66話 痴話喧嘩
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朝の冷ややかな空気に満たされた王城の中庭からは、避難民たちの醸し出していた緩慢さは消えていた。
冷ややかな朝の空気に引き締められた中庭の中央には、その広さを持て余すように、意識を失った1人の冒険者が寝かされている。
中庭の壁沿いでは2人の役人が立ち話を続け、その側では、具足を外し素足を投げ出したドワーフが腰を降ろし、肩や背中からは湯気を燻らせ熱い体温を撒き散らしていた。
ドワーフは地面に向けて、昨夜の深酒と、その後の過労に、1人愚痴にもならない溜息を零しているようにも見えたが、それでも側に立つ2人の役人の話には、それとなく耳を傾けているようで、時折、何某かを考えるように眉根に深いシワを寄せている。
ドワーフの耳にも、王都の地下水道が止まってしまったらしい事や、王城の貯蔵塔の扉が開かない事が聞こえていた。
役人2人の話から察するに、どうやら断水前に井戸に溜まっている水が王都の各所にあるようで、それらをかき集めれば、地下水道の問題は対処の時間が稼げるようだ。
人手でこそ取られるだろうが、数日の間は危機を回避する事も出来るのだろう。
ただ、問題を起こした地下水道へは、内務卿自らが乗り込んでいるのか、いないのか…。
その不在の上司の件を話す前後で、オフィリアと名乗った女性役人の金切り声は最高潮に達し、寝不足のドワーフの石頭では、もう付き合い続ける事は叶わない。
さりとて、朝の清々しさにさらけ出した素足は心地よく、今更に汗塗れの革製の具足に足を通し、再び腰を上げるのは気が滅入る。
所在をなくしたドワーフが、その目を泳がせれば、視界の端では、髪の短い少女が、うつらうつらと壁に持たれかかりながら、眠りの淵を行き来していた。
ドワーフは、手持ちぶたさの左手から地面に魔力を流しこむと、少女の足元の地面を抉り、彼女が地中に滑り込むような緩やかな滑り台をその地面に掘り込んだ。
二日酔いのドワーフの酔狂は、土の精霊のウケも良かったようで、滑らかな曲面を少女の体はツルリと滑り、その体は声もなく、地面に掘られたハンモック擬きの彫刻の中に包まれる。
自分と土の精霊の手際の良さを鼻にかけるように、ドワーフは笑みを堪えながら2人の役人の顔を見上げたが、彼ら二人は少女の滑らかな眠りへの沈没には気が付かなかったようで、まるで夫婦喧嘩のような遠慮のない、そして他愛のない言い合いを続けていた。
そんな折、兵士たちが集まる王城の前庭から歓声が上がる。
徹夜に疲れたドワーフの頭は、よもや敵襲か?とも穿ってみたが、彼ら兵士の声音は快活さに溢れていて、ドワーフ自身もソワソワと、その歓声に迎えられた者に気も惹かれる。
冷たく引き締まった王城の中庭の空気は、突然の明るい喝采に煽られて妙に浮足立ち、怒気を放っていた役人オフィリアも、毒気を抜かれたような呆けた顔で、外から響く兵士たちの温かな声の重なりに耳を奪われている。
そして王城の中庭の、空気が変わるその境目に滑り込むように、中庭から2階の執務室へ続く扉の一つが開き、そこから全く官服の似合わない野暮ったい男が現れた。
男の官服の前ボタンは全て開かれ、その下には麻で作られたような汗じみの目立つチュニックを着ている。
官服の長袖は太い腕に合わせて、ゆったりとした七分丈になっていたが、それでも男の盛り上がる肩の筋肉を隠せてはいない。
太い腕には、雑に作られたミスリル製の籠が抱えられていたが、それはドワーフの目には、森に仕掛けられる狩猟用の罠のようにも見えた。
そして、そんなミスリルの籠の中には、一目で焼き立てと分かる、艷やかなパンが収まっていた。
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軍務卿シャルル・モーリスは馬を見つめていた。彼女は馬が好きだった。馬は複雑ではない。でも人間は違う。
モナクスと朝から喧嘩になったのは、彼が僧兵長だったからではない。シャルルの男だからだ。彼は年甲斐もなく、王都に帰ると言ったシャルルに拗ねている。
それも可愛い所なのかも知れないが、あの巨体では流石に似合わない。
シャルル・モーリスは決断が得意だった。
でも僧兵長モナクスは違う。それは今に始まった事でもない。だから彼はダラダラとシャルルに付き従い続けて、今に至る。
彼の優柔不断さは死ぬまで変わらないだろう。
この牧草地はとても大きい。喧嘩をした大人2人が距離を置き、頭を冷せる程度には大きい。
だけれど王都はもっと大きい。そしてそこでは大切な恋人と魔導回廊が失われている。
シャルルはそのウッドエルフの恋人と、断絶してしまった魔導回廊を見つけなければならなかった。
「ならば、お前はここに残るか?」とシャルルがモナクスに告げれば、長引きそうだった痴話喧嘩は一度途切れ、モナクスは砦の地下に去ってしまった。
2人が袂を分かつ事が現実的ではない事は、シャルルもモナクスも解っている。
シャルルが寺院を離れても、モナクスが付き従うからこそ彼女は最後の巫女であり、この牧草地も宗教施設として扱われる。
宗教施設から魔導回廊に取られる税はなく、軍務卿でありながら最後の巫女であればこそ、彼女はこの牧草地を維持できた。
そして、王都の南東にある古い寺院に戻った所で、モナクスには、もう居場所などないのだ。
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シャルルは厩舎へ向かうと、ここ数年で、痩せた僧侶から逞しい馬丁に姿を変えた自身の部下たちに告げた。
「半数程の馬を王都へ持っていく。支度を急げ。」
法衣から汗染みの目立つチュニックと皮エプロンに変わっても、祝詞を唱えていた細い首が、日々の労働で太い筋肉や脂肪に包まれても、彼らの中身は僧侶のままから変わりがない。
巫女であるシャルルの命令は直ぐに高僧が汲み取り、高僧が段取りを進めれば、それを追い越すように準備が進む。
シャルルに従う者、牧草地に残る者は、僧侶だった頃の階位よって自動的に振り分けられ、まるで坂から転がるように、あっという間に旅支度は終わる。
留守はもう一人の恋人である宮廷料理人に任せ、シャルルはドレスを脱ぐと、ミスリルの鎧とローブに身を包んだ。
そして牧草地から、馬と人を繋ぐリードロープが、蜘蛛の巣のように張り巡らされた一団が王都に向けて出発する頃には、その殿には、大盾とポール・ハンマーを背にするモナクスの姿もある。
シャルル・モーリスは決断が得意だった。
でも僧兵長モナクスは違う。だから彼はこれからもダラダラと、軍務卿シャルル・モーリスに付き従い続けるのだ。
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「なんだか外が賑やかそうだな」
男は初対面の者が居ても勝手に口を開き、その場の空気を読む事もなく、ズケズケと割り込んできた。
そして痴話喧嘩の腰を折るように、その田舎臭い男が大股で王城の中庭を横断して来れば、彼の着ていた官服はバタバタとはだけて、彼が腰に巻く革製の実用的な収納袋が目に映る。
そんな物をあちこちにぶら下げているから、官服のシルエットは崩れ、野暮ったい見た目となるのだが、当の本人はそんな事には関心も無いのだろう。
途中、傷ついた冒険者が寝かされる寝台の脇を通ったが、おそらく怪我人に気が付いてもいない。
あっという間に王都の役人クーリエのそばにやって来ると、その籠からパンを取り出し、クーリエに押し付ける。
そして、次のパンに手を取り、オフィリアを見止めると直ぐに目を逸らし、小さなパンをもう一つクーリエに渡した。
そして、そそくさとドワーフの前にしゃがみこむと、大きなパンを渡し笑いかける。
「旨いですよ。」
そして背伸びをし、地面の窪みの中で眠る少女を見つけると、皮の腰袋から出した布切れでパンを包み、眠る少女の手元に置いた。
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王都の役人オフィリアは突然現れた子汚い男が官服を羽織っている事に驚いた。
オフィリアは王都の役人として、自らを包む官服に誇りを持っていたし、王城に居ながら自身が未だに私服のままな事に落ち着かない。
そして、男が薄汚れた布で少女のパンを包む光景に眉をひそめた。
オフィリアは、自身の婚約者クーリエに振り返り、小さな声で呟く。
「…何なのアレ...今の王城は馬丁も足りないの?」
クーリエは小さなパンに浄化の魔法をかけると、それをオフィリアに手渡しながら話を続けた。
「あれだけの魔力を持った馬丁が居れば、それこそ王都にはミスリルの馬が走り回るね。」
「彼は付与魔術師のアービット。…でも確かに馬術も馬の世話も上手いね。」
気が付くと、付与魔術師のアービットはクーリエに向けて手を振りながら、王城の中庭から、前庭の方へ歩き去ってしまった。
オフィリアは恐る恐る、手にしたパンの匂いを嗅いでみる。
それは野菜を煮詰めたソースが焦げたような香りがして、一息に口にしてみれば、確りとした歯ごたえも束の間、生菓子のように、あっという間に口の中に溶けてしまっていた。
誤字脱字の修正、ルビ降り等は追々。
年末は時間ないですね。65話も修正入れます。




