6.朝日の下で
窓から差し込む光で俺は目を覚ました。
異世界生活、三日目の朝である。
昨日はあれだけ疲れていたというのに、一晩寝て身体の調子はすっかり良い。若さのおかげか、〈健康〉スキルのおかげか。
今日から頑張ろう。
組合に行く前に、まずは朝飯だ。何か買ってもいいが、せっかく朝飯付きの宿なのでここでいただく。
一階に下りて、おかみさんに朝食を頼むと、座って待つように言われた。食堂を見回すと、イベリスを発見したので近付く。
「おはよう、イベリス」
「メイスケ、おはよう。昨日はよく眠れたか?」
頷く。促され、イベリスの正面に座った。窓際の席は朝日が差し込んできて明るい。イベリスの金髪がきらきらと光を反射する。暗い森と夜の闇、人工的な灯りでしか彼女を見たことがなかったので、太陽の下で見るイベリスの姿はまた印象が違って見えた。なんとなく、これが一番彼女に合っていると思う。
「疲れてたみたいで、横になったらすぐだったよ。でもおかげでよく休めた」
「そうか」
俺の顔色が良いことを見てイベリスは微笑んだ。気にかけてくれる人がいるというのは、単純に嬉しい。昨日出会ったばかりの人間なのにここまで気を許してしまうのは、イベリスがまっすぐで、親切で、誠実な人間だからだろう。悪い気配をこれっぽっちも感じさせないのに警戒しても仕方がない。そう思わせるような人柄の良さが全身から滲んでいる。
「お待たせしました!」
しばらく談笑していると、料理が運ばれてきた。
パンと、ごろりと野菜の入ったスープに、ペースト状のなにかだ。
気になったので、料理を運んできた女の子に聞いてみる。
「ハナザカリと煮たシロヤギ豆を潰したものですよ!」
うーん、わからん。豆のペーストってことだけはわかった。
「この辺りでは昔からある料理ですけど、お客さん、遠くから来たんですか?」
「まあね」
異世界から来ました。
「私、冒険者さんのお話を聞くのが好きなんです。良かったら、お話聞かせてくださいね!」
ふわり、焦げ茶色の髪を揺らして少女は笑う。可愛らしい女の子だ。きっとこの宿屋の看板娘なのだろう。屈託のない笑顔は、宿や食堂に来る客に可愛がられているのだろうと思わせた。
「イベリスもまた面白い話聞かせてね!」
「ああ。何が君にとって面白いかはわからないが、何かあったら聞かせよう」
少女はイベリスには少し気安い。イベリスは以前からこの宿を利用しているようだから顔見知りなのだろう。落ち着いた雰囲気のイベリスに爛漫な少女が懐く姿は微笑ましい。
「アウリ! こっち手伝っとくれ」
「はーい! お母さん!」
宿屋のおかみさんとは母娘のようだ。言われてみれば、雰囲気が似ている。
それじゃあね、と母に呼ばれた少女アウリは元気に仕事へと戻っていった。
さて、それじゃあそろそろ食事とするか。
イベリスもまだ食事に手を付けていない。
「いただきます」
習慣から手を合わせ食前の挨拶をする。イベリスが不思議そうに俺を見た。
「それは?」
「えっと、俺の……故郷の、挨拶……?」
記憶喪失ということになっているのに故郷の話をするのはおかしくないだろうか。そう気付いて変な言い方になる。イベリスに気にした様子がないので、話を続けた。
「料理に使われた命をいただくって意味で、あとは作ってくれた人への感謝とか」
「君の故郷の食前の祈りというわけか。良いものだな」
俺の拙い説明で伝わったのだろうか。イベリスは俺と同じように手を合わせると、丁寧な声でいただきます、と言った。
スプーンを手に取り、スープを掬う。野菜の旨味が溶けだしたスープはほっとする味だ。パンを浸して食べてもいいかもしれない。と、目に入るのはペースト。どう食べるべきなんだこれ?
ちらりとイベリスのほうを見るとイベリスはペーストをパンに塗っていた。なるほど。
「ハナザカリというのは海藻の一種で、塩分を多く蓄えているんだ。この辺りではよく採れるから、料理に使うことが多い」
「へえ」
「シロヤギ豆は花がヤギの顔に見えるからそう名前が付いた。白くて大きい豆だ。ハナザカリと煮ると甘みが引き立つから、一緒に調理されることが多い。栽培も簡単だから、アウリの言う通りこの辺りでの定番料理になったんだ」
俺が気になってたことをイベリスは説明してくれた。後でこっそりカミィに聞こうかとも思っていたので、ありがたい。
「気になっているようだったから説明したが……お節介だったか?」
「いや、そんなことはないよ。説明してくれてありがとう。おかげで、より美味しく食べられそうだ」
そう言うとイベリスは笑ってくれた。人の……喜ぶ姿が好きなんだろうな、この人は。
ペーストをパンに塗り、一口齧る。風味豊かなシロヤギ豆の甘みとハナザカリの塩味が丁度よい塩梅で、美味だ。硬めのパンも柔らかいペーストの水分でいくらか食べやすくなっていた。
この辺りでの定番料理だから、家庭によってちょっとした違いがあったりするのかな。豆を完全に潰してなめらかにしたり、ハナザカリの量とか煮る時間で塩分を調節したり。シンプルな料理だからこそ作り手によって味が変わりそうだ。ここのおかみさんはきっと料理が上手い。いやそもそも料理が上手くなけりゃ食堂なんてやれないだろうけど。
ペーストを塗ったパンとスープを交互に食べ進める。イベリスよりやや遅れて、朝食を綺麗に平らげた。
「ごちそうさまでした」
食後の挨拶を済ませ、イベリスが俺を真似て同じようにするのを見守る。
イベリスが食べ終わった食器が乗ったトレーを持って立ち上がり、カウンターに返しに行くのを、今度は俺が真似る。
「今日も美味かった。ありがとう」
スマートにお礼が言えるイベリスは流石だ。
俺は昔の……上司、みたいに店員さんに対し横柄な態度を取ったことはないが、どうもと会釈するくらいが精いっぱいで、ちゃんとお礼を言ったこともなかった。相手も仕事でサービスを提供しているわけだから、客なんかと必要以上に会話したくないかもとか、いきなり変な人に話しかけられたんだけどなんて裏で言われたらどうしようとか、そんなことを考えてしまって。対人では言えるのに、店員と客という立場になると急にハードルが上がる。でも、それを自然に言えるイベリスがかっこいいから。
「ありがとう、美味しかったです」
勇気を出して伝えると、おかみさんは目尻に皺を作ってそれはよかった、と言ってくれた。安心して、胸が温かくなる。
「いってきます!」
「あいよ、いってらっしゃい!」
「いってらっしゃーい!」
勢いのまま挨拶するとおかみさんとアウリちゃんも元気に見送ってくれた。ドアを開け、大通りへと出る。なんだか気分が高揚している。新たな一歩を踏み出した感覚だ。隣を歩く、イベリスのおかげだ。イベリスが親切にしてくれて、守ってくれたから、俺は今ここにいる。イベリスが――当たり前のことを当たり前にできるイベリスが格好いいから、俺もそうなりたいと思った。新しい世界。新しい人生。新しい自分になるなら、こんな風になりたい。
「……イベリス、ありがとう」
「? どうした、急に」
俺の名前、茗助の茗の字は農家をやっていた両親がミョウガ栽培をしていたからという理由で付けられたが、助の字は人を助けられる人になりなさい、という想いを籠めて付けられたものだ。
人を助ける人。
昨日は気分が落ち込んでいるのもあって、この新しい世界でどうにかして人の役に立たないと置いていってしまった両親に申し訳が立たないと思ったけれど。
そうじゃないんだな。人助けは、自分を追い詰めてまでするものじゃない。
両親が籠めた想いは、ただ俺に立派に育ってほしいというものだ。当たり前に、当たり前のことができる大人。困っている人に手を差し伸べられる人間。そういうものになってほしかったのだ。そういうものになりたかったんだ、子供のころの俺は。いつからか――周りに流され、忙しさに色々なものを取り零して、擦り減らして、忘れていたけれど。
イベリスのおかげで、思い出した。
なりたかった自分。なりたい自分に。
「俺、頑張るよ」
「ああ、そうだな。冒険者としての初仕事、頑張れ」
たくさんの恩がある。
いつかそれをイベリスに返せたらと、思った。