劉弘の憂鬱
時代は後漢末期。
歴史では語られなかった英雄の母の物語。
「おいお前、今年は豊作で高く売れないぞ!」
劉弘は帰ってくるなり妻に言った。
「高く売れないなら うちで食べればいいと思いますよ。」
「それはそうなんだが・・・。ほらよ、金がないといろいろ困るじゃないか。」
「食べるのに困らないんなら、余った分は安くても仕方ないじゃないですか。」
どうやら劉弘は現金が欲しいらしい。その理由を話せばいいのだろうが、どうも歯切れが悪い。
「そもそもあなたはお勤めの禄をいただいてるじゃありませんか。」
「実はな、その、ほとんどスっちまったんだ。」
カッチーン! 妻はその一言で一気に顔を真っ赤にして髪を逆立てた。
「なんですって!? 備もこれから育っていくのに何考えてるんですか!」
といいながら立ち上がり、劉弘の肩を拳で殴りつけた。
妻はこの村では有名な白面の美人だったが、今の姿を見たら赤鬼が猛っているようにしか見えないだろう。
劉弘は妻に殴られてバランスをくずしてその場に倒れた。部屋の奥では歩けるようになって間もない劉備が不思議そうに眺めていた。
「とにかく、あんたを遊ばせるために作物を売るのは許しませんよ。」
劉弘はまるで体が弱い。病気をしやすいということもあるが、筋力も弱い。傍目には柳が歩いているように頼りない。妻が手を出してくるともう、逆らう気は起らないのだった。
「あ、あ、大丈夫だ。お前たちに面倒はかけられない。」
それからしばらくして劉弘は小作人の様子を見てくるといって出かけて行った。
「しょうがないな。敬の所にでも行くか。」
敬とは弟の劉敬(子敬)のことである。劉敬は真面目で劉弘のような無駄遣いはしないタチだった。
劉弘には父の遺産があり、それなりの敷地と小作人を持っていた。俸禄をすっかり使ってしまっても生活ができるのは、そういうことからである。父世代は列候だったのでそのまま爵位が続いていたらどれほどのダメ人間になっていたのか想像に難くない。従叔父が酎金をちょろまかさなければ爵位はく奪の憂き目にあわなかったのだが、勝負弱いのは一族の持っている何かかと思わないでもない。
さて、劉敬といえば同じ敷地内に住んでいるので歩いてもそれほど時間はかからない。
「子敬よ、頼みがあるのだが。」
劉弘は兄なので敬と呼べばよいのだが、頼みごとがあるので下手に出て字で声をかけた。
「これは兄上。もしかして、またですか?」
「いやいや、本当に聡明な弟だ。要件を言わずにわかってくれるとはな。」
「要件はわかりましたが、その願いは聞けないのですよ。断るように言われまして・・。
「もしかして、奴か?」
「奴とは・・。」
「奴といえばあいつしかおらんだろう。」
「それをわかると答えることは恐ろしいですね。」
「おうおう、そうだ。わかっているじゃないか。耿のことだよ。」
名まえを出した途端 劉敬は蒼白になった。
劉弘の後ろには、劉弘の妻が目を怒らせて口元を半笑いにして立っていた。
妻の耿氏は思う存分怒りを夫にぶつけた後、劉敬から何かを受け取って洋々と引き返していった。
「いてててて、恥ずかしいところを見せてしまったな。」
「今布を濡らしてきますから座っててください。」
「おう、悪いな。」
劉弘はそこにある椅子に腰かけて、腫れてしまった顔をさする。
「これはもう離縁しないと死んでしまうんじゃないか?」
ポツリと独り言を言った。
「兄上、布を持ってきました。押さえてください。」
「すまんな・・・。」
「・・・。」
「敬よ、わしは離縁したほうがよいだろうか。」
「何を言っているんですか。少し休んだらうちに帰って、ちゃんと謝るんですよ。そのあとに考えましょう。」
「まだ早計だというのか。あれを見た後に。お前もあっち側のやつなのか・・・。」
「つまらないことはおっしゃらないで、落ち着いて考えましょう。この話は今日はおしまいです。」
「むぅ。」
「むぅ。じゃありませんよ。備も大きくなっていくし展とともに劉家を盛り立てて行ってもらうためには私たちがくだを巻いていても仕方ありませんよ。」
「そうだな。展はどこだ?」
「奥で眠っていますよ。」
「どれ、大きくなったか見てやろう。」
「やめてください、そうやって起こすんですから。この前見たばかりじゃありませんか。」
「子供の成長は早いからな。」
「タケノコほどじゃありませんので、そんなに変わっていません。」
劉敬は兄のことを少しだけ鬱陶しくなってきた。
劉弘は家に着くと、妻に向かって詫びた。
「つまらない金の使い方をしてしまい申し訳なかった。」
「わかってくれればいいんですよ。」
妻はあっさりと許し、そして奥から小さな袋を持ってきた。
「夫が無一文では私も格好がつきませんので、これを持っていてくださいね。」
妻が渡したのは、先ほど劉敬から受け取った金の一部だった。
そのやり取りに気づかなかった劉弘は
「なんて出来た妻なんだろう。俺にはもったいないくらいだ。」
と感動した。
しかし、数日後劉弘は賭場へ出かけるのであった。