47話 夜風
よろしくお願いします。
街外れの塔を照らす光が、夕焼けから月明かりに変わっても、塔の扉は硬く閉ざされ、来客を拒み続けていた。
王都の宰相ラスキンが働く光の塔の下には、あらゆる貴族の使い走りが訪れていたが、夕焼けや月明かりが彼らの姿を照らしても、その照り返した光が精霊の力で映像となってラスキンに届けられても、ラスキンが彼らのために時間を割くことはなかった。
魔導回廊の管理ぐらいしか使い道のない貴族ほど、今この時に役に立たない連中は居ないだろう。
光の塔には、人が潜り込めるような隙間はなかったが、猫が転がり込めるような隙間は空いていた。
その隙間から、一羽、首を失った伝書鳩が派手な音を立てて飛び込んで来る。
伝書鳩の首の断面は、風の精霊の印章で蓋がされていた。
鳥は夜目が利かないと言われるが、首が無ければ関係もない。
首を失って夜風の中を飛ぶ事は、鳩にとっては初めての事だったろうし、それを飛ばせた魔導師にしても、久しぶりの事だったのだろう。
鳩は着地に失敗し、体ごと塔の内壁に激突すると、その胴体に蓋をしていた風の精霊の印章は少しズレてしまって、鳩の喉元からは、艶やかに輝く銀色の粘液が滲み出してしまった。
鳩の胴体から溢れた銀色の粘液は、直ぐに輝きを失うと、鉛のような鈍い色味に変わり、粘土のような硬さになって、光の塔の梁の一つにこびり付いた。
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魔導回廊の魔力を吸い上げて、四六時中輝いていた光の塔は、今は夜空の下に本来の姿を見せている。
塔の中から窓を通して見下ろす地面も、塔の輝きを照り返さない暗闇のままだ。
窓の外の静かな宵闇を眺めていると、ラスキンの頭に、幼い頃に暮らしていた空堀り町での生活の断片が過った。
学者崩れの働かない父親、無許可の酒場を切り盛りしていたおしゃべりな母親、夜しか出歩けなかった自分は、魔導回廊に育てられたようなものだ。
そんな記憶に逃げ込むラスキンを引き戻すように、塔の上階で嫌な物音がした。
その音は、例えば趣味の悪い大型の魔物が、羽ウサギのような小型の魔物を踏み潰した時のように、肉と骨が同時に潰される、命が壊れる音だった。
ラスキンは随分と生暖かくなったミスリルの椅子から魔力を流し、音のした上階を探ってみる。
魔導回廊の補助がなければ、魔力による上階の探査は、自らの体で階段を登って見て回るのと同じ程度に疲れはしたが、ラスキンのか細い体力とは違って、その魔力は有り余っていた。
ラスキンは、ミスリルと木材を組み合わせて作られた光の塔の内部に速く細く魔力を走らせていく。
ラスキンの魔力が効率的に光の塔の中を駆け巡ると、直ぐに微量な風の精霊の魔力と、その魔力を蓄える魔素の劣化を感じ取った。
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魔素は精霊の死骸だ。
精霊は自らの命が終わる事を感じると、大きな魔力の流れに向けて身を委ねる。
魔導回廊が王都の地下で膨大な魔力を回し続けるようになると、瀕死の精霊は地下に集まり、魔素はミスリルの幹線にコケのようにこびり付き、大量に余るようになっていた。
魔素は本来は非常に貴重な物質だった。
ミスリルの原料になるのも、魔力そのものではなく、この魔素だ。
大量の魔力が金属を通過するさいに、その魔力が死にぞこないの精霊を集め、集まる精霊が死ぬと魔素となって金属の中に残り、そして魔素に満たされた金属はミスリルに変わる。
人がその身の魔力だけで、十分な量の半死の精霊を集め続けるのは至難の業だったが、魔導回廊の中を回転し続けている魔力が疲れる事は無い。
魔導回廊の中で魔力は回り続け、ミスリルは売れ続けたが、魔素は余り続けていた。
付与魔術師の働く商会へ向けて、魔素は印章やミスリルゴーレムの作動液に姿を変えて細々と卸されていたが、増え続ける魔素の量にその消費は追い付かず、魔素は王都の地下の、何処かの隅に、余り続けているはずだった。
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ラスキンが階段を登ると、直ぐに目当ての物は見つかった。
梁にへばり付く首のない鳩の死骸を目にすると、ラスキンの記憶は巻き戻り、若い頃に感じていた命をもて遊ぶ魔術への嫌悪感が蘇ってくる。
老いた自分は、魔物の生殖まで改竄しているというのに。
それが魔素から作られた見覚えのあるモノだと解ると、ラスキンはミスリルの内壁に手を付き、魔力を流して首のない鳩を起こした。
壁に激突する際に骨を砕いたようで、鳩は真っ直ぐに立つ事が出来ない。
ラスキンは、よろける鳩を自分の足下まで羽ばたかせようと試みたが、鳩は自分から溢れる粘着質な魔素に邪魔をされて、真下の床に落下した。
光の塔の冷たい床に、再び生々しい音がこびり付いた。
ラスキンが肉の破裂した哀れな鳩を手に取ると、その砕けた足には手紙を収めた小さな筒が結かれていた。
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止まっていた夜風が吹き始めた。
音のついでに止められていた風が林に流れ込むと、ノーリが丘から見下ろす木々は一斉に枝を揺らし、その葉を掻き鳴らしている。
ノーリに迷いは無くなっていた。視線の先には、矢傷を負ったまま放置された冒険者の姿が小さく見える。
荷物をまとめ、愛用のウォーピックの槌頭の側を掴み、短く持ち直すと、一息に丘を駆け下りていく。
ドワーフの短い足は、急な斜面でも縺れる事は無く、低い重心のまま力強く崖を下って行った。
斜面や山岳での戦闘であれば自信もあったが、街道で騎兵と闘う事も、森で野盗と争う事にも気が向かない。
だけれど風向きは変わったのだ。
ノーリは丘から林に降りても、足音を踏み鳴らしながら走り続ける。酔いは残っていなかった。
同時に、夜目を利かせながら、林の奥まで周囲の様子を冷静に観察する。
木々はあえて日当たりの悪い崖の下に植林されたようで、美しい白い幹が規則的に並んでいた。
高級な家具の材料になるのだろう。間引きや下草の処理も頻繁に行われているように見える。
そんな丁寧な管理が行き届いている林の中に、場違いな野盗の死骸が転がっていた。
夜盗の胸や腹から噴き出した血液が、白い幹を汚している。
そして、そんな光景を用意した騎兵の姿は、もう何処にも無かった。
夜盗の死骸が抱えていたのは、闇ギルドが扱う短弓だった。
魔導具ではない弓矢を、その矢弾の補充まで扱う組織など、王都近隣では他に存在しない。
ノーリは一度足を止め、大陸西側で暮らすドワーフ達が悔やみ続ける王都東の森に想いを馳せる。
追い剥ぎを行うのであれば、あの深い東の森の奥で、東の大河の先からやって来る商人を相手にしている方が、余程に実入りも良いはずなのだ。
どうして野盗は、こんな逃げ場もなく獲物も少ない、閑散とした林で荒事に及んでいるのだろう?
ノーリの視界には、すでに街道から外れ、横転した駅馬車が見えていた。
ノーリはもう一度注意深く野盗の生き残りの有無を確認すると、手にしたウォーピックを背中に背負い直し、倒れた駅馬車に駆け寄って行った。
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ノーリは駅馬車の側で倒れる冒険者の手当を急いだ。
背中に矢を受けていたが、急所は外れており出血も少ない。意識は無かったが、これは駅馬車から落下した際の脳震盪だろう。
冒険者の呼吸はしっかりとしていた。
首や脊椎などの骨折もなく、大事には至らないだろう。
ノーリは冒険者の背中の止血を手速く済ませると、顔を上げ駅馬車の周囲を見渡す。
駅馬車から王都に向けての街道には、徒歩で逃げ出したのであろう役人の死骸が転々と転がっている。
野盗に慌てて襲撃を行った様子は無かった。助けを求めに走る者から各個撃破したようだ。
そしてその後、野盗は自分たちが少数の騎兵に撃破された。
騎兵の残した騎馬の足跡は、役人の死骸には見向きもせずに、南東の要塞都市に向かって伸びている。
ノーリは周囲を警戒しながら、合計6人の役人の死を確認した。
彼らの官服は痛みも激しく、その色も褪せていた。
役人の官服の貧しさから、ノーリが仲間の待つ辺境の村の厳しい生活を思い出していると、駅馬車の中から物音がする。
駅馬車の中から現れたのは、花嫁のように美しい女性と、その従者のような髪の短い少女だった。
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夜の王都に銃声が響いた。
ティトは王城の正門の前で、夜風を浴びながら新しく制作する魔導具の構想を練っていた。
だけど銃声から押し付けられたストレスは、そんな構想は吹き飛ばしてしまった。
「本当に止めてほしい・・・」
つぶやいた独り言も、思いのほか大きく響く。
銃弾を撃つのは人間だ。訳の解らない魔物ではない。
どういうつもりで発砲したのか?は知らないが、ティトには、その銃声から悪意しか感じ取れなかった。
眼下の広場では、ハチの巣を突いたように、兵士たちが走り回っている。
少し前までは勇ましい顔で槍を振り回していたのに。
結局は一夜漬けも間に合わず、自分の持つ槍に自信など持てないのだろう。
ティトはまずは自身のミスリル製の作業着を、官服の形に戻した。
地位や階級のようなモノに真っ先に縋るのは、誇らしいと思える事ではないが、自分はただの付与魔術師なのだ。
事件や戦闘に真っ先に飛び込んでいくつもりはない。
周囲を見渡すと、槍を抱えた兵士たちが、城門の脇から現れ、銃声のあった方角を注視している。この暗闇が見通せるわけでもないのに。
どの兵士の顔も、まるで野外学習に出かける学生のようで、頼りになりそうには見えない。
流石に王城の正門まで流れ弾が飛んでくる事はないだろう。だけど、ティトの心の毛羽立ちは収まらなかった。
あの黒い両足のような魔物が、この暗い夜の中襲ってくるのか?
それとも、この緊急事態で、人と人が争っているのか?
どちらにせよ、そんな銃声の一発で、物作りへの想いなんて、簡単に消し飛んでしまう。
ティトは大きな声を出す騎士団の連中が大嫌いだった。
でもこんな時だ。きっとこんな時には、あの大声が役にたつのだろう。
心地よく感じていたはずの夜風は、今では不安な気持ちを掻き立てている。
ティトも兵士たちも、何も考えを進める事が出来ないまま、まるで誰かの大きな声を、待ち望んでいるようだった。




