56話 冒険者
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王都の一角、中心からは東へやや距離を置いた瓦礫の山の傍らに、空堀り町はひっそりと佇んでいた。
空堀り町を見下ろしていた王都の丘陵地帯は陥没し、その王都と空堀り町をを隔てていた城壁は歪み、一部は既に倒壊している。
空堀り町には、荒野の中の瓦礫の影に寄り添う、物好きだけが居座っていた。
空堀り町で暮らす住人にとっては今も昔も、危険は冒すモノではなく、常に隣りにあるモノだった。
空堀り町の通りの隅、遥か昔は水堀の底を成していた古びた石畳の道を進むと、風の行き先もなく、土埃も寄り付かない廃墟と化した一角があり、そこには酒場の残骸が横たわっている。
空堀りだった内壁にもたれ掛るその建物は、一度は瓦礫に埋もれ、そして掘り返され、部分的に崩れ落ちている事を気にもかけずに、中からは控えめな明かりと温かい熱気が満ちていた。
その酒場跡の天井は大きな穴が開いており、月明かりは静かに差し込んでいく。
月の光は部屋の中央に向かってゆっくりと柔らかく広がり、据え付けられた古い魔導具の力で華やかな光となって四方へ散っていく。
散り散りになった光が汗や煙草の煙の中へ溶け込むと、周りに腰を下ろす偏屈者たちの姿をボンヤリと照らし出していた。
その淡い光の中に上級冒険者アリッサが現れても、酒場の喧騒が鎮まる事は無かった。
むしろ若い女性の聞き手が増えた事で、議論はさらに盛り上がる。
アリッサとコイン商のクリッサが親子であることを知る古い住人は、今では半分程にはなっていたが、
王都で最も仕事を捌く上級冒険者アリッサの事を知らない住人は空掘り町には居なかった。
熱い議論に冷や水をぶっかけたのは、貴族街で屋台を営むルインが手ぶらで現れたからだ。
酒場に入り浸っていた飲んだくれの大半は、ルインの顔を見ただけで、獣肉の塩っ気が口の中に広がる有様で、そのルインが手ぶらで現れた事に白けてしまった。
皆、確かに小腹が空いてはいたのだが、獣肉の塩漬けにありつけなかった事だけに白けた訳ではない。
そもそも、ルイン程に場の空気を読める男など、空堀り町には居ないのだ。
空堀り町で最も温和でスキがなく、常識と交渉力を持つルインが、ここに手ぶらで現れたのであれば、彼が抱えて来たものが、現実的で重たい話題である事は、その場の誰もが気が付いていた。
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ルインが語るには、雷帝廟に亀裂が入り、堰き止められている北側の水堀りの水が溢れ始めているとの事だった。
ルインがタバコを燻らせながら語る、その簡素で丁寧な話を、空堀り町の住人たちは冷静に聞いていた。
最初に口を開いたのは、火の精霊使いだった。彼は意外な程に落ち着いた物腰で、酒場の中央の古い魔導具に魔力を補充しながら持論を広げる。
「北に貯水されている水堀りの水、その全てが空堀り町に流れ込んだところで、町が流される程の水量にはなりませんよね。」
魔力を補充された魔導具が、また煌々と光を散らしていく。
火の精霊使いは、まだまだ夜は長いのだ…とも言いたげで、このトラブルを楽しんでいるようだった。
次に手を動かし、口を開いたのは、流れの鍛冶屋の男だった。
男は棚の中で埃をかぶっていたミスリルの皿の一つを手に取ると、魔力を流し、簡易な燭台のような物を作る。
そして、今、火の精霊使いが魔力の補充を済ませたばかりの、月明りを照明に変える古い魔導具を、出来たばかりの自作の燭台の上に乗せた。
燭台に移された魔導具は、燭台のミスリルからの反射も重なり、今までよりも燦燦と輝いているようだ。
「亀裂を直すのは簡単だが、地下で起きているより大きいトラブルに繋がっている可能性もある。まずはジックリと調べた方が良いだろうな。」
そう語る流れの鍛冶屋は既に立ち上がり、一斉に準備を始めている周囲の皆も一様に楽しそうだ。
コイン商を営むクリッサは、一人痛む頭を抱えていた。とっとと直してしまえば良いのに…コイツらときたら、また、ああでもない…こうでもない…と夜通し楽しむつもりなのた。
そしてクリッサの左手は、彼らと一緒に立ち上がった娘のベルトを抑え込んでいた。
クリッサは恐る恐る、自身の娘アリッサの顔を見上げる。
その顔には喜びや楽しさなどは全くなく、危機に立ち向かう冒険者の、厳しくも凛々しい顔を見せていた。
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上級貴族バイロン・モーリスは、自宅のバルコニーに座り、犬を食べていた。
特権階級として長く生きて来たバイロンにとっても、未来へ向かう進歩の恩恵で生活が”異化”していくのは常に少しづつであったが、その退化は一瞬だった。
魔導回廊が止まって、まだ半日やそこらだ。
たったそれだけでも、情報の網から放り出されたバイロンの精神は乱れていた。
古い友人へ向けて、古い魔法を使って手紙を出すために鳩の首を落とした辺で、バイロンからは箍が外れてしまっていた。
バイロンの頭の回転は、普段と変わらずグルリと近道をしていたが、この時の近道は角度が急過ぎたようで、バイロンの頭の中心をネジ切ってしまった。
バイロンは頭を捻り過ぎた。
そして上級貴族らしい上品な好々爺は死んでしまった。
魔導回廊から切りはなされてしまったバイロンは、自分が猿に退行してしまった様に感じていた。
バイロンの古い古い記憶に残る、小さい猿になって吊るされていたトネールの遺骸の姿が頭をよぎる。
伝説の極悪人「雷光のトネール」は、零木の棺に押し込まれ、生きたそのままに焼き殺されて、猿の燃えカスに姿を変えてしまった。
人間として生きたトネールは、悪虐を以て猿となって死んでいったが、バイロンは人間であるか?は怪しいにしろ、なんとか今も生きてはいる。
バルコニーで食べる老いた犬の肉は固く不味かったが、バイロンの腹を満たすことは出来ていた。
老犬は次男が可愛がっていたような気もするが、今では名前も覚えていない。
バイロンは座ったまま、自宅のバルコニーから、まだ血のしたたる白い骨の一つを面倒臭そうに投げ捨てる。
すると、その視線の先に、盗賊のような集団の小競り合いが見えた。
猿のようになってしまったバイロンの両眼は、老眼を抱える上級貴族のソレとは違い、夜の王都を見通す事が出来ていた。
闇夜の中に銃声が響き、月明りを剣の刀身が照り返す。ひと際大きく見えるモンスターにも見覚えなどない...あれも侵入者の類だろう。
初めて魔導回廊が動き始めた時、そこには無数の不正な接触が試みられていた。
魔法の力によるものから、冒険者による物理的な侵入…特にシーフは多かった。
バイロンには、トネールやベイトソンのように、ああいった侵入者を相手に暴れまわるつもりはない。
そんな面倒な事は、冒険者がやれば良いのだ。
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付与魔術師のティトが王都の宵闇から逃げ出し、眠る難民の体温で生暖かくなった王城の中に戻ったのは、上司のマルフェオを探すためだった。
だけれど、暗い城内で唯一光る魔導ランタンの下で、一人黙々と働いていたのは、顔に真新しいアザを作った役人だった。
彼はマルフェオの部下だったはずだ。
昼間、地下に降りる際に、難民に囲まれるマルフェオとティトの事を助け、八つ当たりに殴られたのか?それとも、打ち所が悪かったのか?
アザは不思議と、その役人に似合っているように思えた。
役人の目つきや表情、その無造作な髪形や活力に溢れた所作は、まるで飲み屋街をウロつく冒険者のようで、ティトには彼が武器を携帯していない事が、むしろ不自然な事に思えた。。
逆に、今、役人が着ている襟や折り目がピシっと尖る官服は、まるで盗品のように感じる。
ティトは、この役人の事をマルフェオの金魚のフンのように考えていたが、それは勘違いだったようだ。
役人は荷車に積まれた品目を確認しているようだった。
ティトには役人が向き合っている荷車に覚えがある。あれは港で使われている魔導具だ。自分の担当では無かったが、付与魔術師の商会が製造したもので間違いない。
地面に接する車輪から魔力の補給が可能で、魔導回廊の幹線の上であれば常に動力に補助がかかり、子供でも軽々と引くことが出来る。積み込んでいる荷物もどこからでも観覧できたはずだ。
だがそれも、魔導回廊は止まってしまった今となっては無用の機能でしかない。わざわざ羊皮紙に写される荷物の確認が済めば、荷車はミスリルのスクラップになるのだろう。
ティトは無性に、魔導回廊の中に浸って音楽が聴きたくなった。悲しいメロディ、重たいリズム…なんでも良い。
魔導回廊の中で聞けるクラシックの中に、「冒険者の酒場」という曲目があった。
剣士トネールの時代、まだ王都の産業が地下迷宮からの産出物に頼っていた頃の、吟遊詩人たちの奏でる音楽。
魔導回廊に潜れば、いつでもその頃の空気に触れられる…そういう謳い文句だったが、もちろん作り物だろう。それでも、ティトは今すぐあの空気感の中に浸りたかった。
あの空気感の中で、権力闘争や裏切り、愛や共有された夢のような単純な歌詞を、鼻で笑っている時間が懐かしかった。
気が付けば、顔にアザを作った役人は作業の手を止め、ティトの事を見ていた。
目が合うなり役人は直ぐさま口を開いたが、その話しぶりは滑らかで余裕があり、彼に時間があるのか?ないのか?が解り難い。
「マルフェオを探しているのですか?」
良く通る声でそう問われると、ティトは一瞬のためらいの後、口を開いた。
「どうして、そんな事を尋ねるの?」
役人の表情は曇っている。ティトの声が大きすぎた事を嫌っているようだ。
役人は音もなくティトの側まで歩み寄ると、小さな声で話を続けた。
「私だって、上司の行先の一つや二つは知っていますよ」
ティトは人の目を見て話をするのは好きではなかったが、彼の目の周りのアザには存在感があった。
「・・・それで、マルフェオは何処にいるの?」
役人は手にしていた羊皮紙をひっくり返し、地図でも書いてくれるかのような仕草で話を続けた。
「警備兵の話では、冒険者のような男と城を出て北東へ向かったそうですよ…おそらく空掘り町でしょうね。」
ティトは、役人の嫌味のこもった羊皮紙を手で払い除ける。この時間に空掘り町へ向かえる訳もない。
ティトの頭の中で、先程聞いた銃声がもう一度響くと、頭の中で、自分の出来る事が明確になる。
「・・・マルフェオの部屋を使わせてもらうわ。」
ティトからすれば、役人の反論も聞かずに無理を押し付けたつもりだったが、アザを作った役人は柔らかく微笑むと、羊皮紙を字面の並んだ表面に直し、静かに自分の仕事へ戻って行った。
ティトは中庭から階段を選び、マルフェオの執務室へ向かう。
その顔は、危機に立ち向かう冒険者のような、厳しくも凛々しい顔だった。
避難民の眠る中庭には、付与魔術師の力強い足音が残されていた。
次で2章が完結する予定です。
ルビと誤字の修正は追って行う予定です。




