第2話 神降臨
「私の名前は、エヴァル=シンフォニアって言うんだよ! この世界の神様なの! 私を呼ぶ時は、エヴァって呼ぶんだよ!」
ポカーンとするリゲルの前で、ティンカーベル改め、自称「神」のエヴァは威勢よく自己紹介を始めた。
(ご主人様なのに呼び捨てで良いのかよ……)
「神」という単語は華麗にスルーする。なんか頭が弱い子なのだろう。
心の中でそう疑問の声をあげると、エヴァはニコニコしながら答えた。
「私がいいって言うんだから、いいんだよ! エヴァル様とか、エヴァル殿とか、おお~神よ~っとか言われても、なんか壁を感じるじゃない? だから、いいんだよ!」
呼び捨てで構わないと言うありがたいご主人様(自称「神」)は、揺りかごの周りをふわふわと散歩している。
空中散歩を楽しんでいるエヴァは、くるぶしまで届きそうな銀髪を、浮遊に合わせてなびかせている。
小さな顔をニコニコさせながらリゲルの顔を観察しているようだ。
リゲルは、初めて浮いている人間?を見た。
当たり前だ。
人間は空を飛べない。飛べないからこそ、空に憧れ、様々な技術進歩を果たしてきた。
それが、リゲルの常識であった。
(人間じゃないのか?)
さっきのブラックホールもそうだが、明らかにこれまでの常識では考えられない現象が起こっている。
ここで培った常識は1ヶ月だが……。
「ふむふむ、疑問がいっぱいなお顔だよ」
全身を白で包んだシスターのような服を見身にまとい、長袖に通した細い腕を組んでエヴァは言った。
確かに、リゲルの頭は大混乱である。
普通に消防士として働いていたはずの滋が、どうしてリゲルに転生したのか。転生したなら、元の滋はどうなったのか。ここは一体どこなのか。さっきのブラックホールはなんなのか。
……、そもそもお前はいったい何者なんだよ!!
ここ1ヶ月で貯まっていた解決しない疑問の数々がリゲルの胸中をかきみだす。
その胸中に反応するように、赤ちゃんの体は泣き出しそうになる。
「ストーーップ! ゆっくり教えてあげるから泣かないで! ね?お願い」
小さいものの愛らしい顔を近づけ、泣き出しそうにしながらお願いするエヴァ。どうやら家のどこかにいるセリスにバレたくないようだ。
(いや、こっちが泣きたいんだけど)
そんな一悶着を終え、エヴァとリゲルはようやく落ち着いて話をするのだった。
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どうやら、ただの転生ではなく、異世界に転生をしたらしい。
正直な話、ワクワクが止まらない。
おそらくエヴァには、大きな目を輝かせて興奮しながら話を聞く赤ちゃんが目に写っているだろう。
長身で筋肉質のバリバリ消防士だった滋は、その風貌に似合わず、ゲームやライトノベルを こっそり趣味にしていた。
35歳にもなって……、と思うかもしれないが、男なんて案外そんなもんである。
多少裕福だった滋の実家は、小学生の頃はクラスで数少ないゲーム機を有する男の子であったため、放課後はよく友達が家に遊びに来て溜まり場にしていた。
そのまま中学ではマンガに、高校ではライトノベルにどっぷりはまり、よく授業中では自分を主人公に見立て、冒険の世界へ思考をダイブさせていたものだ。
最近では、仕事の非番や通勤中にスマホで異世界転生もののケータイ小説を熱心に読んでいた真っ最中にこの出来事である。
「……というわけで、ここはリゲルの住んでいた世界とは別世界なんだよ。なんでリゲルがこの世界に来たのかや~、リゲルの元いた世界がどうなったのかは、私には分からないんだよ~」
(ちっ、使えねぇ神だなぁ)
心の舌打ちがエヴァを攻撃。
「あーー、「ちっ」って言ったよ!「ちっ」って!」
小さな頬を膨らますエヴァ。
人生を左右する質問が、あっさり未解決に終わった。
(じゃあ、さっきのご主人様って何なんだよ)
なんだか口調がぶっきらぼうになってきている。
「それは、リゲルが望んだからでしょ?エヴァの奴隷になるって。だから私はご主人様なんだよ!」
(…………、えっ?)
「…………えっ?」
エヴァにとって、さも当然のことのように言った言葉に対し、疑問符を浮かべるリゲル。
顔を見合わせる二人の間に、気まずい雰囲気が立ち込める。
――――話が食い違ってるのか?
小首を傾げて固まっているエヴァは、なぜか冷や汗をかいている。
「えーっと~、リゲルは、エヴァの望みを叶えてくれるために、奴隷になってくれるんだよ……、ね?」
祈るように確認するエヴァ。そんな彼女に対し、赤ちゃんリゲルは一呼吸おいて、分かりやすく丁寧に言った。
(当方、全く身に覚えがございません)
渾身のどや顔である。
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その後、なぜか意気消沈したエヴァは、ガックリした態度を隠しもせず会話を続けた。
「話が違うんだよ~、それじゃあ何のために契約したんだよ~」
エヴァはぶつぶつと、聞き捨てならぬ単語を発した。
(……? 契約って言ったか? 契約ってなんだよ。それこそ身に覚えがねぇぞ!)
前世でも重要な契約行為。
下手に契約を行ったら連帯保証人のように取り返しのつかない事態に発展する。
その契約を、どうやらこの自称「神」とおれは取り交わしたらしい。
エヴァがなぜリゲルのことを奴隷というのかは分からない。
しかし、この契約にヒントがありそうだ。
(契約の内容はわかんのか?)
「もちろんだよ!」
即答するエヴァ。
突如、リゲルの目の前に金色の紙が出現した。その文面をエヴァが読み上げる。
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一つ、汝、山口滋は、テラ=シンフォニアの目的の扶助者とならん。
一つ、汝、山口滋は、テラ=シンフォニアの剣とならん。
一つ、汝、テラ=シンフォニアは、その一部を山口滋に授けん。
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(おれ、思いっきり契約しとるやんけ!?)
しかも右下の署名欄には、ご丁寧に日本語で署名している始末。
だけど、テラ=シンフォニアって誰だ?
その疑問はエヴァが解決した。
「テラは、私達のお母さんなんだよ! お母さんとリゲルが契約しているの。私はお母さんの意思を引き継いでここに来てるんだよ」
……、要は取り立てだ。
契約してんだから出すもん出せよ、っとヤクザが脅しに来たようなもんだ。だいぶ可愛らしいヤクザだけど。
(じゃあ最初の話に戻るけど、なんでそのテラじゃなくて「お前」がご主人様で、「俺」が奴隷なんだよ?)
この契約書には、エヴァの名前は入っていない。奴隷云々の前に、そもそもエヴァとリゲルの間に契約は成立しないはずだ。
「だって、ほらここをよく見るんだよ」
エヴァは、3番目の契約事項の下を指差す。
そこには、
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ただし、テラ=シンフォニアが不在の間、権限の一切をエヴァル=シンフォニアに委任する。
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なんと、「ただし書き」で権限の委任に関する事項が盛り込まれていた。
(悪徳商法じゃねぇか!!)
リゲルは吐き捨てるようにそう言ったのだった。