45話 獣人
よろしくお願いします。
外灯が消えた王都の石畳の上を、影も姿もないままに、小さな足音だけを残して5人の騎士が駆け抜ける。
北軍の士長であれば、王都に堂々たる姿を見せる事も任務の一旦のはずだったが、ジェリマリガンは隠蔽の外套で自らの所属と心を隠したまま、王都の東の側塔跡の宿屋へ急いでいた。
王都始まって依頼の緊急事態とは言え、本来であれば、軍が民間の施設を接収する事などあり得ない。
普段から兵が集まる宿だと聞いていた事が甘えになり、何処の商会にも属さない独立した店主であった事が油断に繋がった。
エルフの血が混ざる血縁は、気の短いジェリマリガンが見渡し、把握しているにはスケールが大き過ぎた。
北の国境で国に尽くす軍務卿と、そのハーフエルフの御母堂に思いが至ったのは、夜空に隠れる王城の貯蔵塔を見た時だ。
数年前、軍務卿シャルル・モーリスは、王城の尖塔を貯蔵塔に改築してしまう事を提案した。
当初は貴族の大半が改築に反対していたはずだったが、魔導回廊に彼らの反論が溢れていたのは、軍務卿から正規の提案書が出された日の翌朝まで。
その日の昼時を待たずに魔導回廊は静まり返り、その後、夕刻には役人から貯蔵塔への改築案の図面が上がっていて、南北それぞれの騎士団長の了承を急かすように、商会による夜通しの工事が始まっていた。
ジェリマリガンは軍務卿シャルル・モーリスに異様な権力と人望が集まっている事に不信感もあったが、そのジェリマリガンをしても、出来れば軍務卿の悲しむ顔は見たくはないのだ。
姿を消したまま後ろに続く4人の部下にしても、顔色こそ見る事は出来ないにせよ、軍務卿に対する思いは似たり寄ったりだろう。
ジェリマリガンは、王都に入って真っ直ぐにミスリルゴーレムの墜落した現場に向かう心積もりでいたが、まずはハーフエルフの老婆フレジャ・モーリスの安否の確認を優先し、王都北側の大通りを急ぐ。
大通り沿いの貴族の邸宅は、普段通りに魔導具の明かりが煌々と照らされていたが、並ぶ外灯が全て消えてしまった王都の中では、貴族の強がりは浮いていた。
ジェリマリガンと4人の部下が足速に大通りを南下し、王城の前を走り過ぎると、王都東地区の被害の一端が見えてくる。
斜めに傾いた南軍の塔と、塔に引き倒されるように歪んだ城壁の影が、月明かりの下に露わになった。
そしてジェリマリガンは、水平ではなくなった東の城壁の稜線を、遠くから見渡せてしまう違和感に、少し遅れて気がついた。
本来なら視界を妨げていたはずの様々な建物が、丘ごと陥没した地面に引き摺り込まれ、更地のように均されている。
記憶にある王都からの変わり様に、ジェリマリガンは自分が余所者になったような疎外感を感じたが、そんな感傷に浸れていた時間は短かかった。
瓦礫の中、ジェリマリガンの視線の先に真っ黒い影が歩く姿が映る。
月夜の暗闇から際立つように、その歩く影の黒さは濃密だった。
北軍士長の職務に引き戻されたジェリマリガンには、その黒い影は、小柄なミノタウロスの姿に見えた。
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王都の目抜き通りの一等地で営業を行う高級宿”レセンティブス”は、王都始まって以来の危機と喧騒の中、宿の地下から続く避難シェルターへ宿泊客を案内していた。
どこまでも地中に潜っていくような地下階段に、宿泊客の顔は困惑して見えたが、いざシェルターの中に身を休めれば、地上のレセンティブスの客室と何も変わりない居心地の良さと安心感に、客は満足を得ているようだ。
レセンティブスは、元々は雷帝ベイトソンと同時代を生きた獣人の魔術師、ガラハムの王都での別邸だった。
南の要塞都市で働いていたガラハムは、王都の別邸を親しい知人に貸し出していたが、ガラハム個人のその習慣は、後に続いた一族の慣習になり、そしていつからか家業になった。
ガラハムには18人の妾がいた。
ガラハムは本妻だけを特別扱いする事はぜず、その財産は妾たちにも細かく分けられた。
その一つが要塞のように頑丈な、この王都の別邸だった。
ガラハムの子孫の中には、忘れられてしまった血縁も多かったが、王都で最も良い立地にある最も頑丈な建物は、永い月日を経ても硬質な美しさを保ち続け、内装やサービスは代々の店主によって弛みなく磨き上げられていた。
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レセンティブスの当代の支配人スリンクは銀の髪を短く刈り込んだ初老の女性だった。
血は薄まり、先祖の面影は殆どなく、人と同じように年を取ったが、その猫のような眼差しは魅力的だった。
スリンクは面倒な仕事は躊躇なく部下に投げていたが、客の体調や情感の移ろいに心を配り、宿の備品の一つ一つに機能美を求める抜け目のない女性だった。
スリンクが地下の避難シェルターに客を招くのは初めてではない。
レセンティブスの地下シェルターから続く地下道は、王都南西にあり、レセンティブスと代々提携して来た王都西地区のカフェ”スタブルム”の地下倉庫とも繋がっていて、カフェに馬を止めた客の密会に、この地下の客室の一つが使われる事も良くある事だ。
それでも、この惨事の中の接客はスリンクを疲弊させていた。
スリンクは従業員である一人の少女が消えてしまった事に、夜がふけるまで気が付かなかった。
少女は冒険者である兄に憧れながら、自分も中級冒険者となって街を出るのか?それとも軍の兵士になるのか?を迷いながら、仕事と訓練に明け暮れる活発な娘だった。
もう足音はしないから…と、皆の食事の買い出しのついでに、仕入先の商店の様子を見に出かけた少女は、首のない死体となって保護される。
少女は南軍の塔と王城を結ぶ、本来であれば王都で最も人通りの多い目抜き通りで、後ろから大砲で頭を撃ち抜かれたように、うつ伏せに倒れていた。
その手には、皆の分のサンドイッチが抱かれたたままだった。
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朝の辺境の海岸では、潮風に乗る海鳥と、破棄された防風林に停められた3頭の馬が、獣人と剣士の間にあった緊迫感が解けていく様を眺めていた。
朝露の光る草むらの中に、ラトロが刀の切っ先を下ろすと、乞食のような獣人はラトロの目を見つめるままに、温かい声色と柔らかい語り口で、ゆったりと話を始めた。
「もしもお前が進む道に迷っているなら…私と一緒に、その剣を振れなくした相手を倒しに行こう。」
獣人の言葉が途切れると同時に潮風が吹き抜け、獣人の腹から生えそろう長い体毛が揺れて下腹部が剥き出しになる。
ラトロは聞き心地の良い言葉と同時に、見苦しい物を見せ付けられて困惑した。
そして海岸で野宿をするような獣人から、進む道に迷んでいる事を指摘されている自分に、ため息混じりの笑みが零れてしまう。大きなお世話にもほどがある。
そして笑うラトロをみつめる獣人にも笑顔が浮かんでいた。
砂が混ざる毛むくじゃらの顔が、意外なほど優雅に微笑んでいた。
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全身から力が抜けてしまったラトロは、いつもの動作で剣を鞘に戻した。
付いてもいない血糊を払うように、剣はクルリ、クルリと二度ラトロの手の中を踊り、そのまま音もなく鞘の中に収まる。
ラトロはあれこれ頭を回す事を諦めて、今、思う事を素直に口にした。
「…どちらにせよ、今後の行き先にしても一人では決められやしない。」
ラトロは言葉を選びながら、軽く首を傾げた。
「体を癒やしてもらった恩もある。朝飯ぐらいはご馳走したいが…」
そう言ってラトロの視線は、乞食の剥き出しの下腹部に移る。
乞食のような獣人は、ラトロの視線を理解すると、重く短い嘶き声を上げ、面倒臭そうに胸毛の奥から一かけらの金属片を取り出した。
そして獣人は金属片に魔力を込める。
銀色の光が獣人の腰から膝、そして足元へと旋回しながら伸びていく。
光が収まると、獣人はその下半身だけをミスリルの板金鎧に包んでいた。
板金鎧はずいぶんと古臭い型のものだった。
獣人はラトロの視線を気にもせずに、おもむろに草摺の繋がる金属製の腰当ての中に腕を突っ込むと、腹から生える長い体毛を、下腹部から板金鎧の外に引き出した。
獣人のこんもりとした長い腹毛は、ラトロの目の前で再び潮風にたなびいていた。
更新が遅れて申し訳ないです。
いつも通りの修正と若干の加筆が入ると思います。
時間が無いときは、無いなりですね。
のんびりと進めていきます。




