37話 階段
よろしくお願いします。
護衛をしてくれていた兵士と別れ、一人になったティトは王城の正門へ向かう階段を上っていた。
背中には呑気に輝く太陽の熱を感じる。壁に挟まれるような狭い階段へは風も通らず、ティトにはかなり蒸し暑かった。
階段は2度直角に折れ曲がり、その度に壁に斬り込まれた矢狭間が気になるが、その奥に人の気配はない。
ティトが階段を登りきると、閉ざされた王城の正門が見えて来る。ティトは、その扉が閉まった姿を初めて見た。開放的な美術館だった頃の面影はない。
久々に仕事をしたのであろう巨大な蝶番は、錆取りで磨かれた後が目立ち、まだ塗りたての油がヌメヌメと光って初々しいが、鉄の扉は城の歴史を体現するような重厚さを持って、ティトの前に立ち塞がっている。
ティトは進路が閉ざされている事を知ると、進んできた階段越しに王城の前庭を見下ろす。
前庭で慌ただしく働いている兵士や避難民に比べると、ティトだけが意図せずに行動を区切られ、時間がないはずの体を持て余していた。
ティトは今まで耐えていた帷子の肌触りの悪さに我慢が出来なくなって来る。階段を上って汗をかいた事も不快だ。足も痛いし、お腹も空いている。
苛立つティトが立ち止まり、現実から目を逸し始めていると、城門の脇から現れた兵士が話かけて来た。
「王城への御用でしたら、裏門へ回って下さい。」
疲れた顔を見せる兵士が持つ武器は、見慣れたミスリル銃ではなく、一部のオークやゴブリンが使っている長槍だった。槍の柄の部分は木材で作られていて、相当に古い物に見える。ミスリルはその槍の穂先にしか使われていない。
槍など、ろくに訓練もしてないのだろう。兵士が槍を持て余しているのは、戦闘の素人であるティトにも伝わって来る。
それでも今、ミスリルは貴重な物なのだ。ミスリルの弾丸を消耗する銃など、警備程度には使えないのも理解出来る。
ティトは兵士に自分の名前を伝え、マルフェオとの面会を求めてみるが、兵士の答えは変わらなかった。
魔導回廊がない王都では、誰が誰だか解らない。ティトがマルフェオの部下である事の証明も出来ない。
ティトは仕方なく、登って来た階段を引き返した。
▼
ティトが王都の外をグルっと回り裏門に辿り着くと、既に長い行列が出来ていた。ティトは心底ウンザリしたが、愚痴や嫌味を放り込める魔導回廊はもうどこにもない。
行列の先は中庭への通用路へ続いていて、港の自警団が衛兵と揉めていた。港から運んで来たのであろう物資が、所在無さげに渋滞を作っていた。
こういった理不尽に退屈な時こそ、魔導回廊に繋がって無意味な調べ物でもすれば時間を潰せるのに。
ティトには、前に並ぶ王都の民の全員が、そんな不満を抱えているように見えた。
ティトは行列に並ぶと、魔導回廊から逸れた生の自分の頭で、光の魔法への対処の続きを考え時間を潰す。コスト、時間、人手、供給方法...と、問題は山積みで吐き気を感じる。
ティトは無性に紅茶が飲みたくなった。
経費で落ちなくてもいい。割高な魔力を払ってでも、今は冷えた紅茶が飲みたい。
乾きを覚えるティトの頭が、冷たい地下水で水出しにされた商会の紅茶に思いを巡らせていると、ふと、その地下水が組み上げられる、地下水道の安否に思いが至る。
東の丘の地下にあったミスリル工房が崩落し、大規模に陥没しているなら、地下水はそちらに流れ込まないか?
王都が建設された当初は、東の大河から流れ込んだ支流は東の外堀に変えられ、それを折り曲げて南の外堀にも使い、そのまま海に流し込んでいた。
それが数十年前のカーディナル王の時代に、東の堀は空堀に変えられ、代わりに王都の地下を北東から南西に斜めに横切る巨大な地下水道が作られた。
西の城壁を無くし港を建設した事で、王都の民と彼らが紡ぐ経済は膨れ上がり、井戸水が足りなくなったからだ。
もしも今、地下水まで枯れれば、王都は大変な事になるだろう…ティトの分不相応な心配事は、朝からの疲れで重く膨らみ、ティトの心は王都の民と共に作る行列の中に沈み込んでいた。
すると、突然、背後からティトの名前を呼ぶ声がする。
「ティトじゃないか!無事だったんだな!」
ティトが振り返ると商会の同僚の付与魔術師だった。なぜか馬に跨り、役人の官服のような物を着ている。
「マルフェオが心配していたぞ。怪我はないか? 」
ティトはこの男が苦手だった。東の大河のさらに先の田舎から出てきた男で、ティトの後輩ではあったが、年齢は年上だった。
言動が野暮ったく話も合わない。仕事も遅く、何をやらせても不器用な男だった。
男が馬の上からティトを見下ろし、話を続ける。
「民の目もある。その帷子をこの官服に変形させてくれ。出来るだろ?今はこの官服が魔力を示す簡易的な身分証のようになってる。」
ティトは状況を理解して、直ぐに付与魔法を使い、帷子を役人の官服に変形させた。
役人の官服も、全て商会で作り、役所に卸している。今まで散々に作ってきて、目をつぶっていても細部まで再現できた。
ティトの体が魔法の光で青白く輝き、その姿が官服をまとった姿に変わると、共に行列を作っていた王都の民はそれぞれ距離を取り、ティトの周りに空間が広がった。
その空間に、商会の同僚は器用に馬を滑り込ませると、馬上から話を続けた。
「後ろに乗れよ。マルフェオの所まで送る。」
同僚は付与魔術師にしては太すぎる腕をティトに伸ばしてきたが、ティトからすれば、その腕に甘えるだけでは気が滅入る。
ティトは同僚の手に軽く触れると、ミスリル製の左の靴に魔力を流し、それを踏み台のように高く変形させ、悠々と右足から馬の背に跨った。
もう一度、魔力が光り、左の靴は元の姿に戻る。
男は無言で頷くと、また器用に馬を操り、行列の先にティトを連れていった。
揉めていた衛兵も港の自警団も、ティトに道を譲ってくれる。
馬の体温は思いのほか高いようで、馬上は暑苦しかった。
それでも、馬に乗るティトの視点は、行列をつくる王都の民よりも高くなり、魔力を持つ自分の責任を自覚する。
ティトに疲れは残っていたが、悔しさや苛立ちは無くなり、その魔力はあり余っていた。
▼
▼
▼
王都の南門の先の広場では、南回りの通商路からやって来た商人や旅人が集まり、騒がしくも陰険な人だかりを作っていた。
真っ当な判断が出来る人間であれば、王都から逃げるのか、それとも王都の危機を知らせに…或いは自分の利益のために、各々の街や国に引き返す判断をしているはずだった。
そんな真っ当な判断を取らなかった邪な人だかりの中から、行商人のルスランは、まだ尻込みをしている周りの商人や旅人を掻き分けて、一足先に王都の中へ進んで行った。
王都の南門でルスランを呼び止める兵士の姿はなく、ルスランの存在を感知する魔導回廊も感じない。
東の丘陵地帯から空に向けて、まだ粉塵が帯を引くように伸びている。
ルスランはただの白い床石に変わったミスリルを踏みしめて、王都南側の大通りを進み、高級宿のレセンティブスに目をやった。
人目がないなら、手頃な物でも盗んでしまおうとも考えたが、レセンティブスは大した損傷もなく、中からは従業員の慌ただしく働く気配を感じる。
ルスランには、これだけの惨事が起きても、避難もせずに仕事をしている従業員が不気味だった。
ルスランは先程まで黒い両足が歩いていた商店街を港の方向に進んでいく。
点々と瓦礫の山が続いて行く商店街の北側と、酒屋だけが潰れている商店街の南側は対照的だった。
少し進むと、見えて来るはずの冒険者ギルドが見えてこない。どうやらギルドは黒い両足に踏み潰されたようだ…いい気味だ。
ルスランにとっては、ギルドは自分の魔力の無さを思い知らされる嫌な場所だった。
ルスランがギルドに近づくにつれ、崩壊したギルドの前で立ち尽くす女性が見えて来る。
上級冒険者のアリッサだ。女としては地味すぎて、冒険者としては有能過ぎて、ルスランには全く縁がない。
上級冒険者の素朴で生真面目そうな顔が、悲しげに歪む姿を見て、ルスランは自分のジメジメとした悔しさが晴れたような気もしたが、今のギルドに関わった所で、身の危険こそあれ魔力の儲けを得られる気配はない。
ルスランは直ぐに来た道を引き返し、元から目当てにしていた南軍区の塔に向かった。
▼
南郡区の塔は斜めに倒れていた。傾いた塔の屋上から、銀色に光るものが地面に伸びている。
ルスランはハシゴの類かとも思い、地面から頭上に伸びて行くミスリルの細い輝きに近付いてみたが、それはハシゴどころか触れるだけで指を切り落としそうな長い長い刃物だった。
要するに、登りたいなら魔法で形を変えてみろという話だ。
ルスランは、また心の奥から、ジメジメとした悔しさが湧き上がるのを感じた。
ルスランは暗い気持ちのまま、趣味の悪い刃物から離れると、南塔の正門に回り込んだ。
南塔の傾きは2階から始まっているようで、1階の扉に歪みはあったが、体重をかけ押し開ける事は出来た。
1階は魔道具の照明は全て消えていて外からの薄明りだけでぼんやりと照らされていた。
1階の中央には、兵士を労働者として借りる際のカウンターがある
冒険者よりも格安で人手を借りる事が出来たが、王都の中の仕事でしか依頼が出来ないのが不便だった。勿論ルスランは使った事などない。
兵士だけではなく、ミスリルの農具や工具も借りる事が出来たはずで、その農具らを収める倉庫もあるはずだ。ミスリルが不足していくなら、ミスリルの農具や工具の値打ちも上がるかも知れない。
だけど、ルスランが探しているのは隠蔽の外套だった。おそらく盗賊などから押収した物を収納しておく部屋があるはずた。
ルスランは1階を一通り見て回った。
農具と工具を収納しておく部屋は直ぐに見つかったが、目当ての押収物を収める部屋は見つからない。
ルスランは1階の物色を諦めて、2階に登る階段に進んだが、階段から2階へ抜ける事は出来なかった。
塔は2階から傾いていて、捩れた階段の出口にはルスランの体が入る隙間もない。
狭い隙間から覗き込むと、薄明かりが照らす2階は、広い食堂であったようだ。この柱の少ないフロアが、塔の重みに耐えられなかったのだろう。
▼
ルスランが不幸に付き纏われていたのは今に始まった事ではなく、その人生の大半を占めていたが、最後の瞬間はあっという間の出来事だった。
隙間を覗き込むために、膝を折り屈み込んでいたルスランの体は、突然、階段に叩きつけられた。
最初の一撃でルスランの右膝と右肩は粉々に砕け、肋骨は肺に突き刺さっていた。ルスランは薄まって行く意識の中、塔の天井が崩落したのかとも思ったが、もう体は壊れ、天井を見上げる事も出来ない。
ルスランは喉に生暖かい血液が登ってくるのを感じたが、それを口から吐き出す暇も無かった。
背後からの二撃目でルスランの頭は砕け、その冷笑的な面影は、階段にこびり付く血の塊に変わってしまった。




