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八話:願い返し

 十二月を迎え、祈桜市は冷気とクリスマスムードに包まれていた。街の家々やショッピングモールにはイルミネーションが飾られている。

 だが……朝日達の心境はそんなお祝いムードと真逆の物だった。


 いつもの祈桜西高近くのカフェに四人で座っている。サバトが男女別戦争では無くなった今、魔法少年の深也も再度ミーティングに参加している。

 無言が続く。全員表情が険しく、ただのお茶会のような楽しい雰囲気で過ごす余裕等無い。

「この間の通知見た? サバトの最終日は十六日後の十二月二十四日、十八時五十九分からだってね」

 夕美が沈黙を破った。

「な、なあ。俺、考えたんだけどさ、今から他の魔法少女と少年も全員集めて、一致団結して王と女王を倒すってのはどうだ?」

 深也が額に汗を流しながら提案する。

「無理に決まってるじゃない」

 夕美が深也を睨みつける。

「まず、特定できていない魔童子が何人いると思ってるの? 全員を今から特定して集めるなんて、時間が足りないわ。それにジャンヌさんが言ってたでしょ? 魔童子千人の力を合わせても魔法王に届かないって。もしこの殺し合いの展開から逃れたかったら、ルール改正がされる前に変身石を割って、リタイアするしかなかったのよ」

 夕美は「今となってはそれもできないけど」と小声で続ける。

「これじゃ、初めからチームなんて作らない方がマシだったかもな。そうじゃなかったら、この状況でも自分の事だけ考えて戦えたのに。どうすれば良いか分かんねえ」

 深也も夕美のように俯き、空のカップに視線をやる。

 そう……殺し合いを強いられているこの展開……そして最期に生き残れるのがたった一人という条件……今まで仲間と一緒に戦ってきた魔童子程、次のサバトは苦難の戦いとなるだろう。

 再度、その場に沈黙がやってきた。

 それを打ち破ったのは、また夕美だった。

「ねえ、思ったんだけど、最終戦は四人での協力は無しにしましょう」

 静かに、だが迷いの無い眼で言う。

「お前、ソレ本気かよ?」

「本気よ」

「夕美、どうして?」

 月夜は寂寥感のある表情を夕美に向ける。

「情が強まるからよ。もし協力してこの四人が生き残る人数まで減らしたとしても、最後は四人で殺し合わなければならない。その状況になるまで協力なんてしたら、躊躇いや甘さが必ず産まれるわ」

「だったら……四人で王と女王を倒そうよ!」 

 泣きそうな顔で叫ぶ月夜。

「青木君と同じ事を言わないで。あの二人と戦って勝つより、残り百人の魔童子の中で生き残る方がまだ現実味がある話よ。それくらい途方もない魔力をあの二人は持っている。

 それに……三人には一度も話したことないけど、私にも命に換えてでも叶えたい願い事があるの。だからこそ、三人と同盟は続けられない」

 夕美が席を立ち、三人に背を向ける。

「今までありがとう月夜、紫水君、青木君。最後のサバトで私に出会ったら、躊躇わずに戦ってね」

 そう言い残し、夕美はカフェの扉を開けて去っていった。去り際の彼女の背中姿には、先程の月夜の表情以上の寂寥感があった。


 四人席が一つ空いてしまった。

 再度やってきた沈黙を深也が破る。

「この間も言ったけど、俺は願い事で月夜と朝日を生き返らせてやる。ここはブレない。二人どころか夕美だって生き返らせてやる。本当は……夕美の奴にもそう言って欲しかったな……」


 朝日の好きなアニメ「魔法少女サンムーン」のシーンに「母親と恋人、どちらかの命しか救えない時、どちらを選ぶ?」という哲学的な問いがあった。友人か、それ以外か、というこの状況は少しそれに似ている。

 その問いの正しい解答は「熟考」だった。逆に、真剣に、真剣に、熟考しないでこの答えを出すような奴は不正解というのがそのアニメの中での答えだった。

 きっと、夕美はこの三日間で熟考に熟考を重ねて答えに辿り着いたのだろう。

「熟考」を経た「決断」なら、それも正解なはずだ。

 深也の「決断」だって、夕美と同じように、この数日間の「熟考」を経た決断なのだろう。

 二人の選択が別の「決断」だとしても、「熟考」を経ているならどちらも正解なはずだ。「友人を救いたい」という願い事の決断も、「友人より大切な何かを叶えたい」という願い事の決断も。

 だが二人と違い、朝日の願い事は既に使ってしまった。しかも、朝日だけが負けて死ぬならまだしも月夜まで「願いの前借り」の代償で死んでしまう。

 いっそ願い事を深也に託して自害するのはどうだろうか? 深也は深也以外の三人を生き返らせると言ってくれているし。

 ……いいや、自害なんて論外だ。

 朝日自身が「苦しんで」死ぬのは問題無い。問題なのは、月夜まで「苦しんで」死ぬという事だ。

 月夜を苦しませる選択を朝日が自ら取る事等できない。だから、朝日も優勝を目指すしか無い。例え、友人二人と戦う事になっても。

 だが朝日が優勝してしまう事は月夜を殺す事も意味する。

 ……ならば、月夜を優勝させるのがベストなのではないだろうか? 朝日と月夜の二人だけが生き残った段階で、朝日が自害すれば、きっと月夜の優勝となる。

 きっと月夜なら、皆を生き返らせるという願いを叶えてくれる事だろう。

 ……ふとそこである疑問が思わず口に出た。

「このゲームは『貢献度に応じて』大きな願い事を叶えてくれるというゲームだった。優勝者がたった一人になった今、どれくらいの大きさの願い事を叶えてくれるんだろう? 人を生き返らせるとしてたら、何人まで可能なんだろう?」

「……」

「……」

 朝日の疑問に月夜と深也は答える術を持たない。

 依然として、このサバトは「どの程度の願い事を叶えてくれるか分からないゲーム」のままだ。あの化け(プレア)がそれを教えてくれると思わない。

 そしてもう一つ疑問が浮かんだ。それは「朝日と月夜だけが生き残った場合、『願いの前借りの代償』がある以上、朝日が自害すれば月夜が優勝する前に『代償』の力で月夜も死に、共倒れで優勝者無しになるのではないか?」という事だ

 今だに隠されたルールが多すぎるゲームだ。

 だが、何にせよ作戦だけは立てなければ。

「とにかくゲームが始まったら、僕達三人だけでも同じ場所に集まろう。それで三人でスケボーで移動。深也、三人乗りいける?」

「したことないけど月夜ちゃん小柄だから大丈夫だろ。頑張るぜ」

 幸い、深也と手を組んでもルール違反にはならなくなった。つまり昔のように回避を深也のスケボーが、攻撃を朝日の槍が、というコンビネーションが成立する。深也、それに月夜の桜まであれば朝日達以外の残りの百人の魔童子が束になってかかってこようが戦える自信がある。ただなんとなく付き合っている仲間が何十人もいる人間より、背中を預けられる親友が二人いる人間の方が強い。

 ……いいや、これはただの、「そうだといいな」という願望に過ぎない、か。ランキング二位の王花ビュオレ、六位のカオル……創造魔法の使い手のフトタク……岸南糸、水絵木絵のOL姉妹……知っているだけでもこれだけの強敵がまだいる。


 朝日達三人はカフェを出た。できることなら、ゲームが終わった後もまた四人で放課後、夕方まで楽しくここで談笑していたい。


 ☆

 十二月十九日。朝日は王花ビュオレに呼び出されていた。場所は前回と同じビル群を眺める事のできるカフェ。

 流石に十二月ともなるとテラスにいると寒いので店内の席で彼女と向かい合っている。

「今……何て言いました?」

 朝日は目を丸くしてビュオレに問う。

「次のサバト、私を優勝させてくれと言ったのだ。もし最終的に君と私だけが生き残った場合、申し訳ないが自害して欲しいと言った」

 ビュオレの目は本気だ。

「理由は、簡単だ。このサバトは『貢献度に応じて』大きな願い事を叶えて貰える。ならば、現状二位である私か、一位の君が優勝した方がより大きな願いを叶える事ができる事になる。つまり、なるべく大勢のサバト被害者を救える可能性が高いのが我々だ」

「だが……」と一呼吸置いてビュオレが続ける。

「君は既に『願いの前借り』を使用してしまっている以上、願い事を叶える事ができない。理屈で考えて、私が現状、最も多くの人を願い事で救える可能性が高いのだ。どうだい?」

 ビュオレは両手を組んでその上に顎を置き、朝日の目を覗き込む。

 確かに論理的に考えればビュオレの考えは正しい。それにビュオレを信用はしている。願い事を悪用するような人ではない。だが、朝日の自害は月夜の死を意味する。

「……その時が来たら考えさせてください」

「ダメだ」

 即答された。

「この間のルール改正で『二十分に一回、魔童子を倒さなくては戦闘の意志無しとみなし、強制脱落させる』と言っていただろう? 本番では悩んでいる暇も無い。今決めてくれ」

 ビュオレの瞳に敵意は無いが目力がある。

「正直、どう答えてくれても構わない。これは親切心で君に言っているんだ。ここで君が私にノーを突き付ければ、お互い気兼ね無く戦う事ができる。一番よろしく無いのは、本番になって迷う事だ。次のサバトは我々に迷う暇すら与えてくれない。そういうルールに変えられてしまったのだ」

 彼女の引き締まった声色には、彼女が社会的地位の高い大物である事を再認識させられる。


 二分程の沈黙。朝日は思考を繰り返した。そして、合理的結論に至った。

「分かりました。ビュオレさんと僕、月夜の三人だけが生き残る状況になったら、僕は自害します」

 それが答えだった。

 朝日が優勝しても朝日と月夜しか救えない。夕美と深也を生き返らせられない。

 月夜を優勝させても、前借りの代償で死に、朝日と共倒れになる可能性がある。

 そう考えた上での結論だった。

「ありがとう。君達は私が責任を持って生き返らせる」


 ……本当はその場しのぎの宣誓だった。きっと本番になったら、最後の一分一秒まで選択に迷ってしまう事だろう。



 ☆

 朝日は自室のベッドで仰向けになっている。ビュオレとの会合を思い出す。

 彼女は信用できるのだろうか? 確かにリッパ―戦の時に援護に駆けつけてくれ、助言もくれた。

 だけど少し合理主義すぎる気がする。「自分を優勝させろ」等と大それた発言を常識的な人間はできない。

 彼女は論理的に正しい。だけど、その論理的かつ合理的思考の為に、何かしらの理由で朝日達を見捨てる選択を取り得ないだろうか?

「やあ」

 ベッドの下から声がした。隙間から生き物が這い出てきた。プレアだ。

「お前……良く僕の前に出てこられたな」

 自分達の現状をもたらした元凶を睨めつけた。

「僕を憎んで貰っても構わない。だけどそれは『竜巻に家を壊されたから竜巻を憎む』くらい、意味の無い行動だと思うよ」

 無表情かつ淡々と、白黒猫は喋る。

「何だと?」

「僕らは願い石というシステムなんだ。僕らは願い石の中にいる百人の優れた魔法使い……ヘンゼルとグレーテルの一族達の思念体に命令されているんだ」

「命令? どういう事だ?」

「願い石の目的は『魔法界の一万人の自分達の祖先』を生き延びさせる事……自分達の種の存続だ。その目的を成し遂げる為、肉体を失った魔法使いの先祖達百人は思念体となって、願い石の中で絶える事の無い会議をしている。百人の中には君達の世界では有名な歴史的偉人の『ジャンヌ・ダルク』なんかもいるね。あっちのジャンヌの名前もヘンゼルが彼女から貰って名付けてたりする」

「変身石……願い石はお前自身じゃないのか?」

「僕は百人の先祖の判断を実行に移す為だけの存在だ。君達人間の世界で言うロボット? みたいな物かな」

 ロボット……自我が無いという事だろうか?

「それで今日は……何しに来たんだ?」

 この生き物が現れる時は良くない事しか起きない。プレアの変化の無い紅の瞳を睨みつける。

「僕らはね、君の事を七年前……小学三年生の頃から見ていたんだ」

 口調は淡々としているのに発言の一つ一つがこの生き物の得体の知れなさを際立たせた。

「僕らの眼は、人間の潜在的な魔力量を見抜く機能と同時に、その人物が将来どれ程強く叶えたい願いを持つ事になるかを見抜く、未来予知のような機能があるんだ。ジョンドゥ・ザ・リッパーが最も『潜在的な魔力を持つ人間』だったとしたら、君は最も『強く叶えたい願い事を持つ事になる人間』だったんだ」

「……それで?」

「君の事を僕らは当初、ジョンドゥ・ザ・リッパーを『魔法王を越える魔法使い』に育て上げる為の踏み台程度にしか捉えていなかった。二番手扱いだった。だから君が彼に勝つなんて思っていなかったんだ。僕らの計算を狂わせてくれた君にはとても期待している。次のサバトで、僕らは君を『魔法王を越える魔法使い』に育て上げる為に尽力を尽くすよ」

「余計なお世話だ!!」

 得体の知れない生き物を罵倒した。幸いな事に、父は今日帰りが遅いから、誰にも朝日の叫び声は聞かれていない。

「大丈夫。君と僕らの利害がちゃんと一致するよう、調整する。君は心置きなくサバト優勝を目指して欲しい」

「それはどういう——」

 続きを問う前に、プレアは窓を勝手に開け、闇夜に飛び込み、消えた。



 ☆

 十二月二十四日。とうとう最後のサバト当日がやってきた。

 今日は日曜日。何の意図か分からないが、月夜が遊園地に行きたいと言い出したので、一緒に付き合ってやっている。

 最初はカップルと勘違いされないかと思ったが月夜の「女の子同士なんだから友達にしか見えないよ」という言葉で、今の自分が女子である事を思い出した。

 しかも洋服店で朝日の服装のコーディネートまで月夜がした物だから、白のブラウスに紫のフレアスカートを合わせた、フェミニン系コーデ? とかいう格好をさせられている。誰がどう見ても女子だ。月夜はカーディガンとミニスカート姿。全体的に薄紅色を基軸としている。

 遊園地の受付で今、女子友割というキャンペーンをやっていたので試しにお願いしたら、使えた。

 月夜と遊園地に行くのはこれが初めてかもしれない。いや、小学校より前に親に連れられて行った事があるかもしれない。記憶があやふやだ。


 月夜と次々と乗り物に乗った。ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴーランド……月夜は案外動く系の乗り物が得意みたいだ。朝日は少し酔った。

 七つ近くのアトラクションをこなした所で限界が来た。ベンチに寄りかかり、真上を見上げる。朝から来たのに既に十七時半を回っていた。沈みかけの夕日が朝日と月夜の顔を照らし出している。

「大丈夫?」

 月夜が水を持ってきてくれた。ペットボトルを受け取る。

「ん、ああ……」

 あまり大丈夫じゃない。勢い良くペットボトルに口をつける。

「次、アレに乗りたい!」

 笑顔で言う。

 元気だな……と思いながら月夜の指さす先に視線を向ける。

 観覧車だ。

「月夜……もうすぐサバトの時間だよ」

 観覧車の前には長蛇の列ができている。待ち時間を合わせると、降りる前にサバトが始まってしまう。

「だからだよ」

 笑顔から一転、月夜が朝日を眉一つ動かない真剣な眼差しを持って見つめる。その眼は吸い込まれるような美目だ。

 月夜は……思い出作りの為に遊園地に誘ったのだろうか? 死んでしまう前に……?



 二人の乗る、観覧車のキャビンが天辺まで達した。夜の祈桜市を眺める事ができる。この遊園地は祈桜市内の都市部に近い事からビル群の灯りが臨める。ビュオレの会社もあのビル群の中にある。ビルの人工の灯りとはいえ、光である以上、黒闇と対比して美しく目に映った。絶望の淵に立たされている朝日にとっては尚更、闇の中の光が美しい物に感じる。

 二人は横並びに座っている。何故かキャビンに乗った時から月夜は朝日の正面ではなく真横に座ってきた。

「朝日、あれ見て。凄く綺麗」

 月夜が指さす。その先には男女桜公園にある男女桜の木がそびえ立っている。

 公園の従業員の計らいか、スポットライトを当てられている為、遠くの暗闇の中でも薄紅色の桜達を臨む事ができる。

「……もう一度、ここに来たいな。男女桜も見たい。次は四人で」

 朝日の目から勝手に小粒の涙が零れていた。月夜に悟られないようこっそり目元を拭くが、バレてしまっているだろう。

「もう二度と……誰も……殺したくない」

 朝日の中で何かが決壊して、本音がポロポロと口から零れ始めた。美しい光景に当てられてしまったからだろうか? 今、月夜の顔を直視する勇気が無い。

「朝日」

 右手の甲に月夜の左掌が乗せられるのを感じた。

「朝日と私は『願いの前借り』で繋がれた運命共同体。朝日が今まで犯した罪も、これから犯す罪も、私と半分こしよう。ううん、して欲しい」

 月夜は右手の人差し指を朝日の目元に優しく当て、涙をぬぐってくれた。

「もし誰かを守る為、誰かを殺してしまったら、私の顔を思い出して。朝日が死んじゃったら私も死んじゃう今、きっと朝日は私を守る為に自分を守ると思う。だから、次のサバトで、誰かを殺さなくちゃいけない時が来てしまうと思う。その時、私の顔を思い出して」

 月夜が朝日の目と鼻の先まで顔を近づける。

「もし誰かを殺してしまって、罪悪感で死んでしまいたくなったら、私の顔を思い出して、せめてまた私に逢うまで生きて。そしてもし次私と再会した時、朝日が誰かに償いたくて死にたかったら、私も一緒に死んであげる。生きたかったら、一緒に生きてあげる」

 その瞳から目を逸らす事ができない。月夜の言葉の一つ一つは、朝日を必死に絶望から救い出そうとしてくれている。

 その時、二人のポケットの中の変身石が点滅を始めた。紫色と桃色の光が交互にキャビン内を包む。

「何が起きても生きる事を迷わないで。せめてまた逢うまで——生きて。私も朝日にまた逢えるよう、頑張って生きるから」

 それが最期に耳打ちされた月夜の言葉だった。

 意識が光に飲み込まれる最期まで、月夜の左掌のぬくもりを肌で感じていた。

 ぬくもりがプツリと途切れたのが、最期の戦いの幕が切られた合図となった。


 ——もう一度、このぬくもりを感じる為なら僕は——。


 ☆

 そこは夜の街路だった。中世の西洋のような街並み。空には相変わらず輝く満月。

 以前、変身石の「魔法世界に関するデータ」という項目の中にこの街の写真を見つけていた。あの街の名前は確かソーサリー中央都市「アトス」。

 家々もレストランも人の気配が全くしない。夜だから寝ていると考えられるが魔力も感じない所から避難したのだろうか?

 何故今回のフィールドに「街」が選ばれたのか疑問に思ったが、今回のゲームは二十分以内に一人を倒さなければ脱落。のんびり考えている暇も無い。とにかく一番近くに魔力を感じる深也の所に向かおう。



 十五分経った。左右前後に街灯が整然と並ぶ街路を行進し続ける。だが不思議な事に誰にも出会わない。深也はまだまだ先にいるようだ。

 残り五分で脱落となってしまう。誰でも良いから敵に出会わないと。

 だが敵を倒すとは「敵を殺す」事を意味する。でも……もう一度月夜に逢う為なら……。

 既にどこかしらか朝日を監視している気配を感じ取っていた。

 ワザと止まってスキをみせてやった。

 案の定、何かが背後から飛んで来た。朝日は察知し、その魔法をカウンターで来た方向に跳ね返した。

 何かは「マグマ」だった。相手の右すれすれを通り抜けていった。

「はぁっはぁっ……、これでぇ……三人目ぇ」

 その同い年くらいの魔法少年は黒と赤を基調とした服装と三角帽で、溶岩でできた鎧を身に纏っていた。

 そして服と右頬、右手に握る杖、三角帽子まで人の血で赤く染まっている所から、何人か既に殺してきているのが分かる。

 息を切らし、表情は恐怖と殺意が入り混じっている。どこか乱心している。

 杖握る右手を掲げ、杖先からドロドロとした液体——マグマを飛ばしてきた。

 槍先で受けて、そのまま攻撃を跳ね返した。マグマは彼の左腕に命中し、肉をドロドロに溶かした。

「ギャアァァ!!」 

 彼のつんざく悲鳴が周囲に響く。

 後五分で自動脱落。朝日が死ぬのは構わないが月夜を死なせる訳にはいかない。だから躊躇はできない。

 できる事ならせめて痛みを感じる時間を最小にするよう努めて、変身石を破壊してやりたい。

「痛い、痛い……、許さないっ!」

 朝日を睨みつけるマグマ使いの少年。

 なるべく敵を苦しませたくないが、朝日の魔法が反射である都合上、敵の能力に依存してしまう。彼がマグマ使いである以上、痛みを感じさせないのはまず不可能だ。

「ここまで来たら……使わない意味もないよな……」

 少年がボソッと何か呟くと首にぶら下げる変身石を外し、右掌に置いた。

 次の瞬間、少年は変身石を口に含み、飲み込んだ。

「まさか!!」 

 朝日が割って入る前に少年は願い事を口にした。

「変身石ぃ! 俺をこの世で最強の魔法使いにしろぉ!」 

 少年が叫ぶ。少年の体内の心臓の辺りが赤色に光る。

 ……だが十数秒経過しても何も起こらない。

「は?! 何で??」

「願い事が不釣り合いすぎるんだ」

 朝日が答える。

「変身石が叶えられる願い事の大きさは魔童子の今までのサバトへの貢献度に比例する。きっと、君の願い事は君の貢献度と釣り合っていないんだ」

 諭すように説明する。

「はあ? ふざけんなよ? 俺だってここまで生き残ってきたんだぜ?!」 

 気持ちはわかる。今までのサバトで九百人もの魔童子を蹴落としてきた以上、どんな願い事でも叶えられる気になるだろう。だが変身石は正直なようだ。彼の願い事は届いていない。

 願いの前借りの準備をされて朝日の劣勢かと思ったが、これはもしかしたら情報を得るチャンスかもしれない。どの程度の魔力ならどの程度の願い事が叶えられるのかを測る物差しになる。彼には申し訳ない考え方だが。

「いいぜ、だったら願い変更だ。そこのメスガキより俺を強くしろ!」 

 彼の体内の変身石が点滅し始めた。点滅は願いを受け入れた合図。

 マグマ少年の体が光に包まれる。そして光が止み、彼の願い事は叶えられた。

 一つだけ幸いだった。もし彼の願いが「朝日を殺せ」だったら即死させられていたかもしれない。ただし、そう願って彼が生き残った所で、彼自身が強くなるわけじゃないので、他の魔童子に倒されて終わっていたと思うから、「自分を強くしろ」という願い方がベストだったと朝日も思う。共感している場合では無いが。

 彼の見た目に変化は全くない。大きく違うのは纏う魔力の総量だ。

 前借りの効果で強くなっただけある。もしかしたらリッパ―を上回っているかもしれない(リッパ―にも言えたが、魔力量があまりに高すぎると推し量る事ができない)。

 再び杖先を朝日に突きつけるマグマ少年。そして先程より大きなマグマを噴射する。

 当たれば跡形も残らず体が溶ける。だが朝日はあえて避けない。

 槍を回転させ、円盾のように扱った。

 槍の盾に触れたマグマが少年の方に跳ね返っていく。少年が先程以上の高速度で射出したものだから、反射したマグマの速度も先程より速い。

「あばっ!」

 避ける間を与えず、マグマは彼の全身を飲み込んだ。

 マグマが通り過ぎた後には服を着た骸骨が立っていた。


「結果として苦しませてしまった」

 初めて、自分の戦闘方法が反射だったことを気に病んだ。ルール改正前ならマグマが接触する前に少年は強制離脱できただろう。

 だが一つ判明した事がある。敵が願いの前借りを使って「ただ魔力量が上がる」だけなら、朝日に負けは無いという事だ。

 リッパー戦の時も感じた事だが、相手が強くなればなるほど、この反射魔法の威力も上がる。魔力に頼らない戦闘方法をする相手には滅法弱いが、そうでなければ大体の敵に勝てる。

 とにかく一人倒した。だが、また二十分経ったら脱落となってしまう。休める余裕はない。

 次の敵を探しに行こう。


 ——人を殺す事への躊躇いが弱まっている自分が怖かった。でも、優勝したら必ず皆生き返らせる。……そう言い聞かせなくては、前に進む為の脚と心が折れてしまう——。



 ☆

「月夜、私と戦う?」

 海岸の砂浜。満月が月夜と夕美を照らしている。

「嫌だ、戦いたくない」

 涙をこらえたまま月夜は答える。

「アタシを倒さなくちゃ紫水君を助けられないんだよ? 月夜は、もし勝ち残ったら願い事で紫水君を生き返らせる気でしょ?」

「……夕美も、深也君も、三人とも生き返らせるつもりだよ?」

「無理よ。願い事は大きければ大きい程叶えて貰えない。できて三人のうち一人だよ」

「やってみなくちゃ分からないじゃない!!」 

 叫び、訴えた。

「……そうだね。月夜はそういう子だね。じゃあ、その願いを叶えるために、私を殺さないと」

 夕美は微笑を向けた。

「……できないよぉ」

 我慢していた涙が勢い余って流れ始めてしまった。

「そうだね。私もできない。私の願いは私自身より大切な願いだけど、友達とは比べられない。比べちゃいけない物だった」

 ゆっくり、夕美は首にかけている変身石を外した。

「でも一つだけ見つけたんだ。友達も願い事も大切にする方法」

 それを飲み込んだ。

「夕美?!」 

 夕美の胸のあたりがオレンジ色に光る。そして、海岸中に木霊するくらい大きく叫ぶ。

「変身石! 私の弟、夕樹の傷を全て治さないで!」 

 変身石が点滅する。そして体内の光が夕美と分離して、球体が浮かぶ。

 球体は空高く真上に飛び、消えた。

「願い事……叶ったんだよね……」

 空を見上げる夕美。そして、次に杖を腰元から取り出した。

 月夜は反射的に構えた。

 だが次の瞬間、夕美は杖を自分の左胸に突き刺した。

「がはぁっ!」 

 吐血する夕美。そのまま砂浜に倒れた。

「夕美! 何して……!」

 すぐに月夜は横たわる夕美に向かって駆け出した。 

 夕美の手を握る。

 口の中が血で満たされている夕美は月夜の耳元で弱弱しく口を開いた。

「わ、私の弟ね……四年前、小学校からの帰り道にトラックに轢かれそうな友達をかばって、代わりに轢かれて、ずっと意識不明なんだ。もし意識があったら今頃中二だったな。ずっとずっと、あいつに何もしてやれないのが悔しくて……そんな時にサバトに選ばれて、凄い嬉しかった。あいつを元に戻してやれるかもしれないって思って。でもゲームが殺し合いに変わった時、私、皆の命を奪ってでも弟を助けたいって思っちゃってね……。でも昨日帰りに弟の病院寄ったらね……弟が助けた友達が来てて……その子、四年間ずっと病院に通っててくれたみたいでね……その姿見たら、友達犠牲にしようとしている自分が情けなくなっちゃって……それで……弟を助ける方法、一つだけ思いついたんだ。逆のことを願って脱落すれば良いんだって……。これで私が死ねば、前借りのペナルティで『傷を治さない」』って願いは『治す』に書き換わる……」

「夕美! もう喋らないで!」 

 涙で夕美の顔がぼやけて見えたが、もう分かっていた。夕美は助からない。

「月夜……あんたがもし勝って、どんな願い事をしても、私は責めない。誰かにとって間違ってたり、誰かを犠牲にした願い事だったとしても、私だけは責めない。忘れないでね」

 夕美は目を瞑り、動かなくなった。



 ☆

 どういうことだ? フィールドの四方八方で小さかった魔力が突然爆発的に上がる現象が起きている……。

 気候で例えるならちょっと寒いくらいの日に突然氷柱の雨が降り出す程寒くなるような。動物で言うならトカゲがいきなり恐竜に化けるような。

 二つ三つじゃない。数十箇所から同時に感じる。

 間違いない。これは願いの前借りで「強くなる事」を願ったことによる現象だ。先程のマグマ少年のように。

 考えてみればここにきて願いの前借りの使用者が増えるのは必然だ。今までのサバトでは変身石を破壊された時のペナルティは「記憶消失」だけだった。故に「死ぬ」というペナルティに書き換わる「願いの前借り」は魔童子達の奥の手だった。

 だが今、通常ルールが「死ぬ」というペナルティなのだ。魔童子の誰もが使える願いの前借りを温存しておく意味はない。特に自分より格上の魔童子に当たってしまったら当然、生き残るために前借りを使う。自分を強くするという願いなら、死んだ後に取り立てられる代償も存在しない。

 ……もしかしたら、この状況こそ王達の狙いだったのかもしれない。自分の身が危険な時、誰しも「強さ」を願う。王達の目的は「より強い魔法使いを作り出して、人間界とソーサリーを繋ぐ門の鍵を破壊して貰う」こと。その目的を達成するには「他人を生き返らせたい」とか、「金持ちになりたい」とか、そんな願いをされちゃ困るのだ。「強くなりたい」と願って貰わないと……。あのルール改変の狙いは「願い事の誘導」だったのかもしれない。


 あのレンガの家の曲がり角を曲がると二つの魔力がぶつかっている地点を通る。そこから二人の魔童子が戦っているのを感じる。深也もこちらに向かってくれているみたいだが、この地点は避けて通れない。

 角を曲がった。

 そこは公園だった。ヒマワリも咲いてて、常時なら、さぞのんびり寛げそうな公園。

 だが……朝日の視界に映ったのは三角帽を被った死体の広がった、血染めの公園だった。

 ヒマワリも滑り台も、木も自然も、皆血染め。

 十、二十人くらいの魔法少女と魔法少年の死体が土の上で横たわっている。

 自動脱出機能がなくなったこのゲームは文字通り戦争。三角帽子を被った少年少女の死体の草原は戦争を十分体現している。

「うぇっ……」

 朝日はその悍ましい光景が気持ち悪くて、思わず吐いてしまった。

 真っ二つになった杖や粉々になった杖もそこら中に散乱している。

 明らかに複数人での殺し合いの後だ。

 憶測だが、始めはチーム同士で戦っていたが、最終的に生き残ったチームの誰かが裏切り、内部分裂したのではないか? 今までのようにチームの形を保てているなら、生き残りがたった二人である筈がない。

 その時、爆発音がした。

 音の方向を振り向くと公園外の歩道で二人の魔法少女が戦っている。しかも両方見覚えがある。

 一人は緑のOLスーツ姿。朝日の失った記憶を戻してくれた魔法少女……木絵。

 もう一人は純白のゴシックドレスに豪奢な車椅子。朝日の有力な協力者の魔法少女……ビュオレ。

 二人とも既に長期戦をこなしてきているようで体中が傷だらけだ。両者息も上がっている。

「ビュオレぇぇ!!」

 木絵の顔は憎悪、憤怒、殺意で満ちている。

「君でもそんな顔ができるんだな、木絵」

「お前、よくも水絵を!!」

「水絵のナイト君への攻撃を防ごうとした結果だ。それに、水絵もナイト君を殺した」

 朝日は公園中の死体を見回す。

 いた。いや、あった。青いOL魔法少女、水絵の死体と、そのすぐ隣に西洋騎士の魔法少年、岸南糸の死体が。

 岸南糸の兜は半分が粉々になっていて、素顔がさらけ出ている。二十代前後半くらい。頭部からは血が流れている。水絵の方は胸から血が溢れ出ている。

「殺す」

 木絵がビュオレに突進する。体に緑色の魔力のオーラを纏っている。

 拳を思い切りビュオレに振るおうとする……が、その前にビュオレが杖先を自身の頭部に付ける。杖先が白く光ると同時にビュオレが一瞬で消えた為、拳は空振りした。

 突如、木絵の背後から数メートルの距離に出現した。

「ビュオレ……何故攻めてこない?」

 木絵が後ろを向き、睨みつける。

「私が君の魔法を理解していないと思うか? 君の記憶操作魔法は専ら人間界で魔童子が魔法界の秘密を漏らした時、人間の記憶を一部抹消するのに使われていた。君が運営の魔童子に選ばれた理由でもあるね。だが、それは『優しい使い方』だ。その記憶操作を最大火力で使用すれば、対象者の記憶を赤子まで……いや、産まれる前の状態に戻す事だってできるだろう。喰らえば対象者は廃人となる」

「だが……」と続ける。

「その強力さ故に対象者の肉体……それも頭部に杖先を触れなければ魔法を発動できない。つまりさ……君と近接戦闘をするなんて無謀な真似を私はしないという訳だ」

 以前カオルに向けていたような、煽りを含む笑みを木絵に向ける。

「ち……お得意の逃げ越し戦法か。分かってんのか? 後五分もすればアンタとアタシは共倒れだ。今までみたいに悠長な戦い方ができると思うなよ?」

「前借りを……使ったらどうだい?」

 杖を持たない左掌を上に向けたまま木絵に差し伸べ、煽る。

「馬鹿が……その言葉、そのまま返してやるよ。お前も理解しているだろ? もし一対一の戦いで、先に自分から前借りで『相手より強くなりたい』と願い、後から相手に同じ事を願われてしまえば、後出しした敵の方が強くなる事をさ。あの死体の大半の連中はそれに気づかず、安易に前借りを使った馬鹿達だ」

 そう。それが恐らく運営達の狙いだ。そうやって、残りの魔童子全員が「強さ」を願えば、最期の一人が一番前借りの力で強くなれる。

「だけどな、一つだけ、先に願った方が勝つ方法……願い方がある。分かるか?」

 木絵の口角が上がる。どこか狂気を感じる。朝日がさっき戦ったマグマ少年と同じく、殺し合いの中で理性が壊れてしまった者のする表情。そして、ゆっくり変身石を首から外し始めた。

 その動作を硬直したまま見つめるビュオレ。だが木絵がチェーンを外し切る前に、何かに気づいたように素早く自分も変身石を外し始める。

 木絵が指で摘まんだ変身石を口に入れる……コンマ一秒遅れビュオレも口に入れる。

 ほぼ同時に、木絵とビュオレの心臓当たりが緑と純白に光る。そして——、

「王花ビュオレを――」「向井木絵を——」

「「殺せ!!」」

 二人の咆哮のような祈りの言葉が重なり、周囲に響き渡る。

 両者の変身石が点滅する。願いが受け入れられた証拠。

「「カハッ!!」」

 二人同時に、木絵とビュオレが夥しい量の血を噴き出す。

 二人同時に倒れる。

 公園は静まり返った。


 朝日は……止めに入る事が出来なかった。二人の戦いに入り込む事すら出来なかった。ただ眺めている事しかできなかった。

 ビュオレを勝たせる約束をした以上、ビュオレの味方をすべきだったのかもしれない。だが、木絵がいなければ朝日の記憶は戻らなかった。

 二人共、傷つけたくない存在だった。

 なら責めて二人の戦いを止めに入るべきだったか……?

 無理だろう。そんな事をしていたら朝日まで死んでいた。時間切れで三人揃って死んでいた。


 頭が痛い。正気が……保てなくなる。

 でも時間は容赦無く進む。死のカウントダウンは最期の一人になるまでリセットされない。

 

 ふと、ビュオレが動くのに気づいた。

 這いつくばりながら体を引きずり、匍匐前進でどこかに向かう。口から溢れる血が地面を赤く濡らし、彼女の通った痕跡となっていく。

 半壊した兜を被る青年の死体の顔の前で匍匐前進を止めた。そっと、青年の顔を覗き込んでいる。

 消え入りそうなくらいか細い声で呟く。

「君……思った通り……イケメンだったんだ……な。勿体……ない」

 その場に伏し、動かなくなった。

 血の池が彼女と青年の体を包み、広がっていく。


『現状報告です。現時点でサバトの残り人数が魔法少女二人、魔法少年三人となりました』

 静まった公園の中、アナウンスが脳内に直接送られた。その声色はあまりに業務的で淡泊だった。

 目を瞑り、残りの魔童子の魔力を探知しようと試みる。

 一人は遠くにいる。これは月夜だ。

 三人は同じ場所にいて、ここからそれほど遠くない。リッパ―組二人と深也だ。

 ……夕美の魔力を感じ取れない。

 夕美が……死んだ? ……認めたくないが、そうらしい。

 ビュオレが死んだ今、願い事で死んだ魔童子達を生き返らせてくれる者がいない。

 ……いや、一人だけいる! 深也だ。深也を優勝させれば、まだ希望はある。

 今、間違いなく深也とリッパ―組は交戦中だ。

 一刻も早く向かわなくては。



 街路を駆ける、駆ける、駆ける。行進と共に左右の街灯が入れ替わっていく。全て同じデザイン。

 段々、三角帽子のような形をしたやぐらが見えてきた。

 城だ。自分がそこに向かっているのが分かった。

 その時、脳内に再度アナウンスが流れた。

『現状報告です。現時点で魔法戦争ゲーム残り人数、魔法少女二人、魔法少年二人となりました』

 二人ということは月夜以外の誰か一人が死んだ。

 誰だ?

(急がなきゃ! 急がなきゃ! 急がなきゃ!) 

 息が切れ始めた。でも脚を止める訳にはいかない。

(もうすぐだ! もうすぐだ! もうすぐだ!)

 三人のいる場所まで後三秒……二秒……一秒……。


 目に映ったのは王様の住みそうなくらい大きくて煌びやかな城の門だった。周囲は柵で囲まれている。

 中が開きっぱなしだ。

 中は庭になっていて、花や植物が整然と並んでいる。普段から誰かが手を加えていると分かる程綺麗に整えられている。

 その中央に噴水がある。破損して、水が地面に溢れている噴水……一人の死体のある噴水が。

 その死体は天使魔法少年、フトタクの死体だった。頭部が丸々無く、体は脚を放り出して噴水にもたれかかっている。噴水の水がかかって濡れている。

 朝日は不謹慎な事にその死体を見て安堵してしまった。深也でなくて良かった、と。

 門の内側に脚を踏み入れる。

 そして、周囲を見回す。

 右を向いた瞬間、先程の安堵は消えて無くなった。

 脚を地に放り出し、敷地の柵にもたれかかる深也とそれを眺める火折がいる。

 火折の背中が邪魔して深也の体が見えない。

 走って近寄る朝日。そして——深也の体がはっきり見えた。

 胸のあたりにぽっかり特大の穴が空いている。穴から噴き出る血は留まることを知らない。顔は青白く、眼は色を失っている。

 確かめるまでもなく分かる。死んでいると。

 呆然と深也の死体を眺める朝日。粉々になったスケボーの破片が死体を中心に辺り一帯に広がっている。朝日の足下にまで。

『現状報告です。現時点で魔法戦争ゲーム残り人数、魔法少女二人、魔法少年一人となりました』

 再び脳内にアナウンスが流れた。

「遅かったな。後もう少し助っ人早ければ親友さん、死なずに済んだのに」

 せせら笑う火折。

「色々状況報告するとさ、あのオタク、太土は親友さんが殺ったんじゃなくて俺がやったんだ。あいつ、ゲームのルールが変わってから『こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった』って連呼してうざかったから。それにアンタとやるのにフトタクの奴の力借りるのもずるいし、何よりジョン先輩はずっと一人の力で切り抜けてきたんだから俺も見習わないとなって思ってさ」

「…………」

 目の前が真っ暗だ。


 幼稚園から中学まで男の友達がいなかった朝日にとって、初めての男友達、深也。

 コンビを組み始めた頃、スケボーに乗り、満月を背後に雲の上の空でした会話を思い出す。

(へえ、魔法少女サンムーンか、懐かしいな)

 好きなアニメを聞かれたから答えた時の深也の反応。朝日は今まで通り気持ち悪がられるのを覚悟で、ありったけの勇気で答えたのにあっけらかんとした返答。

(深也も見てたの?)

(ああ。滅茶苦茶考察できる所あって面白かったよな)

(今までこのアニメの話をして気持ち悪がらなかったのは深也が初めてだよ)

(思わないよ。それに、仮に周りの人間がお前の好きな物を嫌っても、自分だけは好きだって言い続けろよ。お前が俺にあの作品を好きだって言わなかったら、好きな作品が同じ相手同士で繋がるチャンスを失くしちゃってたぞ)

(そう……かな?)

(そうだよ。どんな物だって、好きだって言葉にし続ければ仲間は集まってくるもんだから。敵も増えるかもしれないけどな!)

 はにかんで深也はそう言っていた。


 自然と、目から涙が零れてきた。

 もし深也との「この先」があったなら、月夜ともあのアニメで盛り上がって、三人でイベントに行ったりした未来もあったのかもしれない。何なら、夕美にも見せてたらハマってくれて、四人で行っていたかもしれない。

 深也が死んだ今、「もしも」の未来は、もう永遠に訪れない。

 誰も……生き返れない。

「泣いてるんですか? アンタ俺より年上らしいのにしっかりしてくださいよ!」

 火折が朝日の顔を覗き込む。

「泣いてないでやりましょうよ。アンタとだけは絶対に俺がやるって決めてたんだ。ジョン先輩を殺したアンタを殺して、俺は先輩を越えるんだ。親友さんの死体だけじゃ気合入らないなら、先にアンタの彼女殺しに行きましょうか? 親友より恋人の方が、俺への殺意持てるかな?」

「……ふざけるな……」

 粛々と答える。心の哀しみを……怒りに変える。

「親友より恋人の方が? 親友だろうが恋人だろうが、大切な人を比べてどっちの方が大切かなんて、ガキの考えだ。大切な物は、比べる物じゃない」

 火折を睨みつつ、噴水の死体を指さす。

「お前にとって、あの人は……何だったんだ?」

「……俺が強くなる為の、道具」

 火折が挑発して笑う。

 怒りを内に秘め、火折の方に向かって一歩一歩地を踏みしめながら、歩む。

「産まれて初めてだよ。中学生の頃、机に虫入れられたりトイレで水かけられたりした時だって、ここまでじゃなかった。お前を……殺したい」

 槍を構える。

「オ―怖い怖い。でも親近感ありますね。丁度昨日、机に虫入れられて、トイレで水かけられましたから。俺もいつか親友とか彼女とかできたら、今のアンタの気持ち、わかるかなあ?」

「わからなくて良いよ。今死ぬお前に親友と彼女ができる機会は無いから」

 内に秘めた殺意を込めて言葉を一つ一つ紡いだ。

 深也のスケボーの破片を拾って上に投げる。槍先を火折に合わせ、落下する破片を刺した。

 反射魔法リフレクターで火折の方向へ加速させた破片が迫っていく。

 前に深也からスケボーは杖を変化させた物ではなく、杖から作り出した放出型魔法だと聞いていて良かった。

 だが豪速の破片を火折はメリケンサックで防御。瞬時に粉々になった。

 ……良く見るとあいつの変身石がどこにもない。

 ポケットの中にあるのか? 嫌、違う。少なくともこの最終戦で変身石を体に身につけていない魔童子を見たら疑うべきことは一つだ。

「お前……前借りを使ったな?」

「ああ。どうしてもアンタと一対一でやる力が欲しくてね、試合が始まってすぐに願ったんだ。だけど『アンタを越える』とか『アンタを殺す』とかの願いじゃ意味がない。あくまでジョン先輩のような強さを手に入れてアンタを殺したかったからね。だから『ジョンドゥ・ザ・リッパーのように強くなりたい』って願ったんだ。

 そしたらさ……何が起こったと思う?」

 朝日は答えず、睨んだまま分析する。

 火折の肉体を覆う魔力のオーラ量に変化は無い。リッパーのような理不尽な量のオーラを纏ってはいない。

 それでも前借りを使って強さを望んだのなら、何かしらの変化があったはずだ。

 例えば、「魔法の効果が変わった」とか。

 以前、ビュオレから火折の拳拳鍔鍔ナックル・ダストの能力を聞いていた。

「メリケンサックに触れた無生物を塵にする魔法」と言っていた。「弱点は、無生物しか塵にできない。杖のような武器を塵にできても、生物には効かない。故に、人間の肉を抉るような能力は無い」とも言っていた。

 もし願い事で能力が書き換わっているとしたら、まず火折の新しい魔法を見極めなくてはならない。

 だが、無生物を塵にするメリケンサックの能力も厄介だ。前回、その魔法で朝日の槍の柄を真っ二つにされたのだから。

 だがあの時は不意討ちだったから、反射魔法リフレクターの能力を発動させる暇が無かった。もし発動させた状態で攻撃を受ければ、アイツ自身の魔法で逆にメリケンサックを粉々にできるはずだ。

「時間制限があるんだ。もたもたしてらんねえから、来ないならこっちから行くぜ!」

 火折がこちらに突進してきた。

 右肘を大きく溜め、拳を朝日の胸元に向かって降り下ろす。

 それをギリギリで躱す——が、メリケンの棘が僅かに朝日の右肘辺りを撫でた。

 瞬間、肘が無くなった。穴が空くように抉り取られた。

 朝日の、右肘より先の腕が槍を握ったまま宙を舞っているのが見える。

「ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」

 絶叫を上げてしまう。上げずにはいられない、激痛。

 その場に膝をついて、肘より先を失った右腕を左手で押さえる。

 何故だ? 無生物しか破壊できないんじゃ? 

「これが願いの前借りで貰った力♪ 無生物だけじゃなくて生物も粉々にできるようになったんだ♪ ただ魔力を上げるんじゃなくて、魔法の能力を変えてくれた所がさぁ、気が利いてるよなー♪」

 火折の笑みはどこかジョンドゥ・ザ・リッパーの笑みと被って映った。

 後方でパリンという物が割れた音と、ボトリという肉が落ちた音が同時にした。宙を舞っていた槍が地に衝突して砕け、朝日の肘先も落ちたのだ。

「今までの魔童子共は前借りの力で『強くなりたい』って願ったら魔力が上がるだけだったのに、俺だけ魔法の能力が変わるなんてさぁ……同じ『強くなりたい』って願いでも、変身石が一人一人の願いをどう解釈するかで何が起こるか変わるって事なんだろうなぁ♪」

 火折は嬉々として続ける。朝日は激痛のせいで彼の会話にまともに応対できる余裕等無い。

(そうか、深也の胸の穴もこれにやられたのか……)

「さて、本当はもっと楽しみたいんですけどね。アンタには期待しているんですよ俺は。超えるべき壁がこんなに柔くてはつまらないですからね。今からアンタの彼女を殺して、死体を持ってきます」

 火折は膝をつく朝日に背中を向けて、城の門の方へ歩み始めた。

(行かせるか……これ以上……大切な人を……)

 槍を握る右腕の所まで向かう。

 先程の落下の衝撃で槍の先端刃の縦半分が欠けていた。地面に落ちている半分になった刃を胸ポケットに忍ばせる。

「待て……」

 痛みで声すら上手く出ず、かすれてたが、火折を呼び止めた。

 歩みを止めた火折がこちらに向き直った。

「アンタ……前借り既に使っちゃった人ですよね?」

 朝日の方に向かって歩み始める火折。

「はあ……。俺的にはジョン先輩の方が強かった気がするなあ。こんな事ならアンタが挑む前に俺が先輩に挑んどきゃよかった。殺されてたと思うけど」

 本気で落ち込んでいるようだ。

「お前に……一つ……言っといてやる……」

 かすれ声で朝日は言う。

「お前は……リッパーみたいには……なれない」

 火折が立ち止まる。そして目を大きく見開いて怒りを露わにする。

「死に損ないが……今なんて?」

 怒るのは当たり前だ。火折の願いは「リッパーのようになりたい」なのだ。心からの願いを叶わないと否定してやれば誰だって怒る。

 だが関係無い。火折より朝日の方が何倍も怒っている。火折を気分良くさせて油断させようとか、逆に怒らせて隙きを作ろうとか、そんな意図は無い。ただただ、全てを言葉にしてぶつけたいだけだ。

「お前はリッパーのようにはなれない。リッパーは人との関係にまるで興味がなかった。他人はあいつにとって壊すことが楽しいだけの玩具だった。親友とか……恋人とか、人間関係を欲しがらなかった。

 だけどお前は違う……お前はさっきはっきりと……欲しがった。『いつか親友とか彼女とか作ったら』……だって? そんなセリフは、親友や恋人を欲しがっていなきゃ出ないセリフだ。

 リッパーの持ってた能力は……あいつの無神経な精神があってこそ、発揮される能力だ。お前にあの無神経な精神は持てない。

 お前は異常な天才になりたがっている常人だ。

 お前と同じ目にあったことがあるからこそ分かる……。中学生の時傷ついた人は……高校で最高の友達と恋人を手に入れるんだ。そう決まっているんだ。もしお前がこんな最低なゲームに参加して……リッパーに出会わなかったら……お前の『いつか』は実現したんだ……」

 朝日はきっと、深也や夕美とこのゲームで出会わなかったら……月夜が手を差し伸べてくれなかったら、中学時代に心折れていた。火折のようなリッパーに憧れるような中学生になり、高校生になっていただろう。

「だから……なんだ?」

 憎悪の目をむき出しにして迫ってくる火折。

 それでも朝日は、臆さず思いの丈を全て言葉にするだけ。

「お前は悪い奴に憧れているだけのただのガキだ! 悪にもなりきれないし、まともにも戻れない、可哀想な奴だ! 悪に片足突っ込んで、引っ込みがつかないだけの奴なんだ! お前はリッパーのように恐怖で他人に一目置かれることもできない。視界にすら入れて貰えない! 良い奴としても構って貰えなければ、悪い奴としても構って貰えやしない!」 

「黙れ黙れ黙れ!!」 

 いよいよ火折は激怒した。

「今すぐ殺してやる! その口粉々にして喋れなくしてやる!」 

 火折は右手のメリケンサックの拳を朝日の口元に向かって叩きつけようと拳を構えた。

「死ね!」

 迫る拳。

 朝日は左手をポケットに突っ込み、槍の破片を取り出し、メリケンを受けた。

 破片だろうと槍と同じ、魔法を持っている。槍本体を左手に持つのではなく、破片を胸に忍ばせたのは、丸腰だと思わせて攻撃を誘う為だ。

 火折の拳の衝撃を本人の胸元に向けて反射した。

 衝撃波が火折の胸に命中。火折の魔法がそのまま自身に返る。つまり――、

 グシャァッ。

 肉が潰れる生々しい音。火折の上半身に特大の穴が空いた。

「ゴフッ……」

 火折が盛大に血を吹き出す。


 ☆

 中一の入学当時から、火折はその女に振り回されていた。

 名をカオリという。名前まで似ているのも気に入らなかった。

 カオリの父親も政治家で、政治絡みの交友があったらしい。火折の親父の死後知った事だが。

「きっと親父の友達なんてロクな奴いないだろうな」と火折は前々から想像を働かせていたから、カオリが自ら「アタシの親父とアンタの親父、政治家友達だったのよ」とか言い出した瞬間から、カオリもロクな奴じゃないと直観した。

 カオリは学年トップの成績で、スポーツ万能……何でも出来る女だった。

 いや、唯一できないのが「友達を作る事」だった。そこだけ火折と同じだった。

 だがそれはカオリの高飛車な性格に問題があると思っていた。クラスどころか学校の生徒、教師全てを自分より劣った人間として見下していたからだ。

「アタシは将来、初の女性総理大臣になる女よ。あんな奴らと馴れあっている暇無いの」と、良く屋上で火折と会った時、口にしていた。

 いや、廊下でも馬鹿でかい声でそういう事を口にしていたから、クラスメイトにも丸聞こえだっただろう。


 授業をサボる場所として校内で最も最適な場所が屋上の誰からも見えない、とあるスペースだったから、サボり魔同士で鉢合わせになったのがカオリとの出会いだった。

 いつの間にか一緒にいる時間が長くなっていく内に、親同士の仲をカオリの方が自分で調べて、判明した。

「アンタの親父はアタシの親父と同レベルの人間だったんだから、アンタも本質的にはアタシと同レベルの人間になれるはずよ。なのに何でアンタは凡人なの?」

 火折の学業もスポーツも中の下。特に秀でた才能も無く、火折はまさに凡人だった。

 だがカオリのようになりたいとは一度も思った事が無かった。政治家なんか目指したら将来ロクな目に合わないのは、首を吊った親父がいい例だったからだ。

 火折は景色を見に屋上の隠しスペースに来ているのに、カオリはわざわざそこで教科書を開いて独学をし始めるような女だった。「授業中なのだから普通にクラスに戻れば良いのに」と毎回思っていた。

 しまいには火折にまで教科書をわざわざ屋上に持ってくるように言いだすようになり、勉強を教え始めた。

「何が悲しくて授業中に屋上で勉強しなくちゃいけないんだ」と思っていたので、始めはやる気無く聞いていた。だがカオリの教え方はとても上手かったので、段々それなりに真面目に聞くようになっていた。

「アンタをアタシと同レベルにしてあげる」と自信満々に言うカオリに、段々憧れすら抱くようになっていた。決して異性としてではなく、人間として。

 その孤立手前の「孤高さ」に、自分もそうなりたいと思い初めていた。「この女は一人ぼっちでも強く生きていけるだろうな」と思った。同時に、「俺は独りぼっちで、社会の隅っこで慎ましく生きるしかない」と思っていた。

 同じ独りぼっちで何故こうも俺とカオリは違うのだろう、と。

 火折は孤立しているだけの男で、カオリは孤高の女なのだ。


 だがある日状況は一変した。カオリの親父が汚職で捕まった。

 それを火折は初め朝のテレビニュースで知った。

 すぐに学校に駆けつけた。

 クラスの扉を開けた時には遅かった。

「汚職女」という文字がびっしりと書かれた、椅子の無い机の前で、カオリは棒立ちしていた。自分の机を凝視していた。

 クラス中の生徒がクスクス笑っていた。まるで今までのカオリの傲慢な性格に対するしっぺ返しでもしているかのように。あるいは、優れた人間への嫉妬心を晴らすかのように。

 火折は言葉が出なかった。喉から何も発する事ができなかった。

 カオリはすぐに火折の方に振り向いた。その眼には一筋の涙が滴っていた。

 そして、火折に肩をぶつけて扉から出ていった。逃げるように。

 廊下を見るとカオリの姿がどんどんと小さくなっていった。

 追おうと思った……が、脚が動かなかった。追って、どんな言葉をかければ良いか分からなかった。


 それでもカオリは暫くは学校にちゃんと通って来ていた。だが権威が失墜した人間に対し、力の無い人間達の反逆は凄まじかった。

 集団シカト、バケツ責め、画鋲仕込み、噂の捏造、上履き隠し……精神的な物から肉体的な物まで、虐めと定義できるあらゆる全てが行われた。火折の視界に映った範囲のみなので、裏でもっとあったかもしれない。


 数日して、カオリは学校に来なくなった。

 その日の夜、スマホに一件のメールがあった。カオリからだ。

『今までありがとう。ごめん』

 内容はそれだけだった。

 次の日、カオリが転校した事を知った。

 それを職員室で先生から聞いた瞬間、どこからか怒りが込み上げてきた。

 教室の扉を壊れんばかりの勢いで開け、虐めの主犯格と思わしき女子、男子の胸倉を掴んだ。

「何でお前ら……あんな事を……何で……」

 言いたい事がありすぎて言葉が詰まって、何も伝えられなかった。

 だが火折の敵意だけは彼らに伝わったようで、その日からターゲットは火折に変わった。


 カオリが居なくなった後で怒ったって何も意味がない。怒るなら、カオリが居た時に彼らに怒るべきだったのだ。それが出来なかったのは、自分も虐めの巻き添えになる事への恐怖があったからだ。

 廊下で、小さくなっていくカオリの背中を、火折は追うべきだったのだ。掛ける言葉が見つからなくても、追うべきだった。


 全て、弱い火折がいけないのだ。肉体的にも、精神的にも弱い火折が。

 せめて、どちらかを火折が持っていたなら、カオリは……。


 白い死神は肉体的に強かった。あんな風になりたいと思った。例えそれが善だろうと悪だろうと、「強さ」である事に変わり無いのだから。

 でも、今思うに、火折の願いは「強くなる」で正しかったのだろうか?

 本当はただ、あの遠のいていく背中を追う事ができれば良かっただけでは無いのだろうか?

 もう一度、カオリに会って、「あの時はごめん」って、言えれば良かっただけじゃないのだろうか?



 口から漏れ出る血は止まらない。最後に、紫のローブを纏う少女に問う。

「俺だって……アンタみたいに……」


 ☆

「俺だって……アンタみたいに……」

 火折が何かを呟くのを聞いたが、朝日はその先を聞く事が出来なかった。

 続きを口にする前に、火折はその場に大の字で倒れ、死んだからだ。胸に空いた穴から溢れる血は留まる事を知らない。

 火折の死体の顔からは雫が流れ出ていた。

 それが体液なのか、涙なのか朝日には区別がつかなかった。

 嫌な奴だった。深也と同じ死に方をして、自業自得だと言ってやりたい。

 でも他人事じゃない奴だった。大切な人がいるかいないか。火折と朝日の違いなんてそれだけだった。朝日も、リッパ―に憧れた未来があったかもしれない。

 朝日はマントを一部破り、包帯代わりに右腕に巻き、止血した。

 その時――、

『現状報告です。現時点でサバトの残り人数が魔法少女二人、魔法少年0人となりました』

 残り二人……いよいよ朝日と月夜だけになった。

「さあ、月夜の所に行かなくちゃ……」

 意識が飛びそうな痛みを堪え、出口の門の方に脚を引きずる。

 ……ふとある事に気づき、脚を止める。

(……僕はなんで月夜の所に行こうとしてるんだ? もう月夜を苦しめる奴らはいないんだ。もう僕の役目は果たした。願いは果たした。月夜を守る事ができたんだ。安心して……僕は死ねる……)

 気が緩み、そのまま地面に前のめりに倒れ、意識が闇に沈んでいった。


「あ……ひ…………して……、さ……かり……て、」

(……誰かの声がする。なんか懐かしい人の声だ)

「朝日泣かないで! 家までもうすぐだから」

「ひっぐすっ……ぐすっ……ひっ……」

(どうやら夢の中みたいだ。でも懐かしい。これは確か僕の小三の時だ。公園でいじめっ子達に魔法少女ネタでいじられて、喧嘩して、転ばされて膝を怪我したんだ。月夜がいじめっ子達追い払ってくれて、歩けなかったからおんぶしてくれたんだ)

「朝日しっかりして。いじめっ子なんかに負けちゃだめだよ!」

「だって……あいつら月夜ちゃんが見せてくれたアニメバカにするから……」

「ふふっ、そんなことで怒ってたの~。でもダメだよ、男の子は魔法少女なんかじゃなくてヒーロー物みないと。仲間外れにされちゃうよ?」

「良いよ、仲間外れで。だってあのアニメ凄い面白かったもん!」

「そっか……、ありがとう! でも、男の子はヒーローにはなれても魔法少女にはなれないから……」

「そーなの?」

「そうだよ」

「……じゃあ僕、魔法少年になる!」

「へ? 何それ?」

「魔法少年なら男でもなれるんでしょ? 僕が魔法少年。それで、月夜ちゃんが魔法少女! これなら、月夜ちゃんとお揃いだし、クラスの皆とも仲良くできるでしょ?」

「……あはははは! 変な朝日!」

(ああ、僕こんなこと言ってたんだな。月夜おんぶしながら大笑いしてる。

 今になってこんな事思い出すのって走馬灯なんだろうな……。僕は死ぬんだ。

 僕は結局なれたのかな? 願い、叶えられたのかな? 月夜にとっての魔法少年ヒーローに……) 


「う……うーん……ここは……天国?」

「天国じゃないよ」

 目を開くとそこは街路だった。上下左右に街灯が続き、レンガの家が立ち並んでいる。朝日は月夜におぶられているようだ。

「つく……よ……痛っ!」 

「動いちゃだめだよ。右腕失くしてるんだから。でも安心して。私が絶対治してあげるから」

 月夜は朝日をおぶりながらも街中を見回している。

「無いなあ病院。魔法使い達ってまさか病院行かないのかな? 全部魔法で治しちゃってたり?」

「……ふっ、はははは!」 

「何笑ってるの?」

「ごめん。思わず小学生の頃のこと思い出しちゃって。あの頃から僕、こうやって月夜に守られてばかりだなぁって」

「……いいよ」

「へ?」

「何度でも守って上げる。私のために命をかけてくれたから、私に命をくれたから、今度は私が朝日のために命を懸けて上げる」

(……だめだ、月夜。今までならいざ知らずこの状況でそんな優しい言葉は……。ずっと一緒にいたいと思ってしまう……覚悟が鈍る……)

 朝日は深也が死んでしまった時に、一つの決断をしていた。

「月夜、大丈夫。一人で歩けるから僕を下ろして」

「え? あ……うん……」

 月夜は朝日をゆっくり、優しく下ろした。

 すぐに朝日は左手を左ポケットに突っ込んだ。

 そして、隠していた槍の刃の破片を取り出し、自分の心臓に向けて振るった。

 だが破片が心臓に届く前に桜吹雪が破片を粉々にした。

 月夜が朝日に杖を向けている、曇りのない宝石のような眼で。

(……ああ、甘いなあ、僕は。自分の甘さが、自分で嫌になる。

 今の桜、反射しようと思えば反射できた。それをしなかったのはどこかで期待してしまったからだ。「破片が僕の心臓に届く前に月夜が防いでくれる」ことを)

 もう二十分もすれば、朝日も月夜も共倒れだ。ならいっそ、朝日が死んで月夜を救えた方が良い。月夜が優勝する前に、朝日の前借りの代償が発動して、共倒れになるというのは朝日の憶測だ。やってみなくちゃ分からない。もう、朝日が死ぬしか月夜を救う方法が無い。

 だけど——、

(月夜の為なら死ねる。そう思ってたのに、優しくされて、もっと一緒にいたいと思ってしまって……)

「それは私も同じだよ」

(え? 声に出てた?)

 思わず口を覆った。無意識に想いを口にしていたのか? それとも月夜が朝日の想いを読み取ったのか?

 月夜は首から変身石を外した。この所作でこれから月夜が何をするつもりか瞬時に分かった。

「だめだ! 月夜!」

 朝日の叫びが届くより先に月夜は変身石を飲み込んでいた。

 桃色の光が月夜の心臓当たりから発せられる。

 光が月夜を見つめる朝日の視界を遮った。左腕で目を覆う。

「変身石! 朝日の『願いの前借り』をあったことにして!」

 月夜の声が木霊する。

 光が点滅し始めた。願いは変身石に受理されたようだ。

 桃色の光が月夜の体から分離し、球体となって移動し、朝日の体を包み込んだ。

 三十秒程、光に包まれた。その後、沈むように消灯した。

 朝日は何が起こったのか分からなかった。自分の体を見るが特に何も変わっていない。

 次に月夜の顔を見る。朝日の眼を真っ直ぐ見ながら、微笑んでいる。どこか儚げに。

 その微笑みになんとなく安心感を覚え、微笑み返した瞬間——、


 グサッ——。


 月夜が杖で自分の左胸を貫いた。

 吐血し、散るように倒れる月夜。血に染まった杖が宙を舞い、地に落ちる。

「へ……? 何……? 何が……?」

 何が起こったか、月夜が何をしたのか分からなかった。

「月夜……月夜……月夜………………つくよぉーーーー!!!」 

 横たわる月夜に駆け寄る。胸から溢れ出る血は止まってくれない。

 何で? 何だ? 何が起きたんだ? 朝日は錯乱して頭が回らない。ただ、声を上げるしかできない。

「つくよ! つくよ! つくよ! つくよ! つくよ!」

 月夜の手を握る。 

 朝日の顔の至ることから水が止まらない。汗なのか涙なのか区別がつかない。

 心の痛みが右腕の痛みを完全に凌駕した。早く、早く医者を……。

「これで……」

 かすれた声で月夜が口を開く。

「願いの前借りの……代償が発生する……私の『朝日の前借りをあったことにして』という願いは……反対の『なかったこと』に書き換えられる……。夕美が最後に教えてくれた方法……誰も傷つけないで願い事を叶える方法……」

「もう喋らないでくれ! 今度は僕がおぶって月夜を病院に連れてってやるから! 死ぬな! 死なないでくれ!」 

「死なないと……ダメだよ……。死なないと『代償』が起きない……。私が死なないと朝日を救えない……」

「月夜がいない方が救われない! 僕を救うために生きてくれ!」 

 青白い顔の月夜は朝日を慰めるように小さく微笑む。

「私はあの日、一度リッパーに殺されたの。それを朝日が願い事で私に命をくれた。私が朝日の願い事を貰っちゃったの。だから願い事をお返しするだけ……」

「僕の願いは『月夜を守ること』だ! だからあの時の前借りは僕のための願いだったんだ!」 

「じゃあ、今の私の願い事は『朝日を守ること』。だから……この願い事も……私自身のため」

 月夜の顔は確実に青白くなっていっている。

「お願い……朝日……、私の『願い事』を……受け取って。朝日なら……上手く使ってくれるから……。貴方に……私の『願い事』……託すね……」

 もう、助からない。それが分かるほどに、月夜の手が冷たい。

「あさひ……いき……て……」

 朝日の手から月夜の手がすり抜けた。

 月夜は苦しみから解き放たれたように、眠りについた。その顔は青白い血色なのに、フランス人形と見間違える程美しい。肌の青白さが余計に美しく感じさせてしまっているのかもしれない。皮肉な事に。

 月夜の死と同時に朝日の心臓当たりが桃色に光り始めた。そして光が心臓から上に移動して喉、食道、口の中を通って唇から出てきた。たまらず朝日はその個体を吐き出した。

 カラッという音を立てて地に落ちたのは、紫色の変身石。

 朝日の体から変身石が分離したということは願いの前借りの「代償」はちゃんと発動したのだ、月夜の死によって。朝日の願いの前借りは無かった事にされた。

 これで、朝日は再び願い事を叶えられるようになった。しかもサバトに勝利した今、前回と違いリスクなしで。

(……だからなんだ? だからなんなんだ? 月夜を犠牲にしてこんなもの、こんなもの……)

『魔法戦争ゲーム、サバト最終試合が終了しました。生き残った勝者は紫水朝日様です。おめでとうございます』

 無情な知らせをアナウンスは平然と朝日に告げた。しかもBGMつき。ルイ・ガンヌの「勝利の父」が流れる。

 間も置かず、どこからか女王と王、プレアの三人が現れた。並んで朝日に迫る。

「おめでとう。貴様は晴れてサバトの優勝者となった!」 

 拍手する王。傲岸不遜を含んだ笑みを浮かべている。

「……いますぐ……」

「ん? なんだ? 聞こえんかったぞ! 今すぐ優勝祝いの式典を開きたいと言ったのか?」

「いますぐ月夜を生き返らせろっていったんだクソジジィ!」 

 初めて目上の人にここまで怒れた気がする。少なくとも産まれて一度もクソジジィなんて言葉を使った事がない。でも、こいつらだけは許せない。こいつらのせいでどれだけの魔童子達が……。

「そうか。生き返らせてやろう」

 朝日の罵声に何も動じず、即答する。

「優勝した貴様は変身石に願いを叶えて貰う事ができる。だが……現在の貴様のサバトへの貢献度では貴様の大切な者達を全員生き返らせる事はできない。そこで……」

 王が自身の杖を腰から取り出し、杖先を朝日に構える。

「儂と決闘をし、勝利すれば貢献度をかさ増ししよう。儂を倒せる程の魔童子ならばこの魔法界を破滅から救ってくれる逸材である事間違いなし。それを証明できれば、どんな願いでも叶えてやる。『このサバトで死んでいった魔童子全てを生き返らせる』事でもな」

 王の口角が上がる。自信に満ちた笑み。

 罠を仕掛けていない訳がないと思った。裏があるに決まっていると思った。でも、最後の王の一言が、朝日の選択の余地を奪った。まだ皆が生き返るチャンスがあるという言葉。

 暫く王を睨みつけ、考え込む。

 そして、口を開く。

「分かった」

 選択の余地なんて、無いのだ。

「よし。では最終決戦の舞台に向かおう!」 

 王が杖を天に掲げ、魔法を放つ所作をとった。瞬間移動魔法でも使うつもりだろう。

「待って!」 

 朝日は掌を向け、王が杖を振り下ろすのを静止した。

「なんだ?」

 落ちている月夜の杖を拾った。

 そして、眠る月夜に近づいて耳打ちした。

「この戦いが終わったら、もう一度ここに来るよ。もう一度ここに来るために、月夜の力、借りるね」

 月夜自身の杖を眠る月夜に向け、桜を放った。

 桜の花びら達が月夜の亡骸を覆った。

「花葬か。お前は気の毒だな。儂との決闘で万が一死んだ時、自分を花葬してもらう友が誰もいない」

「お構いなく。貴方を倒して、皆生き返らせる」

 朝日は月夜を埋め尽くす桜から王に視線を移した。眼で王に圧をかける。

「ほう、良い目だ」

 王は再び杖を天に掲げてから、地に向けて振り下ろした。

 朝日の視界に映る街並みの光景が歪み、形を変えていく。

 そして光景は再構築された。

 その場所はコロッセオだった。


 ☆

 観客席には三角帽とローブを纏った人々が座っている。子供から若者、年寄りまで様々。男性女性入り混じっている。

「魔法王ぉー!! 頑張ってください!!」

「魔法王!」

「魔法王!!」

 声援で観客席が沸いている。

 唐突に、朝日の変身石が光り出した。

『サバト、スペシャルイベントに入ります。魔法王を倒して下さい。

 勝利条件は魔法王の死となります。ご健闘をお祈りします』

 アナウンスが脳内に流れた。

「死? 貴方、死ぬつもりか?」

 目の前の魔法王に問う。プレアと魔法女王はいつの間にか客席寄りの壁際に下がっていた。

「儂はもう間もなく寿命で死ぬ存在。貴様を儂を越える魔法使いにできるならば……つまりは、ここにいる儂の国民達を救えるならば、命等惜しくない」

「……何がスペシャルイベントだ。初めからこうするつもりだったんだろ?」

「ああ。しかし初めから優勝者は儂と戦う事になると伝えておったら匙を投げて自殺する者すら出かねないと判断してな」

「今、ここで僕が自殺するとも限らないだろ?」

「しないな。少なくとも今のお前は、想い人の想いを背負っている。それを放棄して死ぬ器ではない」

 月夜が朝日の願いの前借りを無かったことにして死んだ理由が、今ならわかる。

 この時、この状況のためにしてくれたんだ。月夜は、サバトが朝日と月夜のどちらかが死んで終わるとは考えなかったんだ。

「月夜……君から貰った物、大切に使うよ」

 胸に掛ける、紫色に輝く変身石を見て呟く。

「女の名前を戦場で口にするものではないぞ? ゴングは無いが決闘はすでに始まっている」

 言うと魔法王は杖先を朝日に向け——、

「゛法王ノ(ヴァイス・)戦装束(ヴェネディクト)゛」

 呪文を口にする。

 杖が銀色に光り輝き、魔法王の体を包んだ。

 光が止むと、王の服装は赤のプレートアーマーから変化していた。

 白い司祭服だ。胸に十字架のネックレスをぶら下げている。

 手には金と銀の入り混じる大剣を握っている。柄と鍔が長く、こちらも十字架を連想させる。

 三角帽子は、司教冠(ミトラ)と合わせたような形状。

 見た目が大きく変わった……が、問題なのは王の服装や、武器、魔法じゃない。

 体に纏う、底なしの魔力だ。海のような、空のような。それらと同じ大きさなのかと感じさせる程の魔力。その気になれば拳一発でこの会場を吹き飛ばす事もできるだろう。サバトに参加した千人の魔童子達の魔力を結集させても、彼の魔力には及ばないというのが良く分かる。リッパ―でもこの男の前では赤子同然だろう。こんな膨大な魔力の持ち主が後一か月しないで死ぬなら、ソーサリーにとって只事じゃないってことは良く分かる。

「貴様、まさかそんな右腕もない上、使い慣れない他人の杖と魔法で儂に勝つ気か?」

 王が鋭い目つきで朝日の杖と先の無い右腕を見ている。

「願いの前借りを使え。今の貴様なら数々の戦いを乗り越えたおかげで以前前借りを使った時より大きな願い事を叶えられる。例えば……『儂を超える魔法使いになる』……とかな」

 王は再度、傲岸不遜に感じさせる笑みを浮かべる。

 やはり魔童子達に「強くなる」という願いの前借りを使わせる事がこの男の目的だったのだ。全ては、魔童子達をふるいにかけ、たった一人の最強の魔法使いを作り出す為。

 だが願いの前借りを再度使ってしまえば、仮に魔法王に勝てても、誰も生き返らせる事ができない。

 願いの前借りなしで魔法王に勝たなければならない。

 だけど、分かっていた。そんな事不可能だって。

「言葉より体で分からせた方が、願い事を使う気になるだろう」

 王が剣を構えて朝日に突進してくる。剣を空に向かって掲げ、朝日に振り下ろす。

 速すぎて反応が遅れ、桜魔法で防御する暇がなかった。

 だが、剣が朝日の皮膚に触れる手前で、桜吹雪が壁を作り、勝手に朝日を守った。

 思わず左手に握る杖を見る。意図的に魔法を使っていないのに、桜が杖先から漏れ出ている。

「ほう、これは珍しい現象だ」

 王が後退し、朝日と距離を取った。

「たまにあるのだよ。杖がひとりでに魔法を使う現象が。それは魔法使いが死んだ直後に良く起きる現象だ。杖が死んだ魔法使いの心からの願いを叶えるために、勝手に動きだす。金持ちになることを願って死んだ者の杖ならひたすら金を産み出し、誰かを殺すことを願って死んだ者の杖なら殺したい相手を殺すために動き出す。

 この現象から見るに桃井月夜が心から願ったことは『お前を守る』事だったのだろう。

 だから桜が勝手にこの剣撃を防いだのだ」

 ……そうか、月夜は朝日を守る事を願って、死んでいったのか。

 でも、朝日は月夜に守れたかったんじゃなく、月夜を守りたかった。

 月夜に守られたかったわけじゃない。

 反対に、月夜も朝日に守られるより、朝日を守りたかったんだろう。だから朝日が月夜を勝たせるために死のうとした時、朝日を守る為に代わりに死んだんだ。

 魔法王を倒すには、奴の言う通り、願いの前借りで「魔法王より強くなる事」を願わざるを得ない。

 だけどそれでは月夜も魔童子の皆も生き返らない。

「魔法王より強くなる」、「皆を生き返らせる」……この二つの願い事の天秤の間で心が揺れ動く。

 月夜は何を望むだろうか? 朝日がどんな願いの前借りをする事を望むだろうか?

 ふと、ある事に気づく。

(……「それ自体」を願い事にすれば良いんだ。「月夜の望んだ願いを叶える事」を願い事にすれば……)

「魔法王に勝つ」とか、「人間と魔法使いの戦争を止める」とか、月夜が死んだ今となっては、一番叶えたい事だろうか? 「魔童子の皆を生き返らせる」すら、一番だろうか?

 深也、夕美……二人とも大切な人だ。それでも、二択の天秤におもりを乗せるのを躊躇ったままでは、どちらも失う。選択しないよりは、マシだ。どんな願い事も、月夜より優先できない。

 初心に帰るんだ。朝日の願いは、初めは「月夜の左眼を治す」事と「母さんを生き返らせる」事だったはずだ。その二つを願ったのは、月夜を幸せにしたかったからなはずだ。

 だったら、それをそのまま願えば良いんだ。


 願いは、固まった。天秤に錘を乗せる覚悟が、固まった。もし選択した願いが間違った選択だったとしても、後から誰かに非難される覚悟も、ある。


 紫の変身石を飲み込む。

 心臓が発光し始める。

「変身石! 僕の願い事を聞いてくれ!」 

 体内に向かって叫んだ。

 光が点滅し始める。願い事を聞き入れる準備ができた合図。

「そうだ。それで良い。儂を越える強さを願え。願い事で儂より強くなり、儂を殺せ。それが儂の願いだ」

 変身石の光が眩しくて王の顔が見えない。きっと思惑通りに事が運んで笑っているのだろう。

 だがこの男の筋書きを、朝日は裏切る。

「死んだ月夜が心から願っていた事を! 叶えてくれ!」

 観客席まで響き渡る朝日の声。

 その祈りを変身石は聞き入れた。

 朝日の体が薄紅色に発光し始める。

 紫ではなく、薄紅色に。

 朝日の体から突風まで迸し始める。

 風が王を数センチ後退させた。棒立ちして観戦する女王と会場の魔法使い達も風の強さに目を覆う。


 光はゆっくり小さくなり、消えた。

 朝日の願いは叶ったようだ。

 ローブと三角帽子は紫色から薄紅色に代わり、月夜に借りた杖は槍に変わっていた。

 朝日の体をルーン文字のような光の紋様の羅列が、交差する二つの光輪となって纏わりついている。まるでバリアか何かのように朝日の体を包んでいる。

 そして体を桃色のオーラが覆っている。魔力が全身から満ち溢れる。

「……あの願いでどうすればそんな姿になるのだ?」

 王が地に右掌をつけたまま起き上がろうとする。

「どうやら先程の願いでお前は願う前よりは魔力を上げたらしい。しかし残念だ。儂を越える程ではない。その程度の魔力ではこの場を生き残ることはできんな。本当に残念だ」

 十字架状の大剣を握り直す。

「……せっかく願いを叶えたのだ。たった一撃で死んでくれるなよ?」

 再び剣先を朝日に向け、突っ込んでくる。

 剣を空に構え、地に向け振り下ろし、縦切りする。

 しかし剣は朝日に触れる前にルーン文字の光輪に弾かれた。

「何だ?」

 後ろによろめく王。

「お前の新たな魔法はバリアを張る事か?」

「違う」

 朝日は自分の魔法が何になったのか、この姿に変わった瞬間、何故か、本能的に理解できた。

 突然、王の左腕の皮膚が裂けた。鎌鼬(かまいたち)に会ったかのように。

「この傷は……?」

 自身の傷口に驚愕する王。今まで自分より強い相手と戦った事がなかったのだろう。

「僕の新しい魔法は全ての方向から来る攻撃を好きな方向に跳ね返す。魔法だろうが、物理攻撃だろうが。槍で防ぐ必要すらない。僕の体を覆う桃色のオーラとバリアが僕を守ってくれる。月夜の『僕を守りたい』という願いを変身石がこういった形で反映したんだろうな……」

 朝日は交差する二つの光輪を見る。

「ふふ……面白い。予想外だ。下手に『儂より強くなる』等願わせなくて良かった」

 ほくそ笑む王。

「貴様、『願いの対立』という現象を知っているか? 例えばある者Aがある者Bを生き返らせたいという願い事を叶えるとする。しかし同時にある者Cがある者Bを殺したいと願ったとする。その場合、ある者Aの『生き返らせたい』という願いとある者Cの『殺したい』という願い、どちらがBに適用されるか? このAとC、真逆の願いどちらが優先されるかを決める現象を『願いの対立』と呼ぶ。

『願いの対立』が起きた場合、優先されるのは叶えた者の『想いが強い』願い事の方だ。

 もしAの生き返らせたいという願いが二番目に叶えたい願いで、Cの殺したいという願いが心から一番の願い事だった場合、Cの願いが優先され、Aの『生き返らせたい』は叶わず、Bは殺される。逆もまた同じだ」

「何が言いたいんです?」

「儂ら純潔の魔法使いも貴様ら魔童子と同じように願い石を持つ。

 儂も既に願い石を使って願い事を叶えている。

 その願いは『一万人のこの国の魔法使い達を守るため、誰よりも強くなる』こと。地上のどの生物より強く、未来にも過去に存在し得る儂より強い存在をも超えた存在になること。その願いは既に叶えられている。

 仮に『儂より強くなる事』を願った者と儂が戦った場合、『願いの対立』が起きる。ここでどちらの願いが優先されるかは願いへの想い入れが強い方ということになる。

 貴様が中途半端な気持ちで『儂より強くなること』を願っていたら、確実に儂が勝っていただろうということだ。そういう意味で、貴様の願い方は正解だった。

 何故なら『心から一番の願い事』だったのだからな。

 桃井月夜の願いが『貴様を守ること』なら、誰も貴様を傷つけることはできない。

 だが儂の願いが『誰よりも強くなること』である以上、貴様に傷を負わせられない訳がない。

 最強の矛を手にする儂と最強の盾を手にした貴様、どちらが上回るかは儂と貴様、どちらが『願いへの想い入れが強いか』で決まるという訳だ」

「…………」

 朝日は無言で王を見た。

 人の願い事の『想い入れの強さ』なんて、比べる物じゃないと考えて生きてきた。だからそれを比べあう日が来るとは思わなかった。

 だけど、負ける気はしない。例え比べる相手が、一万人の魔法使いを想う王の願い事であっても。

 たった一人を守りたいという願い事が一万人を守りたいという願い事に劣るとは考えない。

「さあ、最後の一撃だ」

 王が右腕を掲げる。握る十字架状の大剣が発光し始め、光の剣に変わる。

 剣の切っ先と横幅がどんどん膨れ上がっていく。縦二十メートル、横十メートルで、光でできた十字架を連想させる。

 それを、振り下ろした!

 柱のような長さの光剣が朝日の頭上に落ちてくる。

 だが、朝日は左手の槍すら動かさない。

 剣は朝日の体に触れる前に、ルーン文字の光輪に遮られた。

 光輪と光剣のぶつかる摩擦音が唸り声のようにコロッセオ中に鳴り響く。

 決着は早かった。光剣が先に粉々になり、その破片が蛍の光のような光点になって散らばる。戦場と観客席両方が光点に包まれる。

 そして、光剣が光輪に与えた衝撃を、朝日は任意の方向にはじき返す。

 光輪から一本の光の刃が魔法王の方に向かって飛び出る。先程光剣に与えられた斬撃だ。

 その反射速度は魔法王に避ける時間を与えなかった。

 魔法王の体が斜めに真っ二つになった。上半身と下半身が裂ける。

 一瞬、衝撃を何もない方向にはじこうかとも考えたが、結局、魔法王の体に向かってはじき返すことを選択した。彼に容赦は失礼だろうし、許せる相手でもないからだ。

 真っ二つの王が地に倒れる。大量の血が肉片から流れている。

「……儂の負けか。近う寄れ。死ぬ前の答え合わせがしたい」

 真っ二つにされても生きている王の生命力は人間のそれじゃない。既に顔のついてる方の体は右腕と僅かな胴体だけだ。

 だが、間もなく死ぬのだろう。朝日はこれで四人も人を殺してしまったのだ。

 肉片と呼べる状態の王に近寄る朝日。足下に王の顔がある。

「儂の敗因はなんだ?」

 それが死に際に気になることか。本当に、武人だ。

「僕と月夜の願いは、僕らお互い『一人だけ』を守りたいという願いだった。でも貴方の願いは『一万人を守りたい』という願い。数だけなら、貴方の願い事に敵う道理はないでしょう」

 朝日は死にゆく王に憐憫を覚えた。どんなに憎い相手でも、死にゆくと分かっている生命に情けの心が産まれない人間はいない。

「でも『一万人を守りたい』という願いが、『たった一人を守りたい』という願いより劣っている訳じゃない。願いは比べる物じゃありませんから。結局、勝因は分かりません」

 ここで「自分の想いの方が強かったから」と単純に言ってしまう事は、人間として浅はかな回答で、打ち負かした敗者に対して失礼だ。本当に、勝因なんてわからない。心から思う……願いとは比べ合う事のできる物じゃないと。

「ふっ……これはワシの仮説だが、一万人を幸せにする前にたった一人を幸せにできていなかったことを、願い石に見抜かれていたのかもしれんな。儂の叶えた願いは、『二番目に叶えたい願い』だったのかもしれん。一番叶えたい願いを、王という立場上弁え、心の奥底に殺してしまっていたのかもしれん」


 ☆

 ヘンゼルの左目には五百年前の誓いの光景が呼び起こされていた。走馬灯と呼ばれる物だろう。

「グレーテル、俺は国を創るぞ。魔法使いだけの国。魔法使いが、もう虐げられないで済む国を」

「本気なの? ヘンゼル」

 それはヘンゼルとグレーテルが七度目の村を燃やされた十四歳の時の記憶だった。あの時、二人の視界には燃え盛る畑と家々、土の上に散らばる魔法使い達の焼けた死体が映っていた。兵士達が魔法使い達を馬車に押し込み、どこかに連れ去る光景も。

「その国で俺は魔法王、お前が魔法女王になって、魔法使い達を幸せにしてやるんだ。もう魔法使いであることを人間達にバレることに怯えなくても良い国だ」

「素敵ね。二人で絶対に創りましょう。そして、共に生きましょう」


(燃え盛る自分たちの村を見つめながら手を握り合う二人の若人か。一枚の絵画に収めたい程に美しい光景だな。しかし……二人で……か。貴様はあの頃からそういう女だったな、グレーテルよ。儂が全ての魔法使いの事を想う時、貴様は儂一人の事を想っている。女王としては失格な女だった)

 魔法王、ヘンゼルの右目にコロッセオの隅で淡々と自分の戦いを見守る女王グレーテルが映る。隣にはプレアがいる。

 右目に現在を、左目に過去を映す。

 右目の中のグレーテルは普段の自分と同じで、威厳を保つ為、顔色を変えないよう努めている。だが、同じ人の上に立つ立場だからこそ……何より夫婦だからこそ見抜ける。グレーテルの唇が震えている事を。落涙を必死に堪えている事を。

(何をそんな顔をしておる。儂が死んで悲しいか? 計画通りなのだ、喜べ。……全く……つくづく儂は貴様のその優しさという甘さが、女王として気に入らなかった。だが……つくづく儂は貴様の甘さという優しさが、女としては気に入っていたよ)

 グレーテルに向かって小さく微笑む。

(後は任せたぞ。魔法女王、グレーテルよ)

 当初の予定通り、自分を倒す事ができる程の、最強の魔法使いの育成に成功したのだ。後の事は全てグレーテルに任せよう。

 静かに、永い眠りにつく。


 ☆

 終わった。全てが終わったのだ。

 観客席が静まり返っている。魔法使い達皆が唖然として朝日と魔法王を見ている。

 自分達の国の長が目の前で殺されたのだ。この後、何が起きてもおかしくはない。

 ただ……全てがどうでも良かった。この魔法使い達に殺されようと、もう朝日は全てを果たしたのだから。

 戦いの果てにやってきたのは——虚脱感だった。

 どこからかパチパチッと、一つの拍手する音が聞こえてきた。

 コロッセオの隅にいたプレアだ。隣に魔法女王もいる。ゆっくりと朝日と魔法王の亡骸に近づいてくる。

「おめでとう、紫水朝日。君は見事、最強の魔法少年になった。よって、君の願いの前借りを無かった事にしよう。勿論、君の手に入れた『絶対反射』の魔法はそのままにね」

 プレアが指を鳴らす。その音と共に朝日の心臓が紫に光る。光が胸、喉、口を経由し、吐き出される。変身石が音を立てて地面に落ちる。

 変身石と朝日の心臓が再度分離した。だが朝日を包むルーン文字の羅列の刻まれた、交差する二つの光輪は消滅していない。願いの前借りで強化された魔法が消えていない証拠だ。

「そして、君に人間界でも魔法を使用できる権限を付与するよ。その最強の力で、人間界にある門を破壊してきて欲しい」

 プレアが笑った。

 そう、笑ったのだ。今まで一度も表情を作った事が無いのに、飾りのような口が上に吊り上がったのだ。

「……知るか」

 ボソリと呟いた。

 もう、どうでも良かったのだ、色々な事が。

 どうせ誰も生き返らない。

 こんな形で朝日だけ生き残って……。いっそ、自殺してしまおうか? 

 その気力すら湧き出ない。俯く事しかできない。

「あらら、目が廃人だね」

 プレアが朝日の目を覗き込む。

「紫水朝日……私が桃井月夜を生き返らせましょうか?」

 声に反応し、見上げる。魔法女王だ。

「……何だと?」

 女王を睨みつける。この女も共犯者なのだ。

「私も自分の願い石を所有しています。ですが魔法王と違い、願いを一度も使用した事がありません。私の願いなら、桃井月夜一人ならば生き返らせる事ができるでしょう」

 夫の死体を目の前にしても、いつもの淡々とした口調で言う。

 月夜が生き返る……なんて、また甘い罠に決まっている。

 もしかして——?

「この展開も、貴方達の筋書き通りですか?」

 朝日にこう言葉を投げかければ、朝日が彼らを拒絶できない事を知ってて——?

「そうですね。筋書き通りです。……ですが筋書き通りだったとして、貴方は私の申し出を拒否する事ができますか?」

 魔法女王が願いの前借りで月夜を生き返らせる……というのが意味するのは。

「貴方が門を破壊してくだされば私は前借りを使用して桃井月夜を生き返らせます。その後、我々魔法使いは人間界に進出します。魔法王が死んだ今、この国の長となった私は人間達から命を狙われるでしょう。そして……私が死ぬ事が何を意味するか、お分かりですね?」

 月夜は……人質か。

 でも……もうこれしかないのだ。次に朝日が天秤に掛けさせられているのは、「人間界の人々の命」と「月夜の命」。

「人間界の人々の命」には朝日の父さんや月夜の父も含まれる。

 月夜ならこの選択に何と言うかなんて、分かっている。


 月夜を生き返らせれば朝日は女王を守る為、つまり月夜を死なせない為、人類と戦う。

 だけど朝日が人類と戦うことを月夜が望む訳がない。月夜を悲しませるだろう。


 でも、朝日には勇気が無い。月夜なしで生きていく勇気が。

 例え人類を敵に回し、好きな人すら敵に回っても……。


 あの観覧車でのぬくもりが、もう一度欲しいんだ。


 もし誰かに、この選択は「好きな人を守る」ことを名目に「自分を守っている」だけだと言われても……認める。

 好きな人の心を傷つけても、好きな人の命を守れるなら……例えそれをあの子が望んでいなくても、朝日が望まざるを得ない。

「女王、お願いです。僕は――」




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