57話 夜明け
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その癖の強い足音に最初に気が付いたのは、大通りでサンドイッチの屋台を営むルインだった。
すっかりと夜はふけているにも関わらず、空掘り街の住人たちの大半は、けたたましい声量の゙まま議論を続けてたが、ルインは小さな変化に気がつく事が出来た。
ルインは雷帝廟の近くで暮らして来たこともあり、階段を上った先に屋敷を持つ下級貴族たちのヒステリーを知っていた。
地位が低く自分に自信のない貴族は、得てして王都の中での役割もなく時間を持て余している。
そんな貴族たちには、些末な事で隣人へ文句を垂れる事ぐらいしか、やる事もない。
雷帝廟のひび割れは重大な問題だとは言え、深夜にこれだけ騒いでいれば、彼ら貴族からの苦情は避けられないだろう。
だからルインは、貴族街へ登るミスリルの門から目を離す事が出来なかった。
そうすると、ルインの視線の先から、騒がしい議論の声に隠れて、妙に癇に障る足音が迫って来る。
空堀りの底から貴族街を見上げるルインには、近づく者の姿は、まだ見えない。
嫌な足音が聞こえて来るにつれ、ルインは煙草の火を消そうかと迷ったが、これから感じるストレスを思えばその手も止まる。
風のない空堀り町の夜空に、ルインの指先から、煙草の煙が細く真っ直ぐに伸びていった。
ルインが現実から目を逸らし、空堀り町の底から星空を見上げれば、仄暗い空は魔道具の明かりを反射する堀の内壁で、長方形に区切られていた。
そして夜空に向けて背筋を伸ばしたルインの足下、その靴を濡らしている泥濘に、ルインの煙草からゆっくりと灰が落ち、泥の中に溶けていった。
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上級冒険者のアリッサは、空堀り町の住人一群の最後尾から、ひび割れた雷帝廟を見ていた。
雷帝廟には、雷帝ベイトソンを敬う気品こそ漂っていたが、盗みを働きたくなるような高級感はまるでない。
適度なバランスと言えば聞こえは良いが、ミスリルに彫り込まれたレリーフからは、製作者の情熱が抜け落ちていた。
アリッサの視界の中では、蛇のような目つきをした火の精霊使いが、漏れ出している水分を炎の魔法で揮発させ、その成分についての持論を述べている。
汗臭い流れの鍛冶屋にいたっては、誰に望まれるわけでもなく、わざわざ北の水堀と雷帝廟の簡単な構造模型をミスリルで作っていた。
他の空堀り町の住人にしても、酒場跡でしていたように、観客となって傍観している訳ではない。
それぞれが思い思いに、自分の知識と経験を、目の前のトラブルに重ね合わせては仮説を立て、その仮説が他者とぶつかれば、なんの遠慮もなく噛み付いていた。
火の精霊使いも流れの鍛冶屋も、そしてその他の住人達も、皆が喜々として魔法を使っていた。もう魔導回廊ごしに監視される事はない。
そして幼馴染のルインだけが静かにその場に佇み、その煙草からは、控えめな細い煙が真っ直ぐに伸びている。
アリッサは魔導具の柔らかい明かりの中で、ルインの手元から夜空に向かう煙を眺めていた。
ルインには、人さらいに関わっているという噂もあったが、アリッサは真に受けてはいなかった。
ルインの指先から細く真っ直ぐに登っていく煙は、以前に潰れかかった寺院で見かけた、辛気臭い蝋燭をアリッサに思い出させる。
香草を混ぜられた、あの蝋燭の輝きは弱く、香りは寺院のカビ臭さを吹き飛ばすには足りなかった。
寺院では、トーマックはいつも以上に不機嫌で、セルジュはいつも通りに無表情だった。
二人の事を考えると、随分と昔の事のように思える。
アリッサはルインの煙草の先の赤い光を見つめていた。その小さな光はだいぶ細長くなって来た所で、二つに分かれ、まだ赤みを残す灰は地面に零れていった。
アリッサは長い時間、固まったままになっていたルインの視差に思い至ると、彼の視線の先の変化にも気が付く。
シーフであるアリッサに聞こえて来る足音は二人分だ。魔導具を使うまでもない。歩き方には明らかな自己主張がある…間違いなく貴族だろう。
それは心地よい足音ではなかったが、アリッサにしてみれば、あの夜、平原の大穴で聞いた黒い獣の足音に比べれば、随分と可愛いらしい物だった。
あの獣の足音は歩くのに不慣れな大きな赤子のようで、二人の仲間を殺した力は理不尽だった。
アリッサは無意識に触れていた”理力の短剣”の柄から手を放すと、貴族街から降りて来る階段から死角となる位置へと音もなく移動する。
そして、誰にも気が付かれずに、さも初めからその場にいたかのように腕を組み、空堀り町の貴族街側の内壁に背中を預けた。
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先に進んでいる上級貴族ファリナム・モーリスの肩越しに、マルフェオにも雷帝廟の前の騒ぎが目に入って来る。
花火のような魔法の炎が燃え、雷帝の廟を模したような供え物を行い、細い煙を炊く一団が見えて来た時、マルフェオには、それが予算の足りない宗教行事のように見えた。
寺院に巣くっていた巫女とその守り手たちが、王国の予算など要らない...と言いだしたのは、まだマルフェオが付与魔術師の商会に入る前の話だ。
その代わりに、巫女とその守り手たちは、税の納付を免除された。当時の王都の民は、それを清貧だとして喝采した。
そして、それを言い出した巫女は、いつの間にかに納税義務のない上級貴族”軍務卿”となっている。
マルフェオは、さも現実逃避の言い訳に出来そうな、喉につっかえる理不尽さを思い出していたし、実際に魔導回廊に繋がる事が出来れば、当時の事を今の権限で調べる事も出来ただろう。
だけど魔導回廊はもう何処にもなく、現実は休む暇もなくマルフェオを擦り減らしていく。
貴族街の門を抜け階段を降りると、足下の感触は、滑るようなミスリルから、魔法で固められたザラリとした土に変わった。
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雷帝廟の前にいた一団との交渉は、結局、殆どをマルフェオが行う事になった。
王城ではあれだけ饒舌だったファリナムは、まるで小さな猫のように大人しくしていたし、目つきの悪い魔法使いは、やたらとマルフェオに絡んできた。
交渉は、目つきの悪い魔法使いが雷帝廟の管理の不備に文句をつけ、付与魔術師崩れに見える自称鍛冶屋の男が役所に対する代案を出して進んで行った。
マルフェオが文句を返したくなる頃合いを見計らって、役所の前で屋台を構えていたサンドイッチ店の店主が間に入って宥めてくれる。
屋台の店主はルインと名乗った。魔導回廊を失ったマルフェオは、彼の名前しか覚える自信がなかった。
そうやって役所を代表するマルフェオへの文句が出尽くし、マルフェオからの文句がルインに完封された所で、
振り回され続けたマルフェオの内側をすり抜けるように、突然ファリナムが口を開いた。
「マルフェオ殿は、今回の調査の報酬に、魔導回廊の代替にもなりうる新しい魔導具を準備されている。」
ファリナムの良く通る声が夜の空堀り町に響くと、そこから先の話は異様に速かった。
冒険に加わる者はあっという間に身支度を整え、加わるつもりのない者は道具や資材の準備を済ませた。
その場で用意されたミスリルの資材や魔導具には、ご丁寧に署名まで入っているありさまだ。
マルフェオは人を使う事も上手かったが、使われる事も上手かった。終始、周りに流されていたが、それで全く構わない。
雷帝廟のヒビ割れが地下水の枯渇の遠因であるのは明らかだったし、ファリナムが当てにしていた”仲間”というのも彼らの事だろう。
選択肢などない。問題が片付けば良いのだ。
交渉と段取りが落ち付いた所で、マルフェオはこれから赴く役所の講堂の方へ振り返る。
その地下から、王都の上下水道"公共窟"への入り口に向かうのだ。
そして背後に振り返ったマルフェオは、改めて自分の後ろに立っていた上級冒険者アリッサに気が付いた。
王都で最も仕事量をこなす冒険者パーティー”帷子解し”の女性リーダーだ。マルフェオとも何度か面識がある。
3人パーティーとは言っても、一人は多忙な南軍士長の仮の姿、もう一人に関しては姿を見た事もない。
結局は、彼女が常に役所とギルドと厄介ごとの間に入り、殆どの問題を片付けてくれていた。
外套の下に隠す帷子の、その繋目までを解す帷子解し…緻密で抜け目なく用意周到…あの3人のシーフの一人、アリッサが居るなら心強い。
アリッサを含め、ファリナムらの準備が終わり、マルフェオによる雷帝廟への応急処置も終わると、一団は地下水道"公民窟"へと向かう。
彼らの背中を押すように東の空から日が昇る。
王都の東に広がる森の木々は、朝日に照らされてその色彩を取り戻し、森から吹き抜ける瑞瑞しい風は、いつもよりも静かな朝の王都に吹き込んでいた。
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太陽が荒野の地平線を柔らかく照らし始めると、青黒い夜空の下に、黄色い朝日が滑り込む。
その朝日を赤々と照り返す荒野の砂原のオレンジは、夜通し作業に明け暮れて来た兵士たちの睡気を吹き飛ばした。
白み始めた夜空の色と、赤く輝く砂山を混ぜ込むように、朝日の中で砂埃が銀色に輝く。
やがて砂が吹き荒ぶ音は、砂の中を蹴り進む馬車の蹄の音に変る。
蹄の音のそれぞれは、兵士たちの耳に思いの外、重たく響いた。
王都北の荒野で、補給拠点の設営を任されていた兵士コピアは、新な補給物資が、もう到着してしまったのか?と自責の念に駆られた。
補給拠点の整備は、今後の拡張性を優先し、区画整理と通用路の整備を優先した結果、まだ物資を仮置きしておける大型テントも張られていない。
直ぐさまに、休憩に入った兵士をたたき起こして、物資の受け入れと大型テントの設営を進めなければならない。
コピアが作業の手を止めて、先に睡眠をとった半分の兵士たちが収まっている小さなテント群へ急ぐと、その歩みを遮るように1台の馬車が加速した。
馬車は荒野の勾配に邪魔をされる事なく、スムーズに補給拠点の中央に入って来る。コピアの計画した通りだ。
しかし、積み込まれていたのは、コピアが想定していた補給物資ではなかった。
馬車から降りて来たのは二人の剣士。
初めにコピアの目にとまったのは、大柄で褐色の肌をした見覚えのない騎士だった。
腰に特に長い長剣を差している。
騎士の長い左腕を守るミスリルのガントレットの肩には、古びた黒いローブがはためいている。
そして騎士のはためくローブの傍らには、王都を守る勇者”稲妻のキャトス”が立っていた。
キャトスの白い体毛は、コピアの目には眩しいほどに輝いて見える。
そのキャトスの下に、未完成な補給拠点を夜通し警備していたサリバン副士長が、ゆっくりと進んでいった。
その顔は安堵と不安を綯い交ぜにしたようで、コピアには緩やかに微笑んで見えた。
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王都北部の荒野の先の、北軍が守る砦の更に先…
まだ魔導回廊の引かれていない遊牧民たちの暮らすフロンティアの目前に、遊牧民の伝統と、王国の技術の粋を組み合わせた、広大な牧場が広がっていた。
そして大きな牧場の中央には、軍務卿シャルル・モーリスの暮らす頑強な地下要塞が埋まっている。
その地下要塞の最奥で、寝具に包まれたシャルル・モーリスは夢を見ていた。
夢の中でシャルルは真っ黒い墨の塊のような樹木に抱きついていた。
だけれど、その樹木が根ざしていた大地は、金属音を断続的に響かせながら陥没し、シャルルの足は地に付かない。
地面を失っても、黒い樹木は倒れる事はなく、その幹は地下へ延々と続いている。
真っ黒い樹木以外に支えを失ったシャルルは、恐る恐る、樹木を伝い下へ下へと降りていく。
樹木は燃え尽き炭化したように黒々としていたが、一続きの長い成木ではなかった。
巨大な蟻が行列を作るように、人の背丈程の幹が連続して連なっている。
繰り返される樹木をスルスルと降りるにつれ、夢の中のシャルルは自身の変化に気が付いた。
樹木を伝い下へ降りる毎に、自身の体が若返っているのだ。
樹木にしがみついていた手足は短く非力になり、樹木を伝い地下に進むのは、増々困難になっていく。
そして、シャルルの体が猿のような赤子になってしまうと、樹木にしがみ付く力は失われ、地中の闇へと落下して行く…その暗がりの中で、シャルルは夢から目を覚ました。
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夢から覚めたシャルルには、悪夢という実感はなかった。
むしろ果たされなかった好奇心が、まだ沸々と体の奥に滾っていた。
シャルルはベッドを降りると、手短に着替えを済ませ、地上に向かって階段を登る。
シャルルが地上へ抜けるドアを開けると、既に夜は開けていた。
シャルルは、自らの手で扉を大きく開くと、地下の世界へ、輝く朝日を迎い入れた。
2章完結です。
2章の登場人物紹介とルビ、誤字の修正はまとめて行いたいですね。




