54話 彷徨う
よろしくお願いします。
王都に戻った上級冒険者アリッサは、自分の所属するギルドが奇妙なゴミの塊のように潰されている姿を見た。
まだ王都の西側に城壁があった頃から建っている古く格式のある建物だったが、潰れてしまえば、古い石材や木材と真新しいミスリルは混ざりあい、歪な斑模様になっている。
ギルドを踏み潰した巨大な足跡は、ギルドだけでなく、いくつもの商店を潰しながら進んで行ったようで、迷惑な足跡は点々と東の丘陵地帯へと続いて行く。
アリッサは混乱していた。彼女は自分こそが、王国最悪の危機から生還した唯一の生き残りだと思っていたのだ。
だけれど、王都の被害は彼女の想像を遥かに超えていた。
アリッサの頭は、まだ呆然としていたが、体はいつもの習慣に流されて、とぼとぼとスラム街へと歩く。
ギルドからスラム街への道のりには少し砂埃が増えた印象はあったが、街並みに大きな変化はない。
スラム街の住人は、いつものように長屋の軒先で暗い顔をして並んでいた。
こんな惨事の中だからこそ、彼らは自分からは動けないようだった。
スラム街の奥を照らしていた古い街灯は光を失っていたが、先日引き払った定宿は無事だった。
定宿の扉は半分開いたままだったが、店主はカウンターに座っている。
アリッサはすこし日常を取り戻したような安堵感を感じていたが、宿の店主はアリッサの顔を見るなり驚き、アリッサには理解できない言語でわめきながら、自身の宿を捨てて逃げ出してしまった。
アリッサの混乱は増していた。店主のあの態度では、自分が王都での惨劇に関わりがあるかのようだ。
この定宿は、まだ駆け出しの冒険者だった頃から懇意にしてきた宿だったのだ。流石に、露骨に背を向けられる事は辛かった。
アリッサは、自分もスラム街の住人に混じって、地べたに座り込みたい気持ちにもなっていたか、その体は熟練の冒険者として冷静に動き続けていた。
アリッサはカウンターの引き出しを漁り、そのまま店主の私室に向かい、その荷物も検める。
店主の荷物は少なかったが、チェストの奥には数冊の冊子が雑に隠されていた。
獣皮で製本された冊子は頑丈な作りだったが、手垢まみれで、日常的に使われている形跡もある。
冊子の中には、砂漠の国の言語でかかれた報告書の束のような物がまとめてあった。
アリッサは店主や死んだトーマックの仕事に首を突っ込む気は無かったが、彼らが、何か自分たちでは背負い込めないくらいの問題を投げ出してしまったのであれば、それは今より厄介な事にもなりそうだ。
アリッサは、最も古い物と、最も新しい物、そして最も分厚い物の3冊の冊子を手に取ると、それを自身の革袋におさめ、残る冊子は昨日まで使っていた宿の中に残すと、その扉に魔法で鍵をかけ、慣れ親しんだ宿を後にした。
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アリッサはスラム街を抜けると、真っ直ぐ光の塔には向かわずに、港へ顔を出した。
港の労働者と自警団を束ねる頭目、テミスに面会を求めたが、彼女は心労で倒れてしまったとの事だ。
テミスが不在であっても、自警団は港の警備を続けている。今はテミスの娘、ステラが副団長として自警団をまとめていた。
今までも、港で起きた問題が港の外に広がった時には、真っ先に冒険者ギルドが間に入り、港と部外者の間を仲裁して来た。その殆どはアリッサの仕事だった。
アリッサは、港の雑事を取り仕切っていたステラとは事あるごとに顔を合わせて来たが、この日見た彼女は別人のように憔悴していた。
ステラには、全く似合わないミスリル鎧を身に着けていた。
裏方として事務や雑務を黙々とこなす、彼女の柔和な印象は消えていた。
アリッサは、港に現れた大きなワームや巨大な真っ黒い両足の話を、ステラから聞く事が出来た。
アリッサの疲れた頭では、ステラの話に現実感を感じる事は出来なかったが、ステラからの
「港に空いた大穴を見て行きますか?」
との誘いは、直ぐ様に頭を振って断っていた。
アリッサは、その大穴を直視するのが怖かった。
今日の自分はギルドの代表として、責任を背負って顔を出している訳でも無いのだ。
アリッサは、ステラの邪魔をしたくはないと言い訳をすると、挨拶もそこそこに夕暮れの港を後にした
。
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港から倉庫街を抜けると、光の塔の輝きが見えてくるはずだった。
現れた光の塔は、その輝きを失い、力を無くしてしまったようで、アリッサの記憶の中の姿よりも、ずっと小さな塔に見える。
王都の夕闇に溶け込む小さい影となった光の塔の前では、二人の男がいがみ合っていた。
アリッサは漏れる光を手の平で覆って隠しながら、イヤリングにしている"集音の魔導具"に魔力を流す。
集音の魔導具はコントロールが難しい魔導具だったが、人気も雑音も無い今の王都では,簡単に扱う事が出来た。
離れた場所の二人の会話に聞き耳を立て話を聞けば、どうやら、いくら待っても光の塔の扉は開かず、宰相との面談は叶わないようだ。
塔の前で苛立つ二人は、アリッサとも仕事で顔を合わせていた貴族の使い走りだった。
冒険者ギルドに問題の解決を依頼してくるのは、得てして問題を起こす側の人間ばかりだ。
あの二人にしても、自分たちの周りで起こした問題を捏ねくり回し、擦り付け合い、どうしようもなくなってから、ギルドに丸投げしにやって来る。
アリッサは、ああいったタチの悪い貴族や、その取り巻きをあしらってくれていたセルジュを思い出していた。
そして裏社会や闇ギルドに融通を利かせてくれたトーマックの事も。
二人に比べて、自分の顔が利いたのは…あの偏屈者が集まる空掘り町ぐらいだろうか?
そう考えると、アリッサの足は空掘り町へと向かっていた。
アリッサの脳裏に、斑目模様に潰れてしまった冒険者ギルドが過ぎると、急に空掘り町でコイン商を営む母の事が心配になる。
宰相への面会は日を改めるしかないだろう。
アリッサが小走りに向かう王都の東の空には、まだ宙に舞う粉塵が残り、だいぶ細くなった朱色の西日を、弱々しく照り返していた。
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その獣に首はなかったが、脊髄に悪寒は感じていた。
どうも胸の当たりに鼻があるようで、そこから食欲は刺激されたが、香りの識別など出来はしない。
その真下にある口をつかって、刺激された食欲を満たす事は出来てはいるが、何を食べているかも解らない。
獣の体は失った自信を取り戻すかのように、ただただ反射的に、足は地面を蹴り、その胴は壁や天井を跳ねまわり、爪は肉を引き裂いている。
何のためにか?などとは考えない。そもそも首がないのだ。
今まで何をして来たのか?も覚えていない。
それでも脊髄にはゾワゾワと、自身が間違った事を続け、誤った方向に進んでいるという悪寒が走り続ける。
獣の腰は落着かずに、ウロウロと反射的な欲望に流されるがままに、辺境の荒れ地を彷徨い続けた。
歩き続ける四肢が疲れを感じる事はないが、どれだけ歩いたか?も、何処に向かうのか?も解らない。
それでもまた、新しい食欲を刺激する匂いが、首の無い獣の胸に空いた鼻孔から、直接肺に入って来ていた。
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王都の地下に広がる古代の空間は、今を生きるシジフォスにとっては、奇妙な秩序につつまれていた。
シジフォスは好奇心に駆られて、この地下空間をほとんど無頓着に彷徨っていたが、ここから先は、そうも順調には行かないようだ。
目の前に無秩序に巨大な獣道が現れると、シジフォスの胸には重苦しい不安が漂った。
シジフォスは獣道から目を逸らし、隣に並ぶ固く閉ざされた扉に触れる。
開く事が出来ないか?を何度か試してみるが、扉と壁の隙間には、土なのか?錆なのか?も解らない物が詰まり、微動だにしない。
ミスリルであれば付与魔法の力でどうにでもなったが、この金属板は魔法には応答せず、固くザラザラとしたままだ。
シジフォスの真新しい黒い右腕は、この古い金属板の先にも透き通って行くように手を埋めてしまう事が出来た。
それでも、扉の先に進めるのが右腕だけでは意味がない。
黒い右腕の感触では、この分厚い扉は外側から金属板で密閉されているようで、この構造では、扉として再び使用する事は出来ないだろう。
仕方なく、シジフォスは金属板の扉を諦め、隣に大きく開いた獣道にもう一度向き合う。
不安な気持ちのまま、目を逸らし続けているのは性に合わない。
シジフォスは慎重に、獣道の空間に揺らめく闇の奥へと、真新しい右手を差し入れてみる。
獣道の影の世界の中を、ゆっくりとシジフォスの黒い右腕が伸びていく。
しばらくすると、黒い右腕は冷たくツルリとした滑らかな手触りの物に触れた。
表面は球体で相当な大きさがある。まるで巨大な宝石のようだ。
未知の物への恐怖よりも、生来の好奇心が勝り、シジフォスは腕を縮めながら、ゆっくりと獣道の中に進んで行った。
黒の濃淡だけで描画されているはずの地下の世界、その隙間を縫うような獣道の先でシジフォスが目にした物は、空の青さを煮詰めたような、青く輝く大きなスカラベの抜け殻だった。
この半日、暗闇の中をさまよい、黒や灰色だけを視認してきたシジフォスには、このスカラベの抜け殻の青い輝きは、目を焼くほどに鮮明だった。
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青々と輝く大きなスカラベの殻に、シジフォスは目を奪われていた。
抜け殻は子牛程の大きさがあった...いや、もう少し大きいのかも知れない。
良く見ると、青く美しい抜け殻に、一点だけ黒い曇りがある。シジフォスは、それが先ほど自分が黒い右腕で触れていた部分だと気が付いた。
シジフォスが抜け殻を汚してしまった罪悪感に苛まれていると、突然、スカラベの抜け殻より、さらに奥の暗闇から爆発音が鳴り響いた。
シジフォスの立つ地面は一度たわむように大きくしなり、その後重い振動を伴って弾ける。
シジフォスは後方に吹き飛ばされながら尻もちをつくと、前方から降り注ぐ粉塵や石礫から身を守る。
黒い右腕を広げるのに少し時間がかかり、幾つかの石礫はシジフォスを直撃したが、深い傷には至らずにすんだ。
黒の濃淡だけで描かれる世界では、粉塵は小さな粒の一つまで見ることができた。
小さく砕けた石の粒は一つ一つが割れた陶器のように個性的な尖り方をしていて、それらは不規則に回転しながら宙を舞っている。
どうも粉塵や砕けた岩の欠片は、獣道の床から飛び散ったようで、洞穴の壁や天井に跳ね返り、僅かな残響を残していたが、獣道の床だった一部が階下へ落下した音が大きく響き渡ると、粉塵や破片はシジフォスの意識からは消えていた。
スカラベの抜け殻の背後、その洞穴の奥の床には、さらに地下の空間へ続く縦穴が開いたようだ。
シジフォスの鼻先には、地下空間には不釣り合いな潮の香りが漂っていた。耳にはジジジジ…と不快なノイズ音が聞こえる。
そして、数歩先の床に空いた縦穴の空中には、青い髪を輝かせる一人の少女が浮かんでいた。




