第4話 なぞの部屋
エヴァは「その時」になったら目的を伝えると言っていた。
現在、リゲルは0歳1ヶ月の新生児だ。
寝返りはうてないし、当然首も座ってない。
確かに、こんな状態で目的とやらを言われても何ができる訳でもない。
(考えても仕方ないか)
最後に見せたエヴァの顔が気になるし、彼女の言葉で脳裏を掠めた「何か」も気にはなる。
しかし、今はそれを気にしても仕方がないだろう。
ガチャっと、扉が開く音がする。
耳はだいぶ聞こえるようになってきた。
軽い足どりでこちらに向かってくるのはセリスだ。
今の時間は、おそらく正午付近。
大きなカラの洗濯かごを、リゲルの揺りかごの横に置いた。
どうやら、セリスは洗濯物を干していたらしい。
「いい子にしていたかしら、リゲル~」
美しく柔和な顔立ちで、その大きな瞳を優しげに細めた。細く白い腕をリゲルに伸ばし、優しく抱き上げる。
「リゲルは、お父さんに似てかっこよくなりそう。強くて優しい子になってね、リゲル」
そう言ってリゲルの頬を優しく撫でる。サラサラと頬をなでる手が暖かくて気持ちが良い。
(前世でも両親には恵まれたけど、ここでも恵まれたみたいだなぁ。親ガチャの引きが良すぎだわ俺)
滋の意識がここにある以上、元の世界にはもう滋はいないのかもしれない。
親に別れも告げないでいなくなった滋は、親不孝者だなと思う。
愛されて立派に育った恩を返すことなく、その存在を消してしまったことに心残りを感じる滋。
もう元の世界には帰れないのかもしれないのだから……
滋は今リゲルとして、新たな両親の愛に包まれて育っている。
(せっかく生まれ変わることができたんだ。今度こそは親に恩返しができるように頑張ろう)
親を大切にする決意を固めた新生児は、愛する母の揺りかごの上で眠りについた。
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エヴァとの出会いから1年が過ぎた。
授乳期間も終わり、今は離乳食を食べれるようになった、リゲル。もう少ししたら、固形物も食べられるだろう。
あれから一度もエヴァを見ていない。
エヴァがリゲルに残していった、「限界突破」と呼ばれるスキル。リゲルは、いまいち、これと言った特徴を把握することができないでいた。
赤ちゃんとして出来ることは本当に少ないのだ。
そもそもスキルとは何なのか。
ゲームやマンガの感覚だと、必殺技を使ったり、ステータスを上昇させる能力などのことをいう。「限界突破」という意味合いから考えると、必殺技というよりかは、ステータスを上昇させるような常時発動型の能力な気がする。
しかし、如何せん、この世界での常識が分からない。
だが、エヴァと別れてから、物は試しと行っていることが一つだけある。
握力を鍛える定番中の定番、「にぎにぎ」だ。
これは、手をグーパーさせるだけの簡単なトレーニングだが、赤ちゃんでも簡単にできるため、この1年継続して毎日指が開かなくなるまで行っている。
最初に始めたときは、力いっぱい手の平を握ることさえできなかったが、今では200回連続しても前腕が疲れなくなった。おそらく握力60kgくらいはあるんじゃないだろうか。
1歳児でこれほど「にぎにぎ」できる赤ちゃんは俺くらいだろう。握力だけなら、赤ちゃんの限界を突破していると思う。
それと、ハイハイを卒業して歩けるようにもなった。
前世の記憶では、赤ちゃんが歩けるようになるまで1年はかかると思っていたが、俺は半年で歩けるようになったので、早い方なのかもしれない。
これもスキルのおかげだろうか。
歩けるようになったので、自分の置かれている環境がずいぶん分かってきた。
ここは山の中だ。
家の玄関から外に出ると、目の前には小学校の校庭くらいの大きさの草原が見える。家の周りだけ草を刈り取っており、そこでセリスが洗濯したり服を干したりしている。
ど田舎での生活というより、完全に隠居生活だ。
20mほど離れたところには、もう一軒だけ家がある。
そこには、俺達の家族と同じ様な三人家族が生活していて、夫婦共々仲が良いみたいだ。
もともと仲が良くて、一緒に隠居生活をしにきたのかもしれない。
草原は円を描くように広がっており、その周囲を高い山が囲っている。イメージとしては、火山の噴火口が草原になり、そこに家が二軒あるような感じだ。
(なんてとこで生活してんだよ……)
それが初めて外の景色を見たリゲルの感想だ。
とはいえ、俺は何不自由ない生活を送っている。
飯もあるし、水もある。風呂もあるし快適だ!
スコールは朝早くに家を出て、夕方頃に帰ってくるため、普段は夜しか顔を見ない。
セリスはずっと家にいるが、洗濯やら料理の仕込みで忙しいそうにしていることが多い。
おれはそんなとき、家の中を物色している。
我が家は、2階建てで、1階がリビング、2階が夫婦の寝室と俺の部屋、あと「なぞの部屋」がある。今はリビングに置かれていた揺りかごを、夜寝る前にスコールが寝室に持っていき一緒に寝ていた。1歳になってからは、体が多少大きくなったため、揺りかごを卒業し、両親に挟まれて川の字になって寝ている。
俺の部屋には、お世話になった揺りかごが置かれているだけだ。
この家は、異様に物が少ない。
リビングはテーブルやソファー、食器などの多少の家具があるものの、両親の寝室にはベッドとソファーしかないし、俺の部屋は揺りかごだけしか置かれていない。
生活感が無さすぎるのだ。
ただ1つ気になるのは、2階にある「なぞの部屋」である。
ここだけは未だに入ったことがない。
もしかすると、「なぞの部屋」に色んな生活用品が詰め込まれており、そこから必要な時だけ取り出して使っているのかもしれない。
(……、気になる)
好奇心旺盛な今日この頃。
リゲルは、「謎の部屋」に入ってみようと決意した。セリスは今、昼食の準備をしており階段に背を向けている。
今がチャンス!っと、リゲルは階段をとことこ登って行った。
歩けるようになってからというもの、家のなかの散策や、家の外周を歩き回って足腰を鍛えたせいか、スキルの影響も相まって階段も余裕で上り降りができるようになっていた。
階段での筋トレは様々なバリエーションがあるのでさっそくやっていきたいのだが、それよりも、まずは「なぞの部屋」だ。
「なぞの部屋」は、階段を登って右手にある。正面がおれの部屋で、左に両親の寝室といった構成だ。
「なぞの部屋」に続く扉の前に立ったリゲル。
ガチャガチャ
背伸びをしてドアノブに手をかけるが、鍵が閉まっているのか扉が開かない。
(……、困った……入れない)
見た感じ鍵をかける部分はないのに、なぜか開かない「なぞの部屋」。
(……、怪しすぎる)
扉とにらめっこしていたリゲルに後ろから声がかかった。
「リゲル君は、何をしてるのかなぁ~?」
セリスだ。
どうやらリゲルの様子を後ろから見ていたらしい。
「ママ……」
ちょっと悪いことをした気分になるリゲルに、セリスは優しく声をかける。
「別に怒ってないわよ。中に入りたいの?」
「……うん」
リゲルは素直に答えた。だって怪しいんだもん。
「ちょっと待ってね」
といい、セリスは扉の前に立ってドアノブに手をかけた。セリスが特段何かしたわけではない。
それなのに、
――――ガチャリ
扉は何事もないように開いた。
呆気にとられるリゲルに対して、セリスは言った。
「ここには魔法がかけらていて、パパとママしか開けられないのよ」
" 魔法 " という聞き捨てならない単語に驚きながらも扉の中を見たリゲルは、家に生活感がない理由を理解した。
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倉庫、と言っていいと思う。
中に入ると、幅2m程の真っ直ぐな通路があり、通路を挟むように背の高い棚が置かれている。
入口から左右にも同じ幅の通路があり、部屋の奥に向かって同じ様な棚が等間隔で置かれている。
図書館のような配置だ。
棚には食料や本、奥には形状を変えた棚に剣や杖、防具と言ったものが立て掛けられている。部屋の一室を倉庫として使用するのは、よくある話だ。何もおかしな話ではない。
おかしいのは、その「広さ」だった。
(……、うそだろ……)
部屋の中は、それまでの木造建築と異なり、白い無機質な空間で出来ている。
さらに驚くのが、
通路の先が見えない……。
「ビックリしたかな? これはママが魔法で作った倉庫なの。広いでしょ~」
ちょっと自慢気に語るセリスは、リゲルの横で腰に手を当て、顔だけをこちらに向けて言った。
神やらスキルとかいう単語が出てきた以上、魔法もあるのかなと予想はしていた。
しかし、こういう異世界転生もののストーリーで序盤に使用されるショボい属性魔法とは、まさに「次元」が違っていた。
(この世界の魔法のレベルはとんでもなく高いのか……、それとも母さんが凄いのか……)
知識のないリゲルにはどちらが正解であるか判断がつかない。
一軒家の一部屋に広がる地平線。
もし後者だとしたら、
(「転生したら母ちゃんが世界最強だった件」……、かな?)
どこのweb小説だよと、心の中で感想を漏らすリゲルであった。
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(確かに鍵を閉めておかないと、おれが迷子になってしまうな)
リゲルは今、セリスに抱っこされて倉庫の中を歩いている。
「私もお父さんも、小さなお家の方が好きなんだけど、物を置くところが少ないと困るでしょ? だからお母さんが奮発して作っちゃったの」
セリスは軽い感じで言った。
(これは本格的にこの世界のことを調べなきゃな)
ちょっと奮発したくらいで家に異空間の倉庫を作り出してしまう母が、どれほど世間の常識から乖離しているのか分からない。
それこそ世間一般では、当たり前のように異空間を作り出すのが常識かもしれないのだ。
(おれはこの世界のことを何も知らない……)
リゲルにぴったりのスキルを授かったゆえに、早く筋トレに本腰を入れたいところではあるが、まずは勉強しようと心に決める。
そんな思考を巡らせながら、リゲルはセリスに抱っこされながら倉庫の奥に進んでいく。
セリスの体温を感じながら歩調にあわせて揺られるリゲルを眠気が誘う。
ふと気付くと、リゲル達は整然と並ぶ棚の列を抜けていた。リゲルは、セリスの肩に顎をのせていつの間にか眠っていたのだ。
「リゲル、あれを見てごらん」
ちょっと眠たそうにしていたリゲルに、セリスは優しく声をかける。
リゲルは、セリスの肩から顎を外して正面を見た。
「……」
リゲル達の目の前には、会社の役員が会議を行うような大きな円卓があり、その背後には世界地図のようなものが円卓と同程度の幅で備え付けられている。
まるで作戦会議室だ。
セリスは、リゲルを抱っこしたまま、その世界地図の目の前まで歩いていく。
「ここがみんなで暮らしている場所よ」
セリスがその細く白い指で地図の一点をさした。
「そしてここにヴェルデニア王国っていう大きな国があるの。 ここで毎年、" 紀元節 "っていう王様が誕生したお祭りがあるのよ。 リゲルがもう少し大きくなったら3人で一緒に遊びに行こうね。 あっ、ゼル達も誘って6人で行こっか!」
美しい顔を破顔させるセリス。その顔を向けられるだけで世の男性はのぼせ上がりそうだ。
ゼルと言うのは、隣に住んでる筋骨隆々の男である。名はゼルウィガー、略してゼル。ゼルの妻のソフィアと子供のユーリが住んでおり、セリスの言う6人は彼らも含んでのことだろう。
(遊びに行くのは良いけど、やたら遠くね? 家から何キロ先に王国あるだよ……)
前世の世界地図を思い浮かべると、セリスが指した我が家がロシアのど真ん中付近だとすると、ヴェルデニア王国があるのはモンゴルの中央からややロシアよりに位置している。
世界地図の縮尺が前世と同じくらいだとすると、日本列島の端から端よりも遠いかもしれない。
(でも楽しみだ! どうやって王国に行くのかは分からないけど、早くこの世界を見てみたい!)
リゲルの置かれている環境は、自然豊かな山々に囲まれ、トレーニングには持ってこいである。
しかし、新たな生を受けた" 未知の世界 "、これに対する興味関心がないなんて嘘だ。
目をキラキラ輝かせ、世界地図を眺めるリゲル。
そんなリゲルを、セリスは慈愛の眼差して見つめていた。