30話 孤立
よろしくお願いします。
シジフォスは暗闇の中で目を覚ました。
目を開いているのに明るさが切り替わらない事は不思議な感覚だった。
右半身には相変わらずグニャリとした感触を感じる。
シジフォスは、まだウトウトとしていたが、それでも周囲の様子を認識できていた。
暗い事は暗いのだが、より濃い”黒さ“が輪郭を作って周囲の世界を描画している。
中でも一番黒かったのは自分の右肘から先だった。
呆然とした頭が見ているのは、漠然とした体なのに、右肘から先だけがクッキリと真っ黒だ。
起き抜けのシジフォスの右肘から先には、知らない左腕が付いていた。シジフォス本来の腕よりも、ずっと逞しい。
シジフォスは見ず知らずの真っ黒な左腕に、右腕を切り落とされた時の痛みや悲しみを思い出す。だけど涙も出ない。
むしろ存在の希薄なシジフォスを、この暗闇の中に留めているのは、この知らない左手なのかも知れないとすら感じる。
シジフォスは自分の右肘から伸びる、この借り物のような真っ黒い左手を動かそうと試してみたが全く動かない。
シジフォスには右肘の先でダラリと項垂れる黒い左手が、起動前のミスリルゴーレムの腕のように見えた。
修理中のミスリルゴーレムは、魔導回廊からの魔力の供給を失うと、ダラリと脱力し眠っているようだった。
シジフォスは、まだ付与魔術師だった頃、ミスリルゴーレムの動作確認のために自分の魔力を注いで各部を動かしていた事を思い出していた。
そんな事を考えながら、借り物の真っ黒い左腕に魔力を流してみると、シジフォスの右肘から先は、まるでミスリルゴーレムの機械の腕のように変形した。
その手の平はミスリルゴーレムと同様に親指が長く、機械で出来た猿のようだった。
突然の事にシジフォスは驚き戸惑う。でも、やはりこの機械のような腕も自分の腕としては動かない。
それは恐ろしく軽く真っ黒なミスリルの塊が、自分の腕から生えているようだった。
そして魔導具を扱うように魔力を流すと、機械のような腕は、シジフォスの思うように動いてくれた。
シジフォスは機械のような右腕に再び魔力を流すと、無事な左手を模倣しながら、元の自分の右腕をイメージして変形させる。
するとあっけなく、真っ黒い腕は元のシジフォスの右腕のような形になっていた。
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シジフォスはグニャリとした銀色の粘土から体を起こし、真っ当な自分の体である左手で上半身を支え、自身の右側で鈍く光る銀色の粘土に目をやる。
周囲は暗かったが、この柔らかいものだけは、うっすらと銀色に輝いている。
気を失う前には、この銀色のものはもっと強い輝きを放っていたような覚えもあったが、記憶は曖昧だった。
銀色の柔らかいものは、地面に大きく広がっていて、その端にシジフォスは体を預けている。
ふと銀色の粘土の上で手元が触れていた部分を見てみると、今まで真っ黒い腕を寝かせていた場所だけが濃く黒く滲んでいた。
銀色の粘土は透明度も高いようで、この黒い滲みの先の底の方に小さな真っ黒い塊が見えた。
シジフォスの目には、それは”古い”印章”のようにも見える。
シジフォスは何気なく、真新しい自分の右腕を伸ばし、柔らかい粘土の奥にあった真っ黒い塊に触れてみた。
すると、一瞬で周囲の闇が泡立ち、周囲の闇がシジフォスに叫び始めた。
そしてシジフォスの眼前で、黒い小さな塊がシジフォスの真新しい右腕に溶け込んで来るようだ。
シジフォスは慌てて魔力を流し、真新しい右腕の先の2本の指を切り離した。
シジフォスから離れた2本の指は、あっという間に粉のように散り散りになり、銀色の粘土を新たに黒く滲ませる。
周囲を見渡すと、闇が泡立つことも叫ぶことも無くなっていた。
シジフォスは思い知らされた。
この黒い小さな塊は、あの黒い両足の仲間のような物なのだ。
そして自分の腕を切り落とした、黒い右腕を持つ魔物を思い出す。
シジフォスの右肘から先にも、あの魔物と同じものが生えているのだ。
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王は小船が浅瀬の岩肌に船底をぶつけ、船体が砕け散る音に起こされた。
勢いを余らせた王の体は宙を舞い、着地した砂浜では砂が舞う。
王の猫のように柔らかい体は空中で姿勢を立て直したが、持参していたローブは海に落ち水面を漂っている。
王は海水で濡れてしまったローブを拾い、砂浜に鞘ごと突き刺さっていた剣を腰にさし直すと夜空を見上げた。
夜空の星は、王都で見たものや、南の島の小城から見ていたものとも、何も変わっていなかった。
だけど王の周りには、もう臣下も側仕えも居ない。
月明りの下、海岸線を眺め現在の位置を推測するに、どうも予定よりも東に流れてしまったようだ。
ここまでくれば、さらに東の大河まで回り込んで、船で北上した方が速かったかもしれないが、その船はもう木っ端微塵になっている。
夜道を闇雲に進んでも仕方がない。王は今日の寝床を探す事にした。
海水まみれのローブは濯ぎたい所だったが、日も落ちた後では見通しも悪く、河川までは見当たらない。
周囲を見渡しながら、ゆっくり砂浜の緩やかな傾斜を進む。
地面は少しづつ隆起し、砂の斜面は粘土質の断崖に変わるが、たいした高さはなかった。
王は濡れたローブを腰にくくると、両腕で崖に手をかけ、そのまま一息に登る。
崖の上は思いのほか緑の草が茂り、家畜が食んだ後も見える。ただここで眠りにつくには風が強かった。
こんな最果ての海岸線にも、魔導回廊を繋ぐミスリルは埋設されているはずだが、今となっては頼りにはならない。
王は夜目が利く方ではなかったが、遠くに見える、高さのそろった黒い森が人手の入った雑木林である事は見て取る事が出来た。
あの森の輪郭をなぞるように進んでいけば、街道か集落には辿り着くだろう。
王は今更ながら、長い旅になりそうな事に一人ため息を吐いた。
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森はやはり人工的な防風林のなれの果てだった。下草は荒れ管理はしばらく行われてないようだ。
さりとて森が自然の恵みを取り戻す程の時間が経っている訳でもない。
この手の森は動物も魔物も少なく、煩わしい羽虫が飛び回っているだけだった。
王は木立の影にでも身を預けて眠りたい所だったが、今夜は羽虫を避けて少し海岸線に戻り、草原の窪みでそのまま眠る事にした。
周囲の草花をみると、やはり家畜が放牧された跡は感じる。木こりは立ち去ったが、羊飼いには見捨てられてはいない土地なのかも知れない。
王は辺境の土地であるほど有能な貴族を配置していたが、最前線の戦場になりそうな地域だけは王領のままにしていた。
記憶は曖昧だが、この一帯はそういった地域なんだろう。
王が草原に寝転がると星空が見えた。
海岸の断崖から少し下って歩いた事もあり、風は幾分弱まっているが、王が目を閉じる障害にはなっている。
王は海岸に背中を向けて寝返りをうつ。枕にした左腕には、まだ砂の感触があった。
王に選ばれる前は、冒険者と大陸中を旅した。もっと酷い野営はいくらでもあった。
腹は減っているが魔力にはまだ余裕がある。王が目を閉じると風が幾分和らいだように感じた。
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リナ・クワリテには年の離れた兄がいた。
兄が出世し、王都の南軍の兵を管轄する士長になったとき、空いた兄の部屋をリナが譲り受けた。
その時から、兄の部屋には、兄が描いた絵画がたくさん飾られていた。
いつか、兄になぜ絵を描くのか?を聞いた事がある。
兄は「観察眼を養うためだ」と教えてくれた。兄からすれば騎士に必要なのは力でも連帯でもなく、観察眼と忍耐力なのだそうだ。
兄が死んでしまってからリナが感じた孤立感を、誰も理解はしてくれなかった。
そもそもリナは騎士ではなく、周囲には騎士しか居なかった。
リナは母の不在には耐えられた。そもそも記憶もないのだから。だけど兄の不在はリナを変えてしまうのに十分だった。
クワリテ家の”探すもの”という家名は、代々優れた密偵や斥候を生んできた。
華々しい活躍とは縁遠かったが、国を絶対に裏切る事のない忠誠心を脈々と引き継いで、クワリテ家は役割を全うしてきた。
王都の危険を”探すもの”として士長の地位に出世した兄は例外だった。そもそも兄を取り立てた宰相様が例外的な人だった。
父も今は半ば引退しているが、優れた密偵として生きている。
兄が死んだときは、まだ魔導回廊は生きていたはずだ。父も兄の死をどこかで知った事だろう。
もう魔導回廊はなく、リナの決意を父に伝える手段は無かった。
だから、リナは羊皮紙を開き、父に置手紙を書いた。手紙を預けた知人がリナを止める事も無かった。
王都への一人旅は危険かもしれないが、手薄になった南の要塞都市も、今や危険な場所だった。
リナは身支度を整えると、髪を切り、帆布を頑丈に縫い込んだ大きな鞄に兄の画材を詰めて、王都に向かう駅馬車を待った。
リナは兄の師から絵を習い、観察眼と忍耐力を学びたかった。




