10話 初仕事
よろしくお願いします。
黒い右腕をデミゴブリンが持つように、黒い体はあの銀色のワームが持ち、黒い頭はまた別の場所にあった。
左腕と両足と尻尾はまだこれからだ。
それぞれに役割があり、時間割があった。デミゴブリンはそろそろ急がなければならない。
デミゴブリンは夕焼けの中、集落から大穴に向かって二本の足で走っていた。
大穴に戻る頃にはすっかりと日が暮れていたが、闇の力を得て、もう視界に苦労する事は無い。
デミゴブリンからは大穴の近くに人間が集まっている事が良く見えていたが、人間はデミゴブリンには気が付いていないようだった。
デミゴブリンは何の迷いもなく、一瞬で二人の人間を叩き殺したが、三人目はあえて逃がした。
人間は、こうすると必ずまたやって来る。デミゴブリンにとっては3人分の魔力では足りないのだ。
人間は仲間の死に躊躇する事もなく逃げ出した。
その人間の姿は一瞬で消えていた。デミゴブリンは人間が消えてしまうのを初めて見た訳ではない。人間は不思議な力を使うのだ。
デミゴブリンは身を低く屈ませ最大限の警戒をしながら周囲に注意を払い、臭いや音に意識を向ける。
闇の力を得ても、鼻は相変わらずゴブリンの臭い以外には鈍いが、耳はここから離れていく人間の足音だけを捉えた。
他の人間が直ぐ近くにいる事はなさそうだ。
デミゴブリンは大穴の内側の闇に右腕で触れて、黒い体を持つワームに追いつくように魔力を流した。
ワームと大穴の闇が魔力で繋がると、デミゴブリンはその闇に死んだ人間の体を生贄にささげた。
二人分の人間の死体は直ぐに闇に包まれ、ワームに届けられる。
これでワームは少し大きくなったはずだが、まだまだ大きさが足りない。
ワームは深い深い地面の底を進んでいる。
ワームが目的地に着いたときに、その目的を達成できるよう、デミゴブリンはもっと人を集める必要があった。
デミゴブリンは大穴の中に入り、仕返しに来る人間を、返り討ちにする準備を始めた。
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シジフォスはカヌーと二人で冒険者ギルドを出ると、そのまま請け負った依頼先のスラム街に向かった。
依頼先は徒歩でも直ぐに着く距離にあり、二人で魔導回廊と太く繋がる幹線の上を歩いている。
幹線の上を歩く規定があるわけではないし、監視が付くほどの依頼でもないが、履歴を残しながら仕事を行う方が冒険者の習慣としては正しいそうだ。
冒険者ギルドでカヌーとやり取りをしてる間に時間は過ぎ、商店街には人が溢れている。
仕事の休憩時間のうちに昼食を物色する労働者や、買い物籠を下げた主婦やメイドの姿が多い。
商店の並ぶ街路を北側に折れ、スラム街に入ると街の風景が一変した。
ここは、まだ王都の港が小さかった頃に行われていた古い産業の跡地だった。
街のあちこちに大きな縦長の壺が放置されている。割れている物もあれば、中に雨水が溜まったままの物もある。
シジフォスにとっては、ミスリル以外の材料で、魔導具ではない普通の壺を、こんなに大量に作っていた事が不思議だった。
スラム街の住民は、皆が国からの魔力証への"施し"の魔力で生活している。
若者は幹線の端に足を乗せ、魔導回廊に繋がったまま惚けているが、老人は道端や長屋の軒先で元気に友人とおしゃべりをしている。
女性の姿は少なかった。やはり家事があるのだろう。
依頼のあった現場は、長屋が密集している住居街の先にあった。
生活している場所に武装した冒険者が訪れるのは好まれる事ではないだろうが、住民は皆、シジフォス達が何をしに来たのかを、もう理解していた。
自分たちの暮らす住宅街に、"魔道回廊の穴"となったダンジョンがあるのは不安なんだろう。住民の期待のこもった視線も感じる。
非常に細い路地に、干された洗濯物が溢れかえっている。せっかく洗われた衣類を汚さないように注意しながら進むと、井戸のある小さな広場に出た。
井戸には役人が井戸の管理に使うミスリル製の水位計が備えられていて、そこから魔道回廊にも繋がる事も出来そうだ。
カヌーは水位計に触れると、現在地と依頼先をもう一度確認する。二人は井戸の広場からさらに奥の細い路地に向かった。
依頼地に近づくにつれ、道に雑草が増えてくる。
その場所はスラム街には珍しく庭のある邸宅で、2階部分の大きなバルコニーが崩壊し、その庭の地面に突き刺さっていた。
「…シジ、油断するなよ。仮に隠蔽の外套を着た盗賊が隠れていたとしても、誰にも分からないんだ。」
「そうだね」
シジフォスは、生れて始めてダンジョンの前に立った。そこから先は魔導回廊からは何も解らない。
それだけの事なのだが、だけど接続のない場所に立つと、自分の脳が狭くなったような不思議な感覚があった。
「…シジ、まずは二人で調査を済ませちまおう。シジは隠蔽の外套を使って姿を消しながらやってくれ。仮に誰かが隠れてこちらを伺ってるとしても、シジが消えれば下手には動けなくなる。」
「わかったよ。」
「…隠蔽の外套はどれぐらいの時間使ってられそうなんだ? 」
「試した事はないけど、半日以上は大丈夫だと思うよ。」
「…頼もしいな。じゃ、とっとと終わらせちまおう。シジはダンジョンの外周から中央に向かって調査してくれ。俺はあのバルコニーを調べる…多分あれが原因だ。」
調査はあっさりと進んだ。シジフォスは隠蔽の外套に魔力を流し自分の姿を消すと、庭をぐるっと一周し、奥にあった物置や畑として使われていたらしい茂みを見て回った。
人の足跡、足音は何もなく、たくさんの虫と一匹の猫がいた。
時折、中央でバルコニーの柱をどけ、バルコニーが抉った地中の穴を覗くカヌーの安全を確認しながら、シジフォスは要領よく調査を終えた。
シジフォスは魔力を切り姿を現すと、中央で作業するカヌーに近づいていった。
カヌーの作業は廃墟の解体のように見えた。
「終わったよカヌー。何もなさそうだね。」
「…楽勝だったな。やっぱりこの崩落したバルコニーが地面に刺さって、地中のミスリル線が断線してたみたいだ。」
カヌーは汗をかきながらも、声には安堵の色が表れていた。
「こんな地表の近くにミスリル線があるなんて珍しいね」
「…そうだな。昔は色々雑だったんだろうな。…で、シジ、魔力の余裕はまだありそうか?」
「うん、全然大丈夫だよ。」
「…なら、暗くなるまでにはまだ時間がある。さっきの井戸の水位計から魔導回廊に繋がって、ギルドに報告を澄ましちまおうと思うんだが、ここで留守番を頼めるか?」
「ああ、問題ないよ。」
「よし。じゃとっとと済ませてくる。上手くいってミスリル線修理の護衛までこなせれば、楽に稼げそうだしな。」
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廃墟になった邸宅には、入り口や窓に差し押さえの封がしてある。あれを剥がして中に入るのは、後々また別の問題になるだろう。
シジフォスはシーフとしてダンジョンから盗める物がないか、物色しながらカヌーを待っていた。
足元に目を移し、破損しているミスリル線をのぞき込んでみる。多分、自分でも直せてしまいそうな気もする。
壊れたミスリル線を見ていると、改めてここが魔導回廊の外である事を思い直す。
この瞬間、シジフォスは王都から消えているのだ。
誰がシジフォスの事を探しても、今はシジフォスを見つける事は出来なかったが、接続の外に居るシジフォスにしても、周りの事が何も見えてはいなかった。




