49話 怒り
よろしくお願いします。
空堀り町での議論の声は酒気を帯び、もはや怒声に変わっていた。
誰かが大声で仮説を立てれば、もっと大きな声で反論が上がる。
魔導回廊を失った学者や魔術師や技術者達は、今や蓄えられた知識の束に頼る事はなく、この場、この時で知性を輝かせていた。
彼ら空堀り町で暮らす住民達が、瓦礫の山から最初に掘り返したのは、古い酒場の残骸だった。
むしろそれさえ掘り返してしまえば、他の物は後回しで良いようだ。
その酒場は、魔導回廊の崩壊に巻き込まれて残骸になった訳ではない。
そこは元から朽ちた酒場で、酒やツマミは勿論の事、場を取り仕切る店主もいない。
店の中央、カウンターの内側にあった厨房から、長い間、湯気や油を飛ばし続けていたのだろう。
厨房跡の天井は、そこだけ腐食が進み抜け落ちていて、酒場は真ん中だけ屋根がなかった。
雨や夜風や月明かりも、遠く東の森の魔物の声も、そのまま酒場に入って来る。
朽ちた酒場では酒もツマミも自分で持ち込み。だけど閉店時間もない。
給仕も、手洗い場の戸板も無かったが、誰の場所でもないからこそ、皆が1つ軒の下に集まり、対等に語り合う事が出来ていた。
朽ちた酒場は、今や寺院にも無くなってしまった、小さな回廊のような場所だった。
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空堀り町でコイン商を営んでいたクリッサは、その自宅にあった酒樽を昨夜の内に空けてしまっていた。
そして自宅が瓦礫に埋もれていようが、また日は沈み、夜は家や仕事を失ったクリッサにもやって来る。
体や頭が現実に怯んでいても、腹は空いたし喉は乾いた。
すると夜を前にして、隣人の吹き溜まりになってた酒場跡が瓦礫の山から掘り返され始めた。
なのでクリッサは、この後このまま彼らに混ざっていれば、酒や食事を集れるのかもと考えた。
だけど、ただ酒ただ飯の代償は、中々に面倒なものだった。
掘り返された酒場のカウンターで、クリッサは久々の労働に疲れ果てていた。
だから、とっとと酔って眠ってしまいたかったのに、隣の席では、流れの鍛冶屋の中年の男が、今後の農業施策について自論を叩き付けている。
対して、大きな声で反論を広げるのは、王都で最も忌み嫌われている魔導師、火の精霊使いだ。
二人共、農業などは専門外のはずなのだが、クリッサが聞いていても二人の論旨は的を得ているように感じる。
怒りに身を任せる程の話とは思えなかったが、眠ってしまえる程の退屈な話でもない。
実際の所、王都の食料はどうして行くのだろう?
魔導回廊への接続が無い中で行う議論は、まるでダンジョンでの野営中の暇つぶしのように聞こえる。
王都の存亡がかかる話が、何処か他人事のようなのだ。
朽ちた酒場の中には、狩りでも何でもやって食って行けるとでも言いたげな、野暮ったくも力強い空気が満ちていた。
流れの鍛冶屋の声や身振り手振りは大きかったが、その怒りは軽く乾いたもので、聴く者に刺さることはない。
野次には笑いも混ざっていたが、皆はその正論に耳を傾けている。
相手をしている火の精霊使いは、風評に反して冷静な男だったようで、ヒラヒラと議論の視点を変えながら、甲高く抜けるような声で鍛冶屋の詰めの甘さを指摘していた。
そうやって、クリッサがグツグツと滾る議論に煽られながら、眠る事も、酒に溺れる事も出来ずに酒場の虚空を眺めていると、開いたままの酒場の扉に手をかけて小さな影が入って来る。
屋根の穴から照らす月明かりが、その姿を照らすと、久しぶりに見るクリッサの一人娘だった。
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そのミノタウロスに見覚えはあったし、彼の背中から腹までを貫く、真っ黒い尻尾にも見覚えがあった。
ジルには、そのミノタウロスの幼体の姿が、ここ数日の自分の雑な仕事の象徴のように思えた。
ジルは今まで、目の前で倒れる人の全てを癒し、助け起こしてきた。
でも、そのミノタウロスがもう手遅れなのは見て取れる。
むしろ助けるのが遅れてしまった被害者と言うよりは、これから問題を起こす加害者と見るのが妥当なのだろう。
だけど、ジルには割り切れなかった。あのミノタウロスの治療には最初から少し違和感があったのだ。
彼の命の気脈には、なかなか魔力が入らなかった。だから魔力を集めて、勢いに任せて押し込むと、今度は一気に吸い込まれた。
そこからの回復は人間よりもずっと早くて、ミノタウロスは直ぐに覚醒し、尋問が始まる頃には怪我は跡形もなかったが、その背中には小さい瘤が出来ていた。
ジルはミノタウロスへの治療は初めてだったし、その体の細部への知識もない。傍で眺めている宰相様も何も言わなかった。
そんな言い訳を反芻して、ジルはミノタウロスの背中の小さな瘤を、無意識の奥に押し込めていた。
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隠蔽の外套で身を隠した5人の侵入者を追って、王城の前を横切ったまでは良かった。
相手は人間で、ここは王都なのだ。いざとなれば王城に引き返して仲間も呼べる。
ジルは5人の侵入者が向かっているのが、自分たちが暮らしてきた南軍の塔だと考えていた。
あそこには貸出品や押収品のミスリルの魔導具が山のようにある。
ベテラン兵たちは、塔へは北の騎士団と合流してから向かう、と話し合っていた。
騎士団よりも先行して確保に向かって、万が一、自分たち兵士の中から魔導具をくすねる者が現れるのが怖かったのだろう。
そんな思い込みから勝手な見通しを付けていたが、ジルの思う通りにはならなかった。
王都の前を通り過ぎ、商会の集まる一帯で再会したミノタウロスは、真っ黒な体に変色していた。既に遺体のようにすら見える。
でもミノタウロスは力強く二本の足で歩き、両の拳は血液の塊を握り潰したように汚れている。
背丈は以前と変わらなかったが、両腕だけが太く、角は成人のミノタウロスの物のように雄々しい物に変わっていた。
そして小さかったはずの瘤は大きく膨らんで、正面からでも、ミノタウロスの頭越しに、その病的な膨張を見て取る事が出来る。
その膨れ上がった瘤のど真ん中に、黒い尻尾は突き刺さっていた。
何より恐ろしかったのは、その大きく膨らんだ瘤の中で、命の気脈を流れる魔力が怒りに変換されている事だった。
ジルが人の命の気脈から、嘘や動揺を見抜く時と変わらずに、瘤の中でも魔力が揺れてはいたのだが、その振動は激しく猛り狂い、怒りとなって渦巻いている。
そして瘤から腹までミノタウロスを貫き、踊るように揺れている黒い尻尾は、瘤からミノタウロスの魔力を吸い上げながら、ジルをあざ笑っているように見えた。
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ジルには考える時間が必要だった。
足腰に命の気脈を流しこめば速力を増すことが出来るように、頭の回転を魔力で速める事が出来れば、どんなに楽だっただろう。
でも、それは”混乱の魔法”にしかならないし、混乱なら既に十分足りている。
脳で暴れる魔力を逃がして、”沈静化の魔法”も使えるが、あれはかかると酷く眠くなる。
寝ている時間も、混乱している時間もなく、事態はジルを待たずに進んでいって、5人の侵入者がミノタウロスを取り囲むように広がった。
中央に立つ者が頭目だろう。隠蔽の外套の外に、チラリと老いた腕が見え、何か合図を送ったようだ。
そして左右に広がった侵入者の命の気脈が、射撃姿勢を取った事を認めると、ジルは侵入者の頭目の足元に向けて、腕に抱えた銃を発砲していた。
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ジルは考える時間が少し欲しいだけだった
あの時、あのミノタウロスは、静かに全てを話してくれたのだ。
名はボビスと言った。東の森の奥に父と弟が居たはずだ。
ジルの頭が、ここ数日の出来事を混ぜ返している間に、5人の侵入者は音もなく滑らかに隊列を変えようとしていた。
頭目と思われる男は大通り左手の貴族の邸宅の屋根の上に陣取り、その左右に残り4人が広がろうとしている。
ジルの目の前を、隠蔽の外套を過信した者が通り過ぎようとする。足音を一切たてない足運びは、素人のものではない。
「動くな!」
ジルは目の前の侵入者へ銃を突き付けて静止させた。
ジルには考える時間が無かった。
魔導回廊の中でミスリル製の魔導具を使うのであれば、騎士団にも冒険者ギルドにも、所属している塔の仲間へも、全て筒抜けになっていた。
若い兵士が暴走してしまうことも稀にあったが、すぐに兵士の耳には魔導回廊越しに仲間や、上官の声が届いていた。
でも今回は違う。魔導回廊は止まってしまったし、ジルは若い兵士ではない。
何としても時間を作るのだ。ボビスからもう一度話を聞くのだ。
そうやって凝り固まるジルに、暗闇の中で命の気脈だけを浮かび上がらせた侵入者が、小さな声で語り掛けて来た。
「ジル…銃を下ろせ…」
ジルはその声に聞き覚えがあった。
だけど、ジルが数年前に騎士団に嫁いだ友人の一人を思い出すより少し先に、王都の夜に、ミノタウロスの怒りの乗った雄たけびが轟く。
そこから先のジルの記憶は曖昧だった。
ミノタウロスの背中から腹まで突き刺さった真っ黒い尻尾が、弾けるように千切れると、ジルに向かって放たれたはずだ。
ジルは、自分がどうやって旋回する黒い尻尾の弾丸を回避したのか?は解らなかったが、今は古い友人と共に王都の大通りに倒れ込み、その友人の血まみれの体を支えていた。
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王都南の街道から外れ、林の中で横転した駅馬車の中には怒りが溢れていた。
矢の雨が駅馬車の天井に刺さる音、恐怖に怯える馬の嘶き声、そして横転した駅馬車が破損していく衝撃音。
それだけの非日常が、けたたましく過ぎ去ると、今度は一転して周囲から音が無くなった。
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リナ・クワリテは、周囲に風の精霊魔法が使われた事には気が付いていた。
それは兄の使う風の精霊よりも、ずっと強大で、徹底的な魔法だった。
駅馬車の中には、まだ8人の人間が居たが、誰の声も音にならない。
呼吸の音もなかったが、リナの肺は空気を取り込む事は出来ている。
音の無い中で、官服を来た男達はお互いの目を見て何某かを確認をした後に、駅馬車の扉を破壊し外に出ていった。
破壊された扉は音もなく駅馬車の外に向けて倒れると、リナの目にも外の景色を伝えたが、男たちが去っても外から風が吹き込んで來ることは無かった。
同乗していた女性は、リナよりも年上の美しい女性だったが、その顔は怒りで歪んでいた。
だけど彼女の声は聞こえない。
駅馬車にか?護衛しているはずの冒険者にか?襲撃者にか?それとも逃げ出した男達にか?
リナには女性の怒りの矛先が、どこに向いているのか?は解らなかったが、リナ自身に向いていない事はよく解った。
女性の左手は、優しくリナの肩を抱いてくれていた。
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怒りに疲れたのか、同乗していた女性も大人しくなり、リナは二人で抱き合って現実から逃げていた。
すると突然、木々のざわめきと、馬の荒々しい呼吸の音、走る男らしい足音、そして同乗していた女性の心臓の鼓動がリナの耳に聞こえて来る。
壊され開け放たれた駅馬車の扉を見ると、外からの風が吹き込んでいた。
しばらく一言も発せずに、緊張感に耐えていると、同乗していた女性が、リナの目をみながら言葉を絞り出す。
「....あなた立てる?」
彼女の声は枯れていた。叫び疲れてもいるのだろう。
リナは頷くと、二人で傾いた駅馬車からゆっくりと降りた。
リナが女性と共に林の中に立つと、そこには酒臭いドワーフの男が立っていた。
旅装のドワーフの膝からしたは土埃にまみれていたが、上半身の装備は上質なミスリル製のようで、上品な機能美に美しさがあった。
これだけの酒臭さと体臭を身にまとうドワーフと駅馬車に同乗するのであれば、かなりの忍耐力が求められただろう。
でも、リナ・クワリテは、このドワーフを信頼する事が出来そうだった。
その毛むくじゃらの顔の奥からリナを見つめる目は、南の要塞都市の住人が現実を見つめる、無骨な働き者の目と同じものだった。




