16話 危機
よろしくお願いします。
港で働く者は皆、東の空から上る太陽が、今日も何事もなくオレンジに輝く夕日に変わり、また西の海に帰って行く平穏な日常が続くものだと思っていた。
危機は突然始まる。
何処かに大量の海水が消えてしまったかのように、穏やかだったはずの海面が大きく凹む。
その凹みが渦を巻き初めて、周囲の船が傾き揺れると、その渦の中心から銀色の巨大なワームが現れた。
港の先の海面は、濡れた巨大なワームの全身を銀色に照り返していたが、お腹の部分は真っ黒く乾いていて、粉のような黒い煙を撒き散らし、海面に影を作っていた。
そして港で働く人々が声をあげて逃げ始めた瞬間に、巨大なワームはムチのように体をしならせて、一瞬で船から荷揚げを行っていた大型ミスリルゴーレムの下に潜り込むと、その右足を関節から食いちぎった。
片足を失ったミスリルゴーレムは、大きな音を立てて、その巨体を港の石畳に叩きつける。
勇気の無いものが逃げ、勇気のあるものが唖然としているうちに、巨大なワームは黒い煙を吐き出し、周囲はミスリルゴーレムと共に雷雲のような黒い煙の雲に包まれる。
その後、雲のような煙から外に現れたワームは、潰れた倉庫の庭先に黒い煙を再び吐き出し、その地中に頭を埋めた。
地面は黒い煙によって影に溶けていくように大きな穴に変わり、ワームは音も立てずに地中に潜り込んでいく。
瞬く間に長く巨大なワームの体は穴の中に消えて行き、煙がはれた後には、片足を失い倒れたミスリルゴーレムと巨大な穴が残された。
勇気のある人々が我を取り戻し、逃げ惑う人々の混乱を少しでも納めようと頭を整理し始めたその直後、さらに混乱は大きく深まっていく。
横倒しになったミスリルゴーレムの背中から、二本の巨大な足と一本の巨大な尻尾が生えた。
ミスリルゴーレムは仰向けになりながらも暴れたが、黒く巨大な尻尾はバランスをとり、二本の黒い巨大な足は立ち上がり、何も抵抗の出来ない仰向けのミスリルゴーレムの姿を王都中に晒した。
倉庫や街を踏み潰しながら黒い足は歩き始め、王都を横断していく。
仰向けに晒された巨大な片足のミスリルゴーレムが住民の恐怖を煽る。これから生け贄にでもされるようなミスリルゴーレムを見て誰もが力を無くし、その場から動けなくなっていた。
軍隊の小規模な発砲もあったが効果はない。
魔導回廊の中には大量の通報、通知が行き交っていたが、混乱が重なっていくだけで誰も対処は出来なかった。
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邪魔を出来る者もなく、黒い足と尻尾は仰向けになったミスリルゴーレムを担いだまま、王都東側の丘陵地帯にまでやってきた。
大きな音が近づいて来る間に、近隣の住民の退避は終わっていた。
皆が黒い足と、それに背負われたようなミスリルゴーレムを見つめる中、突然、黒い両足は爆散し、ミスリルゴーレムの巨体が空中に高く高く飛び上がった。
黒い尻尾が空中でバランスを取り、落下点の狙いを定めている様だ。
そして高い高い空中から落下してきたミスリルゴーレムの巨体は、轟音と共に頭から丘陵地帯に激突した。直後に地響きと共に地下のミスリル工房が崩落し、大量の粉塵が空に吹き上がる。
粉塵が収まる頃には、丘は高さの低い瓦礫の山に代わり、その中央からミスリルゴーレムの左足が突き出ていた。
黒い尻尾はミスリルゴーレムの体から離れ、スルスルと地中に浸み込んでいく。
王都を世界の中心たらしめていた"魔導回廊"が停止したのは、その直後の事だった。
王都を含めた世界の全てが、その瞬間からダンジョンになった。
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ラスキンは光の精霊のざわつきに促されるように、街外れの塔の屋上から港の先の海を眺めていた。
そして、その後の惨事の全てを見ていた。
南の要塞から騎士団長以下、精鋭の全滅という信じられない報告も受け、今も王と連絡を取り騎士団の建て直しに出来る限りの手立てを打っていたが、どうやら後手に回っているようだ。
巨大な黒い両足の歩みは思いの外遅かったが、魔導回廊の先の王からは矢継ぎ早の質問を浴びせられた。
見た事のない魔物、見た事のない現象に解釈が追い付かなかったが、王の率直な質問に一つづつ答える事で、ラスキンの頭も整理され、並行して"魔導回廊"越しに国中に指示を出していた。
そして爆音と共にミスリルゴーレムが東の空に飛び上がると、ラスキンの目には光の精霊の泡粒が一斉に潰れていくように見えた。
ラスキンは小さくなって行くミスリルゴーレム越しに、初めて澄んだ青い空を見た。
そして、落下していくミスリルゴーレムが黒い尻尾を伴って、東の丘に突っ込む。
けたたましい轟音が鳴り、魔導回廊の防御のために作られた魔法陣も簡単に崩壊してしまった。
純度の高い銀に、圧縮した魔素を込めた特別なミスリルで作られた魔法陣だったが、あの衝撃の前では無力だったようだ。
その後、ミスリルゴーレムから離れた黒い尻尾が純粋な闇の魔力に変わり、魔導回廊を侵食したのだろう。
魔導回廊の機能は停止し、王との連絡も途切れてしまった。
以前、魔法を覚えたゴブリンの上位種族"メイジ・ゴブリン"の闇の魔法が偶然魔導回廊に侵食し、部分的な機能不全を起こした事があった。
魔導回廊は雷帝ベイトソンが考案した電子という光魔法で動作している。それを闇の魔法が壊してしまう事は解っていた。
ラスキンは対策として、ベアウルフとゴブリンを混ぜたデミゴブリンという新種の魔物を魔法で合成し、メイジゴブリンを新たに生む可能性のあるゴブリン種の絶滅へ向けて対策を取っていたが、こんな事態は想定していない。
ラスキンが闇の魔法について思いを巡らせている間に、事態はさらに悪化して行く。
危機の際の復旧用に作られた魔導回廊の深層は、一般が使う表層の魔導回廊とはミスリル線で繋いではいない。物理的に隔離している。
王城と南北の砦、そして雷帝ベイトソンから受け継いだこの塔だけを繋ぐ、最初期に作られたこの魔導回廊の深層は、この時点ではまだ生きていた。
それを掘り返せば、魔導回廊を復旧する事も出来たはずだった。
しかし次の瞬間、ラスキンが南北の砦に向けて至急の指示を下している最中に、壊れた表層と生きていた深層の魔導回廊は繋がってしまい、この深層にも闇の魔力が流れ込んできた。
ラスキンは再び闇の魔力を感じたが、何の抵抗の手段もなく、魔導回廊の深層は壊され、全ては消失してしまった。
接続が無くなり、一人で塔の最上階に残された後、ラスキンは考えていた。
あのワームだ。あのミスリル色のワームが自らの体をミスリル線に変え、表層と深層を繋ぎ闇の魔力を誘導したのだ。
という事は、あれはワームを模した新型のミスリルゴーレムの一種という事になる。
そんな新型のゴーレムを作り、こんな計画が立てられる存在は二人しか居ない。
その二人共もう死んでいるはずだったが、闇の魔法の力であれば、死は障害にはならなかった。
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逃げ疲れたアリッサは呆然としていた。
おそらく生き残ったのは自分だけだろう。
騎士団の行軍は速く、日が昇り始める頃には大穴に到着していた。
大穴の包囲に隙はなく、地中に進行していく準備を着々と進めていたが、そんな段取りに構う事なく、大穴の周りに新たな小さい穴が空き、そこから黒い獣が飛び出しては、騎士の頭を背後から叩き潰していった。
ミスリル合金の兜など何の意味も無かった。
黒い獣は朝日の光の下で見ても、光を吸い込んでしまうような真っ黒な右腕を持っていた。
しかも、それは長く伸び、大きく力強く振るわれた。
黒い獣の頭から背中までは黒い毛に覆われ、粉のような黒い煙が漂っていた。
黒い獣が黒い石槍を投げれば、石槍は騎士の二~三人を易々と貫いた。そして黒い右手が地面に触れると、抉れるように圧縮し、新たな槍が黒い右手に握られていた。
騎士が最後の数人になった時、アリッサに逃げるように指示をだしたのはジェリウス団長だった。
王都の宰相、ラスキン殿にこの黒い獣の詳細を伝える事…それがジェリウスの最後の指示になった。
アリッサは、どれだけの時間逃げ続けたか解らなくなっていた。まだ王都南の草原に居るはずだが、王都に近付いているのか? も解らない。
アリッサは上級冒険者になってから使えるようになった軍専用の魔導回廊への接続を探ってみる。
だけど、どれだけ探ってみたところで、今まで自然に感じる事が出来ていた魔導回廊を、見つける事は出来なかった。




