泉 鏡花「龍潭譚」現代語勝手訳 (3) かくれあそび
かくれあそび
さっき自分が泣いて姉に助けをもとめたことを、姉に知られなくてよかった。言うことを聞かずに一人で来たものの、心細くて泣いてしまったと知られたら、「それみなさい」と笑われるに違いない。あの時は、本当に優しい姉に会いたいと思ったけれど、実際に顔を合わせてそんな風に言い負かされるのは悔しいものがある。
ホッとして、うれしさがこみ上げてくると、気持ちが変わり、まだまだ家には帰りたくなくなった。
一人で境内にたたずんでいると、わっという声や笑い声が木の陰、井戸の裏、お堂の奥、回廊の下からわき起こり、五歳から八歳くらいまでの子どもが五、六人後先になって走り出てきた。これは「かくれんぼ」をしている一人が鬼に見つかったのだろう。その走っているうちの二、三人が私の立っている姿を見つけた。みんなの視線が私に向けられ、「遊ぼうよ。ねぇ、一緒に遊ぼうよ」としきりに誘う。この辺りは小さな家ばかりがあちこちにあり、そこに住むものは「かたゐ」と呼ばれる者たちだと聞いたことがある。
彼らの日常生活とか生活習慣とかは、私たちとは少し違うものだった。子どもの親がたとえ裕福であったとしても、いい服を着ているものはなく、たいてい裸足である。三味線を弾いて、時々私の家に門付けに立つもの、どぶ川で泥鰌を捕るもの、マッチや草履を売りに来る者たちはみなこの子どもたちの母であり、父であり、祖母などである。
友だちから「その辺の子どもらとは遊ぶなよ」といつも言われていた。しかし、「かたゐ」の子どもたちは私が町の中に住んでいる者だとわかると、どこか丁重な扱いになり、「ねぇ、本当に、お願いだからちょっとだけでも遊んでよ」と親しく優しく誘うのだった。
いつもならこの辺の者たちとは距離を置くのだが、その時はあまりにも寂しかったし、心の底から友達が欲しいという思いもあり、また先ほど怖い思いをしたそのすぐ後の楽しいことでもあったので、私は誘いに応じて「うん、いいよ」とうなずいたのだった。
子どもたちはそれぞれ喜びを口にしてざわめいた。そして、また、かくれんぼをしようということで、ジャンケンで鬼を決めることになったが、私がその鬼に当たった。顔を両手で隠すように言われ、そのとおりにしていると、やがてあたりはヒッソリとした。
聞こえるものは、お堂の裏の崖から逆さに落ちるどうどうという瀧の音と松杉の梢が夕風に鳴り渡る音だけである。しばらくして、目隠しをしている私の耳に、どこからか、かすかに「もういいよ。もういいよ」と呼ぶ声が谺するのが聞こえた。
目を開けると、辺りはしんと静まり返り、見るものすべてがより深い黄昏色に蔽われていた。大きな木が真っ直ぐに何本も立ち並んでいるが、それらはぼんやりとして、薄暗い闇の中に紛れ込もうとしている。
声がしたと思うところを探すが、誰もいない。あっちこっち探すけれども人らしいものは見つけられなかった。
また元の境内の真ん中で一人ぽつんと立って、淋しく辺りを見回した。と、突然山の奥にまで響き渡るような凄まじい音を立ててお堂の扉が閉まる音がした。そして、それっきり水を打ったようにしんとして物音一つ聞こえなくなった。
親しい友達ではない。どちらかというと、距離を置いていた子どもたちだ。彼らは、これを機会に、私を困らせてやれと企んだのかも知れない。隠れたふりをして、そのままどこかへ逃げてしまったらもう見つけようがないではないか。そうであれば、探すのは無駄以外の何ものでもない。ここにいることさえ無意味に覚えてきて、さっさと帰ってしまおうとした。だが、と足が止まった。もしも、万が一私が探し出すのを待っているとしたら……。あの子どもたちはいつまで経っても出てくることができないだろうと頭に浮かび、探し続けるべきか帰ってしまうべきか、どうしたものか、あれこれ迷って、決心がつかないまま立ちすくんでいた。
ちょうどその時だった。どこから現れたのか、暗くなり始めた境内の、私が立つ綺麗に掃かれた灰色の土が広々としているところへ、ハッと息を飲むほど顔の白い美しい女が、いつの間にか来ていて、私のすぐ横に立ち、俯くようにして私を見た。
背が大変高い女の人だった。懐に手を入れながら、私の背丈に合わすように肩を下げ、優しい声で「こっちへおいで、こっちへ」と言い、先に立って歩き出した。知らない女だったが、にっこり微笑んだ美しい顔はとても悪い人とは思えず、おそらく隠れた子どもたちの居場所を教えてくれるのだろうと合点して、怪しむことなく、追いかけるようにしてその後をついていった。
つづく