43話 夜道
よろしくお願いします。
駅馬車は夜の南街道を飛ばしていた。
馬から飛び散る汗が、ランプの明かりで輝いている。
駅馬車に据え付けられたランプは、ただの装飾のはずだったが、石鹸の製造のために備蓄されていた獣脂を流し込めば、立派に明かりを灯す事ができていた。
ランプから立ち上がる獣臭い煤から顔を背むけながら、駅馬車の屋根では冒険者が身を伏せて周囲を警戒していた。
冒険者からすれば、魔導回廊が消えて無くなった事は想定外も良い所だ。
冒険者ギルドで提示された報酬の魔力では、夜のダンジョンの中を突っ走る危険には見合わない。
そんな文句をぶつけようにも、既にその冒険者ギルドとは連絡も付かなくなっている。
のんびりと御者と話をしながら、南の騎士団の要塞都市に守られた草原を、ぐるりと巡る簡単な依頼のはずだった。
普段であれば、種まきの始まるこの季節には乗客など殆どいない。
守る対象も少ない気楽な依頼のはずだったが、魔導回廊が止まった街道を走る駅馬車は、どういう訳だか満員御礼。
駅馬車の客室のピリピリとした空気に押されるように、冒険者は駅馬車の屋根に逃げ出していた。
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駅馬車に後から乗り込んできた客の大半は、農村を収める小役人だった。どの顔も、初めから抱えきれない不満と不安を隠す気は無かったようだが、旅程が進み、魔導回廊が消えてしまった事が腑に落ちる頃には、王や貴族へ自分たちの会話が漏れ無くなった事に気が付いたようで、馬車の中は賑やかに愚痴や陰口が飛び交っていた。
話が小役人の愚痴や陰口で済むならまだしも、駅馬車から夜の平原に向けて騒ぎが溢れそうになったのは、客室の端に座る細身の女性が声を荒らげたからだ。
女性の顔は、まるで花嫁のように綺麗に手入れがされていて、一目見れば穏やかで知的な印象を受ける。さらに隣には、帆布を頑丈に縫い込んだ大きな鞄を抱える、暗い顔をした髪の短い少女が座っていた。
小役人たちからすれば、駅馬車を利用する程度の、取るに足らない弱小貴族の子女と、その従者にしか見えなかった。
女性が立ち上がった時、馬車の中には南の森の香草の香りが広がった。
伝統的に祝儀で使われる香りだ。
小役人たちの中には、まだ若かった頃の妻を思い出す者も居れば、キリキリと胃が痛んだ自身の結婚式を思い出す者もいる。
だけど、そうやって小役人たちが呆けていられたのも束の間、女性の理路整然とした説教が小役人たちを黙らせ沈めていった。
女性の話には、地道に休まず怠らず、黙々と完璧な仕事を続けている人間特有の説得力があった。
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駅馬車の外に小役人の愚痴が溢れることは無くなったが、女性の説教は駅馬車の外に盛大に溢れる。
南の平原の中を走る街道の所々…視界の悪い沼地の茂みや、丘から見下される浅い谷間へも、甲高く生真面目な怒声が朗々と響きわたっていた。
そして若い女性の金切り声へ群がるように、周囲の木々から矢の雨が降りそそいだ。
駅馬車の上で警戒していた冒険者の努力は、不幸な形で報われた。
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ジルは時間を持て余していた。今日に限っては、寝ろと言われても寝つけるものでもない。
夜警のメンバーから外されたのは、明日以降の調査隊に駆り出されるからだろう。
回復魔法が使える軍医は他にも居たが、まともに銃が扱えるのはジルだけだった。
ジルは銃を背負ったまま城の中を歩く。暗がりの中では子供は眠る時間を迎え、昼間横になっていた老人たちは起き始めてボソボソと一人言を言っている。
あれだけ大声で役人に怒鳴り散らしていた大柄な女性たちは、今は声を殺して泣いていた。
ジルは月明りを求めて王城の回廊の2階に上がり、視線を城の内側に向けると中庭を見下ろした。
上から眺める夜の中庭は真っ黒で、城の中央に巨大な大穴が開いたようにも見える。
その暗闇の中で、体を休める王都の住民たちの命の気脈が弱く柔らかく光っていた。
黒い塊のような暗闇の中に、白い気脈の光が蠢いているのを眺めていると、ジルは巨大な黒い両足から生えていた、人間の腕のような触手を思い出した。
嫌なものを思い出してしまったジルは、気分転換に王城の外に目をやった。何気なしに矢狭間から外の大通りを覗くと、遠くに白い糸束のような物が見える。
街灯の落ちた王都北側の大通りの夜道の中では、その白い糸束は妙に目立っていた。
ジルは背筋に寒気を感じると、急いで貯蔵塔の外階段を駆け上がり、王都北側の大通りに目を凝らした。
昼間の明るさや、以前の王都の煌びやかな夜景の光の中では気が付かなかったが、暗闇の中では、かなり遠くの命の気脈も視認出来るらしい。
白い糸束のように見えていたものは、5名の不審者の強く輝く命の気脈だった。ジルは外階段に身を伏せながら、縦に5人分、整列しながら進む命の気脈から目を離す事が出来なかった。
貯蔵塔の外階段はミスリルで作られていた。魔導回廊が健在であれば、直ぐに報告も上げられただろう。
だけどジルには報告を上げる手段もなく、報告を上げる対象も解らない。
5つの命の気脈の輝きは夜道を進み、貴族の邸宅の窓から零れる光の中に入った。だけど彼らの姿は見る事が出来ない。
5人がそろって”隠蔽の外套”を使い、夜の王都に忍び込んでいるのだ。
新しい上司になるはずの北軍の士長は、まだ南軍と合流してはいない。だけどジルに悩んでいる暇はなく、足は階段を駆け下りていた。
噂では、北軍の士長ジェリマリガンは、どんな戦場にも率先して足を踏み入れる騎士だと聞いていたが、実際に頼りになるのかは解ったものじゃない。
現に、南の士長にしても、この一大事に行方不明のままなのだ。
宰相だって、会ってみれば、聞いていた話とは全く違う人間だった。噂などあてにはならない。
ジルは、何処に居るのか? いつ現れるのか?も分からない、顔も知らない上司の指示を待つ気は無かった。
ジルは弾丸の少なくなった銃を担いだまま、5人の侵入者の後を追いかけた。
王城から出る事には躊躇もあったが、兵士が歩けない夜道であれば、それは既に王都の大通りとは呼べないのだ。
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ティトは王城の地下に備え付けられた厨房の一角で麦俵の上に座り、怯えた子供のように小さく固まっていたが、突然、勢い良く顔を上げた。
ティトはそのまま感情に任せてマルフェオの手から図面をひったくると、それをその場で作った作業着のポケットに突っ込んだ。
地下の厨房の一角に緊張感が走ったが、マルフェオの表情は穏やかだ。
そしてティトはそんなマルフェオの顔も見ずに、王城の地下の厨房を後にした。
ティトは王城の地下の固い石畳の床を速足で歩き回ったが、中庭へ続く扉を開けても、暗い王城の中を進んでも、一人になり腰を落ち着けられる場所は何処にもなかった。
ティトは眠る王都の住民たちを避けながら今まで進んで来た場所を一つづつ戻って行く。
中庭から回廊の下をくぐって、一旦、王城の直ぐ脇の大通りに出る。
衛兵と揉めていた港の自警団は、荷物を野積みして帰ったようだ。
王都の住民が作る長い行列も消えていたが、それはトグロを巻くように、肩を寄せて眠る人混みに変わっている。
月明りが照らす中、広々とした夜道を歩いて行けば、ティトは王城の前庭を見下ろせる王城の正門前の階段へ帰って来ていた。
王城の正門から続く階段に腰を下ろすと、暗くなった前庭が見える。
殆どの明かりは消されているが、麦俵の積み上げられた一角は兵士が立っていて、ランプの明かりも残されている。
兵士たちが守っているのは城でも民でもなく食料だった。でもティトはそれで間違っていないと思う。民が食料を盗む事だってあるだろう。
麦俵から少し離れた広場では、暗闇の中、兵士の槍の穂先が月明かりを反射していた。兵士たちが不慣れな槍の訓練をしている。
兵士たちは各々が思うまま、勝手に槍を振り回していた。
ティトには武術は理解できなかったが、技術を身に着けるためには良い手本となる指標が必要な事は知っていた。
ティトはポケットに突っ込んだ羊皮紙の紙片を取り出した。
階段に腰掛けるティトが手元の紙片を開くと、その視界には、汗でべったり濡れた、白銀に近い金色の髪が覆い被さって来る。
ティトはいつものミスリルの髪飾りに魔力を流すと、それをカチューシャに変えて髪をかき上げた。
そのままカチューシャはぼんやりと光を残し、羊皮紙を広げるティトの手元を照らしていた。
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羊皮紙に書かれていた魔導具は、自分の考えていた護身用の装身具に姿が似ていた。
魔力の流れ方など、先日制作した弾丸の底に這わせたミスリルの輪そのものだ。
ミスリルの輪の中を魔力が流れ続ける事で、魔力をストックしておく事が出来るのだろう。
魔力証が大きな魔導回廊の流れに繋がるためのパスになっているのに比べて、この仕組みでは魔導回廊から独立した小さな輪を、たくさん作る形になる。
単純で簡単な仕組みだ。なんでこんな簡単な物が今まで無かったのか…ティトの頭には、昼間に南軍の塔で失敗した、砲弾の底で歪んだミスリルの輪が過ぎった。
ティトは階段に座り込み、ぼんやりと照らされる羊皮紙を眺め、解る事だけを丁寧に考えながら、マルフェオが作りたい仕組みを理解していった。
魔導回廊とは無関係に、各々が勝手に魔力を貯め込んでいく仕組みには危うさも感じたが、おそらく、この仕組みは物理的なミスリルが担保になる。
いや、物理的なミスリルと、それを加工できる付与魔術師の腕が担保になるのだ。
魔導回廊が止まり、ミスリルが新たに生産できない世界では、新しい価値を貯蓄していける”資産の形”になりえるが、魔導回廊が復旧してミスリルが安く作られる世界に戻れば、その瞬間にこれは陳腐化して、魔導回廊が作る秩序の邪魔にはならないのかも知れない。
ティトは魔力を魔導回廊にコツコツと貯蓄をしていく事が好きだった。それは将来の自分が誰かを頼るための担保だった。
魔導回廊の中に蓄えられていく魔力は、これから始まる人とのつながりを象徴しているようだった。
そんな誰かと誰かが、お互いに頼る事が出来る出会いの象徴が、無くなる世界は見たくはない。
ティトは自分の役割をしっかりと自覚した。
この仕組みは単純で簡単な仕組みだ。だれでも似たような物が造れるだろう。
だからこそ、王城で発行された物こそ一番の価値が付くように、自分の手で、最も効率に優れる純度の高い物を作るのだ。
ティトはその場に立ち上がると、魔力を惜しむことなく浄化の魔法を使い、髪と体に付いた汗を清めた。
付与魔術士の髪をまとめるカチューシャは、水面に映る月のように、ぼんやりと光り続けていた。
更新が遅れて申し訳ありません。
昨年同様に、年末から確定申告が終わる来年の3月まで、さらに更新が遅れると思います。
予めご了承下さい。




