68話 道化師
よろしくお願い致します。
仮眠を終えたラトロが、盗賊団の首領として使っていた自室から続く階段を降りて行くと、乞食のような獣人は、地中に空いた大穴の側で剣を振っていた。
遠目に見れば、獣人の太刀筋には何の合理性もない。独学なのだろう。
型落ちしたプレートメイルを下半身だけに身に着け、農具のような剣を適当に振り回す姿は、まるで田舎の祭りで行われる酒の勢いだけの宴会芸のように見える。
だけれど近くに寄って見れば、そんな道化のような形容は当てはまらない。
獣人からは、単純な生き物としての強さが溢れ出ていた。
まるで魔物が武器を扱っているようだ。
これでは、小手先の技術だけに頼る剣士や騎士の方が詐欺師のようにすら思える。
ラトロは、幼い頃に剣を習った墓守り町の衛兵の事を思いだしていた。彼らは必死に技術を磨いていたが、結局、彼らは弱かった。
王墓を守る魔導回廊のゴーレムと比べれば、彼ら衛兵など、それこそ道化師のようだった。
獣人は剣をふるう腕を止め、ラトロの方に視線を向けている。
獣人の目には、ラトロの準備した背負袋や、腰にさした短めの短刀も映っているだろう。
ラトロは荷物の半分を獣人に持たせるつもりでいたが、獣人から溢れる力強さを見て、その考えを改めた。
荷物は全て自分が持とう。左手には自分がランプを持とう。
ラトロの目の前で、獣人は地面を蹴った。すると地面は斜めにえぐれて、原始的な階段のような斜面を作る。
地中に空いた大穴からは、黒い埃のような魔力が空中に舞ったが、その力は弱々しい。
獣人にしても、自分が荷物を持つ気などは、毛頭にも無いようだった。
その振る舞いは、まるで生まれつきに、雑務や兵站などは人に任せ、誰よりも先頭を歩く事が定められているような姿だった。
▼
▼
▼
王都の地下の古びた空間の一区画で、シジフォスは洞窟の床面となる岩盤の上をゴロゴロと物のように転がり、その岩盤の先に開けられた穴から階下へと落下していた。
岩盤の上を転がり目を回していた間は、少しづつ離れていく人間離れした少女の放つ青白い輝きは心地よいリズムで明滅していて、シジフォスは眠気さえ覚えていた。
シジフォスからすれば、子供の頃から周りに流されて生きて来た。
付与魔術師になる事だって、自分の意思で選んだわけではない。
周囲の人間が言うのであれば、それが一番失敗がないだろう...と思っての事だ。
今、こうやって理不尽な力に吹き飛ばされ、進路を変えられたとしても、不自然な事とは感じてはいなかった。
元々、何処へ進むのか?なんてシジフォスには解らない。
だけれど、小さな穴から階下へ向かう空間に投げ出され、柔らかさすら感じるような浮遊感に包まれると、シジフォスの体は、遅れて岩の上を転がった背中の痛みや、少女に蹴られた胸の痛みを自覚した。
痛みは鋭く現実的で、シジフォスの眠気を吹き飛ばし、眠気以上にシジフォスの判断力を奪っていった。
そんなシジフォスには、落下に備える余裕は無かったし、余裕があったとしても、対処出来る手段は殆ど何も無かっただろう。
シジフォスは、不意に自らの体が海水に覆われた時、何が起きたか?を理解出来なかった。
大きな衝撃音は一瞬遅れて響いたように感じたが、その音はシジフォスの体が水面に叩きつけられた音で間違いがない。
シジフォスにして見れば、この期に及んでも、まだ現実感が薄いままだった。文字通りに地に足がついていなかった。
だけれど海水を飲み、水底に沒む大岩に頭を打てば、流石に自らが溺れかかっている事を思い知らされる。
シジフォスは今更に必死になって、海面を目指して四肢を動かしたが、真新しい黒い腕は水の中では何の役にも立たない。
そうやって、水中で何度か体が回転している内に、背負っている背嚢のショルダーベルトが千切れる感覚がある。
直後にシジフォスの体は軽くなり、左腕と両足は何とか水を掻き分け、シジフォスの体を水面へと押しあげた。
▼
水面から顔を出してもシジフォスの頭はフラフラとしている。
目を見開くと、黒と灰色で描画されるシジフォスの視覚には、塩味の薄い海水は、明るい灰色として映し出されていた。
それは、暗闇の中を走る兎のような発色で、地中の中をうねる海水が、シジフォスの目には巨大な生き物の死骸のようにも見えた。
そして、明るい灰色の水面に、何かドロリとした黒い液体が混ざっている。
黒い液体は、か弱い生命を持っているかのように、シジフォスの右腕に絡みついて来るように思えた。
右腕が使い難い分、シジフォスは左足で重心を取りながら、右足と左腕で水を掻き分けた。
変則的な立ち泳ぎで長い時間進み、地面へ這い上がれる場所を探していたが、結局はシジフォスの視線が地面を見つけるより先に、シジフォスの左足が水底の岩に触れた。
水面は水平だったので気が付かなかったが、海水を蓄えた地下の空間は、緩やかな傾斜の登り坂になっていたようで、海水から這い出たシジフォスは、滑りやすい岩盤の坂道をゆっくりと登り、そして、その傾斜の先に寝転んだ。
海水から岩盤に上がり改めて横になると、体中の擦り傷に海水が滲みていて、シジフォスは忘れていた痛みを自覚する。
その擦り傷を作った上階のザラザラした岩盤に比べると、今寝転ぶ岩盤は、まるで薬品で溶かしたように滑らかだった。
青白く光る少女に蹴り飛ばされた胸の痛みは、もう収まっている。
シジフォスは着ている衣類を脱いで、黒い右腕で堤み込み、そこから水分や塩分を分離させようと考えていた。
そして、その塩分の除かれた水で体を洗いたかった。
だけれど、右肘から先には、ようやく慣れてきた右腕がない。
そこからは細い紐のようなものが伸び、それは真っ黒い小さな子犬のお尻の先に繋がっていた。
小さな子犬は、自分の尻尾に繋がるシジフォスの方に振り返る。
子犬の体や、耳や両目、鼻先までは真っ黒だったが、口元だけは暗闇に生きる兎のような、また先程まで溺れていた海水のような明るい灰色をしていた。
明るい灰色の口元は人間のように歪み、そこからは言葉が零れる。
「なぁ盗賊、ここから抜け出す手段があるはずだ。」
「こんな混乱ばかりじゃ、まともに休めやしないぜ。」
▼
▼
▼
夫とはいつも魔導回廊で繋がっていたし、夫の事は何でも知っていた。自分の事は、今だって全部丸出しのつもり。でも、もう夫には伝わらない。
あの光の塔も解らない。夫や国が大切にしている物…でも自分には解らないし関係なんてなかった。
塔の光が鈍くなる時、夫は早く帰って来た。そして放映の魔道具で遊ばせてくれた…
でも、キャトスの目に入るのは、光を失った光の塔。塔は以前よりも小さく縮んだように見える。
あそこにまだ夫は居るのだろうか?
夫はずっとあの塔に居て、王都の事を見張っていた。
でも今は、見張り塔には誰も居ないような気がする。
何となくそんな気がする。
今回の事はキャトスは何も知らない。
あの大きな黒い両足の事も、止まってしまった魔導回廊の事も。
あの黒い両足をぶった斬って、グチャグチャにして、直ぐに片付けてしまえば良かったのだ。
キャトスは改めて背中の剣に触れ、真新しいローブを羽織り直してみたが、体の中で滾る悔しさは晴れてはくれない。
もういくら待っても夫からの指示はないし、後からキャトスが間違った事をしても、夫が止めてくれる事もない。
キャトスは荷物として押し付けられた剣士の事は見下していたし、剣士を連れて行った先の騎士の事も見下していた。
剣士も騎士も、キャトスには何の手応えもない。
キャトスは王の妹で、全ての人が傅いてくれた。
だけれどキャトスにとって頼りになるのは、結局は夫だけだった。
王都の大通りの先には、遠くに斜めに傾いた可哀想な南軍の塔が見える。
南軍の塔は今にも倒れてしまいそうだ。
王都の朝の時間は止まっているようだった。
黒い両足が壊してしまった東の丘は跡形もなくて、剥き出しの太陽はいつもよりも遅く動いているように見える。
すると唐突に、大通り西側の貴族街から、弱い血の匂いがした。
キャトスは夜目は利くが、明るい場所で細かく目端が利く方ではない。
それでも、貴族街に居座っている不吉な黒い影を見逃す事はなかった。
キャトスの体は考えるよりも速く動いていた。
キャトスは音もなく貴族街のバルコニーの欄干に飛び乗ると、しなやかに体を反らし、そのまま前転しながら屋根の上に飛んだ。
背中に背負われた巨大な両手剣はまるで重さが無いようで、キャトスの軽業の邪魔はしない。
貴族街に身を潜める臆病な貴族たちが並ぶ窓を飛び越えると、キャトスの両手剣は、斬るべき相手へ迫っていた。
それは奇妙な格好をした老人で、血まみれになった犬の骨をしゃぶっていた。
キャトスには、その心の余裕を無くした貴族の老人が、廃業した道化師のように見えていた。
病気が再発しました。
5月半ばからまた入院。のんびり治します。
内容を大幅に割愛して、とりあえず完結を目指します。
タイトルもシンプルなものに戻す予定です。




