62話 代わり
よろしくお願いします。
マルフェオは、まだ一介の付与魔術師だった頃から、役所の講堂の地下から広がる公共窟には出入りしていた。
あれから時がたち、今では実質的な内務卿として振る舞ってはいるが、それは宰相からの覚えが目出たく、使われ続けて来たから…という訳でもない。
むしろマルフェオの方が、宰相ラスキンを上手く使えるからこそ、役所の同僚からも貴族からも、王からも民からも、マルフェオは重宝されて来た。そこに結果が伴うのだから、ラスキン自身からも信頼を寄せられ続けて今に至る。
マルフェオの人の使い方や使われ方は、マルフェオにとっても他者にとっても、実に効率的なものだった。
マルフェオの労働と仕事の区別は明瞭だった。
労働として、他者から労ってもらうために働く事と、仕事として、一つの役割や責任に仕える事は、マルフェオにとっては全く別の事だった。
マルフェオは人を使う事も、使われる事も上手かったが、人を労う事はあっても、誰かから労われるような働き方はしなかった。
労われるような事になりそうな場所や時間は、常に巧妙に避けていた。
そこに労いを受けるに値する作業が生まれそうなら、誰よりも速く身を引き、そして誰よりも速く"その作業をどう労うべきか?"を考えていた。
そんなマルフェオの事を、姑息で腹黒い奴だと罵る者も多かった。
王都の中で、マルフェオの内務卿代理という肩書は浮いていたが、それでもマルフェオは、役人や付与魔術師に対しても、貴族や宰相に対しても、冒険者や偏屈者に対しても、常に皆の作業を作り、そして身を引き、その働きを労った。
正式な役職を持たないマルフェオは、王城の階級社会の外に居た。
だから、どんな高度な頭脳労働でも魔法労働でも、そして些末な雑事や汚れ仕事でも、全て同列に扱っていた。
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上級冒険者アリッサは、公共窟へ向かう一団の最後尾を歩いていた。
アリッサの視界の中で、一団の最前列を進むマルフェオとファリナムは、今後予想される貴族からの横槍と、それに対する根回しの段取りを話しあっていた。語り口は貴族らしく小声だったが、その回りくどい言い回しまで、アリッサの耳は拾う事が出来ていた。
するとマルフェオは少し歩を緩め、ゆっくりと後方に下がってくる。
マルフェオは後を歩いていた火の精霊使いを捕まえると、今度は、公共窟の中で有効な魔法の特性について語りあっている。
火の精霊使いはセルペンという名前を持っていた。
話の中で、セルペンは表情も崩していたし、マルフェオとも随分と打ち解けたようだが、その蛇のような眼は鋭さを失ってはいなかった。
そして魔法の話が一段落すると、マルフェオはまた歩を緩め、3列目に歩く流れの鍛冶屋の横を歩き、今度は公共窟のミスリル製の扉や鍵に対してのレクチャーを行う。
流れの鍛冶屋はファビスという名前らしい。
マルフェオがファビスに対して、扉や鍵の損傷の少ない壊し方や、その後処理についての講義を終えると、次はファビスが、王国の辺境に残ると言う、刃を研ぐ”砥石”についての蘊蓄を語っていた。
アリッサにはどうでも良い話だったが、マルフェオはファビスの目を見ながら、その話しを聞いていた。
ファビスの喉が渇くと、マルフェオはまた後方に下がり、アリッサの目の前ではルインに対して、まるでスカウトやシーフに対して行うように、公共窟の構造や地図情報についての話をしていた。
そこでマルフェオは歩く速さを元に戻し、ルインと並んで歩き続けた。
二人は穏やかそうに、表面的な笑顔を作りながら、取って付けたように獣肉の塩漬けの話を続けている。
アリッサにはマルフェオが何を考えているのか?は解らなかったが、ルインの緊張感は伝わって来る。
結局、マルフェオはアリッサの隣にはやって来なかった。
アリッサは妙な疎外感を感じながら、公共窟に到着するまで、マルフェオの背中を見ながら歩く事になった。
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役所に到着すると、講堂へ入る扉の鍵は空いていた。マルフェオは先頭に立ち、講堂の内部を一直線に進む。
そして、公共窟へ進むための扉の鍵を開くのではなく、その手前にある長机に付与魔術をかけ、そのミスリルから5人分の寝具を一瞬で製作した。
まずは仮眠を取り、体調を整えてからの出発という事だろう。
そしてマルフェオは一人一人の顔を眺めて口を開いた。
「では、私は王城に戻り、付与魔術の仕事を進めます。」
その言葉に誰も異論はない。皆が興味を持っているのは、マルフェオが制作すると言う、魔導回廊の代わりになりえる魔導具だ。
そしてマルフェオは振り返ると、真っ直ぐにアリッサの顔を見た。
「何かあれば王城に連絡をお願いします。私か部下のクーリエが必ず対応出来るはずです。」
アリッサの目を見ながらそう言うと、マルフェオは自信の羽織っていたローブを脱ぎ、魔法で浄化し、丈を直し、それをアリッサに手渡した。
アリッサは初めてマルフェオ・レビリタスという貴族と正面から向かいあった気がしていた。
これまでのマルフェオは常に誰かの側に立ち、アリッサの視界の端にいた。
冒険者ギルド長の側に立ち、宰相ラスキンの側にたち、自分のパーティーメンバーであるはずのセルジュの側に立ち、アリッサの視線からは逸れていた。
そしてアリッサは気が付いた。
マルフェオは今、自分の側に立っているのだ。
自分をセルジュやラスキンやギルド長の代わりに使い、そして、マルフェオは皆の視界の端に居るのだ。
そしてマルフェをがその場を去ると、皆とアリッサの間には一線が引かれ、皆の注目がアリッサに集まっている。
アリッサは頭を整理し姿勢を正した。アリッサの頭には、道中にマルフェオがそれぞれに語っていた内容の全てが入っている。
そもそも、自分以上にダンジョン攻略の経験を持っている人間は、この場には居ないだろう。
アリッサは背筋を伸ばすと、ゆっくりと口を開いた。
「先にルインとファビスさん、ファリナム様の三人で眠って下さい。私とセルペンさんで役所の一階の哨戒を済ませます。
次に私とセルペンさんが眠る間であれば、3人には公共窟の攻略のための、魔導具の編成を考える時間もあるでしょう。」
アリッサが簡単に段取りを付け、語り終えると、4人の男はそれに黙々と従う事になった。
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その騎士は、北軍士長ジェリマリガンの代わりに、王都の様子を北の補給拠点へ伝えるはずだったのに、
今では王都の貴族、バイロン・モーリスに代わるように、その邸宅の守りを固めていた。
だけれど、本人にその自覚はない。
既に、長い間仕え、苦楽を共にして来たジェリマリガンの名前も、自分の首を跳ね飛ばしたバイロン・モーリスの名前も覚えてはいない。
なにしろ騎士には首も頭も脳もないのだ。
騎士の首の断面には、ミスリルで封がされていて、その体の中には騎士の体液と混ざり合い、ドロドロに緩められた銀色の魔素で満たされていた。
騎士は朝日の光を嫌い、モーリス邸の門の影に膝をつき、身を潜めていた。
首を失っても、体に染みついた習慣は残り、右足を後ろに引き、左肩のガントレットで体の急所を覆っている。
もう首も頭も無いのだが、ガントレットの手甲は顔のあった位置を守っていた。
騎士の右腕は、既に剣を抜いていたが、日の光を反射しないよう背中側に隠している。
騎士の体に残った脊髄にはゾワゾワと、自身が間違った事を、誤った事をしているという悪寒が走り続けている。
だけれど首を失った騎士には、そこで自省する能力は残ってはいなかった。
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内務卿の執務室は王城2階の端にあり、王城が朝日に照らされても、その温もりが伝わるのは、いつも最後になった。
ティトは冷え切ったマルフェオの執務室の机に座り、結局、マルフェオが抱えこんでいた作業をこなしていた。
魔導回廊の代わりになり得る魔道具の研究どころではない。付与魔術師として緊急に求められる魔導具の製造や微調整が山盛りだった。
魔導回廊が止まった事で、貯蔵塔の扉の鍵を含めて、様々な魔導具が動かない。
生活…というよりも、生死に関わる問題が解決を求めて連なっていた。
夜明け前の冷たい空気の中、ティトは簡単な問題から片付けて行った。
予備のミスリルインゴットが底を付いた…という話と、広間に置かれたミスリルゴーレムが邪魔で避難民の生活スペースが足りない…という話は、ミスリルゴーレムをスクラップに戻す事で一気に解決した。
ティトの勝手な決定だったが、誰も反対はしなかった。
同僚の付与魔術師にしても、決めてくれる人を待っていた。
水道が使えなくなった事は重大な話だったが、これはマルフェオを捕まえてからの話だろう。
換気扇の魔導具が止まり、下水の匂いが兵士たちの詰め所にまで上がって来る問題に関しては、ミスリルで密閉し、別の通風孔を設ければ何とかなりそうだ...
そうやって一つ一つの雑務をこなしていく途中で、ティトの苦手な年上の後輩…付与魔術師らしからぬ太い腕を持った男、アービットがやって来た。
アービットからは、パン屋の設備を作ったのだが報告書は必要だろうか?との相談を受ける。
そんなものは必要ないとティトが諭すと、男は脱力しながら頷き、ティトの分のパンを置いて出て行った。
冷たい内務卿の執務室の机の上で、そのパンは白い湯気を立てていた。
大きさは小ぶりで堅そうだったが、ティトが歯を立てると、パンの外皮は焼き菓子のように脆く、内層は甘く瑞々しかった。
パンを一息に食べてしまって、ティトは改めて自分が昨日から殆ど何も食べてなかった事に気が付いた。
執務室の窓には古い羊皮紙がミスリルのクリップで張られていて、その背後からの日の光が透けて見えている。
ティトはようやく落ち着いた胃袋を抱えて、その羊皮紙の文字を追ってみるが、内容はティトの嫌いな政治的な話だった。
羊皮紙越しのほんのりとした日の光と、その文章のあまりの退屈さに、ティトは強い眠気に襲われた。
執務室の椅子は柔らかかったが、ベッドの代わりにはなりそうもない。
ティトは自分が片付けた執務室の机に付与魔法をかけると、それを自分の宿のベットそっくりの形に変え、その柔らかい寝具の中に潜り込んだ。
瞼を閉じるティトに、ふとシジフォスの安否が頭を過る。だけれど、そんな事を考えていては、眠れなくなるのは解っていた。
通風孔やベッドの代わりは見つかっても、シジフォスの代わりは見つからない。
執務室の床には、ベッドに姿を変えた机の引き出しに入っていた古い文具やら印鑑やら書類やらが散らばり、元々床に散らばっていた書類や印章やら謎の道具と混ざって行く。
そして微睡むティトの中で、疲れと無力感が、苛立ちと不安を覆い尽くした。




