105話 呪われし少女《Curse Doll》
「お待たせ致しましたぁ♪ こちらコーヒーとユグドラシルの大樹水でーす♪」
配膳を終えたウェイトレスがぺこりとブロンド色の御髪を流す。
暖炉の炎で陰影を作ってもなおにっこりとした笑みは変わらず愛くるしい。
「それではごゆっくりおくつろぎくださいませぇ♪」
半端にちらつく小ぶりな尻を揺らしながら戻っていく。
日が落ちて聖都に夜の帳が降りる。足繁く踏まれていた街道の雑踏も僅かに和らぎ動と静を反転させていた。
決闘を終えた一党らは日が落ちて再びカフェに再入店を果たしていた。
「ふあ~……疲れたぁ。もう今日はフレックス使いたくないぃ~、あと船に帰るのだるいぃ~」
卓に着いた夢矢は腰を落とすなりテーブルへと崩れ落ちる。
他の面々も大概彼と同じく疲労を臆面もなく晒してしまっていた。フレックスを使用したこともあってか昼ほどの元気はない。
ヒカリもとろり瞼をとろかせながら暖炉の炎に当たっている。
「あー……暖炉の火があったかぁい。こんなにフレックス使ったの久しぶりかもぉ」
「僕も想像以上に疲労してるよぉ。あんな短時間でも第2世代って第1世代の倍くらい使用するっぽいねぇ」
ヒカリが「おめぇ」とアットホームに祝福し、受けた夢矢が「ありぃ」とのんびり返す。
限界まで張り詰めていただけに気の抜けかたが尋常ではない。
「なんというか疲労困憊という感じですね。今晩は聖都にお泊まりになられては如何でしょう」
これにはテレノアも2人を眺めながら困り眉で肩をすくめてしまう。
その提案に夢矢は「おねがぁい」とふやけきった様子で応答した。
決闘の勝敗は、辛くも勝利といったところ。
乱入者が入らねば最後の1手が足りなかったかもしれない。そう考えるなら少女には感謝するしかなかった。
「で、この子が玉座レース参加者のソルロ・デ・ア・アンダーウッドちゃんだよ」
スードラは運ばれたきた水をくぴりと含んで喉を鳴らす。
隣の席には少女がちょん、とコンパクトに収まっていた。
「…………」
少女は、にこやかな笑みを浮かべながらもひとこととして発しはしない。
ソルロと呼ばれた少女は、手を両膝に置いて微動だにせず。やんわりとした笑みを浮かべつつときおり耳を揺らす。
笹葉の如く長く先細りした耳がひくり、ひくり。湖面に糸を垂らした釣り竿のように揺れ動く。
テレノア曰く、長い耳と自然色の髪と瞳がエルフという種族の特徴なのだとか。それ以外にも体内マナ等を見られれば相手種族の判明は容易らしい。
そんなことは知ったことではない人間からすれば、わりかしどうでも良いことだった。頭に胴がくっついており胴から2腕2足が生えているならば人間でしかない。
「……で?」
ミナトは僅かに圧を発しながらそう口にする。
疲労はもちろんのこと。しかし夢矢やヒカリほどではない。フレックスが使えぬ身だからこそ余力はある。
だからこそ問い詰めねばならなかった。この人を食ったような性格をした龍がなぜ接触してきたのかを。
「ほら、ソルロちゃんも挨拶してあげて。これから仲良くやっていく相手なんだからね」
「……!」
スードラが彼女の背を優しく叩いた。
するとソルロは新緑色の眼が光を取り戻すように輝きを孕む。
それから無垢な瞳が対面のミナトのほうをじぃっと見つめた。
「……っ」
ぺこり、と。慌ただしげに1礼をくれる。
滑らかな長髪が深い川の如くしんなりと流れる。
簡易的な挨拶を見守ったスードラは、「よく出来ました」とソルロの頭をそっと撫でた。
その間にも彼女はなすがままといった様子。懐いた子犬のように嬉しそうな感情のみを顔中に広げる。
「……! ……!」
純粋無垢な愛らしさだった。
整然たる澄ました顔立ちながらもどこか人懐こい。
だからこそ感じられる違和感がある。
「もしかしてその子……」
なにかがオカシイ。そう気づくのにそれほど時間はかからない。
ミナトは彼女をじぃ、と見つめながらも首を横に捻る。
「まさか……耳が聴こえてないのか?」
ソルロに特別な違和感はあった。
まず話しかけても応答が返ってこないところ。それから触れられないと反応を見せないところ。
民族模様のローブを目深に被っていたときには気づけなかっただろう。どこかぼんやりとした瞳も様子がオカシイ一端でもある。
「順に言語障害、次は聴覚障害さ。そして視覚も少しずつ衰えていってる。視覚障害のほうは5日くらい前から徐々にって感じだね」
スードラは、指折り数えながらさも当然とばかりに肯定した。
どころか衣をまとわぬ生肩へ頬を添えながらふふ、と色っぽい微笑を貼りつける。
決闘が済んだというのにローブをまとう気配すらない。胸と下を隠すだけのセクシャルな格好で長い脚を組み替えた。
「この子の病状は刻一刻と悪化するばかり。なのに高名な薬師でさえ匙を投げるほど容態は最悪を極める。だから僕は治療の糸口を探るのと彼女の容態を他種族の集う聖都で周知してもらうために玉座争奪戦へ参加させたんだよ」
そう明かしてスードラは反応の薄いソルロの髪を幾度と撫でてやった。
まるで櫛をを通すように丁寧に、優しく。慈しむような手つきで新緑色の髪を梳く。
真実を明かされたミナトは「……そうか」と、完全に言葉を失ってしまう。
なによりスードラがソルロに向ける微笑みが、どうにも辛い。悲しみを含んでこらえるようだったkら。
つまりこの青き龍は、たった1人を治療したいがために行動している。そしてなぜだか認知している他世界の人間に助けを求めた。
ミナトは申し訳なく思いつつ「ごめ……」勘違いしていたことを詫びようとする。
「そんな!? まさかこのかたってエルフ国で流行している病にかかっているのではありませんか!?」
その直前だった。
こちらの席に移動してきたテレノアが唐突に大きな声を上げたのだ。
それから駆け寄ってくるなりソルロの頬に触れる。
「マナの停滞……それから不純な沈着が見られます。特に舌や喉にまるでまとわりつくかのようです」
診察は手慣れているかと思うほど手早かった。
テレノアは愛らしい人形のような少女の隅々まで触れ、そして診断していく。
まずは目を細め全体を眺める。次に口を開かせたり、前髪を持ち上げたり。真剣な面持ちで探っていく。
スードラはそれを止めようとせず優しい表情で見守っていた。
「お察しの通り魔法障害の被害者だよ。しかもかなり特殊かつ治療法は限りなく少ないとされる術者の紐付きさ」
「術者と紐付いているというと、つまり悪意ある術者そのものから供給されるマナを絶つしかないですね」
「しかもこの子の場合は悪化型なんだ。はじめは声がだせなくなったていどだったんだけど、つい3日ほど前にはもう耳が聴こえなくっていたんだ」
軽い様子のスードラに対し、テレノアはやけに深刻に眉を寄せた。
ぼう、としたソルロを挟んで熱い議論が繰り広げられている。
「その傾向……昨今のエルフ領で発生している流行病と病状が一致します。確か声から始まり少しずつ五感が遠のくように喪失していくものだったはずです」
その通り、と。乾いた音が店内に響いた。
「どれだけ1流の薬師だろうが錬金術師だろうがお手上げの超難病ってヤツさ」
2人の熱量が上がるにつれてミナトは蚊帳の外となった。
なにより口を挟む余地がなかった。テレノアとスードラの語る単語の5割ほどは理解に至っていない。
まとめるとソルロというエルフの少女は病に困っている。それもエルフという種族単位で現象が流行しているとのこと。
そしてスードラはその病をなんとかしようとしている。その結果、人という種族と接触を図った。
ここまでくれば学の足りない頭でさえ算出する。
「あ~……もしかしてオレらにその病ってやつの治療を手伝えっていってるのか?」
ミナトはあからさまに嫌な表情で手をしっしと払う。
なぜならもしスードラの目的が人への救援だとすれば厄介極まりない。
道徳的には正しいことなのだ。しかしそうなると互いに利潤を求めるどころの話ではなかった。
「ビンゴ! 察しのいいキミにはスードラくんポイントを1つ上げちゃう!」
暗く淀むこちらに対してスードラはどこまでも明るい。
信頼が厚いというより信頼が偏ってるという偏見さえ覚えるほど。
逆にミナトは天井を仰いで額を叩いてしまう。
「こっちとしても助けてやりたいがそこまで手を伸ばしてる暇なんてない。あとなんだそのわけのわからんポイントは」
「スードラくんポイントは所持している子に対応する僕の好感度さ。10ポイントくらい貯まったら同衾しようねっ」
スードラは小癪な笑みで片目を閉じた。
ウィンクを飛ばしながら前屈みになる。するとおもむろに黒いレザー調の胸巻き指でちょいと伸ばして見せた。
ミナトの視界にちらり、と。彼の隠していた桃色の先端が顕わになる。
「いらねぇよそんなのッ! それこそ呪いのようなもんじゃねーかァ!」
僅かに晒された先端に狼狽えてしまう。
己を恥じつつ慌てて視界を塞ぐ。
それから豪快に卓を叩くと置かれた陶器も一緒にガチャンと騒音を奏でた。
「そう、これは呪いさ」
「……はあ?」
突如彼ののまとう雰囲気が一変する。
声低く、前髪に隠れた青い瞳が細められた。
「エルフ国内で発生した病のはじまりは単なる流行病とされていたんだ。しかし調査していくにつれて真の病は呪いだと判明したんだよ」
どちらかというと親しみやすい語り口調が突如として温度を失う。
抑揚のないスードラの声色にはいままでにないほど真実味と真面目さが秘められていた。
これにはミナトも頭に昇った血を下ろすしかない。
それと同時に沈黙を破るようにしてテレノアが平静を欠いてスードラへ詰め寄る。
「スードラ様のそれはあまりにも突飛しすぎています!? もし病と同等の呪いが発生し増加しているとするならば国家反逆相当の大罪となり得ますよ!?」
あたかも心を乱されるかのように髪を振り乱す。
青ざめた顔は驚くというより怯えているに近いだろう。慌てている用にも思えてくるほど彼女は差し迫っている。
「病気が呪いだと断定可能な証拠はおありなのですか!? もしこれが呪いだとするならば天変地異と同等の災害です!?」
そんな彼女と反比例するかのようにスードラは冷静だった。
彼女を手で制すと、そのまま手をソルロの頭の上に乗せる。
「……?」
感情の残った灯火が、うつむく彼の横顔を捉えた。
スードラは、ソルロを撫つつも沈痛めいた静寂をまとう。
「この呪いの初動は決まって喋れなくなることに気づいているかい?」
問いから間もなくしてテレノアが全身をびくりと跳ねさせた。
まるで電流にでも打たれるようにして眼が零れんばかりに剥かれる。
「ッ!? つまり魔法が唱えられないようにするため!?」
「少なくとも僕はそう考えている。これは何者かによって仕組まれた病で、エルフ族を意図的に苦しませようとしている」
ここでスードラはソルロを撫でることを止めた。
椅子を引いて尾を揺れしながらゆっくりと立ち上がた。
そうして怪訝そうなミナトを怜悧な瞳で見下げる。
「この大陸世界を救いたもうた唯一無二の人種族にもう1度縋らせて欲しい」
腰から曲がるように堂々と、青く海色をした頭を垂らす。
上下さも強弱もない。どころか恥も外聞さえ消滅する。
「この僕の身はキミたちに捧げよう。だからキミたちにはエルフ族並びにこの子を救ってあげて欲しい」
そこには覚悟があった。
それはただ切に祈るという姿勢だった。
そして頭を抱えるだけの材料になるのもまた十分すぎるほどだった。
「…………ちっ」
ミナトは歯噛みした隙間から「クソッタレ」と蔑みを吐く。
可能であれば救いたいと思ってしまう。方法がわからなくても足掻きたいとよぎってしまう。
なによりソルロというエルフの少女の無垢な瞳が辛かった。これから世界を失っていくというのに未来を映す新緑色に心が痛んだ。
「手伝ったとしてオレたちの利益はどうなる? そもそもお前とは決闘で勝ったんだからオレらの手伝いはしてもうらうぞ?」
「もし協力してくれたら互いに利益が生まれることを保証しよう。キミらが得られるのはこの悪逆非道の犯行に及んだ愚か者の首さ。呪いの元凶が始末されれば多くのエルフたちの命が救われることもセットだ」
ここからは交渉だった。
請け負ったところで解決できるとは限らない。なによりこちらには船を修理するというもっとも重要なファクターを抱えていた。
こうなるとかなり小難しい話になってきている。
つまるところミナトたち含む人類に人道的救助が求められているということ。もっと言葉を選ばないとすれば、命を救うために手を貸せというやつ。
ミナトが思考のため押し黙っていると、スードラは頭を上げて姿勢を正す。
「知るところによればキミたちはいま国――いや、戦力が欲しいんだろう? ルスラウス教という世界最大宗教と戦い抜けるだけの手が欲しい」
違うかい? 心を見透かす瞳が真意を秘めて人を見つめた。
たまらずミナトは逃げるように目を横に逸らす。
「私たちが動くことで大陸の民の命が救われるのであれば本望です」
その先にはテレノアが凜々しく佇んでいた。
黄金胸甲に手を添えながらこちらを真っ直ぐ捉えている。
あちらの利害が一致してしまっていた。こうなってくるともはや個の決定ではどうしようもない。
「――くっ、だからってそんな安請け合いできるかよ……!」
ミナトは顔中のシワを中央に集めながら頭痛をこらえた。
拳を額に押し当てて熟考せざるを得ない。
もしエルフ族の流行病ならぬ流行呪いを解明し解決出来ればエルフ族が仲間になってくれる。そうすることで結果としてテレノアを女王にすることも視野に入る。さらには2国からの援助が入れば船の修理はさらに容易となるだろう。
だからといって呪いを治す術がわからなければ1歩とて進行しないことになる。最短ルートであるテレノアを玉座に着かせるという目的さえ果たせぬまま路頭に迷いかねない。
『はっはっはァ!』
その時。聞き慣れた笑い声が響いた。
情報が錯綜するミナトの耳に雑音が届く。
『なにを悩む必要があるというんだ! 若いのだから感情にまかせてさっさと首を縦に振ればいいだろう!』
ミナトが声のする方へと振り返る。
と、そこには夢矢とヒカリが立っていた。
ALECナノマシンのモニターを展開しながら並び佇んでいる。
「話は全部向こう側へ通してあるよ。いまの会話のだいだいは東と船員たち全員に流して聞いてもらってる」
「だからミナトくんは1人で抱えなくてもいいってこと。にしても東ときたら一刀両断ですなぁ」
夢矢とヒカリは疲労を残しながらも頼れる笑みを作った。
なにより耳に触れALECナノコンピューターを起動させると響く声が背を押してくれる。
『はっはァ! お前は存外臆病なヤツだな! ウマい話があるのならとりあえず乗っておくのが若さというヤツだぞ!』
無責任な笑い声が高らかと木霊するたびミナトの苦悩する頭をほぐしていく。
仲間を案じ、それから別世界に離れてしまった仲間さえ案じた。
苦を強いられていた1人者を、仲間たち全員が肯定してくれている。
「……本当にいいのか? もしかしたらなにもできないで終わるかもしれないんだぞ?」
『ごちそうレベルのフルコースほどもある据え膳を喰わないという選択肢はない! なにより貴様は月下騎士隊長が椅子から尻を外すほどのことをやってのけてくれたらしいしな!』
どうやら龍族との決闘の話もすでに東の耳には届いているらしい。
しかもその通信回線の背後のほうでガタガタという騒音が響いている。
『龍との決闘に勝ったというのは真か!? 本当にあの最強種龍族に勝利したというのか!?』
突如会話に割って入ったのはレィガリア・アル・ティールのもの。
冷徹なイメージとは異なるくらい声がうわずっている。
『龍1匹とはいえ精鋭100を揃えてようやく討伐可能かさえわからぬ相手!? それほどまでに強大な種族なのだぞ!?』
『はっはァ! うちのメンバーならそれくらい朝飯前だ! 現に朝飯を食わずしてやってのけるくらいだからな!』
かなり状況が混乱していた。
東という男の介入によって強引に話が進んでいってしまう。
しかしそれは雑なようで、自信そのものだった。1人の大人として下々の動向の是非を決める決定的なまでの決断力でもあった。
『こっちはこっちで動く! そっちはそっちでなんとかしてみろ!』
東光輝という中年による鶴の一声によって一同目的が定まった。
ミナト班もとい。ルスラウス大陸班は、大陸を巡ってエルフ国を呪いから救う。
そして東班もとい。ノア世界班は、技術を駆使してテレノアを玉座レースに勝利させる。
彷徨いこんだ人々は、遠き空に蒼き鳥が羽ばたくまで、知らぬ世界の夜を巡る。
いずれ世を巡りて、仲間と親鳥の待つ世界へと帰るまで、蒼き火は消えぬ。




