59話 夜営
よろしくお願いします。
直立したままの姿勢で夜明けを迎えた騎士は、朝日の下に広がる東の丘陵地帯の全貌に、不思議と親近感のようなものを感じていた。
その光景はどこか、彼ら北軍の要塞都市のある荒野の朝の情景に似ていた。
本来なら、王城の正門から南軍が守る王都南の塔まで続くこの大通りであれば、もっとゆっくりと夜空が白んでいくはずなのだ。
騎士の記憶の中では、小高い東の丘に並ぶ瀟洒な住宅や店舗の隙間から、太陽の光の縁が覗けば、貴族街の白壁や足下に敷き詰められたミスリルは、上品で控えめな、朝の灰色に包まれているはずだった。
騎士の頭には、東の繁華街での夜遊びや、その朝帰りに歩く光景が次々と浮かんでいく。
夏の暑い日でも、この時間帯は、もっと涼やかだったはずだし、雨降りの朝でも、暗がりの中の雨を厳かなものとして感じる事が出来ていた。
いつだって、朝日はもっと遠巻きから、遠慮がちに顔を覗かせていた。
だけれど今、北軍の騎士マルトスの目に映るのは、剥き出しになった太陽と、その光に照らされる地中から突き出たミスリルゴーレムの片足だった。
丘も街も、その間を縫っていた坂道も、全てが大味な瓦礫に均され、そこには気の利いた日影の一つも見当たらない。
唯一ミスリルゴーレムの片足だけが、朝日を照り返して黄色く輝きながら、その長い影を廃材が広がる荒野へと落としている。
それは騎士の目には、荒れ地の砂山にそびえる竜骨のように見えた。
マルトスはこの夜営の間に繰り返し、妻であるリオリタの事を考えていた。
騎士としての生活が堅苦しくて、王都の平民をひっかけたつもりが、恋に落ち、そして妻に迎えれば、リオリタは誰よりも堅苦しい騎士になった。
元々優秀な兵士だったようだが、結婚するまでは、そんな素振りは全く見せてはいなかった。
実戦などからは掛け離れた、訓練だけの生活が続くのであれば、妻が騎士となるのも吝かではない。
だけれど魔物の一撃で妻の肩が貫かれた時、マルトスは我を忘れて狼狽した。
結局、妻は一命を取り留めた。
むしろ、傷痕一つも残らなかった。失った血液が多かった事もあり、大事を取って王城への連絡役に回ったが、妻は後ろに下がる事に不平を漏らしていたぐらいだった。
妻には、自分を癒やすために意識を失ったジルへの責任感もあったのだろう。
確かにあの巫女擬きのジルの回復魔法の効果は異常だった。
それでも、マルトスの心は掻き乱されたままだった。
マルトスは乱れた心は、状況を整理しようと頭を回してはみたが、マルトスの頭の中心は、堅く踏み固まれてしまった土のようで、頭の回転はその周囲を滑り続けているだけだった。
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上役である北軍士長ジェリマリガンとの夜営は、北の荒野で飽きる程に繰り返された訓練の通りに進んだが、騎士マルトスの頭は空回りしたままで、一晩明けても何も考えは進んでいない。
魔導回廊が止まってしまい、騎士団はお互いの連絡手段を失ったが、それでも本来であれば、こんな時にこそ、何時もよりもさらに自身の目や耳を研ぎ澄ませて、この状況を的確に捉えていなければならないはずだ。
だけれど魔導回廊に繋がる事が出来なくなると、マルトスは自分の頭が小さくなってしまったような感覚に陥った。
溶かす事も出来ない頭の芯の堅さはそのままに、狭くなってしまったマルトスの頭は窮屈だった。
そして視界も狭くなり、耳まで遠くなってしまったように感じる。
むしろ以前の自分が、どのように目を光らせ耳を澄ませていたのかも思い出せない。
まるで、情報の出口の無くなってしまったマルトスの頭が、新しい情報が入ってくるのを拒絶しているかのようだ。
例えば、あのミノタウロスの亜種にしてもそうだ。
マルトスの左の肩口は、あの禍々しい尻尾を受け止めた衝撃で痛みを残していたし、心の奥にはまだ微かな震えも残っている。だけど今、足下に血を流し倒れているのは、あの重い一撃を放った魔物ではない。
血抜きも出来ずに放置された、人よりも小さい子牛の死骸だ。
昨夜の戦いにしろ、今朝のこの光景にしろ、
子牛にしろ、妻の重症をあっさりと癒やしてしまった巫女擬きにしろ、
マルトスには全てが腑に落ちない。飲み込む事が出来ていない。
そしてマルトスには、すっかりと景色の変わってしまった王都の路上に、自分の足で立てている感覚がなかった。
マルトスは遠慮なく照りつけられる朝日の中、士長ジェリマリガンの顔を見る。
マルトスの目には、ジェリマリガンが若返っているように見えた。
そして若さと引き換えに余裕を無くしたその横顔は、マルトスの目には、どこか頼りない姿に映っていた。
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王国の南の辺境、戦場ぐらいにしか使い道のない海岸から、森を抜け馬で北に内陸へと進み、
そこからさらに西へ西へと、寒村を眺めながら枯れ木や廃墟を分け入って行けば、背の低い山の裾野には、点々と枯渇した銀鉱山が口を開けている。
農業や工業が魔導回廊の下に巨大な輪となって繋がり、一繋ぎの流通網を作り出すよりもずっと先に、この鉱山は開発されて、そしてあっけなく銀は枯れ、山は打ち捨てられてしまっていた。
銀鉱山の周囲は人気もなく寂れていた。舗道からミスリルを剥ぎ取る貧民も、この鉱山には近づかない。
ここからミスリルを担いで歩いた所で、行き着ける距離にはミスリルを買い取ってくれる街も無い。
遠方にまで運んでみた所で、馬車の飼葉を考えれば、割に合う稼ぎにはならなかった。
銀の価格が高ければこそ、鉱山はこの国の経済の輪の中に、加えてもらう事が出来ていた。
そんな廃鉱山の一角に、小さな老人が住みつき、盗賊団を結成した。
実際には、生きる人から物を盗むのではなく、死人の墓を暴く盗掘団に近かった。
老人はドワーフと人間の混血で、ドワーフのように酒を好んだがドワーフ程には酒に強くはなく、
ドワーフのように喧嘩っ早かったが、ドワーフのように喧嘩に強くはない…薄い髭と細い目をした、偏屈そうな小男だった。
王都の端にあった老人の小さな家には、誰に対しての見栄なのか、常に大きな酒樽が満たされていた。
小さな老人は、人ともドワーフとも馬が合わず、常にトラブルを抱えていたが、獣王ユダプスが戴冠したその年に、ついに貴族と大きな問題を起こし、逃げるように王都を去っていった。
老人は、人からもドワーフからも理解を得られなかったが、それでも、どんなドワーフよりも人間よりも、土の精霊に愛されていた。
この”モグラのラトロ”と呼ばれる老人は、王国中の誰よりも、土の精霊魔法を使いこなしていた。
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モグラのラトロと呼ばれた老人は、土の精霊の力を借りて、まるで地面の底が透けて見えているかのように、何が何処に埋まっているのかを見通す事が出来ていた。
モグラのラトロは地中の魔導回廊の隙間も見透かして、墓守り町の王墓からも、目立たぬように宝を奪った。
名だたる王の遺品やアーティファクトには目もくれず、気まぐれに埋葬されたような小さな魔導具やコインを墓から持ち帰った。
アジトも墓守り町から二日も離れた廃坑を選び、孤児を集めた盗賊団は、堅実に仕事を続けていた。
モグラのラトロが間違えたのは、あの時の一瞬だけだった。
あの時も、モグラのラトロは王墓の全体を見通し、丁寧に土を抉り、押し固め、いつも通りに素早く仕事を片付けていた。
仕事の終盤、盗賊団の半分を退路の見張りに散らした後、突然、ラトロの開けた穴は真っ黒い穴に貫かれるかのように、魔導回廊と繋がってしまった。
そしてあっという間に、モグラのラトロとその盗賊団の半数は、王墓を守る魔導回廊のゴーレムに殺されてしまった。
その縦長の空間は、地面を掘り返した穴ではなく、土を暗闇の中に切り取ってしまったような空間だった。
死んだ仲間も生き残った仲間も、老人が間違がった理由を、理解する事は出来なかった。
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ラトロは、まだ薄暗い朝の木漏れ日の中、馬留に繋がれた馬を銀坑道入り口の裏手にある厩舎へ連れて行った。
腰には既に剣を差していたが、乞食のような獣人は銀鉱山の中に残したままだ。
盗賊団が使っていた厩舎は、本来は鉱山から掘り出した銀を保存し、馬車に積み込むための倉庫だったのだろう。
2頭の馬が使うには、だいぶ贅沢な空間だった。
倉庫の中は、以前と何も変わっていなかった。
余分な広さの中に、余分な飼い葉が雑に積み上げられている。
まるで今にも盗賊団の仲間が、仕事をサボった言い訳を抱えて姿をあらわしそうだ。
倉庫の隅には、まだ盗賊団で使っていた灰壷が残されていた。
もちろん、その灰壷は死者の遺灰を安置するための物だったはずだが、いつからか盗賊団の灰皿代わりに使われ、投げ込まれた短い煙草で溢れていた。
ラトロはその灰壷を眺め、不謹慎で自堕落な盗賊団を振り返る。先代から受け継いだ盗賊団も、結局、壊滅してしまった。
そして盗賊団が壊滅した坑道と、その奥に見つけた理不尽な大穴を思い返した。
あれは、先代と仲間の半分を飲み込んだ、墓守り町の大穴と同じ種類の物に見えた。
それは、まるで地面が黒く溶け落ちてしまったような、夜の沼地のような大穴だった。
だけど石を投げ入れ、恐る恐る手を差し入れてみても、泥の手ごたえなどはなく、冷たい空間が広がっていた。
そんな昨夜、そんな大穴の真横で、乞食のような獣人は何の躊躇もなく眠りについた。
「先に寝る。」
と短く呟いてはいたが、獣人は大穴の縁に体を横たえて、まるでラトロを守ってくれているようだった。
一人夜営を続けている時、ラトロは銀坑道の余所余所しい静けさが不気味だった。
目に映る坑道は見慣れたものなのに、聞こえて来るはずの仲間の喧騒が聞こえない。
ラトロは坑道の土壁に背を預けながら、右手に入口を見張り、左手に横たわる獣人の背中を眺めながら夜を過ごした。
長い時間、眺め続けていても、やはり獣人の背中は”首のない獣”に酷く似ていた。
そしてラトロは、この夜営が一つの境目である事を自覚していた。
ここから先に進めば、自分が抱いている常識は、もう通用しなくなるのだ。
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2頭の馬を厩舎に置いたラトロは、朝露で濡れる下草を踏みつけながら、銀坑道の奥へと帰っていた。
厩舎で見つけた保存食は湿気っていたが、元々湿気っていた物だし、その食感も懐かしい。
ラトロは、これから一眠りした後、獣人と共に大穴の奥に”首のない獣”を追って進むのだ。
左手には、狭い穴の中での戦闘に備えて、厩舎に転がっていた短めの直剣が握られている。
ラトロは帰り際に、朝日に照らされた銀坑道の入り口周辺を、もう一度見て回るが、獣の足跡のようなものは残されていなかった。
ラトロの目は冴え、頭は考えるべき事で一杯だったが、同時に両目は乾き、目の奥には軽い痛みも感じる。
頭は重く、まるで粘り気を持っているようで、思考の順序も混濁していた。
ラトロはまずは体を休め、眠らなくてはならなかった。
ラトロは朝日から逃げるように薄暗い銀坑道の中に戻ると、私室に残していた蒸留酒の事を思い出し、足早に坑道の奥に消えて行った。




