劉備の母の秘密
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劉備の母は旅立つといったが、遠くへ行ったわけではなかった。
実は隣村のはずれに隠れ住んだのだった。
連れてきた使用人はたまに帰って様子の確認をし、劉備の母に報告をしている。
家に残っている者たちはそんなこともつゆ知らず、出かけてしまった理由もわからずに待たされているのはとても可哀想なことである。
劉備の母としても、秘密にしなければならない理由ができてしまったのでやむなくこのようなことをしているのだ。誰が悪いかといえば、劉備の母本人だろう。
劉備の母は妊娠していた。それを隠して生活していたが、いよいよ腹が大きくなり隠すことも困難になりそうだったので隠れることにしたのだ。父親は劉弘ではない。劉亮を産んだ後は劉弘は病に臥せっていた。とてもそういう状況にはならなかったのだ。
どうして劉備の母はこのようになってしまったのかはわからないが、とにかく不義をしてしまったのは間違いない。相手がだれかはわからない。劉備の母はその秘密を文字通り墓までもっていったからだ。
幸か不幸か劉弘とは違い身体の丈夫な人であったため、最低限の使用人を連れて行けば出産については何とかなるとの算段での家出だった。
はたして劉備の母はするっと安産で3人目の子を出産した。産声が力強い男の子だった。この子は使用人の子として生まれたことにするということで話がついていた。名づけもすべて養親となる者に任せるということにしていたが
「この子は私たちが責任をもって育てます。この秘密は墓場まで持っていきます。この子にも教えないで、本当の子として育てるつもりです。」
養父となる男が言った。
「うちには子宝が恵まれないとあきらめていたので、天の助けと思っております。劉家の禄を食み命をつながせていただいているうえに、このようなことまでしていただいて、感謝の言葉もありません。
養母になる女が言った。
「実は二人で話し合ったのです。名前だけは付けていただけませんでしょうか。この子は真実を知らずに生きていきますが、一つだけでもなにかしてやってあげたいんです。
養父になる男はそう嘆願した。
最初は情が移ると辛いので断っていたが、二人の熱意に押されて名づけることを承諾した。
この子の名前は 飛 と名付けられた。
養父は張姓(劉弘の同僚の張何某とは他人)なので張飛となる。劉備の片腕として天下を暴れまわる張飛はこのようにして生まれた。
張飛の容貌は蛟の頭、虎のひげ、等と言われているが、史書には張飛の養子についての言及がない。
劉備の血縁でもないのに劉備に似ているのは都合が悪い事実なのだ。
伝えられている容貌は民間信仰の鍾馗の容貌である。鍾馗のモデルが張飛であるという言い伝えはない。
さて、出産から3カ月くらい過ぎたころには産褥期も終わり、帰ることにした。
この時代、母乳を3歳くらいまで与えることもあるが、逆に早いうちに柔らかくした食事を与えることもあった。育つ育たないかは天が決めるとされていて、乳児期の食事はそれほど重要視されていなかった。出産時に母親が無事でいられなかったことも多々あったためだ。この子は後者で育てられることになる。
旅から帰ってきて突然子供のいなかった夫婦に赤子が連れられていたら、村の者は通常驚くことであろう。ましてやこんなスキャンダルは黙っていられる方が難しい。しかし、張家の二人の幸せさ加減を見るに水を差そうと思うものはいなかった。ちょっと裕福な家の使用人の家族がどう変わろうとあまり関心を持つものはいない。深く調べようとするものもその必要もなかった。
こうして劉備の母の秘密は守られることになった。
劉備の母が家に帰ると、劉備は行儀よく出迎えた。
「母上、ご無事で何よりです。」
帰ってきたので、出かけた理由にはすでに興味がなくなっている劉備であった。
「家を空けてすまなかったね。」
母親が家にいるだけで劉備少年は幸せな気持ちになった。
劉亮は遠くから見ている。母親を忘れたかもしれない。
「亮を連れてきておくれ。」
劉備はそういわれて、劉亮を抱きかかえて連れてきた。
劉亮は母を前にして硬直していた。緊張している。
「亮、母が帰りましたよ。」
と言いながら頭をなでると、劉亮は我慢できずに大泣きした。
「母のことを忘れてしまったのですか。ごめんね。」
そういいながら劉亮を抱きかかえた。劉亮は逃げようとしたが力及ばずその胸の中で泣き、そして疲れて眠ってしまった。
劉備はなんて言っていいかわからなかった。
都が乱れて宦官が力を持つようになった。出世のためには賄賂を贈ることが条件となってしまい、能力よりも財力を持つものが要職に就くようになった。賄賂を贈るための資金の出どころは、というと民衆からの搾取となる。搾取をして財を成し出世を行ったものは、部下に同じことを求める。民衆の生活はだんだん困窮していき、各地では反乱や賊が出るようになった。
ほんの数年前のように身軽な旅はなかなかできない世の中になった。