69話 目覚め
よろしくお願い致します。
付与魔術師のティトには、どんなに寝不足ではあっても、二度寝を楽しむ余裕は無かった。
ティトの背中には、いつもと同じ寝具の感触がある。
新たなベッドで寝返りをうっても、その感触に変りはない。このベッドを作ったティトの付与魔術の精度にブレはない。
だけれど、ここは魔道具によって空調が整えられた定宿ではなかった。
いや、ここにも空調を整える魔道具はあるのだろう。でも魔導回廊が止まった今、備え付けの魔道具は動いてはくれない。
カーテンの隙間から覗く太陽は空高く上り、ティトに不快な暑さを届けている。
ここは元々、内務卿の執務机があった場所で、日当たりの良さは中々のものだ。
王城の奥まった位置にある内務卿の執務室は、高さの低い朝日からは逃げ切れていたようだが、真昼の太陽とは正面から向かい合っていた。
そして、カーテンにクリップで取り付けられた羊皮紙は強い陽の光で温められ、酷い臭いを撒き散らしている。
ティトは犬小屋の毛布のような臭いから逃れるために、寝具の中に身を隠す。
ティトの体を直ぐに暑さが包み込むと、ティトは寝具を薄手の物に作り変えた。
寝具が再び真新しい物に変わると、今度は自身の衣類に染み込んだ寝汗の方が気になって来る。
ティトは空調が効かない部屋で、思いの外、汗をかいていた事を理解すると、次には喉の乾きを自覚した。
ティトは精巧な水差しを作る事は出来たし、誰よりも少ない量のミスリルから美しい湯呑みを作る事も出来る。だけれど、魔法で水を作り出す事は出来なかった。
そしてティトは、王都の井戸水へ繋がる地下水道、"公共窟"のトラブルを思い出した。
ティトの乾いた喉で飲み込んだ生唾は存在感があり、怠惰な眠気も胸の奥に押し込んで行くようだ。
ティトは浄化の魔法を強くかけ、寝汗にまみれた体を清めると、ベッドから身を起こした。
ティトの白銀色の髪の一部分だけが、部屋に差し込んだ日の光を照り返して輝いている。
ティトから溢れた浄化の魔法は、陽光に蒸らされた羊皮紙の臭いを、幾分かは和らげたようにも思えた。
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ティトがベッドから立ち上がると、ベッドを執務机に戻した。もうここで眠る事はない。
執務机の中に入っていた様々なガラクタは、机の下に散乱したままだったが、乱雑な部屋には既に馴染んでいるように見えた。
そしてティトが周囲を伺うと、もう仕事が待ち構えている。
執務室の外の廊下で小声で行われていた議論が気になり、その付与魔術師の後輩を室内に呼び入れてみると、後輩は羊皮紙のように厚ぼったいミスリルの紙に書かれた図面を見せてきた。
後輩が語るには、王都の井戸から余った井戸水を集めてくる荷車の図面…との事だったが、ティトの目には巨大な醜い水差しに車輪がついているように見える。
荷車を引いている馬が止まれば、この巨大な水差しは前につんのめるだろう。
ティトはミスリル紙に魔力を滑らせ、直ぐに図面を書き直した。
水を貯めるミスリルの樽は、水差しのような縦長の物から、安定感のある横長の物に書き換え、上部には井戸の底まで届くホースと手押し式のポンプを取り付ける。
そして後部には、集めた水を取り出しやすいように、蛇口を取り付けた。
ホースもポンプも蛇口も、全て雷帝がこの世界に持ち込んだものだ。そして魔導回廊も。
後輩はティトの図面を称賛の眼差しで見つめていたが、ティトからすれば、今まで魔導回廊越しに付き合って来たこの後輩が、こんな緩んだ間抜け面をする者だとは知らなかった。
自分の作品を書き換えられて悔しくないのだろうか?
ティトは自分たち王都の人間が退化している事を改めて思い知る。ティトの頭には、雷帝が間抜けな猿と狼を踏みつけにする、雷帝廟のレリーフが過ぎっていた。
今後も仕事の打ち合わせをする度に、わざわざ顔を突き合わせる事を考えると、自分達が、鼻を突き合わせる獣になってしまったように思える。
内務卿の執務室には、相変わらず羊皮紙の獣臭さが漂っていた。
ティトは羊皮紙のように厚ぼったいミスリル紙の図面を、同じ内容が書かれた8枚の薄いミスリル紙に変化させると、その一枚を手に取り、残りを後輩の付与魔術師に突き返す。
「この荷車は台数が必要だわ。水が誰かに奪われる前に一気に集めないといけない。」
「私も製作に加わるわ。沢山作って、用が済んだらミスリルのスクラップに戻してしまえば良いのよ。」
ティトは寝起きの自分が起こした図面を、魔導回廊越しの誰かに修正してほしかった。でもそれはもう叶わない。
細部は作りながら修正をしていくしかないだろう。
そもそも、たった8枚の図面でも、他の付与魔術師と共有するのが一苦労だ。彼らは何処にいっているのだろう?
ティトはまだ薄暗い早朝に現れた付与魔術師、アービットの事を思い出した。
今は彼が抱え、持ち歩いていたパンを、冷たい紅茶でお腹に流し込みたいと考えていた。
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王都の南には、軍用の太い魔導回廊が敷き詰められた広い草原が広がり、王都の東には魔導回廊の敷かれていない古い森が広がっている。
そして、その草原と森を区切るように、南東に向けて小高い丘が伸びていた。
その丘の北端は王都の中にも及び、その丘を跨ぐように、王都の南東側の城壁は残されていた。
王都の中で、丘は王墓として使われた後、次には地上の繁華街と地下のミスリル工房に変わり、今では戦場のように荒れ果てて、土砂と廃材が溢れる中にミスリルゴーレムの足だけが突き出ている。
そんな丘の南端には、古い寺院が残されていた。
寺院からは巫女が去り、巫女を守る僧兵と僧兵長が去り、階位の高い高僧たちも皆去っていったが、変化を恐れる中年の僧侶と、失敗を恐れる若い僧侶の何人かが、未だに寺院には残っていた。
残った僧侶に仕事は少なかった。もはや寺院を通して教育が行われる事もなく、婚礼の儀式が行われる事もない。残った僧侶の大半が、もう祝の祝詞を唱える事も出来なかった。
葬儀の際には、寺院が課していた伝統的な作法がまだ残っていたが、その仕事の大半が魔導回廊の中で事足りていた。
人が死ねば遺族は役所に届け出を済ませ、そのまま魔導回廊の中で、葬儀の手続きを行う事が出来た。
僧侶に対する付け届けも必要なく、王国と魔導回廊が面倒な遺産相続の手続きまでを済ませてくれる。
後は遺族と残された友人に囲まれて葬られる、そんな実務的で家族的な葬儀の習慣を、王国の民は好んでいた。
僧侶達からすれば、仕事を取られた魔導回廊に文句の一つもありそうな物だが、実際に文句を付ける僧侶は居なかった。
僧侶達は魔導回廊からの"施し"の魔力で生活する事が出来ていた。
寺院がそびえる丘の南側の斜面には、小さな畑が段々に耕され、以前の僧侶達は自給自足の生活を行なっていたが、今では畑は荒れ果てている。
王都の東の森の更に先、東の大河のほとりで大規模に製造されている野菜や果実を、王都に向かう商人達が、ついでに寺院にも販売してくれていた。
寺院に残る僧侶は、日々、カビ臭い寺院で香を炊き、目を閉じて祈り、目を開けている間は、軍務卿シャルル・モーリスの仕事に文句をつけながら過ごしていた。
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そんな寺院の中心で、神の像が目を覚ました。
本来白く磨かれていた神像は苔生して、そして枯れた苔には赤黒いカビが侵食していたはずだった。
その神像が、今は真っ青に輝いている。
苔もカビも、今では朽ちた後に神像の威風に吹かれ、その足元にも残っていない。
僧侶達も、先日、王都の方角で響いた巨大な音を聞いていた。
誰もが口にはしないが、国からの施しの魔力が止まっている事にも気が付いている。
僧侶達は、お互いの顔色を気にしながら、そんな事態にも動じてはいない体を取ってはいたが、神像が目覚めてしまった今となっては、誰もが不安を露わにしていた。
中年の僧侶は変化を恐れ、若い僧侶は、自分の人生が惨めな失敗に終わってしまう事を恐れていた。
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僧侶達の話し合いは、議論の体すら取っては居なかった。
青く輝く神像の目覚めは、神が自身の乗り移る憑依の先を求めている証とされていたが、その事を知る高僧は既に寺院には居なかった。
残された中年の僧侶と、若い僧侶達は、皆がおたがいの顔色を読み、空気を読み、結局は最も若く生意気な僧侶が、王都の様子を見に行く事に決まっていた。
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マルフェオは、短い睡眠時間の割には寝不足を感じていなかったが、二度寝の誘惑とは戦っていた。
久しぶりに背中に感じる、高級宿レセンティブスのベッドの柔らかさは、マルフェオの疲れていた体を包み込んでいたが、そこには暑苦しさがまるで無い。
魔導回廊が止まり、この地下の自室の空調も止まっているはずだが、大魔導師ガラハムの設計した空間は、光と風の流れが繊細に組み立てられていて、地下の寝室に居ながら草原の木陰で休むような心地よさを感じられる。
ここは地下であっても窓がありカーテンがあり、カーテンを開ければ、余白を美しく装飾する白い砂の庭と、色とりどりの鉱石で模倣された木々がある。
草原や海原を抽象するような白い砂と、素朴で純粋な石造りの木々を、地上から反射された程よい光が照らし、その木漏れ日がカーテンの隙間から部屋へと差し込んでいた。
マルフェオは眠りの縁に微睡みながら、自身の抱えた責任と、自身の心と体の余裕の残量を天秤にかけてみる。
まだ薄暗かった早朝までは、その天秤は極端に傾き、マルフェオは余裕を失っていたが、今ではその天秤は吊りあいを求めて揺れている。
例え魔導回廊が無かろうとも、まだもう少し、自分にも何かが出来るのかも知れない。
何を依頼しても、もう国からは対価の魔力が払えない事は、内務卿代理として、また付与魔術師の商会の長としてのマルフェオから多くの余裕を奪っていた。
働いてくれた相手への評価として、対価を支払う具体的な手段を昨夜までのマルフェオは失っていた。
新しい魔導具の試作にも、まだまだ時間がかかるだろう。
だけれど、二度寝の誘惑に誘われながら、マルフェオは上級冒険者アリッサに自らのローブを与えた時の事を思い出していた。
あの時、アリッサと彼女に従う事になった3人の男の間には、マルフェオが扱って来た”余裕”とは違った余白が生まれていた。
マルフェオの頭には、魔導回廊の中で読んでいた、過去の王族や高位貴族が好んでいた数々の無駄な儀式や儀礼が浮かび、そして、それが上級冒険者アリッサにローブを与えた光景と重なっていた。
そして今、自分は過去の貴族、大魔導師ガラハムが作ってくれた、美しい余白に包まれた部屋のベッドで微睡み、少しづつ余裕を取り戻している。
改めて、マルフェオは自身の体や心の余裕を確かめる。
天秤はマルフェオの思う方に傾いている。
一人で抱えきれない責任なら、もういっその事、切り分けてしまえば良いのだ。
その余裕が作る心の隙間に、二度寝の誘惑はしつこく滑り込んで来てはいたが、その誘惑を弾き飛ばすように、マルフェオの寝室には、ドアを素手でノックする堅く心地良い音が響き渡っていた。




