『※新イラスト有り』102話【VS.】大陸最強種族 母なる海龍 スードラ・ニール・ハルクレート 3
聖都を撫でる凪の風に夕餉の香りが乗り移る。
種族たちは空いた心を押さえるみたいに腹を撫でながら帰路へ着く。
あるものは家族の待つであろう団らんの家へ。そうでない粗暴な格好の者たちもまた酒とつまみを得るため巣に戻る。
すでに大陸の空は日を逃し夜を迎える準備をととのていた。
日が帰ると空には腹違いの双子のような蒼と紅の月が2つほど。ぼんぼりとなって夕の暮れ空を濃い紫に染めていく。
「はあああっ――ツゥッ!?」
静寂に道行く都に未だ熱く猛る音が木霊した。
伸ばしかけた手が伸びきる直前にパシン、と弾かれる。
ミナトは体勢を崩しかけながらも足裏で踏ん張りもう1撃を見舞おうと腕を奮う。
スードラはそれをノーモーションで「むーだっ」横へ流して受ける。
「このていどは余裕で避けるだろうな!」
「おっと?」
しかしいまのは騙し手だ。
勝負を遠間から見て学習しているからこそさらに欲張る。
「ミナトくん! 左!」
ミナトは背後から聞こえる友の声に従って左に飛んだ。
後ろではすでにフレックス専用放射式洋弓へ矢が番えられている。
「当たれば怪我じゃすまないから!」
手の甲側に蒼き矢を生成する特殊デバイスが備えられていた。
身体を横に開き広背筋と三角筋後部で引き絞る。第1世代の身体能力強化力によって引かれた合成繊維の弦がギギ、ギという軋みを上げる。
そして十分に狙い定めた蒼き閃光がスードラの肩口目掛けて放たれた。
「弓での不意打ちで確実な負傷を狙う! 作戦としてはかなり有効だね!」
風をつんざく。音さえ置いて空を薙ぐ。
スードラは瞬間で向かいくるフレックスの矢を手の甲で弾いて逸らした。
連携してようやく作りだせた隙でさえもろともしない。華麗に逸らされた蒼き矢は尾を残して夕の空に消えていく。
しかしそこからさらにもう1手の裏を用意していた。欲張るならばとことん欲張るべき状況。
「てやああああ!!」
「《バインド》!」
2回に及ぶ隙を縫ってスードラの背後へと回りこんだ2つの影が動く。
ヒカリはタックルを、テレノアは構えた手から青き蔦の魔法を射出した。
すべての動作か予兆のない1連の繋ぎ。4連ではない、1発で4回の強襲。
人間と聖女による4重奏。これにはスードラでさえ得意の小癪顔でいられない。
「へえ~さっきまでとずいぶんと変るもんだね。わざと殺意を籠めた1撃を締めじゃなく注意逸らしに使うと」
青蔦とヒカリが寸前にまで至っているというのに静止を解かず。
スードラに当たるという期待が膨らむ。そしてこちらの全員が勝利の切れ端を見た。
「誰でもいいから食らいつけ! あっちは攻撃ができないから振りほどくことさえ難しいはずだ!」
しかし勝利の文字はあまりにも遠い。
目の前にあると思えばすぐさま遠のいてしまう。
「――クッ!?」
ミナトは目を疑った。
見えるものを疑っているのではない。
見えていないことに絶望する。
「うそ、消え――」
飛びかかっていくヒカリでさえ標的を見失う。
あわや直前という最中。ここでスードラは尋常ではない見極めを披露する。
ぐるん、と円を描く軌道で上体を回し、ヒカリを容易く回避した。
さらにはテレノアの生みだす青蔦は背を90度近くまで反らして楽に躱す。
まさに疾風迅雷の身のこなしだった。人の目で追えぬほどの高速さ。生身の多い身体のしなやかさも新体操選手さながらに、柔軟。
しかしミナトと夢矢も駆けだしている。みすみす隙を逃すほどもう見くびってはいない。
「ぐへっ!?」
「きゅぅぅ……」
そして男2人揃って石畳の上にヘッドスライディングした。
そこにあったはずのスードラという存在が露と消えている。影すら喪失していた。
スードラはというに別のところで涼しい顔をしながら立っている。
「なりふり構ってない感じが泥臭くて素敵だよ。たったひとり増えただけなのに脅威度は倍近く跳ね上がってる」
距離はもう間合いの範囲外。これではもう次の手には繋がらない。
ミナトは拍手の音に苛立ちながらむっくり起き上がる。
「いつつっ……手加減とやらはどうしたんだ? ずいぶんと大人げない避けかたするじゃないか?」
打った鼻頭をさすりさすり涙目で凄んでみせた。
ちろり、と。スードラはおどけながらピンクの舌先を覗かせる。
「とーぜん加減はしているよ。でもキミたちの成長が著しいからちょっと応えてあげたくなっちゃっただけさ」
「モノは言い様だな。ルール事態が大雑把なのはいまさらだけどさ」
石畳に転げて汚れた制服を叩いて払う。
服は汚れたがいちおう無傷である。内側に着こんだパラダイムシフトスーツがきちんと衝撃を吸収してくれた。
襲撃はものの見事に失敗。策はことごとく打ち砕かれてしまった。
もしこの場に難攻不落の壁を生みだす《不敵》使用者が1人でもいたなら、なんて。ルール上きっと余裕だっただろう。
しかしここにいるのは未熟ゆえに第2世代へ至れぬ者たち、非戦闘員。それだけに悔いが眉間にシワを寄せさせる。
「ハァハァ、っ。ジュンか珠ちゃんがいたらもっと上手に攻められてたんでしょうなぁ~」
「無い物ねだりはよそう。ここはなんとしても僕らの力だけでなんとか突破するんだ」
ヒカリは、夢矢の手を借りながらうんざり起き上がる。
彼女のほうが息を荒げている。それでも夢矢だって表にださぬだけで強がっているのだ。
フレックスの使用には大小がある。フレックスの矢で大幅に消耗しているため夢矢とヒカリの疲労具合はイーブンのはず。
このままいけば強制リミットは日没付近となるだろう。
2人は長くフレックスを使用しているため体力精神力ともにもうおそらくもたない。かといって無理に使いすぎれば生命に関わってくる。
だが、先ほどの攻めでようやく判明したこともあった。
『あの龍が使用している技は、たぶん直感的読心術だね』
2人のように格好良く制服を脱ぎ捨てても良かった。だが左腕に巻いたフレクスバッテリーが邪魔でそれも叶わない。
ミナトは、雑に身支度を終え借りぐらしの住人に脳の奥で尋ねる。
――アイツはオレたちの動きを見て常にあとの行動を見極めてるってことか?
『うん、あの龍は己の動体視力ともっとなんらかの気管を使用して僕らの動きを読んでいるんだ』
直感的読心術。ミナトにとってはなんとなくの理解だった。
だが、やはりなにかがあったということ。
経験は共有財産である。ミナトが経験することで、もっと眼のある幽霊少女に見極めさせる。たとえ失敗しても次に繋ぐ。
『ああやって種族の姿を模しているにもかかわらず動きのキレに一切の半端がなかった。きっと彼は2手2足に長けた熟達者の域にいる長命の龍だ』
――この何年でも生きられる世界ならではの超能力ってやつか。
『あと額の宝玉とかがとても怪しいね。僕らには見えない別の視覚を有しているのかもしれない』
すべてを聞き終えたミナトの次の手は押し黙ることだった。
わかったところで打つ手が思い浮かばない。原因がわかったところで対抗策がぽんと思い浮かぶはずがないのだ。
しかも相手がこちらの動きを先行して読んでくることに対応する。如何に看破するかが問題となる。
「聖女ちゃんのさっき使った魔法って連発できる?」
そう、真剣な眼差しで尋ねたのは夢矢だった。
テレノアは僅かに遅れて「はい」と彼と同様真剣な眼差しで応じる。
「《バインド》の拘束魔法でしたら初歩的ですし連発は用意です。でも……私に当てられるかどうかの自信がありません」
「ならその能力の使いかたと使い道と応用を手短に教えてくれないかな。なるべく多くの特性を把握したいんだ」
夢矢は、テレノアにしょげる隙さえ与えず問い詰めていく。
そうしてなにやら内密な話し合いがはじまってしまう。
「おやおや夢矢さんもああ見えて男の子ですなぁ。この状況でもまだやる気満々といった様子ですよぉ」
対してヒカリは彼のように情熱的でもない。
リラックスするような体勢でふっくらと山なりになったバストを反らし凝りを解している。
「そういうヒカリはどうなんだ? イケメンが相手なら勝ち負けとかどっちでもいい感じかい?」
自由な彼女を眺めながらミナトはいったん思考を放棄した。
彼女は調理師であり戦闘を生業としていない。だから無理矢理駆りだされて迷惑もいいところだろう。
「勝負事なんだから私だって勝ちたいわよ。けど、でもじっさい勝っても負けても得られる物って変わらないでしょ」
ひどくこざっぱりとした意見だった。
ある意味、的を射ているともいえる。とても現実的な考えかただった。
このまま勝っても負けても龍という戦力は手に入る。ただし勝てばなにを頼んでも必ず首を縦に振るという約束をしているだけ。
ふとミナトは毒気が抜けるようにして我に返る。
「……そういえばそうだな? なんでオレたちこんな回りくどいことさせられてるんだ?」
「させられてるもなにもミナトくんが応じた勝負でしょ? あの龍の目論見を明かすーってさ?」
「……あれ? そうだっけか?」
確かにあの胡散臭い龍の目論見は明かしたいという気持ちは大きかった。
この勝負はスードラがなにゆえこちらに接触してきたのかという心の内を探るための決闘。その一心でこの決闘は成り立っている。
ミナトはしばし首を捻ってから慌てて振り返った。
「――っ! まさかアイツ!」
スードラは先ほどの位置からまったく動いていない。
どころか視線が合うとぱちり、とウィンクをこちらに飛ばしてくる。
「そうか! ここまで全部掌の上ってことかよ! 決闘を受けさせるのもなにもかも読んだ上でオレらを試してやがるんだな!」
もし考えが正しければ、決闘自体が彼の目当てということだ。
おそらくスードラにとって勝ち負けはさほど重要ではない。
あくまで人という異界種族がどこまでやれるのかを己の身で試行しているに過ぎない。
こちらは龍の力が喉から手がでるほど欲しい。そしてスードラもなんらかの理由で人の力を借りたい。
これほど利害が一致している。なのにあえてあちらだけが目的を晒さない。なぜなら決闘と洒落こむためのツールとして利用しているから。
「猿芝居ならぬ龍芝居ってやつかよ! お前はじめからこの決闘はただのお遊びのつもりだったな! それで終わってからオレらに真実を話し手を組む腹づもりか!」
ミナトがドスを効かせて問うも、スードラは小癪な笑みを傾けただけ。
尾だけをゆるく流しながら建物から伸びる影の上に佇んでいる。
「ねえねえ。どうしてキミだけ蒼い力を使ってこないんだい?」
しかもこちらの質問に応えるつもりはないらしい。
たぶん楽しいから。ああやってこちらを試し踊らせるのが愉快でしょうがないのだ。
きっと勝負が終わったら勝手に色々打ち明けてくるのだろう。だが、いまは決闘中だから話すつもりがないというだけ。
ミナトは浮いた怒りを呑みこむ。ひと呼吸を深く長く終えてからスードラを再びキツく睨みつける。
「オレはフレックスを使えない。この場でフレックスを使用可能なのはヒカリと夢矢の2人だけだ」
「へーそうなんだ。てっきりリーダーっぽい立場にいるしビッグヘッドオーガを倒すほどだからもっとやるモノかと思ってたんだけど」
「あの場面でがんばったのはオレじゃないからな。オレがやったのは敵の注意を逸らしたていどでトドメは別だ」
本当かなぁ? スードラの額についた宝玉が朱色へと変化する。
彼は疑うがミナトは嘘を口にしていない。すべては真実であり偽らざるもののみをあえて選抜して言葉にした。
「キミの佇まいってわりと堂々としているんだよねぇ。年齢に似合わず達観している感じだし、圧をかけてみてもすぐに慣れるくらい肝が据わってるしさ」
「…………」
ミナトはむっつりと口を閉ざし見下げるよう顎をくい、と上げた。
もしスードラがこちらを試しているとするなら余計な情報はなるべく与えないほうが得策だ。
勝っても負けても結果は同じ。しかしそれはもう通用させない。もはやこちらの勝利条件は1つとなっている。
「人を小馬鹿にしやがって」
鬼気とした形相で喉を低く唸らす。
あちらが全力を望むというのならこちらも全力で応じるまで。
なにせヤツは馬鹿にした。弱き者と馬鹿にした上で夢矢を名指しで蔑んだ。
覚えた怒りは怒髪天を衝くところまで至っている。甘く許すにはもう遅いところまできている。
そうしてようやく後ろでこそこそとやっていた会議も終わろうとしていた。
「ミナトくん」
ミナトは聴き馴染んだ友の声へ「ああ」と、端的に返す。
「次、僕は本気でいって勝負を決める。聖女ちゃんとヒカリちゃんにもその旨は伝えてあるから」
「きっとアイツは、またオレたちの行動を先読みして躱そうとするぞ」
ミナトは、あえて幽霊少女のみと共有していた気づきを共有した。
共有しないことで新たな道を開拓できたかもしれない。しかし夢矢が次で決めたがっているというのであれば黙っているわけにもいくまい。
すると意外なほどあっさり「うん、わかってる」と返ってきた。
「だから僕の作戦はキミとヒカリちゃんにだけ黙っておく。2人は自分のしたいように動いて欲しいんだ」
ミナトの視界の端で蒼が膨れ上がっていく。
夢矢は静寂と蒼をまといながらこつり、こつりと龍の元へと歩みだす。
佇むスードラはニヤけるばかり。あたかも小動物でも見るような穏やかで小癪な視線を彼へ送っている。
そうして夢矢は龍狩りの先頭に立つ。
「さっき僕らにいってくれたよね。得意なことをしろってさ」
ゆっくりと髪を振ってこちらに振り返る。
「だから僕はこれから思い切りやりたいようにやってみる。この見ず知らずの世界で好き放題に舞ってみせる」
蒼白とした夢矢の瞳には少女らしくもあり獰猛な火が灯っていた。
彼の名は、虎龍院夢矢。
きっと龍は知らずの内に夕暮れへ寝そべった虎の尾を踏んだのだ。
(区切りなし)




