60話 朝焼け
よろしくお願いします。
朝焼けの中を歩くドワーフなど、得てして全身から蒸留酒の匂いを撒き散らしているものだ。
夜明け近くの王都に限らず、大陸中のあちこちの繁華街や飲み屋街で、ドワーフたちは、まるでアルコールを蒸留し続けるボイラーのように、一晩かけて温めた身体から強い酒の匂いを放ち続けているだろう。
だけれど、そのドワーフからは酒の匂いは微塵もしない。
朝焼けの中、全身を包む金属鎧の隙間からは、汗が滴り落ちるままになっている。
左肩には若い冒険者を担ぎ、右手には抜き身の剣を逆手に持ち、後には二人の女性を連れて、壮年のドワーフにしては珍しく息を切らせながら慎重に歩みを進めている。
そうやって、王都の南の平原を渡って来たドワーフには、土の精霊を通して、周囲を歩く人や魔物、そして周囲を汚染していくようなトラブルを事前に知る事が出来ていた。
土の精霊魔法には、空を飛ぶ魔物には対処する術は無かったが、鳥類の魔物は夜目が利く種は少ない。また、仮に夜目の利く空中の魔物が現れても、ドワーフの知る限り、その手の魔物は猫のように両目が光る。
ドワーフは、自分が周囲に注意を払い続けている限りは、夜間に襲われる事はまずないだろうと踏んでいたし、実際に魔物を避けて進む事が出来た。
ドワーフは一人を担ぎ二人を連れて、夜の平原を蛇行しながら進んで来た。
数日前の大雨が作った泥濘の位置も、土の精霊が教えてくれた。
魔物を避け、泥濘を避け、そして土の精霊が怯える不可思議な大穴を避けながら、ドワーフとその一行は一晩かけて王都に辿り着いた。
若い冒険者を担いだドワーフは、王都の港側の大小の橋を渡り、黒ずんだカフェと潰れてしまった冒険者ギルドの前を抜けて、そこからスラム街に近い細い裏道に入り北上すると、二人の女性と一人の怪我人を王城へと送り届けた。
ドワーフが肩に担いだ冒険者を王城の中庭に下ろした頃には、既に朝日は登り、王城は慌ただしく動き始めていた。
▼
▼
▼
ドワーフという種族は、大陸で最強の種族である訳でも無い。生死を分ける戦闘で、ドワーフよりも強力な種族は、どの地方にも、いくらでも生息している。
だけれど、こと喧嘩に関して言えば、ドワーフよりもタチの悪い種族はいなかった。
腕力が強い事はもちろん、精神力も強く、酒にも強く、なによりもその性格は粘着質で頑固だった。
彼らは頭の回転も速く、同じ話題に延々と執着し続け、低く滑舌の良い声色で容赦ない文句を喚き散らす。
そのくせ心の芯は冷静で、些細な事でも見逃さずに、相手の揚げ足を取り、言葉尻を嘲笑する。
おまけに、ドワーフは団結力がとても強かった。
一人のドワーフとトラブルを起こせば、数十人の面倒なドワーフに絡まれる事になる。
誰にとっても、ドワーフほど、敵に回してやっかいな種族はいなかった。
だけれど、もしも味方に出来れば、彼らほど頼りになる者もいない。
ドワーフという種族は、大陸で最強の種族である訳ではない。
それでも、その性格は頑固で粘着質で、ドワーフは一度誓った約束をいつまでも忘れず、それを必ず守り通した。
▼
▼
▼
ついさっきまで、王城の中庭にあった余白としての機能美の上には、黒い両足から逃げてきた王都の民の生活が敷き詰められていた。
生きていく糧を見失った王都の民が、ぶつかり合い、いがみ合い、泣きわめき、そして眠っていた。
一部の老人はブツブツと独り言を語り続けていたが、彼らにしても、夢の続きを見ているようなものだった。
ところが、朝の王城にパンの焼き上がる香りが広がると、先ほどまでは野戦病院のようだった中庭から、病人のようだった避難民たちは立ち上がり、王城の裏庭に集まって行った。
彼らが立ち上がる動作は動物のようだったが、中庭を整然と出て行く横顔は、人間らしいものだった。
王都の役人クーリエは、中庭を囲う回廊の端で、乱れた官服もそのままに、裾を肘までまくり作業に没頭していたが、
さすがにパンの香りと、そこに群がる避難民の波を前にしては、その手を止めてしまっていた。
役人クーリエがリストを作っていたのは、王都前の大通りから中庭に繋がる通用路の脇に積み上げられていた物資だった。
通用路とは言っても、回廊の2階をくぐるような形になっていて、馬車がすれ違える程の広さもある。
その通用路の壁に寄せるように、馬車の荷車ごと、3台分もの物資が放置されていた。
置いて行ったのは港の自警団の連中で、彼らは荷車を引いて来た馬に乗って帰って行った。
全ての資材には覆いがされていて、帆布で作られたその覆いには、テネブリス家の家紋が押されている。
覆いの中には、陶器で出来た食器や寝具といった他国から輸入された生活物資が満載されていた。
港の規模を考えれば、まだ相当な量があるはずだ。これなら食器などに使っているミスリルを他の用途にも回せる。
上役にその判断を仰ぐためのリストアップに一晩かかってしまったが、ミスリルが貴重になった今、その用途は、より慎重に選び、賢く絞って行かなければならない。
クーリエはリストアップが終わった荷車に背を預けながら、余白として大切な機能をはたしていた王城の中庭が、ようやく本来の姿を取り戻した事に安堵していた。
そして中庭を眺めながら、今、避難民が居ない間に、彼らが避難する場所を変えてしまう必要を感じていた。
クーリエの頭に過っているのは王都の北、役所の裏手にある安宿だ。過去に下級役人向けの宿舎として使われていたが、今は空き家だらけだとも聞く。
平時であれば、避難民には安宿に移動してもらえれば、それで何の問題もない。中庭でテントで眠るよりは、よほど環境も良い…不満も出ないだろう。
ただ、”危機の際に王城が王都の民を守る”というのは、カーディナル王の頃からの約定なのだ。
クーリエが王都の伝統や政治、王と民の約束…といった、ややこしい問題の前で悶々としていると、朝焼けに照らされた王都の中庭に新たな問題がやって来る。
それは怪我人を抱え、汗だくになったドワーフの男と、髪の短い小柄な少女。そして田舎に引っ込んでいたはずの自身の婚約者の姿だった。
▼
▼
▼
銃騎隊は風のように夜の帳の中を走り、平原を真っ直ぐ駆け抜けるつもりだった。
風の精霊は魔物の息吹を事前に教えてくれはしたし、そこいらの魔物なら、ヴィカリーの率いる銃騎隊の前には何の障害にもならない。
だけど、風の精霊は、平原に残る大雨の後の泥濘の事は教えてはくれなかった。
数日前の大雨で、平原には広くタチの悪い大きな泥濘が出来ていた。
配下の使う魔法で夜の泥濘が照らし出されると、ヴィカリーの眼前には、自分たちが踏み込んでしまった泥濘が、出来損ないの湖のように広がっていた。
人が跨った重い騎馬の脚は泥濘みに沈んでしまい、ヴィカリーと銃騎隊は馬を下りて騙し騙し泥濘みの上を進む。
だけど、ヴィカリーには、もうこれ以上進路を迂回する時間はない。
ヴィカリーは焦っていた。自分が率いる銃騎兵の速さであれば、多少の遠回りを行っても、南の騎士団が全滅したという”大穴”の偵察も済ませてしまえるはずだった。
元々魔導回廊を通して知った時から興味を抱いてはいたが、港の自警団から港に空いた大穴を見せてもらった事で、ヴィカリーの興味は信念に変わっていた。あんなものは放っては置けない。
ヴィカリーは、王都の騎兵の中で、最も軽装で速度のある自身の隊を誇っていた。
近接戦で重宝される盾や重い全身鎧などは必要ない。ヴィカリーの自作のミスリル鎧は、戦闘で傷を付けられる事など、何も考えられてはいなかった。
ヴィカリーの隊は風の精霊の力で相手の位置を正確につかみ、無音で高速で移動し、王都で最も銃身の長い銃で長距離から狙撃をする。
野戦であれば、どんな相手であっても引けを取る事は無い。平原であれば自分たちは無敵のはずだった。
だけれど、王都南の平原は、ヴィカリーが魔導回廊を通して知っていた姿とは、まるで違うものだった。
東の空から登る朝焼けが、泥だらけになった銃騎隊の姿を照らす。前を進む配下の馬の脚から泥が跳ね、ヴィカリーの鎧に飛び散る。
ヴィカリーの疲れた顔が、配下の銃騎隊の騎士の目にも映る。
それでもヴィカリーは真っ直ぐ進むしかなかった。もう引き返す事も出来ない。
あの混乱した魔導回廊の中で、南の騎士団が全滅した位置は、断片的な情報でしか掴んでいない。おおよその位置しか解らない。
そして魔導回廊のなくなったこの世界では、ヴィカリーは王都周辺の地図を参照し直す事も出来ない。
ヴィカリーの視線の先には小高い丘が見える。あそこまで辿り着けば、少しは視界も広がるだろう。
そろそろ馬へ飼い葉も与える必要もある。予定は変わってしまった。野営も必要だろう。
それでも、止まりながらであったとしても、ヴィカリーには真っ直ぐ進む事しか出来なかった。
南の平原の中を徒歩で進む銃騎隊の重い足取りを、朝焼けはジリジリと照らし続けていた。




