24話 馴れ初め
ようやく本業が落ち着きました。
よろしくお願いいたします。
穴から飛び出したデミゴブリンは初めて人の暮らす集落を目にしたが、その広さと大きさには驚いた。
そして、その大きな集落を踏み潰しながら進む巨大な二本の両足を見ると、その歩みの遅さに疑問を持つ。闇の力を得ていれば、いくらでも速く進めるはずだ。
デミゴブリンの濁った両目は、黒い両足に担がれ虚空で暴れるミスリルゴーレムを追っていた。
目ではそんな余所見をしながらも、倉庫街の影に入り、影に重なる闇に黒い右手を付けば、王都中に細かく区切られた影と闇を通して、今、起きている状況が理解できる。
黒い両足が進む目的地に、デミゴブリンが”黒い左手”を届ける”宛先”の人間が突っ立って居るのだ。
デミゴブリンは、その人間の愚かさには呆れたが、黒い両足と尻尾が宛先の人間を叩き潰してしまう前に、まずは自分の役割を済ませてしまう事にした。
影から影に飛ぶように、デミゴブリンは素早く、忌々しい朝日に向かって駆け出した。
直ぐに黒い両足を追い越して、宛先の人間の下へと向かう。
途中、小柄な人間に姿を見留られた気もしたが、デミゴブリンは気にもかけず、足を止め関わる事もない。他の人間はどうでも良いのだ。
そして探していた褐色の肌をした人間がデミゴブリンの目にも見えてくる。
一度足を止めて見れば、思っていたよりも痩せた弱々しい人間だった。背丈は高いが、その背中はデミゴブリンに向けたままの無防備で間抜けな姿を見せている。
だけど、デミゴブリンはこの間抜けな人間に初めて会った気がしなかった。
既に何処かで触れ合ったような、既に深く理解しているような、そんな気がしていた。
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クーリエは久々に役人らしく働けていた。
仕事に捕まるのは苦ではなく、ただ黙々と働いていた。
婚約者と準備していた結婚式は、全て無かった事になりそうだったが、クーリエからすれば仰々しい式を望んでいたわけじゃない。
巨大な黒い両足の行進は、今までで経験した事のない災難だったが、クーリエは何も考えていなかった。ただ今は黙々と、王都のために的確に仕事を片付けていく。
婚約者となった女性も、出合った頃から黙々と完璧に仕事を進める役人だった。
初めて話をしたのも、初めて二人で過ごしたのも仕事の上の事、結婚を申し込んだのも仕事の帰りがけだった。
だけど今、彼女は田舎に帰郷している。
婚約者の抜けた分の仕事はクーリエの身に降りかかり、婚約者の完璧な結婚準備はクーリエの身を疲弊させたが、もうそんな事もどうでも良いのだ。
惨事の後手に回り続けるような不毛な事務処理を続ける中、北軍の士長からの通知が回って来た時は驚いたが、老齢の軍人が作る文章は、自らの先見性と行動力を簡潔に表した実直なものだった。
通知の通りに北軍が馬と労働力を提供してくれれば、王都の食料事情に不安はなくなる。
王城の貯蔵塔にも蓄えはあったが、この国難は全く決着が見えない。
危機を耐え忍ぶ食料を大胆に兵站として割り切れてしまう老いた軍人の率直さが、クーリエには頼もしく感じられた。
クーリエは北軍の士長が求める、難民が必要とする毎月の食料品の量と、それらを短期的に調達できる商人のリスト、それと農産物を長期的に調達できる生産地のリストを集め、士長に通知を返した。
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予定外の仕事に流されながらも、今ある仕事の区切りがクーリエの目にも見えて来る。
だけど一旦の目処が付いたのは、目の前の仕事だけだった。
役所の南窓から見える通りの先で、巨大な黒い足は景気良く商店街を踏み散らかしている。
まだ仕事の形にもなっていない問題の山がクーリエを捕まえようと待ち構えていた。
結局、これまでにない惨状に、役人に指示を出す貴族の頭が追い付いていないのだ。
何も考えずに居させてくれた仕事は片付き、報告書の山に変わったが、次の問題の山は直ぐ近くに見えるのに、まだ今は手も足も出ない。
二つの山の隙間の少しの合間に、クーリエの意識は魔導回廊の中に向いていた。
魔導回廊の中は騒然としていた。飛び交う雑音を掻き分けると、南塔の軍医の報告が目に付く。
あの巫女擬きのジルだ。
ジルは南塔の入り口で誰かを待っているようだ。そこに向かっているのは・・・商会の付与魔術師だ。
魔導回廊の太い幹線は、制限のかかる細い回線とは異なり、そこに乗っている人間の魔力の大きさも正確に表してくれる。
彼女たちの魔力は、人の逃げ出した王都南側では飛び抜けて目立っていた。
クーリエは上司のマルフェオからこの付与魔術師の話も聞いていた。
奔放だが王都随一の技術者という話だ。
過去を蒸し返す巫女擬きのジルを、役所の仲間は嫌っていたが、クーリエは好感を持っていたし、上手くも付き合えていた。
でも、あの付与魔術師はどうだろうか?
付与魔術師のティトも、ジルと変わらず役所の仲間からは嫌われていた。
今までにない物を作り、法律にはない仕事を増やすからだ。
自分の婚約者の我慢強く細やかな性格であればジルとは上手く付き合えるだろう。
でもティトとジルは馬が合うのだろうか?
仕事の合間を縫って、クーリエが余計な心配をしていると、魔導回廊越しに上司のマルフェオの気配も感じる。
人としての有能さは余力を作るが、人の余力など、歯が立たない問題の前では、その身と時間を持て余すだけなのだ。
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ジルが出迎えると、現れた付与魔術師は全身の気脈が乱れていた。
ここまで命の気脈を派手に乱れさせる人間を、ジルは見た事がなかった。持っている魔力の大きさもあるのだろう。
付与魔術師が立つ足元のミスリル床は、溢れる魔力で変化を始め、うっすらと煙を噴き上げている。
そして付与魔術師が語り始めた語気は強かった。
「シジ君はどうしたのよ?」
礼節どころか挨拶もすっ飛ばした話だったが、付与魔術師の持つ魔力は魔導回廊に駄々洩れで、その溢れるイメージをジルも直ぐに掴む事ができた。
あの冒険者のイメージだ。そして、あの冒険者を大切に思う気持ちが一方的にジルに押し付けられて来る。
盛大に魔力を無駄使いした強引なコミュニケーションだったが、ジルからすれば、貴族や高級宿の主人のような、回りくどい話し方よりはマシだった。
とりあえず解りやすいし、乱れる気脈は力強く、嘘や裏表が一切ない。純粋に冒険者を心配しているのだ。
そしてジルには、彼女の有り余る魔力はとても頼もしい物に感じた。
「初めまして。南塔で軍医を任されているジルと申します。」
「冒険者のシジフォス殿には、ご助力を頂き、先程この南塔の前で別れ、東の丘陵地帯へ見送りました。」
ジルの答えに付与魔術師は目を泳がせた。
魔導回廊を通してシジフォスを探しているのかも知れない。
ジルも改めて魔導回廊を通してシジフォスを探して見るが、上手く見つからない。
おそらく回線の細い裏路地に居るのだろう。現在の騒然とした魔導回廊の中で細い回線をたどるのは至難だった。
「魔術師殿、まずは東の丘陵地帯一帯の安全確保が先決でしょう。」
「屋上の大砲の向きを変える必要があります。ご助力をお願いしたい。」
ジルの言葉の直後、南塔に向かってくる重い足音が響いた。
そして付与魔術師の答えは簡潔で、行動は言葉よりも速かった。
付与魔術師の有り余る魔力が、その足元でうっすらと煙を上げていたミスリルの床から魔導回廊を通り南塔の全体へ流れると、その構造を把握していく事がジルにも理解できた。
「わかったわ。直ぐに片付けましょう。」
付与魔術師はジルを押しのけると、迷いもなく、まるで慣れ親しんだ自分の職場であるかのように、南棟の両開きのドアを開け、階段を上っていった。
欲張らず章立てにしていく事にしました。
細部の手直しも大幅に加え、進みかけていた話は次章に持ち越します。




