72話 回想
よろしくお願いいたします。
獣人の王ユダプスは、薄々気が付いていた。
根拠は何もなかったが、この盗賊団のアジトとして使われていた廃坑に現れ、ラトロとその子分たちを襲った"首のない獣"が、王の血族であろう事に。
ラトロや奴の女の、王に対する怯えようは異様だった。余程に姿が似ているのかも知れない。
そして、"首のない獣"が現れたという黒い大穴の傍らで野営を行い、その大穴から漂う臭いを確かめれば、王の疑いはより深まる。
その大穴からは、王や妹と同じ臭いがしていた。
大穴の淵に体を横たえ、目を閉じながら、王は首のない獣について考える。
頭を失った大きな獣は、まるで王を失った国のようだ。
もちろん王は、ここに生きている。
王が自分を見失う事も無いだろう。
だけれど、既に国の血肉たる国民は、王を見失っている。
魔導回廊は、王にはさして必要な物でもなかった。正直、王は魔導回廊が嫌いだった。
だけれど王国の民には、それは必要な物だ。
王は軍務卿シャルル・モーリスの事を思い出す。
内務卿になりきれないマルフェオ・レピリダスの事を思い出す。
宰相ラスキンと、彼の妻であり自身の妹であるキャトスの事を思い出す。
王の回想の中では、彼らに出すべき指示が山積みになっていた。
その山積みの指示を魔導回廊が吸い込めば、積み上がった問題は処理されて行く。
だけれど、王は今はもう彼らとは繋がる事が出来ない。
本来であれば、王は四肢をもぎ取られたような気分になるべきなのだろう。
だけれど、王は不思議と自由を感じていた。
根拠は何もなかったが、今、自分は正しい方向に進んでいると感じる事が出来る。
ふと、王は"首のない獣"の体から離れてしまった首の先…その頭の事を考える。
その頭も、何処かで自由を感じているのだろうか?
王は背中の先に、辺境の剣士ラトロの気配を感じていたが、その間には適度な余白がある。
王はラトロを別段必要ともしていないし、ラトロも王を必要ともしていない。
お互いに、為すべき事を為すだけだ。
王の体は眠りを求めている。欲を言えば風呂にも入りたい。王は浄化の魔法が苦手だ。
王や妹は浄化の魔法の加減が解らず、使うと汚れどころか肌まで破けて血まみれになってしまう。
王は子供の頃に、何度も試していて、その度に酷い目にあっていた…。
…王は出来ない事を考えるのは止めにした。
坑道の中の余白には、王が回想を広げて戯れる余裕はない。
そして王は、体が求める眠気に、自分の頭を引き渡す。
王の体の疲れと頭の疲れは、しっかりと繋がった首を通して混ざり合い、獣人の王ユダプスは、微睡みの中に沈んて行った。
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王が目を覚ますと、ラトロは自室に向かい、短い仮眠を取った。
王はラトロを待つ間、自身の四肢の自由を確かめながら、無心に剣を振るう。
どれだけの時間が経過したのかは王には解らない。
王の背後には、廃坑の入口から差し込む陽の光が伸びていたが、それが短くなっていく程に、廃坑の中は蒸し暑くなり、剣を振るう王の肌からは汗が滲み出ていた。
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ラトロが廃坑に設えていた自室から降りてくると、王は剣を振るうのを止め、直ぐに大穴の淵を蹴り崩した。
穴の中からは黒い埃のような魔力が舞ったが、その魔力の流れは弱々しく、施した術者の意思はどこかで停滞している。
かと言って、自然から繋がる風の流れを感じる事も出来ない。
王とラトロは迷わず、その大穴を進んでいった。
王が先頭を歩く。ラトロは後ろから手を伸ばし、魔道具で明かりを灯してくれる。
その大穴は、首のない獣が考えなしに、身勝手に掘り進めた回廊のようで、そこには何の意図も秩序も方向性もなく、その構造もデタラメだったが、王が進路に迷う事は無かった。
王は着実に、自分と同じ臭いのする獣の後を追っていった。
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北軍の銃騎隊を率いるヴィカリー・モーリスと、その8人の部下は、平原に広がる泥濘を超え、小高い丘の上に辿り着いた。
丘は緩やかな起伏を繰り返しながら、王都の東の丘陵地帯だった場所に連なっていた。
丘からは、被害を受けた王都の惨状が良く見渡せる。既に王都の南東部分の城壁は内側に倒れる形で倒壊し、城壁に引きずられるように、南軍の塔も斜めに傾いている。
もしも敵がこの丘に陣を張り指揮を取るなら、今の王都を攻め落とす事は容易いだろう。
そして、その小高い丘からは、今朝にかけてヴィカリーが進んできた、その愚かで迂闊な旅程を見渡す事も出来た。
ヴィカリーはその光景に既視感すら感じていた。
道を速く進めば進む程に、その道が誤った道であった際は、より深く過った道の先に迷い込んでしまう。
人より先に、考えを進めれば進める程に、その考えが誤った考えであった際は、より深く過った考えの中に迷い込んでしまう。
ヴィカリーが過ちの中に迷い込むと、いつもそこには父や兄が先回りしていて、そこに体の良い近道を用意してくれていた。
ヴィカリーは、自分の過ちに気が付く事は出来たけれど、周りの人間がヴィカリーの過ちに気が付く事はなかった。
でも今はそうは行かない。今は有事なのだ。
父の背負う責任はヴィカリーとは比べ物にならないだろう。
兄にいたっては、その生死すらも解らない。
ヴィカリーや部下の馬は、馬具や荷物を外してやると、勢い良く青草を食べ、緩やかな丘の斜面に体を預けるように眠っていた。
ヴィカリーは5人の部下に先に仮眠を取らせると、残る3人と自らで歩哨に立つ。
そして、驚くほど青く、雲一つない晴れ渡った空の下で、また浅い回想にふけっていた。
今思えば、母は常にヴィカリーの逃げ道を作ってくれていたように思う。
兄と母は何から自分を逃がしたかったのか?それは父からだろうか?
思い返せば、ヴィカリーが幼い頃から飼っていた犬は、いつも父から逃げ回っていた。
だけれど、ヴィカリーは逃げ道から退くような真似はしなかった。
むしろ誰よりも速く前に前に進んできた。
そして行き止まりにぶつかると、父や兄がそこから抜け出す近道を用意してくれていた。
ヴィカリーは空から自身の足元に視線を戻すと、足から胸元まで飛び跳ねた泥に浄化の魔法をかけ、その身を清めた。そして、徹夜明けの頭で、逃げ道と近道の差について考えてみる。
ヴィカリーの鎧を汚していた泥は、真っ白い砂に姿を変えたが、まだヴィカリーの鎧にこびり付いている。
それでもヴィカリーの汗ばんだ体は清められ、小高い丘に吹く清々しい風を感じる事ができていた。
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歩哨に立つヴィカリーの下に、風の精霊が二本足で歩く小さな足音を伝えて来る。
子供が一人で歩いている訳がない。ヴィカリーは、それが集落から逸れたゴブリンの足音だと判断していた。
だけれど、丘の影から現れたのは、病人のように痩せこけた青年だった。
その青年の衣類は、まるで魔導回廊の中の喜劇に登場する浮浪者のようだったが、俳優が扮する浮浪者と違い臭いがキツイ。
そして良く見れば、その浮浪者は、やはり魔導回廊の中でしか見る事が出来なくなった、僧侶の法衣を身に着けていた。
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南軍の軍医、ジルが語る長い回想を、北軍の士長ジェリマリガンは辛抱強く聞いてくれた。
報告の形を取ってはいたが、ジルにとっては、上役に事実を伝える事よりも、思いを誰かに吐き出す事の方が重要だった。
魔導回廊の中で気が付いた、搬送用ゴーレムが起こした事故。
事故現場である貴族街の不自然な美しさ…証拠の残らない浄化の魔法。
その魔法を使った宰相から依頼された、ミノタウロスの少年の治療。
その治療の際に膨らんでしまった、ミノタウロスの少年の背中の瘤。
ミノタウロスの少年を引き取った宰相は、その少年ボビスの事を「古い友人に預ける」と語ってくれた事。
宰相と別れた光の塔からの帰り道に、魔導回廊から受け取った南軍士長クワリテ様からの上機嫌な通知。
あの黒い両足の尻尾から放たれ、酒屋を崩壊させた黒い槍。
そして昨夜、この大通りで戦った黒い影のようなミノタウロスこそがボビスであり、同じような黒い槍を放っていた事を。
ジルが話を終えた時、士長ジェリマリガンは顔色を変えてはいなかった。
だけれどジルには、自分の話が何処かジェリマリガンの心を打ったような手応えがある。
ジルはジェリマリガンに別れの礼を伝えた。
ゆっくりと振り返れば、話を聞いていたマルトスと名乗る騎士は、目を開けたまま固まっている。
ジルは改めて二人の騎士に礼をすると、足早にその場を離れた。
ジルは、北軍が建設している補給拠点へと向かう。
やはり弾丸の不足は心細い。ミスリルが不足していくが故に、銃を使えず武器を槍に持ち替えた兵士が多い事も解っていたが、ジルには槍を使いこなす自信はなかった。
北に向かって王城を横切ると、ジルは焼き立てのパンの香りに包まれた。その前庭には、兵士たちが腰を下ろし食事を取っている。
ジルは空腹も感じていたが、あの輪に混ざって腰を下ろす気にはなれなかった。
ジルの頭には、先程別れたばかりの、歩哨に立ち続けるジェリマリガンとマルトスの顔が浮かぶ。
彼らは、昨夜の戦いから立ち続けたままなのだ。
ジルは昨夜の戦いを思い出すと、自分を庇ってくれたリオリタの事を思い出した。彼女は無事に回復したのだろうか?
回復魔法に全力を尽くしたが、その経過は掴めていない。その件は士長にも聞きそびれた。
魔導回廊があった頃の感覚のままだと、大切な話も聞きそびれてしまうのかも知れない。
ジルはそのまま前庭を横切り、貯蔵塔の下を横切り、王城の裏庭に続く脇道を横切り、貴族街へ入った。
昨晩同様に貴族街の窓は堅く閉ざされ、現実に目を見開く事を避けている。
そしてジルの目には、避けがたい新たな現実の一旦が飛び込んで来る。
音は遅れてやって来た。
白昼堂々、二人の騎士が剣とガントレットをぶつけて戦っていた。
一人の騎士には見覚えがあり、もう一人の騎士には首がなかった。
ジルは首のない騎士にも驚いたが、スラム街の井戸端で見かけた貴族崩れの冒険者、カヌー・テネブリスが騎士であった事にも驚いた。
そしてその姿に、南軍の騎士でありながら冒険者でもあった士長、セルジュ・クワリテの話が重なる。
カヌーと士長には、何か繋がりがあるのかも知れない。
ジルはカヌー・テネブリスの援護をしようと、ジェリマリガンから与えられた隠蔽の外套に魔力を流し、戦う二人の騎士に近づいた。
剣の腕では首のない騎士が数段上回るように見える。
だけれど、首のない騎士の太刀筋がカヌーを捉えるその瞬間、カヌーの体は不自然に滑り、剣の間合いから身を引いている。
二人の動きは素早く不規則で、ジルには銃の照準を合わせる事が出来ない。
そして、ジルが銃を構えるその先で、二人の騎士の決闘には決着が付いた。
カヌー・テネブリスの体が、また影の上を滑るが、その動きは、より小さく素早かった。
首のない騎士の剣はカヌーの体に触れるが、斬込みは浅く、その鎧を断ち切る事は出来ない。
殆ど同時に、またカヌーは影の上を滑るように一瞬で回転し、後ろ回しに振るった剣で、首のない騎士の右側から、その右腕を斬り飛ばした。
首のない騎士の左手のガントレットは、その攻撃にも反応していたが、金属音が響いた時には、首のない騎士は、攻撃の手段を失っていた。
首のない騎士の右腕からは、銀色のドロリとした液体が流れ出ていた。




