36話 盗賊
よろしくお願いします。
王国の南端に古い銀坑道があった。
銀は魔導回廊のミスリル線が銀のみで作られていた頃に、既に掘り尽くされている。
そして、その魔物は枯れた銀坑道の最奥から、一歩また一歩と音もなく地上に忍び寄って来た。
巨大な猫のような体に頭は無く、前脚の間...猫であれば狭い胸にあたる部分に、真っ黒い人間の鼻と口が付いていた。
真っ黒い顔の鼻と口は死人の顔をしていた。死んだ人間は、顔の欠片だけでも死んでいる表情を見せていた。
魔物は弱者の匂いを嗅ぎ分け、壁や天井を蹴って躍動し、坑道の浅い階層を根城にしていた盗賊団を壊滅させた。
その鼻は盗賊の隙を逃がさず、その口からは魔法の言葉が唱えられた。
戦いに敗れた盗賊の頭目は、右肩に大怪我を負いながらも、二人の妾を連れて馬を走らせ、なんとか坑道から逃げ出す事が出来た。
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王が薄明りに目をさますと青草の匂いがした。
朝の冷たい潮風を丸出しの脇腹に感じる。その遠くから波の音が小さく響く。
王は自分に向けられた柔らかい視線に気が付いた。羊のような動物にでも見つめられているのか?と体を起こし、周囲の草原を見回すと、痩せこけた壮年の男が虚ろな目で王を見ていた。
男は右肩に大怪我を負っている。その背後の雑木林には、そこに繋がれた馬が3頭見えた。
男は王が目を覚ました事に気が付いたのか、こちらに歩み寄って来る。
男の右肩には丁寧な治療が続けられているようで、包帯は清潔なものだった。それでも王には包帯の下に隠れた化膿した傷の臭いも感じられる。
あの怪我では右腕は動かないだろう。その癖、長剣は左の腰に下げたままだ。おそらく鞘から抜く事もできまい。
王からすれば、規則や習慣を大切にする人間は、面倒な奴が多かった。あれだけの大怪我をしても習慣を変えられないなら、その頭の硬さは如何程か。
王は草原に腰を下ろしたまま、先に男に語りかけた。
「お前は何者だ」
しかし男は即座に言葉を返す
「お前こそ何者だ」
男は王の問には答えず、そして自分が返した問いへの王の答えも待たずに、ボソボソと小言を零し始めた。
「腹を空かせてるはずの馬が怯えて、いつも朝飯を済ませてる牧草地に入って行かなくてな。」
男は背後の雑木林に繋いだ馬へ振り返ると、また視線を王に戻す。
「で、魔物でもいるのか?と様子を見に来れば獣人がぶっ倒れてると…」
そして王の容姿を見下ろしながら言葉を続けた。
「砂漠の国の奴隷船から逃げて来た漕ぎ手か?とも思ったが……その目付き体付きじゃ、まぁ違うよな?」
男は質問なのか?独り言なのか?それも解らない事をゴチャゴチャと言っていた。やっぱり面倒な奴だ。
王は胡坐をかくと、自分の右膝の内側に右肘を立て頬杖をついた。半獣人である王の腕は人間よりも太く長く、頬杖をついても差ほど背が曲がる事もない。
王は真っ直ぐに男の目を睨みつけ、最初の質問の答えを待った。
男は王の視線を受け止めると、長剣の鞘に左手をかけた。右腕で剣が抜けるわけもないのに。
癖だとすれば良い癖ではないし、どこかの礼節なのだとしても王には知った事ではない。
そして男は自分の名前を名乗った。
「俺はラトロ。盗賊…崩れの生き残りだな。」
王はラトロという盗賊の名前に覚えがあった。
王都の東、空堀り街から出ていったホビットかドワーフだかの老人であったはずだ。
二つ名はモグラのラトロ。
王はまだ自分が若かった頃、ミスリル線の延伸に汗をかいた功労者から盗賊に身を落とし、逃げるように王都を離れて行った小柄な老人の姿を思い出していた。
王が黙っていると、目の前の男の口が開く。
「偉そうにしてねぇで、お前も名乗りなよ。」
男に煽られると、王は冒険者たちと旅をしていた頃の名前を名乗った。
「私はユダ。魔法戦士だ。」
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あの魔物から逃げられたのは、動かなくなった右肩を抱えた自分と、自分の女だけだった。
先代から引き継いだばかりの盗賊団だったが、自分は思いのほか手下の人望を集めていたようだ。
散り散りに逃げろと命令したのに、あいつらは俺と女の逃げ道を作るように体を張って行った。
盗賊の頭として感じるべき情けなさも、今、頭と体が沈んでいる無力感の前では所在がなく、泣く事も出来ない。
涙を見せない強い男であったつもりはない。ただ涙を流す気力さえも湧かなかった。
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右腕は使い物にならず、戦う事もままならなかったが、3頭の馬と二人の妾はラトロへの態度を変えなかった。
女の一人が弓で獲物を集め、もう一人が家事とラトロの手当をしてくれている。
ラトロに出来るのは、逃げる3人の足になってくれた馬の付き添いぐらいだった。
根城にしていた銀坑道の跡地は、以前は申し訳程度に細いミスリル線で魔導回廊にも繋がっていたようだが、落盤による断線を修理にやって来る為政者はいなかった。
そこは盗賊にとって隠れ体を休める最適な場所だったが、そこを追われれば、盗賊は魔導回廊の網の中を逃げ続けねばならない。
盗賊であるラトロは銀坑道の魔物から逃げた後、神経をすり減らしながら魔導回廊の網の隙間を這い回った。
銀坑道からさらに南に進み、放棄された雑木林と木こり小屋に身を落ち着けたが、このボロ小屋にしても細いミスリル線が繋がっている。
ラトロはミスリル線を探し掘り出して、切断してしまおうかとも思ったが、その方が悪目立ちするだろう。
ラトロ達3人は、ビクビクしながら木こり小屋での生活を始めた。
そんな中、魔導回廊が反応しなくなったのは、一昨日の昼間の事だった。
何処かで断線したんだろうが知った事ではない。
ラトロにとっては好都合だ。
昨日一日はまだ用心する気持ちが強かったが、ラトロと、その二人の女は、久しぶりに”安全なダンジョン”という心地のいい根城を手に入れる事が出来た。
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ラトロにとっては、久々に感じる穏やかな朝だった。
心の奥には、命を散らした手下たちへの負い目を感じるが、当面の安全に目途が付いた安堵感は、その負い目に分厚い毛布のような蓋をしていた。
昨夜、ようやく魔導回廊からの監視に怯えない安らかな眠りを手に入れた。その安眠はラトロの精神を癒したが、同時に右肩の怪我の重さも自覚させる。
ラトロが寝床から身を起こすと、狩りに疲れた女はまだ寝ていた。もう一人の女は食事の支度だ。
ラトロは何時ものように身を持て余し、3頭の馬を連れて牧草地へ向かう事にした。
牧草地の手前では馬が酷く怯えた。この牧草地を行き来してまだ日は浅いが、食事を前にして馬が竦むのは初めての事だった。
ラトロは馬を手頃な幹に縛りつけると、海へ向かって広がる牧草地へ進む。
そこには偉そうな乞食が寝そべっていた。
ラトロは、裸になって地べたで眠るような乞食や野盗が、どうやって眠るのか?を良く知っていた。
片腕を体の下に敷き、もう一つの腕で頭や腹を守りながら身を縮め、夜の冷気から身を守る。
敗者が袋叩きにあっている時の姿と同じだ。
眠るというよりは緩慢な気絶に近い。
そして朝になると、文字通りの全身の強張りに気が滅入るものだ。
なのにラトロの目の前で堂々たる寝顔を晒していた獣人は、柔らかく寝返りをうち、赤茶色の体毛が生える裸の背中をラトロに見せた。大の字に寝ていた四肢は寝返りとともに海の方に投げ出され、まるで昼寝をする猫のようだ。
このまま逃げるにしろ、始末して海に捨てるにしろ、ラトロは時間と選択肢を持っていたつもりだった。
だけどラトロは動けなかった。その後ろ姿が銀坑道で自分たちを叩き潰した、あの首のない魔物に似ていたからだ。
委縮したラトロの心が、少しづつ元に戻ろうと朝の空気を求めている間に、偉そうな、そして不気味な乞食は身を起こし、ラトロの方に振り返った。
裸のままの乞食の獣人と目が合う。ラトロはその目に乞食らしい孤独や、魔物のような恐怖は感じなかった。それはむしろ包容力に近い物だった。
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どんなに広い荒野でも、魔導回廊の支線を辿って進めば、眠っていても王都に着いたはずだった。
ジェリマリガンは北の要塞を出て早々に魔導回廊を見失い、部下には不安も広がっていたが、隊の進路が逸れているとは考えなかった。
景色の変化に乏しい荒野であったが、今まで何十回とも往復してきた道だ。問題が発生したのは自分の隊ではなく、地中に埋まる魔導回廊なのだと思える。
それも王都に着けば分かる事だ。ジェリマリガンは馬に拍車を当て、王都へ進む道を急いだ。
ジェリマリガンが荒野の先に、地面を蹴り細い土煙を作る人馬を見たとき、それは野盗や人さらいの類なのだと思った。
実際に、後ろを走る騎士たちの間には、直ぐに緊張感や苛立ちが溢れる。
向かって来る馬の走る姿を視認出来る距離になれば、それが盗まれた馬である事は直ぐに解った。
馬は背に乗る主人にまるで従っておらず、隙あれば振り落とそうと、力任せに荒野を跳ねていた。
そんな暴れ馬に、獣人の女が鞍も着けずに跨っている。関節も筋肉も柔らかく、跳ね馬に合わせる反射神経が凄まじい。馬の機嫌など何も気にしていない。
しかも、肩には大柄な男を担ぎ、背には大剣を背負ったままだ。
やはり人さらいの類なのだ。ただ、どこの馬の骨かも分からない盗賊ではない。王都で最も強く有名な無作法者だ。
乗ってる馬を間近に見れは、軍務卿が王へ送った名馬”アルブレプス”ではないか。確かに並みの馬であれば、あのメチャクチャな騎乗には耐えられない。
ジェリマリガンは、眼前に近づいてくるデタラメな馬術を見て、幼少の頃より続いた乗馬の鍛錬がバカバカしくなって来た。
背後の騎士たちの緊張感も溜息に変わり、間の悪い野盗に用意されていた苛立ちは、騎士それぞれの凡庸さへの自嘲に変わった。
あの女はいつもそうだ。ああ言った理不尽さは王にしても同じなのだが、王は南方の島に身を隠す分別があるだけ、まだ臣民の気も休まる。
ジェリマリガンは目で挨拶でも交わすものかとも思ったが、特級冒険者キャトスは騎士団を一瞥もしなかった。
北の要塞の3割程の騎士を率いての大きな隊列だったが、一騎の冒険者に対して道を開けたのは騎士団の方だった。
後ろを駆ける騎士がジェリマリガンに話かけて来る。
「宰相殿は、よくあの女と共に暮らせますね。」
騎士にしては珍しく女々しい愚痴だったが、ジェリマリガンは聞こえないフリをしてやる事にした。
全て王の考えなのだ。王にしか従わない特級冒険者が、王の居ない王都に放たれている。
それで仕事がしやすいのは宰相だ。どれだけあの女が暴れても、その責任は不在の王にあり、宰相には同情こそ集まれ、避難が集まる事はない。
ジェリマリガンは、馬の首を右手で撫で、強者の登場に煽られた自分の馬を落ち着かせると、振り返る視線の先に、小さくなっていくキャトスの背中を見た。
キャトスが向かったのは北の要塞だろう。目的は考えたくもない。
騎士団長のガデュロンには申し訳ないが、あれが王都に居ないほうがジェリマリガンの仕事はしやすいのだ。
ジェリマリガンは後ろに振り返ったついでに、隊の乱れがない事を確認すると、もう一段と速度を上げる旨を声に出した。
王都へ急ぐ老騎士の背中を太陽がジリジリと焦がし、胸の奥の焦燥感と混ざりあうと、ミスリルの鎧の中で、熟練の剣士の静かな熱情を焚き付けていた。
一話の分量が増えすぎですね。
そのうちバッサリ改稿するかも知れません。




