44話 軍人
よろしくお願いします。
兵士たちが額に巻く鉢金は、暗闇の中でぼんやりと光り、汗まみれの手元を照しては、夜通しとなる補給拠点の設営を助けていた。
作業している兵士は100人を超えているはずだが、柔らかい光の数は20に満たない。
北の要塞の補給部隊は王国の兵士の中でも精鋭だったが、それでも魔力を持つ者は貴重だった。
補給拠点の設営を任された兵士コピアが見晴らしの利かない中での監督に走り回っているのを尻目に、副士長のサリバンは月明りの下で揺らぐ影のように、コピアや隊の騎士の視界の中に少しでも収まり続けるよう、ゆっくりと馬を操っていた。
明るい昼間に行軍し、暗い夜の中で体を休める。
暗闇の中での設営作業は訓練どおりのはずだったが、これだけ大規模になれば設営というよりは建設工事だ。
サリバンは作業の効率の悪さに申し訳のない気持ちにもなっていたが、気持ちは他の騎士たちも同じだったようで、夜警から外れた若い騎士たちは自主的に兵士の手伝いをしている。
そして若い騎士たちは、段取りの悪い作業行程から溢れて手持ちぶたさになると、サリバンを見つけては、同じような質問を投げかけに来るのだ。
サリバンは繰り返される質問にウンザリしていた。
体力と意欲を持て余すのは仕方がないが、魔導回廊が無い中では、些末な事の周知にも時間を取られる。
魔導回廊のない世界では、思いの他、中間管理職の雑務は増えそうだ。
また新たな若い騎士がやって来て、サリバンの前に膝を付き、大きな声で質問をぶつけて来る。
「副士長殿!なぜ直ぐに王都へ入らないのですか??」
普段、北の要塞で暮らす若い騎士に解らないのも無理はない。
サリバンは膝を付く騎士に向け、何度目かの答えを再び繰り返した。
「要塞は騎士の物だが、王都は貴族と商会の物なのだ。」
せめて王が王都におられれば、融通も利いたかもしれないが、これから王都に向けて集まる救援物資をそのまま王都に持ち込む訳にはいかない。
ただ仮置きするのにも、面倒な利権が生まれてしまうだろう。
それに、そもそも王都の中に余分な倉庫など無いはずなのだ。
農地から民の食卓まで、全てが魔導回廊で繋がり管理されていて、必要な分だけを必要な時に運び込める流通網が完成していた。
王都で食料の備蓄をしているのは、南北の軍の塔と、王城の貯蔵塔だけだ。
「最初が肝心なのだ。広く民を助ける意味でも、なるべく余計な者に頼るべきではない。」
サリバンの答えに、若い騎士は一つ老け込んでしまったような渋い顔をしている。
自分が生まれる前からの仕組みや、騎士として力をつけても及ばない柵を感じているのだろう。その無力感はサリバンにも覚えがあった。
既にサリバンが若い騎士に向けて語る事は何も無かったが、若い騎士を置いてその場を立ち去る事もない。
ただ項垂れる騎士が顔を上げるのを待ちながら、兵士たちの設営作業を見守っていた。
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ラトロと名乗った盗賊は、早死にした母から父親が軍人であった事は聞いていた。
騎士なのか?兵士なのか?は聞いていない。話せないのであれば、名誉ある騎士ではないのだろう。
母が死ぬ前から、既に盗みは覚えていた。
そして母が死んでからは、殺しの腕に磨きをかけた。
ラトロと名乗った盗賊が生まれ育ったのは、墓に囲まれた辺境の土地。
王家の墓から貴族や騎士の墓まで、どの墓もまだ真新しく、生きている者よりも死んでいる者が幅を利かせるような土地だった。
墓参りの貴族を目当てにした宿泊施設が細々と営まれる集落は、王家の直轄領のはずだったが、今代の王は見栄を張る事はなく、直轄領は分相応に寂れ続けた。
そんな衰弱し続ける集落にあって、王や貴族の墓を守って来たのは、軍人ではなく魔導回廊だ。
王墓の壁や扉には、高度な土の精霊の印章が組み込まれ、美術品のように美しく装飾された特注のミスリルゴーレム達は、魔導回廊の無尽蔵の魔力に支えられながら一時も休まずに王墓を守る。
王墓に眠る宝物は世界中から盗賊を集めたが、彼らは魔導回廊の守りに手も足も出せずに退散していった。
眠る宝物を諦められずに、墓の周りに僅かに残った連中たちも、次第に魔導回廊からは目を逸らし、墓参りの貴族の懐に細々と手を伸ばす事になっていたが、それも貴族の落とし物や忘れ物を増やす程度が精々だった。
墓参りに訪れる貴族たちは、財布や宝石がスラれた事にも、辺境の影に塗れた殺し屋に顔を覚えられた事にも、気が付かないまま家路についた。
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ラトロは海沿いの牧草地に立ち、剣を八相に構えながら、軽過ぎる自身の体に動揺していた。
怪我を負い自由を失っていた右半身の重さも、その右半身を庇いながら生活していた左半身の強張りも今はない。
おまけに、まだ駆け出しだった頃から付き合ってきた、左の太ももの忌々しい古傷の痛みも消えている。
まるで剣士として積んだ研鑽をそのままに、若い自分に戻ったようだが、ラトロの気分が晴れる事はない。
目の前に立つ乞食のような獣人は魔法剣士のユダと名乗った。
ラトロは自分が世情に疎い田舎者である事は自覚している。
それでも、魔法剣士ユダとして名を馳せた、獣王ユダプスの事ぐらいは知っている。
確かに魔導回廊から逃げ回る盗賊などという仕事を生業としてきた以上、魔導回廊の中の情報に触れることは滅多にない。
だけど一人の剣士として、ユダプス王の大礼服を着崩した姿絵は、ラトロの目に強く焼き付いていた。
だからこそ、ラトロの目には眼前に立つ毛むくじゃらの獣人が、魔法剣士ユダとは重ならない。
本当に魔法剣士ユダであるなら、雷帝の剣”トニトロム”を背にしているはずだ。
目の前の乞食のような獣人が腰に下げるのは、剣というよりは片刃の鉈のように見える。
それも皮鞘におさまる程度のなまくらだ。武器というよりは農具に近い。
ラトロはその農具と刃を合わせる事を想像すると、肩から力が抜けていくのを自覚した。
獣人から魔法が放たれたとき、草原に倒れ動揺したのは、動かない体に乗った卑屈な脳だ。
その卑屈な脳の動揺が、動く快活な体とかみ合わなかった。
ラトロは意識して肩の力をさらに緩める。
そうすると、体に溢れる快活さが、少しづつ頭の中にも浸み込んでいくように感じた。
この獣人の魔法で、不意に体を貫かれたのは間違いないが、それで体は回復したのだ。
いや、魔法というよりは獣人特有の呪術のような物なのかも知れない。
獣人の目を見れば、ふてぶてしく微笑んでいる。悪意は全く感じない。
ラトロは、なぜ自分が獣人に刃を向けているのか?訳が解らなくなって来た。
自分は、ただ軽く若々しく動くようになった体で、剣を抜きたいだけだったのではないか?
卑屈だった脳が、動く体から最初に得た驕りは、今は体から溢れる健やかさに包まれて、朝の清々しさの中に溶けていくようだ。
そうやって、ラトロが朝の草原の香りの中に浸っていると、海風が獣人の饐えたような体臭を混ぜ込んで来る。
やはり獣人は乞食にしか見えない。
ラトロはもう一度、深く澄んだ獣人の目を見つめると、手にした剣先を地面に向けて、ゆっくりと下ろし、柄を握る力を緩めていた。
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暗い洞窟の中で暮らしてきたドワーフからすれば、夜目が利く事は当たり前だった。
だけれど、狭い洞窟の中で暮らしてきたドワーフに遠目は利かない。おまけにノーリは酔っていた。
古い友人の家には大きな酒樽があったが、あまり減ってはいなかった。
大きな酒樽を空にするのは、死んだ仲間や去って行った仲間たちへの義理にも思えた。
ノーリは丘の上に土魔法で作った窪みの中で、腹の中に溜まった酒で重力を感じながら微睡んでいた。
今後の進路への悩みは、ようやく眠気の前に挫けている。少し不用心だったが、朝日に追いつかれる前に、ここでこのまま眠ってしまうつもりだった。
その窪みの居心地が良かった事もあるだろう。ノーリが丘の下を走り抜ける駅馬車の異変に気が付くのは遅れた。
駅馬車の上に、雪のような輝きがキラキラと降り注いだ時も、それが矢尻の照り返しだとは気が付かなかった。
矢が刺さった馬の一頭が暴れ、駅馬車が林の茂みに乗り上げても、まだノーリの頭は働かない。
酔いが一気に覚めたのは、周辺に大規模な風の精霊魔法が使われたからだ。
音の響きを打ち消す魔法は、風の精霊魔法の初歩のものだが、これほど広範囲に使われるのは異常だった。
ノーリは土魔法で窪みの凹みを膨らませると、その勢いで立ち上がった。
眼下に広がる林の木々の枝が、所々で大きく揺れたように見える。声も落下した音もしないが、樹上の人が落ちたように感じる。
ノーリは地面に突き立てたウォーピックをひったくり、小さな簡易テントをフワリと潰すと、直ぐに丘の岸壁へ身を伏せた。
優れた風魔法使いは、呼吸から人の居る位置を探ると言われている。
ノーリは身を伏せた所で、ここに居る酔っ払いの事など、風魔法使いには筒抜けである事は解っていたが、自分がその風魔法使いの事を知らないままなのは我慢がならない。
音が消えた空間では、林に突っ込んだ駅馬車は凍ってしまったように静止していたが、そこに8~9騎の騎兵が現れた。ノーリは騎兵の一団に目を凝らす。
先頭に立つ一騎は、一段と軽やかに馬を操っているように見える。その騎士の鎧と銀色の髪は、月明りの下でぼんやりと光っていた。
その騎兵も後ろに続く騎兵たちも、北軍への所属を示す騎士の軍服を身に着けていた。
寒くなりましたが、まだまだ繁忙期は続きますね。
もう少し更新が遅れる時期が続きます。




