39話 実験
よろしくお願いします。
光の塔の小さな窓に夕日が入り、その小窓を通った赤い光が、塔の一階の床に開けられた隙間を抜けると、光はその先の地下室の天井から少しだけ零れ、地下の一室に据え付けられた机に座る魔道士ラスキンの禿げた頭を照らしていた。
その地中に隠された実験室の天井から、少しづつ差し込む光を見上げ、ラスキンは光の精霊の言葉を聞き写している。
魔導回廊が止まった後、光の精霊はやけにお喋りになった。日の当たる外になど、とてもじゃないが、喧しくて出歩く事は出来ない。
太陽が夕日に変わり、地下室へ絞られた光が弱く控えめになっても、言葉を記述していくのは一苦労だ。
かと言って、この光の精霊の忙しない物言いが、今回の惨事に無関係とも言えないのだ。
何か光の精霊が投げかけてくる言葉の中に、状況を打開していくような光明があるのかも知れない。
光の精霊の言葉数が増えたのは、今回の惨事を境にしているのは間違いがなかった。
ラスキンはブツブツと小言を吐き続ける光の精霊から一度その意識を逸らすと、ただの硬い金属の家具に変わったミスリルの椅子にもたれかかり、女々しい回想にふける。
もしも自分が実験に明け暮れる生活を続け、幸運にも恵まれ、光の魔法の中に火の魔法のような攻撃魔法を見つけていれば、あの真っ黒い巨大な両脚を消し飛ばせていたのではないか?
でも現実には、そんな都合の良い魔法になど、ラスキンは出会えていなかった。
雷帝は、雷の魔法を光と風の精霊の繋がりから見出したらしいが、ラスキンには風の精霊との付き合いもない。
ラスキンが光と土の魔法を混ぜる”埃の魔法” を見出す事が出来たのも偶然なのだ。
王都からはみ出した、空堀り町の埃臭い片隅で、光の精霊と土の精霊が戯れている姿と出会えただけだ。
精霊魔法はとにかく不安定だ。
偶然に出会えた精霊が、たまたま語ってくれた言葉を、意味も解らなく唱えてみて、それが運よく自分の魔力で制御できれば、初めてその効果を知る事ができる。
その癖、その効果が人にとって良好な物とも限らない。
人当たりの良い光や風の精霊に比べて、気性の荒い火の精霊の魔法があまり発展せず、闇の精霊魔法に限っては、殆ど手付かずなのも当たり前の話だった。
だからこそ、あの巨大な闇の両足が制御されていた事が問題なのだ。
まるで、どんなリスクも引き受けられる・・・それこそ不死の存在が、自分の体や精神を犠牲にしながら実験を繰り返したように思える。
常人には無理ではないか?過去から積まれてきた羊皮紙にもそんな記録はない。
ラスキンには、やはり、そんな事は不可能に思えた…あの二人を除いては。
ふとラスキンは、今、暗い地下室に小いさく区切る形で招いている、光の精霊との向き合い方を重ねて考えてみる。
今のラスキンとは逆に、全てが明るく照らされた部屋の中へ、少しの闇の精霊を招いて話を聞く事なら出来るのではないだろうか?
ラスキンは無為にもあれこれと、その具体的な方法を夢想した。
輝く大きな部屋を思い浮かべると、頭には港の朝日を浴びて輝くミスリルゴーレムが浮かんできた。
ミスリルゴーレムは光の精霊の泡立ちを押しのけて空を進んでいくと、いつの間にかに片足になっていて、そして片足のミスリルゴーレムは東の丘に落下し、ラスキンは現実に引き戻された。
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王は朝日を浴びながら青草の上で胡坐をかき、頬杖をついて考えていた。
視線の先には、盗賊ラトロと名乗った大怪我を負う男が立っている。でもコイツは王の知っているラトロとは似ても似つかない。
そして、その謎のラトロの背後には、王都に急ぐ王が必要としている馬が居た。
3頭の馬は、各々逃げ道を確保するように、王に対しては馬体を横に向け、視界の端でこちらを観察している。
王はいつもの通りに単純に考えて、即、行動に移した。
この男にとっては試練になるかも知れないが、王にとってはいつもの趣味の悪い実験だった。
あの怪我では3頭もの馬は必要ないだろうし、結果的には、この男が取り戻す物の方が大きいだろう。
王は右肘を胡坐の膝に付いたまま、気だるそうに左手を盗賊ラトロに向けると、その魔力を男の命の気脈に打ち込んだ。
王の魔力を受けた男は、雑木林の方へ緩く傾斜した草原に仰向けに倒れる。
王の魔力は男の全身に回ったようで、もう男の右肩からは怪我が化膿する臭いはしない。
しばらく男の体は硬直し、動かす事は出来ないだろうが、体が動けば右肩も同時に動いているはずだ。
近くに魔物の気配もなし、あれだけ丁寧な治療を続ける近親者がいるのだ。すぐに男を探しに来るだろう。
王は、草原の上で汚れたままに乾いてしまったローブに顔をしかめると、それを拾い肩にかけ、馬の待つ雑木林に向けて歩き始めた。
3頭の馬のうち、2頭が狼狽えて暴れ始めたが、中央で立つ馬は堂々と王へ視線を返している。
王は拝借する馬に目星を付けると、明るくなって来た雑木林の周囲を見渡し、この後の進路について考えていた。
「待てよ。俺の体に何をした…」
王は男の声に振り返った。
男は既に立ち上がり、その左手は鞘のまま、右手は腰の長剣の柄を握り、低い姿勢で身構えている。
王は男が立ち上がった事も驚いたが、音もなく剣を構えている事にも驚かされた。
男がその気なら、王は背後から一太刀もらっていただろう。
王の魔法から立ち上がってきたのは、近頃では老騎士ジェリマリガンと、その倅ぐらいか。
これだけの強さの男…いや一流の剣士が、こんな辺境に居たのでは王国の損失だ。
万が一暴れられれば中々に面倒だろう。辺境の兵士程度では束になっても敵わない。
そして、このラトロという剣士が、あれだけの大怪我を負い戦闘不能に至るなら、その原因を作った相手がいる。
王の知る限り、こんな辺境に、そんな相手の覚えはない。
どうやら厄介な事になりそうだ。
王はいつもの通りに単純に考えると、即、結論を出した。
厄介事は、後回しにしても、ろくな事にはならないのだ。
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シジフォスは地中の空間に立ち上がると、その中央まで歩き、周囲を見まわした。
黒一色の濃淡で描かれた世界では、シジフォスが地上で見てきた物と正確に見比べる事は出来ないが、どうやら人口的な空間のようにも感じる。
ただ、床や壁、天井の表面は人が生活を送るために作ったにしては処理が雑過ぎる。
ザラザラとしたおそらく岩であろう物の質感に優しさは無く、ここに寝巻のまま寝ころべば生傷は絶えないだろう。
その場所は正方形に近かったが、やはり部屋というには天井が低すぎる。
一面には出入り口のような真っ黒い空間が続いていて、その反対側には未処理の自然の岩場のまま放置されているような壁面があり、その割れ目や隙間から銀色の粘土が染み出ていた。
岩壁の隙間から床に広がる銀色の粘土のようなものは、柔らかさに変わりはないが、やはり輝きは徐々に弱まっているように見える。
粘土の底に沈む、黒い印章のような小さな塊も相変わらずだ。
シジフォスは、壁や天井に生身の左手を付きながら、魔導回廊を探してみる。
気になる返信や調べたい情報は山のようにあったが、魔導回廊は見つからなかった。
シジフォスは自分がどれだけ現実の生活から離れた場所にいるのか?を思い知る。
シジフォスの心は小さく縮まり、体との間に寒々しい隙間が広がった。
シジフォスは縮んだ心に合わせて、体も縮めてその場に座り込み、この隙間を埋めてしまいたかった。
でも、長年暮らした安宿や、レセンティブスの柔らかいベッドの上ならともかく、こんな削りたての岩場のような場所で時間を潰す気にはなれない。
仕方なく、シジフォスは出来る事から手を付ける。
出入り口らしき真っ黒な空間の先に注意を払いながら、不慣れな黒い右腕に魔力を流し、様々な形に変化させてみた。
この真っ黒い物質が何なのか? は全く解からない。
”鑑定”の魔法はシジフォスも得意だったが、あれも魔導回廊の中の情報を手にした物体と紐つけて検索していく魔法であって、今は役に立ちそうになかった。
シジフォスは、まず限界まで長く、限界まで薄く、右手を変化させてみた。
この右手はミスリルよりも驚くほど軽い物体のようで、長く薄く広げても、自重で傾き折れる事は無く、この空間いっぱいに広げ、腕で保持する事が出来た。
しかも、壁や天井、床の闇の中に黒い腕を伸ばすと、吸い込まれるように何処までも伸びていく。
伸びるスピードは遅く、手元に戻すスピードも遅い。そして手触りのような触感とは違うが、棒で物を突いているような感覚は肘から伝わって来る。
遠慮なく突き抜けているのだが、その突き抜けた先が土であるのか?岩であるのか?の区別を付ける事は出来るようだ。
シジフォスが黙々と右腕を変化させていると、突然、出入り口のような真っ黒い空間の先から、地面を強く蹴るような強い音が聞こえてくる。音はシジフォスを威嚇しているようにも聞こえた。
シジフォスは左手を身構えた。薄く広がった右腕は、まだ一部が天井に溶け込んだままだ。
シジフォスの頭は、このまま実験に没頭し続けたい事を望んでいたが、その目は黒の濃淡だけになった視界の端に、薄い灰色の影が入り口の先を横切った事を見止めていた。
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宰相ラスキンにとって、現実での選択肢の少なさと見通しの悪さは、地下に沈む暗く狭い坑道のようで、心は既に曲がりくねり、小さく縮み込んでいる。
地下室には、まだ自身の妻や、若い冒険者の匂いが残っていた。3人の大人が心地良く収まる広さの部屋でもなく、外へ空気も流れない。
ラスキンは、このまま地下室の机に身を縮めていたい気もしていた。
ラスキンはペンを置くと、インクで汚れた自分の裾に浄化の魔法をかけた。
布地の上を魔力が滑ると、インクの汚れと共に青白く光りながら揮発していく。
ミスリルのように魔力を吸い込む金属の浄化や修復とは違い、布地の浄化は少量の魔力で簡単に美しくなる。
物質に対する付与魔術は、誰が何処で使っても、いつも単純で機能的だった。
光の精霊の口数が増えた事とは対象的に、ラスキンの宰相としての仕事は驚く程に少なくなっていた。
宰相ラスキンは暇なのだ。
今の王都は、森と荒野の境目に都が建設されて以来、もっとも困難な危機にある。
なのに宰相ラスキンは光の塔に引きこもり、実験のついでにひたすら精霊の言葉を記述し続けているだけだった。
何しろ、手紙の形で命令を下そうと、まず相手に届くまでに時間がかかり過ぎる。そして、相手方からの返信が届くのに、また時間がかかり、その時間は全く読めない。
ラスキンは、最初に矢継ぎ早に指示を飛ばした後は、その後の報告からは放置されていた。
そして思うのだ。魔導回廊が作られる以前、過去の宰相は何をやっていたのだろう?と。
ラスキンが天井から零れる小さな光に照らされた机から立ち上がると、魔導回廊の中を魔力が回っていた頃では使えなかった実験用の魔力炉に目をやる。
小型の魔力炉は一階へ上がる階段の影に置かれ、この地下室からさらに地中へ導管が伸びていた。
小ぶりな浴槽ほどの魔力炉の中を、魔力が高速で回り続けている。動作させて、もう半日程になるが、その魔力炉の縁に、少しづつ銀色の柔らかい粘土のような物が付着し始めていた...雷帝の残した羊皮紙に書かれていた通りだ。
ラスキンは魔導回廊が止まってから、直ぐに取り掛かっていた実験に一応の手応えを感じたが、心はまだ不安定なままだった。
そして新しい仮説を立て、手探りを続けながら、次の実験に移る準備を初めていた。




