7話 彼女の意思
よろしくお願いします。
戦争が無いまま80年近く平和な月日が流れていたのは、防衛側が圧倒的に有利だからだった。
自陣の地中に独自の印章を読ませたミスリル線を張り巡らせておけば、防御側だけが魔導回廊で連携を取り、精密な砲撃を行い、ミスリルゴーレムを召喚することが出来る。
逆に攻撃側は、魔導回廊が繋がらない"ダンジョン"で戦う事になる。
各国の領土は固定化し、騎士は模擬戦に明け暮れ、兵士は警備・警察が任務になった。
そんな平和になった世界では、怪我をするほど熱心に訓練をする兵士は居なかったので、軍医のジルは、いつも時間を持て余していた。
ジルは生まれつき"命の気脈"を見る事が出来たが、巫女の家系でもないので、回復魔法を学ぶために軍に入隊した。
ジルの回復魔法・強化魔法の飲み込みは速く、直ぐに教えられる者は居なくなる。
向上心に押され、騎士たちがしのぎを削る南北の要塞都市への転属も願い出たが、それは身分差によりかなわない。
ジルは理不尽さを感じたが、軍隊なんて理不尽さで縛っておく方が、平和が続く事も解っていた。
ジルは軍隊で生活しているうちに、人は嘘を付いたり隠し事がある時に、命の気脈が乱れる事に気が付いた。
上官や、同じように命の気脈が見える軍医の同僚にも話してみたが、どうも理解は出来ないようで、この嘘や隠し事を明らかにするその証明を、広く共有する事は出来なかった。
それでも、ジルが事実に近づく手掛かりにはなった。
ジルが入隊して8年がたち、同期が結婚で退官していった頃には、有り余る時間と、この気脈から動揺を見る能力を使って、王都で起こる数々の事件を解決していた。
ジルは常に魔導回廊の少しの変化に意識を集中し、王都を歩き回り、トラブルが起こるたびに首を突っ込んでは、貴族や冒険者ギルドから煙たがられた。
だけど王都の民からの人気は高く、魔導回廊の行動履歴は常に潔白だったので、軍もジルの事は放っておいた。
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昨日の大雨も上がり、ジルの同僚たちは早朝から慌ただしく水を汲み、洗濯物を太陽に晒すため、桶を担いで階段を行き来している。
そして、また朝から汗まみれになるのだ。
簡単な浄化の魔法が使えるジルは洗濯の列に加わる事は無く、いつものように誰も患者のやって来ない南塔の医務室のミスリル製の椅子に座り、魔導回廊に接続しては、王都全体の変化に意識を集中していた。こんな暇な事をやってるのは、軍隊はおろか、この王都全体を見てもジルくらいのものだろう。
そんな中、ジルは貴族街の城壁に近い場所に、魔導回廊に登録の無い不審な小さい魔力を感じた。命の気脈が弾けたような反応だった。
モンスターにしては大きさが小さく、鳥が空から落下したのかも知れない。
港であれば不法入国者も疑ったが、確信が持てず、ジルは取り合えず自分でその場所に向かう事にした。
ジルは南塔から賑やかな大通りを北に走り、王城を過ぎて東に向かうと、人気の少ない貴族街に入った。
現場に向かう途中から、魔道回廊には住民からの通報が流れ始める。
貴族は外へ出歩く事は少なかったが、魔導回廊の中での口数は多かった。
どうやら配送用のミスリルゴーレムが、また事故を起こしたようだ。
愚痴や小言や陰口の混ざる通報は、溢れるように増え続けていたが、途端にその通報は全て消去され、現場に倒れていたはずの小さな魔力も消えてしまった。
新しい情報も一切上がらない。ジルは現場に駆け足で急ぐ。
魔導回廊への通報は、通報者自身でないと取り下げられない。一斉に皆が黙るのは、魔導回廊の中の貴族用の専用回路を使って、連中が口裏を合わせている事が殆どだった。
ジルが現場に到着すると、激突によって故障したミスリルゴーレムが転がっているだけだった。
広範囲に浄化系の魔法がかけられているように"綺麗すぎる"現場だったが、その反応も履歴も魔道回廊には残っていなかった。
複数の精霊魔法を同時に"中和しながら"使い、魔導回廊に履歴を残さずに魔法を使う才能がある魔導士なんて、王都に一人しかいない。
8年も経つと、ジルにも首を突っ込める場所と、突っ込めない場所の区別が付くようになっていたが、それを諦めるような分別はついていなかった。
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『残した仕事は片付けてやったから、一杯付き合いなさい』
夕方過ぎに、付与魔術師の先輩だったティトから届いた通知を、シジフォスは断る事が出来ず、引っ越すかも知れない新居の下見も兼ねて、王都西側の飲み屋街に来ていた。
城壁の無くなった王都西側は、制限が取り払われたように発展し、今では大陸の物流の中心になっている。
港や倉庫ではたらく労働者、船乗り、技術者たちが、一日の疲れを癒すために飲み屋街に集まり、東の丘の繫華街とは違う熱気や喧噪をもって賑わっていた。
明日、カヌーと訪れる予定の冒険者ギルドも、この西側にあり、冒険者として生きていくなら、王都西側で新しい宿を探すのも良いかも知れない。
待ち合わせた裏路地の屋台で二人が椅子に並ぶと、ティトは屋台の店主の魔力証にたっぷりと魔力を払い、貸し切りにしてもらった。
何度か二人で飲みに来ている屋台だ。時折、盛り場の喧噪の先に、夜間に動く運搬用ゴーレムの尖った足音が聞こえる。
店主は嬉しそうに、いそいそと他の椅子を片付け、ティトとシジフォスから適度な距離を取っていた。
シジフォスは魔力を盛大に使ったティトを見て、今晩は長くなりそうだな…と覚悟をした。
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「私も雷帝ベイトソンのように転生したかったわ!ここよりも程度の低い文明に生まれて、私の付与魔術で世界を作り替えてやるのよ!」
久しぶりに顔を合わせた当初は、ティトが思ったよりも萎らしくしていて、シジフォスは少し驚いたが、お酒が入ると順調に荒れ始め、雷帝にたいして結構失礼な事を言っている。
でもシジフォスは自分の投げ出した仕事の話で愚痴られる事を覚悟していたので、この流れならまだ気が楽だった。
「ちょっとぉシジ君、話聞いてる?」
「ちゃんと聞いてますよ」
「そんな安っぽい外套なんか着ちゃって…自分で作ればいいじゃない?」
「ティトさん、新人が着る物は相場が決まってるんですよ。これでも駆け出しの冒険者が着るには上等な物なんです。」
お酒が回ったティトが、シジフォスの外套にお酒をかけ、瞬間的にシジフォスが浄化の付与魔法を使うのを見ている。
防水の機能もない事を揶揄しているつもりなのだ。
シジフォスも店主も酔ったティトには慣れていた。
付与魔術師が手元のお酒を自分の好みに変えてしまう事を屋台の店主も解っていたので、最初から一番安い酒を注いでいた。
「それでシジ君は、これからどうするのよ?」
付与魔法が光り、ティトの着ている服のエリがするすると伸び首元を隠す。…少し寒くなってきたのだろう。
ティトの着ている服は、元々はミスリルの鎖帷子だったものだ。さんざん形や色を変えて、今は薄い布のようになり、チュニックのように見せかけている。
今日の袖は肘が隠れるくらいの七分丈になっていた。
日によって、チュニックの下のティトの胸の大きさも、大きくなったり小さくなったりもしていた。
酔ってはいるが眠そうではない事を確認すると、シジフォスはティトに微笑みながら答える。
「やっぱりシーフになる事にしました。明日冒険者ギルドに登録に行きますよ。」
悩むシジフォスの背中を押してくれたのはティトだ。上司のマルフェオは最後まで渋っていた。
また付与魔術が光り、ティトの髪留めの形が変わって、白銀に近い金色の髪がハラりと流れる。
そして首をかしげて、右手で頭の左側ををボリボリとかきながら、ティトはシジフォスから目を逸らした…そろそろ帰って風呂にでも入りたいんだろう。
「シジ君に誘われても私は逃げないわよ…」
「ティトさん、さっき別の異世界に逃げたいって言ってませんでしたっけ? 」
右手で肘を付いて、顔を向けたティトの紺色の目がシジフォスを睨む。
ティトが左手に持つグラスのお酒が、ポコっと一度、泡立った。
「そうね。こんな世界を吹っ飛ばすような物を作ってやるわ」
ティトの物騒なぼやきを、少し元気を取り戻したのだと解釈して、シジフォスは一息付いた。
新居への引っ越しは諦めた方が良さそうだ。
今日はティトを家まで送り、辞めた商会の近くの元の安宿に戻るのだ。