55話 眠り
よろしくお願い致します。
ネフェルテムは人の姿を模した自身の青く輝く長い髪に、苛立ちを感じていた。
亜成体の体で眠りから目を覚ましてみれば、人が約束した魔力の供給は止まっている。
あの男、カーディナル王は約束を違えたのだ。
結局人は、自分自身を中心に世界を考える。あの愚かな魔法使いベイトソンのように。
だから人だけでは、いつまで経っても一つに纏まることすら出来ない。
幼体として地を這いながらも異変には気がついていた。
重い体を引きずり住処を変えて、予定よりも速く脱皮をしていなければ、自身の体も、忌々しい芋虫に潰されていたかも知れない。
目を覚ましたネフェルテムは、幼体の頃に掘り進んだ縦穴、横穴を使い、人が用意していた神殿に向かってみた。
亜生体の体はまだ幼く、魔力も安定しない。
狭い穴の中を安定しない魔力で飛行するのは骨が折れる。
土埃に塗れながら神殿に着いてみれば、そこは既に海水で汚れ、奥には巨大な芋虫の死骸が横たわっている。
魔力の供給がとまった神殿に背を向け振り返れば、巨大な芋虫が掘り進んできた空間は、どこまでも続いているようだ。ネフェルテムは芋虫が進んできた距離にその執念を感じ取ると心底ウンザリした。
人にそれほどの多くを望んだわけではない。
ただ自分が失った力を取り戻すまでの、眠りの時間が欲しかっただけだ。
巨大な芋虫の死骸からは、腐敗と後退の黒い魔力を強く感じた...悪趣味な事だ。
こんな神殿にしても自らが求めたものではない。
それでも、人がこの地下の世界に神殿を築き上げるための労力は、ネフェルテムの目には自らの眠りの安寧を守ってくれる労力にも映ったのだ。
財を投げ出し汗をかいても、神殿が出来上がれば、人の仕事はそれで終わりで良い。
後は放っておいてくれれば良い。
そう願ってはみたが、結局は神殿もネフェルテムの安寧も壊されてしまっている。
巨大な芋虫からは、活力をなくした腐敗と後退の黒い魔力が滲み、周囲は汚水で溢れていた。
腰をかける場所もなく、ネフェルテムは空を飛ぶ事に疲れも感じ始めていた。
自由の利かない華奢な体に、改めて未熟なまま目を覚ます羽目になってしまった事を痛感する。
このまま長い時間をかけて、非力な人の体を育てていく事を思うと目眩すら覚える。
暗い地下の世界で、弱弱しく浮遊していても、ネフェルテムには太陽の位置を感じる事ができていた。
まだ夜明けまでには時間はあるだろう。
幼体のまま、甲虫の目玉からウツラウツラと眺めていた洞窟とは違い、人を模した眼と頭脳で眺める地下世界は退屈だった。
すると、ネフェルテムの頭上を跨ぐように、岩盤の先から、宛先もなく彷徨う黒い魔力を感じた。
黒い魔力はゆっくりと進み、ネフェルテムの新しい住処に近づいていく…本当に趣味の悪い事だ。
ネフェルテムは、幼体だった頃のように、一度天井に張り付き、そこから竪穴を掘って先に進むつもりだった。
だけど、慣れない新しい体は、ネフェルテムの思い通りには動かない。
ネフェルテムの腕が触れた途端に、天井だった岩盤は弾け飛び、ネフェルテムの体に残っていた残り少ない魔力も飛散していった。
巨大な芋虫が適当に開けた大穴が、岩盤を脆くしていた事もあるだろう。
ネフェルテムが魔力を滑らせ、無益に砕いてしまった岩盤は、ネフェルテムの背中側から眼下の汚水の中に落下していく。
岩盤が起こした衝撃音は地下世界に鳴り響き、立ち上がった汚水の水しぶきはネフェルテムの細い素足を汚した。
ネフェルテムが砕いた岩盤の一部は、まだ細かい石礫や砂粒に変わり空中を舞っている。
ネフェルテムは一度身を休めたかった。さりとて、眼下の汚水に身を沈めるのはまっぴらだ。
趣味の悪い黒い魔力は不気味だったが、仮にも自分は神なのだ。住処を荒らされて黙っている筋合いはない。
曇った砂煙の中を抜け、新たに開いた竪穴から住処の脇に飛び出て見れば、そこには見慣れない人間が腰を抜かしていた。
それは奇妙な人間だった。わざわざ右腕に魔物を飼っている。
黒い魔力は腐ることなく生きていた。そして宿主である人間に向かって退行していた。
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王都で最も有能な冒険者も、騎士団の新鋭が使う風の魔法でも、意識の途絶えかかった、老いたウッドエルフを見付ける事は出来なかった。
老いたウッドエルフの体は全身が真っ黒な炭の塊になっていた。
老エルフは、自分が愛用してきた黒い霊木が、どこでどうやって生まれた物か?を知らなかったが、今はその身をもって思い知らされている。
そして今朝まで老エルフだった霊木は、今、自分が知った事、自分の身に起きている事を、他者に伝える手段が、全く変わってしまった事に戸惑っていた。
今の自分には口も耳もない。
ただ、ぼんやりとした意識は、何かと力強い繋がりを得たような安心感に包まれている。
その繋がりは、老エルフのどんな些細な心の変化や、精神や魔力の動きも逃さずに受け止め拾い上げてくれるだろう。
ただ、老エルフには、その力強い繋がりの先に、自分個人の意思をどう通して行けば良いのか?は全く解らなかった。
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老エルフは、先行きの解らない夢のような時間の中で、ゆっくりと思いを巡らせる。
自分は愚かにも儀式に失敗をしたのだ。
あのミノタウロスの子供は無事なのだろうか?
そして、あの儀式に使った霊木の事を考える。
儀式の魔法の力を表すのに、霊木が必要だった訳では無い。
霊木の魔法の力を表すのに、儀式の行程が必要なだけだったのだ。
そして霊木となった老エルフは、自身が正しい儀式を何も知らなかった事を悔いながら、
黒い墨となった自身の体が、正しい儀式に使われる事を求めて、長い眠りの中に微睡み続ける事となっていた。
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大通りを東側から賑わせていた丘陵地帯が瓦礫に埋もれてしまった事で、王都の大通りは街外れに広がる寂れた街道のように、夜の影の中に滲んでいた。
今朝までは、大通りは確りと王都の中心を貫いていたのに。
大通りは王都の最も華やかな目抜き通りで、街灯は魔導回廊から溢れる豊かな魔力を受け止め、手入れされた街路樹が作る木陰を柔らかく照らしていたのに。
だけれど今では、大通りの石畳は、人が暮らしを営む事が出来る境界を線引きしているようだ。
数歩ここから夜の中へ進んでしまえば、既に人が安らかに眠れる場所てはないだろう。
そんな重たく冷たい夜の中で、軍医のジルは意識を失い、北軍の携帯用ツアーマットの上に体を埋めていた。
千切れかけた腕を繋ぎ直す程の治癒魔法を使う場合、腕の良い魔術師は、魔力を幾重にも、同じタイミングで「重ねがけ」を行う。
段階的な治癒で、剥き出しの骨、剥き出しの肉と少しづつ治癒していては、患者に激痛を与える事になり、大きな負担をかけてしまう。
その患者の負担を和らげる治癒魔法の重ねがけのために、自らの魔力を前借りした軍医は、安全さも曖昧な薄暗い石畳の上で、その意識を飛ばしてしまっていた。
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北軍の士長ジェリマリガンは、兵卒の身にして通り名を持つ、腕利きの治癒魔術師が昏倒している姿を見て、改めてダンジョンでの戦闘の困難さを痛感していた。
仮に魔導回廊に接続していれば、治癒術師がこんな魔力切れを起こす事はない。
老いた北軍士長の予定は大幅に狂っていた。
大型ゴーレムの落下点への偵察も、東の側塔跡地にある宿の安全確認も一旦諦めるしかないだろう。
この場所に歩哨を残さない訳にもいかない。あの狂ったミノタウロスは士長の目の前に突然現れた。
王都の地下にあるミスリル工房から、さらにその地下奥深くには、この国の初代国王として封じられた冒険者、剣士トネールが命を落とした迷宮が広がっている。
地下の迷宮は普段は人の暮らしとは隔絶していて、ジェリマリガンが生まれてこの方、問題が起こった事もない。
それでも、あの王都の港に君臨していた大型ゴーレムが落下し、華やかだった王都東の丘陵地帯を消し去ってしまったのだ。
地下に広がる迷宮の隘路の一つが、地表と繋がってしまっていても不思議ではない。
現に、騎士の家に生まれてこの方、一度も見た事のない魔物を仕留めたばかりなのだ。
それも、その奇怪な魔物は、死んでしまうと、人の里から盗んできたような子牛に姿を変えてしまっていた。
子牛の体からは、まだダラダラと血液が流れ出ている。
その場の誰もが、逆さに吊るして血抜きをしよう…などと、現実的な考えに至ることも出来ない。
子牛から流れる血液が、街道の側溝に流れていく様を見ながら、老いた士長ジェリマリガンは、自分がまだ剣を握り続けていた事に気が付いた。
ジェリマリガンが剣を鞘に収めると、同じようなガチャリという音が四方から響く。
周囲の騎士たちは自分たちの安全を知らせるように、普段よりも大きな音で、理不尽だった戦いに区切りをつけているようだった。
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ジェリマリガンのそこからの差配は堅実で的確な物だった。
今、最も動ける者を北で補給拠点の設営を監督している北軍副士長サリバンの元に走らせ、
打ち所悪く、最も動けない者を王城への連絡に歩かせた。
そして眠り続けるジルの傍らで、残った部下と共に、自ら歩哨に立ち続けた。
更新が大幅に遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
予定調和な忙しさがビッシリで身動き取れません。
コロナ禍の見通しが真っ暗でも体は自由な感じが懐かしいですね。
予定は立ちませんが、なんとか時間を見つけて継続していこうと考えています。




