プロローグ:魔法少年(ヒーロー、あるいは死神)
三日月照らす夜の森奥。
オレンジ制服の魔法少女、雷門千鳥は血と肉の地獄を目に焼き付けていた。
死神のような男が地に伏す何人もの魔法少女達を見下ろしている。
男は三角帽子を被り、灰色スーツの上に白衣を纏っている。右手には三十センチ弱の茶色い木製の棒——杖を握っている。
足が異様に長く、全長百九十センチを超える長身ながら、あまりに細身な上、両手の露出部が青白すぎて血が通っている人とは見えない。
(まるで死人みてーだ……)
千鳥は思わず心の中で呟く。顔のあたりは木陰に隠されてよく見えない。
地に伏す仲間の少女達。一人一人個性的な特性を表すコスチューム。フリルドレス、婦警服、ウサギの着ぐるみ、囚人服、花魁、チアガール衣装、その他。ただし皆、自分や男と同じく、服と同じ色の鍔の深い三角帽子を被っている。
本来綺羅びやかな彼女らの服の色は現在赤一色。少女達の切り傷だらけの体から流れる血がコスチュームを真っ赤に染め上げているからだ。
皆が持つ杖は手の中で粉々に砕かれたり、真っ二つにされて地に転がっている。
草むらは少女達の体と破損した杖で埋め尽くされている。
一度だけ瞬きをしてから、千鳥は左右にいる三角帽子の仲間の顔を一瞥する。
右側には水色の競泳水着の少女。左側には黒のメイド服の少女。二人の手は震えていて、顔は青ざめている。千鳥と同じ事を感じているのだろう、自分達だけではこの男に勝てない事を。そして受け止めているのだろう、自分達がたまたま男の気分で戦いを後回しにされただけに過ぎない事実を。それでも、杖先だけは自分と同じく死神のような男に向けている。
目線を前方に戻す。
影のかかった男の視線がどこに向いているかだけは気配で感じられた。今、男は地に伏す仲間の魔法少女達を見ている。
だが、今自分達に移された。そして歩み寄ってきている。余裕を見せつけるかのような無防備な歩みだ。
一瞬、木々の隙間から入った三日月の光に照らされて、千鳥の瞳に男の顔が映る。
嗜虐に満ちた表情が。
推定二十代後半くらいだろうか。しかし髪は老人のような白髪。肌の血色は青白く、やはり死人や病人のよう。
際立って目立つ特徴は右目廻りの入れ墨と三角帽子の二つだ。二匹の蛇が互いの尻尾を噛んで八の字を描いている――所謂ウロボロスの入れ墨が眉毛から目袋にかけて入った右目。尖がり部分に鱗模様があるせいで白蛇の尻尾みたいに見える、気持ちの悪い三角帽子。
男は一度立ち止まった。そして薄ら笑いを見せた。
「知っているかナ? 杖は持ち主が脱落しても消えず魔法界に残ル。ボクは倒した魔法少女の杖は必ず保存しておいてあげるようにして上げてるんダ。その子達を忘れないで上げるため二。だから安心しテ。キミ達もちゃんと僕の心の中で永遠に生き続けるかラ♪」
声色が男にしては高く、甘ったるい猫なで声に聞こえる。それを成人を越えているだろう見た目の男が出している為、不気味さが際立つ。
次に男は白衣の内側を開いて千鳥達に見せびらかした。
内側には茶色い杖が十数本、ずらりと縦横揃えて並べられている。しかし全ての杖がボロボロだ。欠けてたり、柄のみで先端がなかったり、血が染みて落ちなくなっていたり。その見た目から個々の持ち主がどういった最期を遂げたのかを想像するのは容易だった。
千鳥が戦利品を見せつける男に嫌悪感を込めて問う。
「お前は……本当に人間か?」
恐怖から言葉が詰まる。
杖を玩具のようにクルクルと回して遊びながら、満面の笑みで男は返答する。
「違うヨ。ボクは人間じゃなイ。ボクこそが、魔法少年ダ♪」
その笑みに千鳥の恐怖が一線を超え、怒りで歯を食いしばる。恐怖の対象を取り除きたい一心から、死神のような男の胸当たりを狙って右腕をピンと伸ばし、杖先を向ける。
「喰らえ屑野郎! ”電磁魔砲”!!」
杖先から球体の電撃弾が発射された。その大きさは男の全身を超えている。
球体が男に直撃する瞬間、男は左手を上げ、握る三十センチ弱の茶色い杖を勢い強く振り下ろした。棒切れのような杖が電撃弾を真っ二つにした。半球の電塊が男の後方左右の地面に直撃し、破壊音を立てて地を抉る。
男は魔法を使って防がなかった。杖を刀で切りつけるような要領で振り下ろしただけだ。それは千鳥の魔法は、彼にとって自身の魔法で対抗するまでも無い程度の攻撃であるという事を意味する。
死神のような男は、自信を砕かれたオレンジ制服の少女のあからさまな狼狽の表情を見る。彼の品定めでは今回の魔法少女の中では彼女が一番強いと思っていたのだが。
「キミ、もしかしてこれをゲームだと思って、戦争だって忘れちゃってた子?」
一つ嘆息してから子供を諭すように言う。
「このゲームの正式名称は魔法戦争ゲーム――通称”サバト”。ゲームであると同時に戦争なんだヨ? 全ての魔法使いにとって、杖は刀、帽子は兜ダ。あるいは銃とヘルメットと表現してもイイ。魔法という魅力的なワードに覆い隠されているだけで、ボクら人間の歴史的戦争と全く変わらなイ。もしソレを自覚していたなら、そんなに驚く訳ないんだけどナ」
先程まで男の目には彼女は勇ましき挑戦者に映っていたが、今は教師に叱られて狼狽える見習い児童程度だった。
オレンジ制服は一歩二歩ゆっくり後退る。一方同時に競泳水着とメイド服の少女は一歩前に出る。位置が前後ろ入れ替わる形となる。
「お前達何やってんだ! 逃げるぞ!」
オレンジ制服が彼女の前に立つ二人に叫んだ。
「千鳥姉は逃げて下さいっス。姉貴だけ生き残ればウチらのチームは存続できる。今回試合に招集されていない部下だっているんスよ」
競泳水着が男の方を向いたまま、振り向かずに背中側のオレンジ制服に促す。
「わたくし達が時間を稼ぎますから、姉様だけお逃げください。後三分稼げば試合は終わりますわ」
同じくメイドも男を見据えたまま背中側のリーダーに促す。
しかし、二人共表情から恐怖心を隠しきれていない。
部下の言葉にオレンジ制服は逡巡しているようだ。だがすぐに二人に促されるまま、男に背を向け、走り出した。彼女の背中姿はどんどん小さくなり、森の闇奥へ溶けて消えた。
気配で制服少女がいなくなった事を感じとったのか、二人は杖を両手で握りながら両腕を真っ直ぐ前に伸ばし、尖端を男に向けて構え、呪文を詠唱する。
「杖解――”絶対遵者”」
「杖解――”明鏡止水”」
その言葉に反応し、メイドの杖が黒い光で覆われ、形を変えていく。
同時に、競泳水着の杖も水色の光で覆われる。
発光する杖はみるみる形を変えていく。
黒と水色の光が消える頃には二人の杖は杖でなくなった。
メイドの杖だった物は黒い鞭に変化した。
競泳水着の杖だった物は鱗鎧に変化し、両腕の肘先と両脚膝先の露出部に纏わりついた。
「ヘエ、それがキミらの魔法なんダ♪」
少女らの杖の変貌を見て、男は思わず今日一番の笑みを浮かべてしまった。この試合で遭遇した少女達の中では二、三番手の彼女らの心が折れなくて安心したのだ。
次の瞬間、前触れなく競泳水着少女の全身が水液に変わり、地面に吸い込まれて消失した。
少女の消失に事態が呑み込めず、思わず首を傾げる。
しかし突如、足下を何者かに捕まれる感覚がした。
自分の足下に視線を移すと鱗鎧を身に着けた競泳水着少女が地面から顔を出し、男の両脚を両手で抑え込んでいた。地面に水溜りができていて、そこから首顔と肘先のみが姿を現している。
「ソレ、もしかして『自分を水にする』魔法?」
不意打ちだったが、男の心に動揺はない。
次に男は首筋に何かが巻き付く感触を覚えた。
視線を前方のメイドに戻すと十メートル先のメイドの鞭が伸びて、男の首に巻きついていた。
「全然痛くないヨ」
その締め付けは男を全く苦しめていない。
だが男は痛み以外の自身の体の変化に気づいた。体が自分の意思で動かない。何者かに操られているかのように勝手に右腕が動く。
「わたくしの魔法は鞭を絡ませた相手の肉体を操る事。このまま貴方の手を操って、貴方自身に変身石を砕かせますわね」
男の右腕がゆっくり上に持ち上がっていく……かのように見えたが途中で動作が止まった。
「……なぜ? なぜ操れないんですの??」
彼女の動揺を見て男は声を出して笑いそうになった。その顔はまさに「人間界の深夜の街で狙い定めた獲物を追い詰めた時」そのもの。懐かしいな。
御礼に解説してやりたくなってしまった。
「キミの操り魔法、敵の体の神経信号は操れても敵の魔力や魔法は操れないみたいだネ。ご存知、魔童子は皆、『魔法』と『魔力で強化した肉体』の二つを武器にして戦ウ。基礎魔力の低い魔法少年相手ならキミの魔法は通用したと思うけど、高い魔法少年なら肉体の神経信号を無視して、魔力のオーラを使って強引に体を動かせル。人間界では病気とかで体を動かせない魔童子ですら、このゲームの最中は基礎魔力さえ高ければオーラで体を操れル。少なくともキミの魔法、ボクには効かないみたいだネ」
赤子と競うプロスポーツ選手にとって、これは全く不利益なネタばらしにならない。仮にこの情報が彼女にとって男を倒す糸口になったとしても、それはそれで希望の糸を断ってやった時に、更に強い動揺と恐怖の表情を再び味わうスパイスと成り得る。故にどう転んでも男にとって得しかない。
次に自分の首に巻き付く黒い鞭を杖で切断した。その、下から上に斬りつける動作は二人からは軍事用ナイフでも扱うかのように映っている事だろう。男にとっては日常茶飯事な杖の用途だ。
「こんな棒切れみたいな杖だっテ、魔力のオーラで覆ってやれば刃物になるのサ」
男は右手の人差し指で杖をクルクル回転させて遊んでみせる。魔力のオーラで指と杖を縫い付ければ落下しない。
次に自分の足首を力強く掴む競泳水着の少女に視線を移す。
「キミの弱点は……簡単だネ」
競泳水着の表情が段々苦しそうになっている。たまらず顔と両腕を水に変化させ、地面に吸い込まれて消える。
そして十メートル先のメイドの右隣に地面から水が出現し、人型を形成してから競泳水着少女となった。
「キミの液化は魔力の消耗が激しすぎル。長く水になれないのが弱点♪」
青ざめるメイドとゲホゲホと咳き込む競泳水着に、男は再度歩み寄る。
「でもせっかく魔法を披露してくれたんだかラ、ボクも披露しようかナ。贐としテ」
言うと右手の杖先を左掌に押し付けながら呪文を口にした。
「杖解――」
男の杖が灰色の光で覆われ、姿形を変えていく。光は一つから二つに分離し、右手と左手に収まる。発光が消えると、杖は灰色のハサミに変わっていた。右手と左手に一本ずつ。
「せっかく杖解して上げたんダ。ちゃんと楽しませてネ♪」
その戦場から十数メートル程度離れた木陰で、三角帽にローブを纏う五人の少年達が一部始終を傍観していた。
「おい、止めなくて良いのかよ?」
十代後半くらいの少年の一人が隣にいる同年代くらいの少年に問う。
「お前、あの切り裂き魔に割って入ったら殺されるぞ。アイツの魔法が噂通りなら……。大体、魔法少年同士の戦いはご法度だろ?」
「そうだけど、胸痛むな―。クラスの女子と年齢変わらない子や、小学生くらいの子まで混じってるんだぜ?」
「そうだな。だけど……あんまり言いたくないことだけどあの死神のおかげで俺らのチームが勝利に近づいてるって所もあるんだぜ? アイツが女じゃなくて本当よかった……」
他の魔法少年達には、飛び火しない場所から死神のような男に蹂躙される競泳水着とメイドを気の毒そうに見つめていた。
千鳥は明かり一つない闇の森の中をひたすら走った。後ろを振り向かず、ただひたすらと。行く宛がある訳ではない。ただただ、死神のような男が追ってこれない所へ向かって。
しかし突如、脳内に女性の声が響いた事でこの果ての無い逃走は終わりを告げてくれた。
『サバト第七十試合が終了しました。速やかに戦闘を終え、変身石に従い、離脱してください』
その機械音のような淡々とした声を聞いて千鳥は走るのを止めた。息が猛烈に上がっている。
三分経ったのだ。これで完全に逃げ切る事ができた。
千鳥の足元が光になって消えていく。人間界への帰還の準備が始まった。
ただ唯一心配なのは、二人の安否だ。どうか無事に次の試合で再会したい。
だが、千鳥が二人の仲間に再会する事は二度となかった。
この時取った「逃走」という選択が、彼女の命脈を保った。しかし、最期の戦いが終わるまで、「黒く渦巻く後悔の念」となる事を彼女はまだ知らない。
☆
まだ母が生きていて、幼馴染の両瞳が開かれていた頃の話。
小学三年生の紫水朝日は、ある日を境にいじめられていた。幼馴染の桃井月夜が貸してくれた女の子向け魔法少女アニメの面白さをクラスメイトの男友達に熱弁したことが理由だ。
日曜朝にヒーロー作品を見ず、女児向け作品を見る男子小学生は村八分もといクラス八分にあうのだ。
その日、朝日は「戦隊VS魔法少女」と称して公園でいじめっ子達に転ばされ、膝を擦りむいていた。彼らが帰った後、一人公園で泣きじゃくる所に月夜が現れ、おぶって家まで連れて帰ってくれている。
夕焼けの路上。左右には家々が。
「朝日泣かないで! お家までもうすぐだから」
「ひっぐすっ……ぐすっ……ひっ……」
「朝日しっかりして。いじめっ子なんかに負けちゃだめだよ!」
(って言っても私のせいなんだよなぁ……。あのアニメ朝日に見せたりしたから)
「だって……あいつら月夜ちゃんが見せてくれたアニメバカにするから……」
本当はアニメを貶されて怒ったんじゃない。アニメを紹介してくれた親友を貶されたような気分になったから怒ったのだ。いくらクラスメイトととも友達になりたいとはいえ、一番初めにできた親友を裏切るような事はしたくなかったのだ。
「ふふっ、そんなことで怒ってたの~」
背中しか見えない月夜の呆れを含んだ笑い声が聞こえる。
(でも……嬉しいなあ。私の好きな物で怒ってくれて)
「ダメだよ、男の子は魔法少女なんかじゃなくてヒーロー物みないと。仲間外れにされちゃうよ?」
「良いよ、仲間外れで。だって月夜ちゃんのアニメ、凄い面白かったもん!」
それは強がりだった。本当は他の男友達の仲間に入れて欲しかったが、彼らと一緒になってあのアニメを馬鹿にすれば月夜に嫌われてしまう。
「そっか……。ありがとう! でも男の子はヒーローにはなれても魔法少女にはなれないから……」
「そーなの?」
「そうだよ」
朝日は困った顔をしばらくしてから、閃いた顔で月夜に宣言する。
「じゃあ僕、魔法少年になる!」
「へ? 何それ?」
「魔法少年なら男でもなれるでしょ? 僕が魔法少年。それで月夜ちゃんが魔法少女! これなら月夜ちゃんとお揃いだし、クラスの皆とも仲良くできるでしょ?」
魔法使いの男の子なら皆も許してくれるだろう、といじめっ子達の顔を想像する。クラスメイトととも月夜とも仲良くできる方法だと思った。
「……あはははは! 変な朝日!」
朝日の至極真面目な考えに何故か月夜は笑っていた。しかし小馬鹿にしていない笑い方で、朝日の気持ちを汲んでくれそうだった。だから続けた。
「それにお母さんが良く言うんだ。『今は月夜ちゃんに助けられてばかりでも大人になったら恩返ししてあげなさい』って。魔法少年になったら、魔法で月夜ちゃんに恩返ししてあげる!」
「ふふっ、ありがと。楽しみにしてるね!」
この瞬間こそ、彼らの間に魔法少年という概念が生まれた日だった。
夕日眩しいオレンジ色に染まる路上。笑いかけ合う二人。
だが、おぶりおぶられの二人は自分達の後ろにいる生き物の影には気づいていなかった。
「ふーん。彼は魔法少年になりたいんだ」
それから三年後の小六の冬。朝日の母親が月夜を庇って殺されたとき、月夜の左眼も共に切り裂かれ、永遠に閉ざされた。