で、どうすんだァ? 呪いってわかっても元凶を探れねぇとイタチごっこになるのがオチだぜェ?」


 短なスカートより伸びる白く滑らかな脚を大仰に回し組む。

 それから豊満な乳房を押しだすように背を反らし角頭の後ろへ両手を回す。

 匂い立つ色気と反比例する在り方。粗暴で横暴。それでいて究極のわがまま。

 白き女王は神経質そうな眉を寄せる。


「貴殿に棺の救世主(メシア)を貸して欲しいと願ってもしょせん通らんだろう?」


「そりゃさすがのテメェの頼みでも聞いてやれねぇ」


「どうしてもか? 魂ならば呪い病にかからず調査可能になるため助かるのだがな?」


「救世主を動かすってことは余のマナを使うと同義だ。貯めたマナの使いどころはこんなちゃちぃところじゃねぇ」


 わかりきっていた返答だった。

 混血の少女は意地の悪い女に唇を尖らせる。

 と、ぷりぷり咎めるように目尻を引き上げた。


「相変わらずけちぃわね、アンタは。こっちは兵を容易に動かせないんだからちょっとくらい協力とかしてくれないわけ」


「余は無駄な浪費と意味のねぇ投棄を好まねぇってだけだ。ここまで情報もってきてやったことに土下座して尻突きだしながら感謝しやがれェ」


 小言を垂れようともけんもほろろにいなされてしまう。

 対して少女も考えが変わると思いながら問い詰めているわけではない。

 なにしろ女がこの場にやってきてくれたことが、すでに異例なのだ。


「んもうっ! 吸血を嫌うからいっこうにマナが貯まらないんでしょ!」


「るっせぇなぁ……あんなもん好むなら鉄でも舐めてたほうがマシだっての」


 女は痛む耳をほじくりながら文句を聞き流す。

 ある意味で彼女の行動は常に一貫していた。

 救世主とは、実力はあれど素行悪く天界に至れずに死した無頼(アウトロー)の魂たちの異名である。

 彼女の支配する棺の間には、大量の救世主が――天界の許可なく――閉じこめられている。

 そして山羊角の女こそが棺の間の盟主であり、冥府の巫女の名を冠する君臨者なのだ。

 聖女が天から遣わされし者とするなら彼女はまったくの逆にある。

 その冥府の巫女レティレシア・E・ヴァラム・ルツィル・オルケイオスは、血吸いの牙を剥いて嘲笑う。


「ああそういや救世主の1匹がなにやらかを見つけたらしくって動きまわってんぞ」


 深く品の欠片も感じさせない笑に敵意はない。

 そもそも大陸種族とは心の質が違う。

 白き女王はひくりと長耳を跳ねさせる。


「救世主を大陸にだしている? 貴殿らしくないことをしているな?」


「あー……そりゃ目的あってのもんだ。設置型っつーかなんつーか色々となァ……」


 途端にレティレシアの反応が鈍くなった。

 バツが悪そうに白い頬に長爪を立てて掻く。

 白き女王は不自然な彼女の姿に物珍しさを覚えて首を傾げた。

 だが混血の少女は含んだ笑いをこらえるよう口を押さえて震えている。


「んなことよりテメェらにとっては面白ぇことが起こってる臭ぇぞ」


 白の女王が「面白いこと?」と怪訝に眉をひそめた。

 脳を巡らせここ最近の兵からの報告を辿ってみる。


「昨今の国内情勢的には村々が病に侵されることに頭を悩まされていたからな……」


「そうじゃねぇもっと色々あったろ。もっとずっと世界レベルでヤベぇやつがよォ」


 ふむん、なんて。高い鼻を鳴らしながら記憶を辿っていく。

 聖衣に包まった慎ましくない胸元をもちあげるよう腕を組む。露出した肌と肌の狭間の影がいっそう深くなった。

 彼女はここ最近はエルフ国内の治世ばかりに奔走させられている。そのため他国間に起こりうる出来事などは把握できていない。

 ふと思い至り白き眼が真珠の如く丸くなった。古木の天井を白き眼が虚ろに陰る。


「よもや……エーテル国で開かれているという聖誕祭のことをいっているのか?」


「惜しいがそれじゃねぇ。ただエーテル国って着眼点は間違ってねぇ」


「とすると……――よもや!? 先刻に大陸を襲ったあの悪意の噴出か!?」


 たまらず白き女王が立ち上がった。

 するとレティレシアはニタリと笑みの端を吊り上げる。


「どうやら他世界の種族が世界の狭間を越えて再びこの大陸へとやってきたらしいぜェ? 200年前に大陸を大暴れして冥界の思惑を挫きやがったあの種族がなァ?」


 その一言で、壮麗なる神木の城に静寂が詰められた。

 自然な洞には蔦を透かした光が幾数もの帯を垂らして降り注ぐ。ときおり吹く清涼な風が葉を洗い流すよう樹皮を撫でていった。

 時が止まった。比喩ではなく少なくとも2名ほど、衝撃で呼吸さえ忘れている。


「う、嘘よ!? そ、そんな!? だってあの世界を越える現象は奇跡の産物だって結論がてでたでしょ!?」


「人種族の再来だと!? 蒼き意思を携えた伝説の8種族目が再び大陸の地を踏んだというのか!?」


 引き潮が満ちるようにして時が動きだす。だからといってどちらも正気ではいられなかった。

 この世界には遙か昔、だがそう遠くない時の切れ目に、英雄が存在していた。

 ただ1人として現れた新たなる種族は、蒼き力を備え、己を人間と言い張った。


「しかも救世主ヨルナのマナがここしばらくエーテル国の聖都に留まってやがる。近くに聖女のマナも感じられることから察するに、おそらく匿われてんだろうなぁ」


 レティレシアは慌てふためくエルフをさも愉快と目を細めた。

 大鎌に両腕をかけながら長い爪をわしわしと踊らせている。


「ちなみに目を借りて見たらもっと面白ぇことになってるぜ。なにせ今度の人種族は男女含めて10以上いやがってな――」


「じゅ、じゅう!? いま10っていったの!?」


「あれが2桁もいるだと!? あの大陸を根底から覆した種族がそれほど!?」


 長耳ふたりは零れんばかりに目を玉にした。

 大陸は、件の人間が1名でも持て余すことを知っている。

 それが10倍ともなれば当然の驚きだった。本当ならば世界が変わるどころの話ではない。


――まさかっ、まさかまた……彼の種族と相まみえるというのか……!


 白き女王は胸を押さえて激しい高ぶりを散らす。

 胸の内に軽く触れただけでも生命の鼓動が高鳴っているのがわかった。

 そうしてようやく心に滾る感情をこくりと喉を鳴らして呑みこんだ。


「レティ、ユエラ……貴方たちの待ち人は帰ったの……?」


 熱い吐息を刻みながら古くより呼んでいた友らの名を呼ぶ。

 いまばかりは女王ではない。友と語らうひとりの女としての問い。

 もし人が帰ったというのなら、彼の人が残した希望が帰ったということ。そしてそれはこの果て征く世界を再び救う光となり得た。

 なのにレティレシアは美しき面を前髪の影に隠してしまう。


「まだだ。だが……――」


 声に抑揚はない。

 感情を欠片すら感じさせぬくらい無だった。


「まだ……時間はある。ほんの少しだけ……なァ」


 彼女ですらそこから先を語るのは、はばかられた。

 希望とはいったいなんなのか。どのような事象を差す事柄なのか。この朽ち征くのみの世界にはもはや一片とて残されていないのか。

 天に神のたゆたう夜へ、幾度となく問い詰めたところで、創造主は答えてくれない。


「天地を繋ぐ御言葉を受けとるべき役が戻りさえすれば……迷う羊も報われるでしょうに……」


 そんな調停を司りし王の御言葉を背で聞き届ける者がいた。

 長き耳の少女は、竹色の髪をわあ、と広げ、身を翻す。


「少し時間をもらうわ」


 長い脚を繰りだしながら颯爽と王の間をあとにする。

 結ばれた唇はそれ以上なにも語ることはない。が、いまさら向かう先を尋ねる必要もなかった。

 おそらく彼女もまた(エニシ)を繋ぎに向かうのだろう。

 蒼き月と紅き月が中空で出会うまでもう幾ばくも時間はない。2つの月が相まみえればルスラウス世界は確定した崩壊を辿ることになる。


「……審判の時……聖戦(ラグナロク)……」


 儚き白き女王は、焦がれる胸の前で手を結ぶ。

 ただ生娘の如く祈りを捧ぐことしか許されていなかった。



○ ○ ○ ○ ○

Chapter.5



挿絵(By みてみん)



【両手一杯の花束を ―WORLDS Scenario―】




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