3話 人を使う
よろしくお願いします。
冒険者のカヌーは、叩きつけられたベアウルフの前脚を円盾の湾曲に滑らせて逸らした。
盾を越えたベアウルフの長い右前脚は、カヌーの左肩に届く。
ベアウルフの右の鈎爪がカヌーの鎧の肩当てに衝撃を与えると、鎧から煙が噴き出し肩当ては弾け飛んでしまう。
鎧の修理代を考えれば、これで今回の依頼は赤字だ。
カヌーは盾で魔物の前脚を担いだまま、魔導具の反動で自分の膝を壊さないよう先に腰を落として右膝を地面に付ける。
そしてベアウルフの牙が迫るより先に"反動の盾"に魔力を流した。
ここでベアウルフを真後ろに吹き飛ばし、少しでも距離を取れれば楽も出来たのだが、ベアウルフの右前脚に押し込まれ盾を下から構えたせいで、ベアウルフの体は軽く浮き上がっただけだった。
体と同様にベアウルフの右前脚は跳ね上げられたが、それでも鋭い牙も左の爪も、まだカヌーを間合いに捉えている。
カヌーの右膝は地面に付いたままで、後ろに飛んで距離を取る事も出来ない。
カヌーは咄嗟に左肘と左の膝を折ると、そのまま左前方の地面に前転し、ベアウルフの背後に回り込んだ。
カヌーが立ち上がるのと、着地し体勢を整えたたベアウルフが振り返ったのは殆ど同時だった。
カヌーは盾を構え、もう一度振り上げられたベアウルフの右前脚と向き合う。
盾で逸らしても、今度はカヌーの肩の肉が抉られるだろう。
だけど次の瞬間、カヌーはベアウルフの背中の先に、引き絞った弓から矢を放つ…今回の依頼の元請け…ルスランの姿を見る。
そしてベアウルフに視線を戻すと、ベアウルフは背中に矢の直撃を受け、体を仰け反らしている。
カヌーは腕を振り上げる間も惜しんで土を蹴り、自身の体ごと、ベアウルフに剣を突き立てた。
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カヌーは魔物の返り血に汚れる自分のローブを見て顔をしかめる。
付与魔術が不得手なカヌーにすれば、自分で浄化の魔法を使う魔力よりも、洗濯屋に任せて払う魔力の方が安く済んだ。
しかして、この格好のまま王都に戻ると思うと気が滅入る。
王都の北西に広がる荒野には砂埃が舞い、まだ獣の臭いが残る返り血に砂がこびり付いていく。
照りつける太陽が獣の血を乾かす前に、カヌーはボロ布で血を拭い捨てた。
手が足りていない上に、敵との相性も、味方同士の相性も最悪な戦いだった。
簡単な護衛依頼だったはずが、とんだ災難だ。
今、カヌーの目の前で短弓を背中に背負い直している癖に、ルスランという壮年の男は行商を名乗っていた。実際に今回の仕事は、ルスランが冒険者ギルドに依頼を出したものだ。
内容は行商であるはずのルスランの護衛だった。
これだけミスリル製の魔導具が普及しているのに、ルスランと名乗る行商は魔導具を使っていなかった。魔力を持たないのかも知れない。
カヌーは、その火力の足りない遠距離支援のおかげで苦労もさせられた。
なのに、前衛に立ち鎧を壊した自分よりも、自分を使っているルスランの方が、この一件で儲けを取るだろう事が苦々しい。
本当の依頼者は、動かなくなったベアウルフを遠巻きに見ている、商人らしき太った男だろう。
カヌーは紹介も受けていないし、商人の名前も何もかも、全て伏せられたままだった。
仕事の内容も如何わしい物だった。
王都の外れに停められた太った商人の馬車から、大きな縦長の壺が下ろされた。
スラム街でよく見るものだ。
それを商人の連れてきた男二人が横倒しにして、慣れた手つきで転がして運ぶのだ。
その転がる壺の左右をカヌーとルスランの二人が固め、後ろに控える太った商人ごと護衛しながら進んでいた。
ベアウルフは荒野の低木の影から現れた。
遠目に見ても、いかにも怪しい一角だったが、カヌーの提案を誰も聞かず、転がされた壺の方向転換も間に合わなかった。
弓の牽制もないままの、勢いの乗った一撃で鎧は破損したが、なんとかベアウルフを退けると、その後は魔物との遭遇は無かった。
そのまま王都に向けて荒野を進むと、地面から盛り上がった断層の物陰に別の馬車が止まっている。
壺を転がして来た二人の男は、その壺を物陰の馬車の荷台に移した。
馬車の荷台には同じ形の壺が並んでいたが、この荷台の壺の中身は、おそらく塩漬けした獣肉だろう…強い臭いで直ぐに解る。
カヌーが護衛して来た壺からは、妙な臭いはしていたが、少なくとも塩漬けの獣肉の臭いはしていない。
カヌーはルスランに転がして来た壺の中身を問いただしたが、ルスランは何も知らないと言い張り不機嫌になる。
カヌーにとってルスランは仲間ではなく依頼主だし、面倒事に首を突っ込む気も無い。
カヌーは話を切り上げると、走り去る馬車を見送った。
ルスランと太った商人も、荒野の先に帰って行った。
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カヌーは、今後はルスランからの依頼を受ける気は無かったし、疑いをかけた自分にルスランから新たな依頼があるとも思っていなかった。
険悪な雰囲気で仕事は終わったが、カヌーは王都に向けて魔導回廊の幹線の上を歩きながら、ルスランから報酬の魔力が振り込まれた事を確認した。
太いミスリル線が埋められた幹線は荒野の砂埃に洗われて、石畳も目印も見えなかったが、産まれてこの方、魔導回廊に付き合わざれ続ける王都の民にとっては、目を閉じていても探り手繰れる物になっている。
カヌーの太ももの帷子にカチカチと剣の柄が当たるが、カヌーは鞘の位置も直さずにトボトボと歩く。
今日のような不毛な依頼であっても、冒険者ギルドは間にあり、魔導回廊を通して仕事を仕切っている。
冒険者としてギルドや軍に登録してこの方、カヌーは余裕を失い続けていたが、誰もその虚しさを埋め合わせてはくれなかった。
カヌーにとっては、ギルドも魔導回廊も便利な部分もあったはずだが、それでも結局、いつも便利に使われ草臥れるのは、カヌーの方と決まっていた。
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マルフェオは痩せた体と豊富な魔力を持っていた。
王都北部の役所と、王都中央の商会地区を行き来し、王から任された沢山の部下を取り仕切っていた。
広い王都の中で働き暮らしていても、常にミスリルの埋設された幹線の上を歩き、ミスリルの椅子に座り、魔導回廊と繋がり続けている事を好む男だった。
自身で家を背負い込む事はせず、王都で一番の高級宿を定宿としていたが、宿に戻る事は滅多になく、経費で賄える浄化の魔法を浴びながら、上司や部下の仕事を眺め続けた。
マルフェオは人を使う事も、人から使われる事も上手かった。
どんなに忙しくしていても、王や宰相のワガママを叶えられる余裕を作っていたし、その余裕が無くなりそうなら、部下にワガママを言って仕事を投げた。
仕事を投げるマルフェオを、怠惰だと言う人もいた。
部下が余裕を失いそうな時は、進んで部下に使われた。
王や宰相のワガママに比べれば、部下の抱える仕事は平易で些末な事だった。
部下に使われるマルフェオを、卑屈だと言う人もいた。
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マルフェオの部下の中で、最も有能で余裕を持っていたはずの役人が結婚する事になり、その役人は雑務で余裕を失っていた。
マルフェオがこの役人の抱えていた仕事を引き取ると、仕事の話は管理の中から出たり入ったりする事がなくなり、マルフェオ一人の中に収まった。
マルフェオは王や宰相の立場からも、部下の役人の立場からも、商会で働く付与魔術師の立場からも、色々な方向から話の対処を考えた。
大切な話ほど細切れで、それぞれの人が自分の本音を話せるタイミングが違うから、いつも話は前や後ろにズレていたが、色々な立場の考えがマルフェオ一人の中に収まると、改めて流れや繋がりや意図も見えて来る。
マルフェオは人々の話のタイミングと方向を整理すると、給料や報酬として魔力を払って人を使い、精霊に魔力を使って魔法を使い、次々と王都の問題を片付けていった。
ベアウルフは、四肢が熊、頭が狼のような、スト〇のブラ〇カなイメージです。
肩幅は広く、尾もオオカミのような感じです。