19話 お茶と兵士
キャラクターの掘り下げが足りず、既存の2話と3話の間に新しい3話として「人を使う」を追加しました。
4話以降が全て、各話の接続部分に加筆した上でスライドしている形です。
物語の大筋には変更はないので、新規に加えた3話は読み飛ばしても大丈夫だと思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。
カヌーはシジフォスやノーリと別れ、東の丘の中腹にある定宿に帰った。
東の城壁に沿う木立ちの奥で夜が更けても、この宿はカヌーを待っていてくれる。
カヌーは他の客を起こさぬように、静かに階段をのぼり自室に向かった。
自室の扉のノブはいつもよりも滑り、回すのに時間がかかる。宿の廊下の隅の闇がドロドロと弱々しく泡立っているが、カヌーは気にもかけない。
ようやく扉を開け部屋に入ると、カヌーは直ぐに3台の照明の魔導具に残り少ない魔力を絞り込み、煌々とした明かりで部屋を照らす。
そして脱いだローブを床に敷き、床に傷が付かないように盾を置いた。
次に鎧を外そうとするが、指が浮腫んでいて上手く金具が外せない。
胸甲と手甲を後回しにして、先に草摺の繋がったベルトを外すと、それも敷いたローブの上に置き、カヌーは木製の椅子に腰を落ち着ける。
自分で考えているよりも疲れている事が、酔った頭でも理解できた。
元々、駆け出しの冒険者は軽い皮鎧や、少しの金属片を組み合わせたリングメイルなどを使っていた。
ミスリルが安価になった事で、いきなり金属鎧を使えるのは恵まれた事だが、それを一日中着用して働く体力も、鎧を保管するための芯木などの収納も、ギルド依頼の日銭で働く冒険者にはままならない。
重装備の盾役の戦士の仕事は、南の要塞の騎士団に任せたい所だったが、彼らは模擬戦ばかりで現場にはやって来なかった。
カヌーと苦楽を共にした胸甲にも手甲にも傷が目立つ。
ベアウルフに弾き飛ばされた肩当てもそのままだ。
そろそろシジフォスに修理を頼んでも良いかも知れない。
カヌーは鎧を脱ぐことを諦めると、さっぱりとしたお茶が飲みたくなり、そのまま宿の一階のカフェに向かう事にした。
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王都東の繁華街の夜は、西側の飲み屋街とは表情が違った。
貴族街が近い事もあり上客も多い。
貴族たちは、数十年前まで墓所だった土地を自分で購入する事は無かったが、緑に囲まれた丘陵地帯での食事や買い物は、魔力を惜しむ事なく楽しんだ。
丘陵地帯の緑の奥、その建物は城壁にへばり付いていた。
一階のカフェは繁華街の喧噪を離れた静かな立地で上質なお茶を提供していた。食事もお酒も楽しむ事ができ繁盛している。
2階と3階は宿になっていたが、殆どが女性の宿泊で、男性は大柄な冒険者が一人暮らしていた。
近隣の住人やカフェの利用客は、その男を宿の用心棒だと思っていた。
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軍が南北の軍区に再編され、南北それぞれの塔が高い階層に建て替えられると、その古い東の側塔は不要になった。
その後、丘の造成や地下のミスリル工房の建設が進むと、この塔は半分が地中に埋まり、中途半端な石造りの物件となって民間に払い下げられた。
城壁の強度を維持するため、塔の基礎構造には手を入れられない契約になっていたが、相応に無理な増築が繰り返される。
建物は何度か持ち主が変わり、まだ奴隷が多かった時代から王都で暮らす、苦労人のハーフエルフの老婆フレジャの手に渡ると、カフェと宿に改装された。
フレジャは奴隷から解放後はメイドになり、長い寿命を生かしてコツコツと資金になる魔力と人脈を集め、このカフェと宿を手に入れた。
宿の中心には城壁の東の側塔がそのまま使われていたが、この側塔は半分が地中に埋まっても、未だに城壁内の廊下に繋がったままで、兵士は城壁の内側から直接宿に出入りできた。
その結果、宿には兵士の恋人が集まる事になる。
北軍区と南軍区の兵士は仲がいいとは言えなかったが、自分の大切な女性の前では声を荒げる事は無かったし、トラブルがあればカフェのオーナーであるフレジャが仲裁した。
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フレジャがカフェの片づけをしていると、鎧を中途半端に脱いだカヌーが2階から降りて来た。
顔が浮腫んでいて体も重そうに見える。
カヌーはお茶が飲みたいと言ったが、速く寝かせた方が良さそうだ。
フレジャは厨房にカヌーを招き、眠りの邪魔にならない薬草の根を煎じたほうじ茶を飲ませてやると、鎧を外すのも手伝ってやった。
フレジャへの挨拶に訪れた兵士が、鎧も一人で脱げないカヌーを笑ったが、兵士だって仲間や恋人に外してもらっているのだ。
カヌーは気にもせず兵士に軽口を返し、大事そうに鎧を抱えて二階の自室に帰って行った。
フレジャが港を仕切るテミスからカヌーを預かったのは、カヌーがまだ14歳の頃だ。
長い時間を過ごした結果、兵士もその恋人たちも、カヌーの事は信頼していたし、カヌーも彼らの信頼に答えていた。
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朝にはいつも通りの平和な光景が広がっていた。
宿で恋人と一晩を過ごした兵士が、カフェで朝食を取っている。
兵士たちは時間の許す限り恋人と一緒に過ごして、古い東の側塔を抜けて自分が守る持ち場に戻った。
兵士たちは他の利用客に気を使って、朝以外の時間はカフェを利用しなかった。
フレジャは毎朝、朝食の準備と食材の納品業者の対応に追われていたが、兵士たちに振る舞う渋くて熱いお茶には気を使っている。
兵士はフレジャのお茶を飲み、仕事へ頭を切り替えた。
兵士たちはお互いに気を利かして、遠くの持ち場に帰る兵士から順番に朝食を取っていた。
フレジャの経営する宿で恋人と過ごす事は、兵士の中でも憧れになっていて、ベテランの兵士の利用が多く、彼らは協調性も高い。
危機が起こった時に、南軍区と北軍区のベテラン兵が、お互いに顔を合わせる場所と時間を持てた事は、王都にとっては幸運だった。
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フレジャが卵を焼き、皿を洗っていると、南軍区の兵士たちが一斉にミスリル製の椅子から立ち上がった。宿は一瞬で緊張感に満ちた。
南軍区の兵士たちは宿の中央に集まり、悲壮感の見える顔で話を始める。
そこに状況を察しているような北軍区の兵士達も加わり、静かな議論が始まっていた。
女性たちは皆、宿の自分の部屋に戻っていった。何人かの女性が皿を下げるのを手伝ってくれる。
ただ事ではない事はフレジャにも解った。兵士たちの議論の声はどんどん大きくなり、内容がフレジャにも伝わって来る。
信じられない話だが、どうやら南の砦の騎士団が全滅したようだ。
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南軍区のベテラン兵は、国が南軍を北軍の指揮下に編入する場合は、余計な混乱は起こさず北軍の指揮下に入る事を確認していた。
確認は魔導回廊を通して仲間の兵にも伝えられる。
昨日から上官との連絡が途絶えている事もあり、南軍区の兵士たちに無駄な虚勢や自己主張は無くなっていた。
素直に軍の危機を受け入れていた。
そして兵士たちの長い立ち話が続き、議論に参加する兵士も増えて行く中、遠く西の港の方向から、誰も今まで聞いた事のない重い金属音が響いた。
音を聞いたのか、二階からカヌーも下りて来る。鎧も盾も剣も既に装備していた。
危機は南の砦だけの話ではなく、この王都でも起こっている事を、その場の全員が思い知らされた。
兵士たちはフレジャの了承を取って、カフェを臨時の詰め所にする。
北軍区の士長の指示が南軍区の兵士にも伝わり、南軍区の兵士の集めた情報が北軍区の兵と上官にも伝わった。
南軍区の軍医から、巨大な魔物が東の丘陵地帯に向かっている情報が届けられると、兵士たちは素早く役割を分担し、丘陵地帯で暮らす住人の避難誘導の作業に入った。
中級冒険者であるカヌーも正式に軍の指揮下に入り、避難誘導の補助に走る。
北軍区を指揮する士長は退役間近の老騎士だったが、現場の意志を尊重し、余計な口出しはしなかった。
無駄口を挟む代わりに、住民への補給物資の確保のため、貴族と役人の間に入り奔走してくれた。
南軍区の軍医から、南軍区の塔から巨大な魔物を迎撃する提案があったが、ベテラン兵たちからすれば現実性は乏しかった。
まず外に向けられた大砲を内側に構え直すのが一苦労だ。
魔法で塔の形状を変える必要があり、そのためには付与魔術士の商会とも連携する必要があった。
兵士たちは付与魔術師の商会に通知を送ったが、返信が帰って来るかは解らなかった。
兵士たちは魔導回廊で連絡を取りながら最善を尽くしたが、巨大な魔物の足音は徐々に大きくなり、一歩一歩確実に丘陵地帯に近づいていた。




