亭
長い間空いてしまって、どうしようと思っていました。
亭を構えた村の一角は、耿氏の狙い通り客足が徐々に増えていった。チンピラや酔客がおかしなことでもしようとすれば、おっかない顔をした男たちがどこかしこから集まってくるため治安も守られた。当初心配した、自称侠者の狼藉は今のところ起こっていない。侠気取りの乱暴者ではなく、侠もしくは侠気取りの普通の人たちだった。公孫瓚も紹介したものとして人を見る目のある人物という評価がついた。
ある時北方民族の動きが怪しいとのことで幽州の兵が集められた。その際に劉備の村で一晩を過ごすことにした部隊があり、亭として受け入れることになった。通常なら亭長が迎えて挨拶せねばならないのだが、劉備は逃げた。病気と称して逃げた。そういう時は田豫が替わりをすることが常だったが、なぜか田豫の腹の虫がいつもよりも暴れまわってしまい、田豫はその役を断ってしまった。
「なんでおれがあのアホのケツを拭いて回らなきゃならねーんだよ。おれも病気だ。知らねーよ。」
困ったことになったが、母が出るのもおかしい。劉展、劉燃も、劉備の親戚ということで高貴な血筋を持つものということになるが、対応できるかどうかとなると話は別で誰も候補に考えなかった。当然耿氏は激怒した。必ずあの問題児を連れださなければならない。
「劉備! ゴラ! 大事なことから逃げてばかりじゃロクなものにならないよっ! でてこい!!」
「・・・」
「子分連れて偉そうにしているくせに、中身はごみのような男だね、お前ってやつは。」
「・・・ッチ。」
「なにがチだ。舌打ちする気概があるなら出てきやがれってんだ。」
「うるせえな。病気だっつってんだろ。」
「病気のふりしてんのはわかってんだよ。そんなんじゃみんな離れて行っちまうよ。」
「わかってねぇな。ほかのやつに経験させるのも俺の役目なんだよ。今回は簡雍に任せればいいだろ。」
「言い訳ばかりうまくなりおって。・・・? 簡雍? いいんだな。お前が成長しないことも問題あるってことも知っておきな。」
母は簡雍と聞いて妙案だと思い、劉備を引っ張り出すことをやめた。簡雍ならもしかしたらうまくやれるかもしれない。あの子は昔から大人に好かれる子だったから。
そうして名代として簡雍は見事に役目を果たし、夜の宴会でも終始見事に接遇した。その時に体格の大きなゴツイ男と知り合った。彼こそが関羽。のちに神として崇められる男だった。
「あんた、そんなに飲んだのかい?」
簡雍は赤い顔をした関羽をみて声をかけた。
「いや、もともとこんな顔だ。」
「なんか、あんたを見てると力がわいてくる気がするんだよな。」
「佞言か? 何も出ないぞ」
「よくわからんのだが、そんな気がするんだ。あんたから何かもらえる気もしないがな。」
「その通りだ。ただの兵が人にくれてやれる余裕など持っていないわ。」
「はははは、それは見たまんまだな。でもな、それ以外のなんかなんだよな~。」
簡雍は関羽のことがとても気になったが、一兵卒と長話をするわけにもいかずそこで席を立った。
その夜に事件は起こった。夜中に関羽は強烈な腹痛に襲われた。
「た、助けてくれ・・・。」
誰に言うでもなく、関羽はつぶやいた。巨躯をもってしてもまだ少年だ。見た目はそう見えないが。
世話係が異変に気付き、関羽を別室に連れて行った。
騒ぎを聞きつけて耿氏が様子を見に来たが、赤だか青だか変な顔色をした関羽を見て、これは大変だと思った。
「腹のどの辺が痛むんだい?」
関羽は下腹を指した。
「そうかい。ちょっと待ってな。」
耿氏はぬるま湯に下剤になる草の液を混ぜた。
「これを飲んで全部出しちまえば、多分大丈夫だよ。」
関羽は返事もあいまいに、それを飲み干した。数分後には便所に行き、しばらく立てこもった。
出てきたときには顔色が少し白くなったように見えた。
「痛みはおさまりました。ありがとうございます。」
部屋で待っていた耿氏に対して関羽は礼を述べた。
「今日はここで休むといい。またおかしくなったらいいなさい。」
関羽は言われるままに横になった。耿氏は掛物をかけてやり、肩をトントンとたたきよく休みなと言った。
関羽はちょろいもので、耿氏のことを天の使いと思い込みながら眠りに落ちた。
次の朝、部隊が出発する際に関羽はフラフラと従軍しようとした。そこに簡雍が将に言った。
「このものは体調を崩し、昨夜高熱を出しました。ほかの兵に移るともわかりませんので置いていかれたほうがよいかと存じます。」
兵がひとり脱落した程度では特に問題もないし、簡雍のいうように感染する病だと被害がおさえられなくなる。関羽の顔色もやけに赤い(いつも通りだが)し、フラフラしていて病人に見える。
「お前はここに残れ。治ったら自分で帰って良し。ついてくることは許さん。」
将は簡雍の言に従い関羽を置き去りにすることに決めた。
「私はもう大丈夫です。」
「ならん!」
関羽の願いはかなわず、解雇されることになった。高熱など出してはいなかったはずだ。あの簡雍という男、何を考えておるのだ。関羽は簡雍に対して不信感を持った。
部隊が去った後、耿氏が関羽のもとを訪れた。
「今日は柔らかいものを食べてゆっくりしていきな。」
「・・はい、母上。」
「ん? わたしはあんたの母上なのかい? まぁいいわ。」
そういいながら耿氏はその場から去っていった。
簡雍が言った。
「あの人はおれの叔母で、ここの亭長の母だよ。あんたの母親に似ているのかい?」
「おれは生まれてから母親に会ったことがない。もしいるならあのような人なのかと思ってな。」
「ふぅん。でもいきなり母上とは呼ばないよな。」
「そんなもんなのか。」
「まぁ、今日はゆっくり休みなよ。今度亭長に会わせるから、しばらくここにいていいぜ。どうせ帰ってもやることないだろ。」
「・・・。なんか企んでいないか?」
「いや別に。ただあんたが気になるってのは間違いないけどな。また来るけど、ゆっくりしてなよ。じゃあな。」
簡雍は関羽のことを離れて、深いため息をついた。関羽を引き留めたくて関羽の食べ物に毒をもったのは簡雍の仕業だったのだ。そしてそれに聞く薬草を耿氏に使ってもらったというわけだ。関羽が耿氏に対してあのように思うのは簡雍にとって思いがけない効果だった。
体重は10キロ減りまして、誰からもやせたと言われました。