<五日目>
ペダルを踏み込み少し急な坂を上った所にある駐輪場に自転車を置き、目的地に向かう。
そこにはやはり、いつものように少女が座って絵を描いていた。
「おはよう」
「……おはよう」
「今日はもう絵を描いたの?」
「二枚できた」
「もう二枚も描いたんだ」
「うん」
「見てもいいかい?」
少女から差し出された一冊のスケッチブックを受け取りパラパラとページをめくる。
あいかわらず凄いものだな、と少年は絵に嘆息する。
絵に関しては素人の少年でもそれぐらいは分かる。
ふと、少年は別の絵も見たくなった。
「ねえ、もう一冊の方も見ていいかな」
少女は少年の顔を眺めた後、仕方がないというふうにそれを渡した。少年はじっくりとその絵に見入る。
描かれている景色自体は毎回同じだが、色遣いが違うせいか全く別のもののように見えてくるのだ。
同じ場所、同じ時間帯、同じ天候でも少女は様々な色を使い分ける。
雲一つなく晴れ渡っている空でさえ、青空を赤、白、緑、黄、紫、果ては黒に至るまで。大抵七種類以上の色で描く。
当然素人にできるものではない。使用する色を増やせば、その分それぞれが主張しあい、完成品は混沌としたものになることが多い。
しかし、少女の描くものは複数の色が主張しつつもしっかり調和し、均衡を保っている。
それは少女の技量の賜物か。それとも――。
スケッチブックを見ながらそんなことを考えているとすっ、と横から少女の手が伸びてきた。そこには、少年のカバンに入っていたはずの紙コップがあり、中には紅茶が注がれていた。
「のどが渇いてるんでしょ?」
「あ、ありがとう」
ありがたくそれを受け取り、のどを潤す。
それにしても、と少年は少女の方を見る。
「のどが渇いてることすら、君には見えるんだね」
少女は少年の方を見ないまま口を開いた。
「……本当にわたしの話を信じてるんだね」
「まあ、嘘をついている感じはしなかったし、実際昨日のを見たら信じるしかないよ」
「……それだけ?」
「理由としてはそれだけで十分だと思うけど」
「………………ありがとう」
「え?」
「わたしの話を信じてくれたのはあなたが初めて。だから、ありがとう」
少女は口元をスケッチブックで隠しながら、話を続ける。
「学校のみんなには気味が悪いって言われた。お父さんやお母さんも信じてくれなかった。病院に連れて行かれたりもした。最後は二人ともわたしが原因でけんかして、妹と別れて、お母さんと一緒にこの街に来たの」
だからなのか、と少年は内心で納得する。
この街はたいして大きいわけでもないので、大体全員が顔を見知っている。それなのに少年は少女の顔にまったく見覚えがなかった。
少女がこの丘に来るようになったのは三ヶ月頃前からだと言った。
つまり、少女は少なくとも三カ月ほど前の冬にこの街に引っ越してきたのだろう。
だが、この街に引っ越してきた人がいる、というのはここではそれなりにニュースになる。一体どこに住んでいるのだろうか。
そんな少年の疑問を『見た』少女は再び口を開いた。
「わたしの家はそこだよ」
と、少女は街の反対側に人差し指を向けた。少年もそちらへ顔を向ける。
少女の家は二人がいるこの丘の上にあった。
「丘の上の幽霊屋敷!」
「え?」
『丘の上にある家には幽霊が住んでいる』。
それは、この街に住んでいる人たちなら子どものときに必ず口にする言葉だ。
いつからあるのか分からないその家は肝試しの舞台になることもある。
少年自身、昔はあの屋敷には近づこうと思わなかった。
その家に人が住んでいたというのだから少年が驚くのも無理はない。
「あの家を買った人がいるとは……」
などと、少年が世界の広さを実感していると、少女が物欲しげな目を向けていることに気付いた。
「そうだね。そろそろお昼にしようか」
少女の意思をくみ取った少年は弁当の一つを少女に手渡して、自分も少し早めの昼食をとることにした。
弁当を食べながら、少年はあることを考えていた。
五日前に二人はこの丘で出会った。少年は好きな景色を眺めに。少女は絵を描きに。
ベンチに座り、高台から街を見下ろしながら少年が持って来た弁当を二人で食べて、少女の手から生み出される世界を見て、少年が感嘆する。
そんな日々を少年は心地よく感じていた。
だが、終わりというのは必ず訪れるもので――。
「……明日、引っ越すんだよね」
唐突に少女はそう切り出した。
少女の問いかけに少年は無言でうなずく。
「明日も来るの?」
「うん。でも、明日は少し遅くなる。友達が家に来ることになってて。だから、弁当は持ってこれないけど、ちゃんと食べないとだめだよ」
「分かった」
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
二人は別の方向に足を進める。
が、数歩歩いたところで少年は後ろを振り向き、声をかける。
「ぼくは、君の絵が好きだよ」
少女も足を止めて振り返る。
「同じ景色のはずなのに、全く違うように見える君の絵が好き」
少女は何も言わない。
「感情の色で描いた、君の絵が好きなんだ」
少年のその言葉を最後に、二人は再びそれぞれの方向に歩みだした。




