51話 決断
よろしくお願いします。
王国の辺境から、さらに外れた雑木林の中で、炎は赤く金色に輝き、真新しいミスリルの大鍋を温めていた。
鍋の中には、躊躇なく使える食材の全てが放り込まれている。
ラトロと乞食のような獣人の食欲は、それだけ旺盛だったし、
弓を置いた女も、料理に汗をかいた女も、湯気を立てる大鍋を囲み、皆で黙々と鍋をつついていた。
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最初に出された雑炊を、獣人がものの一口で平らげてしまった後、
獣人はラトロの妾がまだ食事をとっていなかった事に気が付いたようで、木こり小屋の軒先の庭石に腰をかけたまま、空飛ぶ鳥を魔法で撃ち落とした。
獣人は地面に落ちた鳥はそのままに、また胸毛の奥からミスリルの欠片を取り出すと、それを魔力で大きな鍋に変えた。
鍋は随分と古臭く無骨な代物だった。形は角張り肉厚で、むしろ兵士を守る大盾に近い。
次に獣人は地面を蹴った。すると地面は斜めにえぐれ、原始的な竈に変わる。
獣人は木こり小屋に立てかけてあった薪割り前の大振りな木材を地面の穴に置き、ミスリルの大鍋を裏返しに被せる。
そこに小屋の中でささやかに雑炊を温めていた火を借り投げ入れると、追って魔力を注ぎ、雑木林に爆発音を響かせた。
林から爆発音に驚いた鳥が飛び出すが、獣人はついでのようにその鳥をいくつか魔法で撃ち落とす。
そして林の中に落ちた鳥を気にもかけずに、毛むくじゃらの腕で大盾のような鍋をひっくり返すと、鍋の下に斜めに空いた穴の中では、砕けた木材に抱えられた炎が揺らめいていた。
獣人は大きく息を吸い込むと、鍋の中に残っていた煤を吹き飛ばす。
鍋から溢れた空気が炎にも差し込むと、炎は大きく膨らみ輝きを増し、鍋は熱を持ち始めた。
獣人の作業は凄まじく雑に見えたが、それが当たり前の事だと錯覚するほどに手慣れていた。
獣人は振り返ると、ラトロの妾の目を覗き込んだ。
意図を察した女は慌てて、二度目の朝食の準備を始めた。
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食事を終えた余韻の中で、ラトロは目を閉じて、重苦しく話を始めた。
「コイツと一緒に、あの化け物を叩き殺して来る。」
ラトロの短い話を聞くと、一人の女は弓を手に取り立ち上がって、林の奥へと姿を消してしまった。
残されたもう一人の女は、目に涙を浮かべながら俯いている。
二人とも、ラトロが一度決めた事を口に出せば、もう何を言っても聞かないだろう事は解っていた。
獣人は左手で大鍋の側面に触れると、そこから魔力を流しこんだ。
鍋は青白く光ると、大きなミスリルのインゴットに変わり、バシャリと大鍋に入っていた煮汁が穴の中に落ち、そこで燻っていた炎も姿を消した。
獣人は右手を灰と煤の中に突っ込むと、ドロドロに汚れたインゴットを引っ張り出す。
そして傍らに置いていたローブで、灰や煮汁や泥を拭うと、そのローブとミスリルインゴットを俯く女に手渡した。
インゴットとローブを受け取った女は困惑した。
ミスリルインゴットが、それなりに高価な物である事は解る。
それでも、ローブとインゴットからは酷い臭いがしていた。
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ラトロと獣人が旅支度を終える頃、林から弓を持った女が帰ってきた。
その手には先ほど獣人が林の中に撃ち落とした数羽の鳥が縄で縛られ担がれている。
女は縛った鳥を木こり小屋の軒先に吊り下げると、ラトロへ振り返り、短く語りかけた。
「ここの事は任せて。」
ラトロは頷くと、二人の女に歩み寄り、その肩を抱き寄せた。
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ラトロと獣人が馬に乗って走り去った後、一人の女は黙々と鳥を捌き、
もう一人の女は黙々と酷い臭いのするローブを洗濯していた。
獣脂から作られた貴重な石鹸を半分ほど使い切ると、汚れの下から、ローブの絵柄が姿を現す。
それは、触手のような二本の尾を持ち、豹のような柔軟な体と鷲の頭と翼を持つ、ディスプレイサー・グリフォンの意匠だった。
洗濯を終えた女が固まっていると、もう一人の女も後ろに立ち、二人はその意匠を思い出す。
それはラトロの故郷、”墓守り町”にある、王墓の扉に描かれた意匠と、全く同じものだった。
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月明かり照らす荒野の果てには、遥か遠くに海が見えた。
時折吹く風は、大地を渡りながら、雄大な風景を揺らしている。
ヴィカリーは、向かい風の中を走りながら、風の精霊の力を強く感じていた。
今なら何でも出来そうな気がする。
彼ら銃騎隊は、荒野を横切り港に向かい、哨戒任務をこなしていた。
東の森は昨晩掃討され、もしも他国の干渉があれば西側からだろう。
王都の北西部は人の手が入っていない。
ヴィカリーの進路から左手に見える光の塔は、光りを失い小さな影となっていて、役割を終えた灯台のように見える。
ヴィカリーには力を失った光の塔の姿が、騎士団の今後の姿と重なって見えた。
退役間近と言われている士長ジェリマリガンが騎士団を離れられないのは、後を継ぐヴィカリーの家が障害たった。
正確に言えば我が家の兄の問題だ。
もし兄が家を継ぐのであれば、ヴィカリーは士長の家に養子として入り、北軍の兵士たちを統率する立場となるだろう。
しかし、兄は異国を放浪しながら、身分の低い仕事を転々としていた。
そんな兄を止める事が誰にも出来ず、ヴィカリーの将来も宙に浮いている。
ヴィカリーは、どんな問題でも素早く解決出来る自信を持っていた。
自分は問題が存在する時間を短くする事が出来る。
でも、父や兄は違うのだ。
父や兄は、自分の好む時間に合わせて、問題の方を大きくしたり、小さくしたりしてしまう。
ヴィカリーは王都にいる騎士や冒険者の中で最も頭が回るとされていたし、家族や騎士団も、彼を兄より優れていると考えていたが、父が違う考えを持っている事は知られていた。
父や兄の頭は、ただ回るだけではない。彼らは時折、話の内側に近道を見つけることが出来た。
父と兄とヴィカリー、この3人の会話の中で、ヴィカリーが最も多くを語り、様々な例を挙げていても、
本質を見抜く父と兄は話の内側をすり抜けていき、自分だけ置いて行かれることがよくあった。
父や兄が代替わりを待っているのなら、待っているだけの理由があるのだ。
それは自分には解らない。自分はどんな問題の中でも、真っ直ぐ駆け抜けるだけだ。
王都の北部を走るヴィカリーの視野から光の塔が外れると、砂埃の舞う荒野の風は潮風に変わった。
ヴィカリーが率いる銃騎隊は荒野を抜けると南に進路を取り直し、倉庫街から港へと回り込んだ。
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倉庫街とスラム街の区別は付きにくかったが、港に入れば、騎馬の蹄の音は石材を蹴る硬い音に変わる。
港では、自警団が真夜中にも関わらず我慢強い警備を続けていた。
ヴィカリーは自分だけが騎馬から降りると、手短に自警団の副団長と意見を交換した。
副団長は真新しい鎧を着た小柄な女性だった。
自警団は北軍騎士団の到着を喜んでくれたが、副団長はヴィカリーの名字に苦い顔を見せていた。
そしてヴィカリーは、自警団から見せられた港に残る大穴に愕然とする。
膝から力が抜け、こんな物が王都の中に残っている事が許せなかった。
ヴィカリーはここで一度、報告に帰る事も考えた。被害は軍の想定を大きく超えている。
だけどヴィカリーの任務は対外的な物だった。この大穴は既に自警団の管理下にあるとも考えられる。
ヴィカリーは進路を決断すると、自警団に対して必ず明日もう一度時間を作ると約束を残し、さらに南に向けて馬を速めた。
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王都西に古くからあるカフェ、”スタブルム”の周囲は真っ黒に染まっていた。
銃騎隊は素早く生存者のいない事を確認すると、2つの用水路を跨ぐ2つの橋を走り抜け、すぐさま南の森に向かう。
王都に近い森には何も無かったが、南に続く大通りの先の植栽地には、風の精霊が知らせる人の気配があった。
ヴィカリーの決断は速かった。
それは、まるで誰かに決められた近道を、なぞって行くようで、後ろに続く銃騎隊を顧みる事もない。
ヴィカリーはまず風の流れを変えた。ヴィカリーの背中から植栽地に向けて大きく風が流れる。
そしてヴィカリーは短杖を振り、”音の振動を無視する事”…それが風の精霊の間に広まるように願いをかけた。
ヴィカリーの願いが風から風に、流れにのって広がると、周囲一帯から音が消えた。
音が消えた中、銃騎隊はいつもの様に隊列を整える。馬に跨りながら銃を放てるのは、進行方向とその左側だけ。
でも、銃騎隊の誰もが、敵が右手側から現れるとは考えてはいなかった。ヴィカリーが野戦で敵を見逃す事はない。
銃騎隊は縦列隊形をとったまま、音もなく丘と林の間を斜行して行く。
騎兵の頭にぶつかりそうな枝葉は、直ぐに風の精霊が押しのけてくれる。
そして枝葉の間引きされた木々では体を隠せずにしていた野盗に向けて、騎兵隊は音もなく背後から銃を掃射し、彼らを駆逐していった。
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光の塔の周囲は空き地だらけだった。
土地の持ち主は今でも雷帝ベイトソン。そこに新たな建物を建てようとする者は居ない。
ラスキンはその空き地の一角に、土の精霊魔法で、小さな瘤のような墓を建てると、そこに夜空の中を飛んできた鳩の遺骸を埋葬した。
人気も全くない街外れの暗闇の中、ラスキンは再び土の精霊に呼びかけると、鳩の墓標の傍らに小さな椅子を作る。
椅子に腰を下ろし月を見上げると、遠くに揺らめく光の精霊が見えた。
その光の精霊を呼び寄せ、魔力を与え、手元を照らしてもらう。
ラスキンは慎重に小さな筒の蓋を取り外し、中から薄い羊皮紙を取り出した。
手紙は、なんとか読める状態に保たれていた。ラスキンは羊皮紙の表面に目を通し始める。
手紙は旧知の腐れ縁、バイロンからの物だった。
初めて会った時は、親子ほどの年の差を感じたが、バイロンはまるで歳を取らないようで、中々くたばらなかった。
そして気が付けば、自分もバイロンと同じように老いぼれている。
バイロンは、一応は人間という事になっていたが、そんな訳はない。
手を付ける妾はエルフやハーフエルフばかり。おそらくバイロンにもエルフの血が混ざっているのだろう。
宰相ラスキンが指示を与えた手紙の返信は、一通も帰って来なかったが、顔を見るのも気が滅入るような相手に限って、こんな時でも手紙を寄こしてくる。
手紙の内容は、昔と変わらず、くだらない物だった。
手紙は小さく読み辛い文字で書かれていて、まだ若かった頃のラスキンが仕出かした過去の失敗を蒸し返す事から始まり、そして老いて動けなくなったラスキンへの嫌味と皮肉で終わっていた。
だけどラスキンの事を宰相ではなく、一人の魔導士として扱う手紙を読み進めるうちに、ラスキンの頭には過去の思い出が溢れかえっていた。
読み終えると、ラスキンは手紙を破り捨てた。若いころの自分ならそうしただろうし、今だってこんな物を読み返したくはない。
そして、頭に溢れかえる思い出に、今の自分を重ねると、ラスキンは静かに腹を決めていた。
魔導回廊をもう一度、回し直すのだ。
かつて雷帝がやったように、小さな魔力の回転に少しずつ勢いを乗せて、王都中に大きく広げていくのだ。
塔の中の実験用の魔力炉はもう勢いよく回っているはずだ。
そこに自分の魔力を継ぎ足せば、とりあえずは、光の塔の周囲を囲う事は出来るかもしれない。
意を決したラスキンは、また土の精霊に呼びかけて、光の塔を囲うように、硬く深い溝を掘り始めた。




