35話 親子
よろしくお願いします。
北軍区の騎士団長フッサートは馬を駆り、手勢を連れて王都の東に広がる森から北の要塞へ引き返していた。
馬が切り裂く風には朝の森の涼しさが残っていたが、フッサートの両の拳は、怒りと悔しさを熱く握り締めている。
心は焦っていたが、馬を飛ばす事が正解なのか?それも解らない。
軍務卿が供給してくれる馬は強行軍にも耐え良く走ってくれたが、フッサートの焦りや迷いを吹き飛ばしてはくれなかった。
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フッサートは昨晩、今は部下であり、かつては父であった北軍区の士長ジェリマリガンから、獣人の奴隷を売買していた闇ギルドを摘発したとの報告を受け、その夜の内に自ら一隊を率いて討伐に出向いていた。
闇ギルドは、北軍区と南郡区の境界を跨いで広がる東の森の奥に潜伏していたが、試作型の偵察用ゴーレムを使った夜襲は面白いように上手く行き、闇ギルドは一網打尽に殲滅できた。
魔力証を没収した闇ギルド員の面々を縛り、腰紐を付け並べ終えると、フッサートは討伐隊に簡単な補給を与えた。
後は食事をしながら朝日を待ち、訓練を兼ねて要塞へ戻るだけだった。
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フッサートが南の騎士団の全滅の一報を知ったのは、作戦の成功に浸る優雅な速歩の馬上だった。
フッサートには、同じ養子の身分から騎士団長の地位を継ぎ、常に目標ともしていたジェリウス・ムールスが死んだ事が信じられなかった。
フッサートは動揺する心を押し殺し、直ぐに対処を行う。
騎士団の運用は散開が基本だった。
あらゆる事態を想定して、薄く広く騎士を配置して行く。
配置先で何かが有れば、魔導回廊の騎士団専用回路で情報を共有し、騎馬の機動力で適時集合し敵に向かう。
味方が集まるまでの間、個々の力量が問われるからこそ、騎士は常に自分を鍛えていた。
王国を覆う魔導回廊の端々に自らの部下が散っていくと、彼らはフッサートの目となり耳となり、そして腕になり剣になった。
兄のように慕った騎士の死を受け止められないフッサートの弱った心でも、騎士団の網が広がれば、全てを見渡しているような全能感を感じる事が出来る。
それだけ魔導回廊の中の騎士団専用回路は、騎士団長のために作られたような仕組みだった。
しかしフッサートの準備を追い越すように、状況はさらに悪くなる。
王都に突然、新種の魔物が現れたのだ。
フッサートは、魔導回廊の中で行われる王と宰相の問答に触れた後、北の要塞の留守を任せた士長のジェリマリガンには、要塞で待機する部下の半数を率いて王都に向かうように指示を出した。
王都に現れた魔物を踏まえて、フッサートは変化していく状況の全てに先回り出来るように、さらに騎士を薄く幅広く配置していった。
そして帰路も半ばを過ぎた頃、突然、魔導回廊は消えてしまった。
フッサートがいくら南の騎士団を失った怒りや、魔導回廊を失った悔しさを噛み締めても、騎士団長が指揮出来るのは、手勢の4人だけになっていた。
その4人の後ろには、30人を超える闇ギルド員が、ぶら下がったままになっている。
王国の北側の方々に、連絡の取れない騎士が散り散りになっていた。
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北軍の騎士団長フッサ―トの父だった老騎士、北軍区の士長ジェリマリガンは、既に退役間近であったが、職責を果たしながら絶え間ない鍛錬を続けていた。
王都の北軍の塔と、そこに詰め込まれた北軍の兵士たちを魔導回廊を通して管理しながら、老いた自らに厳しい訓練を課し続けている。
老騎士は自分自身を虐め抜くだけでは飽き足らず、自らの息子も鍛え続けた。
最も過酷な訓練を与えた息子ガデュロンは、先代の騎士団長に認められ、古い言葉で”堀”を意味する家名を持つフッサート家の養子となり、義父である先代が病没した後に、北軍を統べる騎士団長、ガデュロン・フッサートとなった。
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東の森へ闇ギルドの討伐に向かった騎士団長を見送ると、ジェリマリガンは北の要塞の留守を預かっていた。
王都の宰相からもたらされた奴隷売買の情報は信じ難い物だったが、魔力の受け渡しには行商人を使い、奴隷の受け渡しには、スラム街の古い壺と、港の最新のゴーレムを使う、商人にしては手の混んだ犯罪だった。
北の要塞から魔導回廊を通して兵士に指示を出し、窓口になっていた肉屋を追い詰めると、その黒幕には東の森の闇ギルドが見えて来る。
東の森が南北の軍にとって厄介な場所であり続けたのは、魔導回廊が敷設されていった最初期に、ドワーフ達がこの東の森を守ったからだ。
ドワーフ達は森を潰してミスリル線を掘り進む事よりも、迂回して余計に汗をかく事を選んだ。
だけどそれが仇となり、王都の側にダンジョンは残り、東の森の王都への近道としての価値は、商人からの通行料として、闇ギルドの資金源となっていた。
だが、それも今回の遠征で片付くだろう。要塞で待つジェリマリガンに不安は無かった。
騎士団長ガデュロン・フッサートは、直情的で神経質な若さを欠点にもしていたが、その強さや集中力は、既にジェリマリガンを凌いでいた。
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ジェリマリガンの耳に南の騎士団の全滅の報が入って来た時、ジェリマリガンは直ぐに南進する準備を始めていた。
まだ騎士団長からの指示は受けてはいなかったが、老騎士は騎士団長の考え方を誰よりも良く分かっていた。
騎士団長にすれば、王都よりさらに南進して南の騎士団の仇を撃つのは、自身の手で行いたいだろう。
となれば、まずは先行して王都に進み、治安を安定させながら戦の準備と情報収集を済ませておく必要がある。
ジェリマリガンが魔導回廊に繋がり、部下に指示を出しながら騒がしい王都の情報を掻き分けていると、南軍区の軍医の報告が目立っていた。
以前から噂に聞く”巫女擬きのジル”だ。騎士に満たない兵士の身分で二つ名が付く事も異例だが、その活躍は、常に二つ名相応に突出していた。
南軍の士長セルジュ・クワリテも大変だろうが、羨ましくもある。ジルという軍医は、北軍区には居ないタイプの兵士だった。
魔導回廊の中では、クワリテ士長の安否が解らないという話も拾っていたが、ジェリマリガンは気にもかけなかった。簡単に死ぬような騎士ではない。
ジェリマリガンは情報を嚙み砕くと、北の要塞の備蓄を全て吐き出す指示を出した。
戦場は王都。相手は未知の魔物。それも長期戦になりそうだ。ジェリマリガンは心配性な騎士団長からの指示に柔軟に答えられるように、補給部隊は細かく分けて編成した。
要塞の備蓄を吐き出した後の事も考え、日頃から付き合いを持つ商人に魔導回廊越しに連絡を取り、食料や物資の補充も先行して進める。
しかし、ジェリマリガンの不安は拭えない。この老騎士からして、自身の子よりも心配性なのだ。
ジェリマリガンは、まずは北回りの通商路に権益を持つ貴族への根回しを済ませると、役所の役人にも直接通知を送った。
老騎士の通知は、回路が切り替わっていくように一瞬でたらい回しにされたが、最後に受けた役人は優秀な男で、素早く王都への物流を安定させるための要所をまとめてくれた。
王都の民の中から、かなりの避難民が溢れそうで、彼らの全てを救う物資は今のジェリマリガンの権限では確保する事は出来ない。
それでも、王都への通商路を守るための時間や人員に目途をつける事は出来た。指示があってから考えても遅いのだ。
事前の段取りを先へ先へと進めるジェリマリガンの下に、騎士団長からの指示が入る。王都への南進の指示だった。
ジェリマリガンは、役人から聞いていた通商の要所に土地勘がある騎士を選び、彼らを含めた半数の部下を要塞に残すと、残りの部下と半分の補給物資を率いて王都の救援に向かった。
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シジフォスが暗闇の中に身を起こしてから、しばらくの時間が経っていた。
暗闇に目が慣れても、視界が晴れる事は無く、暗がりの先を見通す事は出来ない。
相変わらずの、黒い輪郭だけで線引きされた世界の中では、自分の脚で立ち上がり、前に進むしかないようだ。
座り込んでいる岩肌は、溶液で溶かしたようにザラザラしていて、所々にヒビ割れが見える。
シジフォスが体を預けていた銀色の柔らかい粘土のようなモノは、そのヒビ割れの一つから滲み出ているようだった。
シジフォスは改めて、自分の腕の外見だけを真似たような、黒い右腕の形をした物を眺める。
何故か、白いパン生地を捏ねる父親の右腕を思い出した。黒くなっても形は父に似ていた。
いや、無意識に自分で似せたのか?
暗く冷たい空間で、暖かい思い出に浸っているシジフォスには、真っ白いパン生地はとても鮮やかで、眩しいものに思えた。
シジフォスは、父親の焼くパンを思い出している内に、自身が空腹である事に気が付いた。朝から何も食べてはいないのだ。
シジフォスは、使う事のなかったレセンティブスの高級宿にふさわしい食堂を思い出す。出かけに横目で眺めただけだったが、上質で簡素な内装の中に、小さい花や木ノ実が少しづつ飾られていた。でも、レセンティブスであっても父親が焼くパン以上のものは出て来ないだろう。
レセンティブスは無事なのだろうか?シジフォスは他人事の心配をしながら、左手をゴツゴツとした岩肌に付くと、暗闇の中、そろりと立ち上がってみた。
天井は低かった。立って歩けない事はないが、飛び跳ねる事は出来そうにない。
シジフォスの右腕は自然と頭上に上げられて頭を庇っていた。
そしてシジフォスが天井に視線を向けると、突き出るように描画された天井の岩肌の線と、自分の右肘から先の濃厚な線が重なり、一つの影になって交差している。
シジフォスの目には、自分の右肘から先が、天井に突き刺さっているように見えていた。
シジフォスは驚き、直ぐに左腕も頭上にあげ天井に触れてみるが、左腕が天井の先へ突き抜ける事は無かった。
左手には、足元の岩場に触れた時と同じような、ゴツゴツ、ザラザラとした感触が返って来ている。
だけど再び右腕で天井に触れると、また感触もなく、透けるように岩の天井の中に右腕の線は重なっていった。
シジフォスは改めて自覚した。自分は何も解っていないのだ。付与魔術師として生きていた頃から聞いた事もない、デタラメな物質が自分の右肘から生えている。
これは何なのか?何が出来るのか?コツコツと一つづつ試して行くしかない。それは得意な事だったはずだ。
魔導回廊は遥か先までも決まりきっていて、明日も来年も見通す事が出来ていた。
だけど今、シジフォスは何も見通せない暗い場所から、知識や経験に縛られずに立っている。
魔導回廊の外に立ち、生き延びる事が出来たのだ。
シジフォスは左手一本で服の乱れを直すと装備の確認をする。”消音の革靴”は履いたままだったが、”理力の短剣”は見当たらなかった。
”隠蔽の外套”は魔力を失ってしまったボロ布のようになっていた。
シジフォスは改めて黒い線で描画された前方を見つめ、天井に左手を添えながら、生き続けるために一歩づつ歩き始めた。




