泉 鏡花「龍潭譚」現代語勝手訳 (2) 鎮守の社
実は、この現代語勝手訳は4年ほど前に完成していたが、どこにも発表する機会もなく、mixiの日記に載せていたのだが、こういう場があることを知り、発表させていただくことにした。泉鏡花の作品は幸田露伴のそれとはまた違った訳しにくさがある。
鎮守の社
坂はそんなに急でも、また長く続くわけでもないが、一つ越えたと思ったらまた新しく目の前に現れる。そのうねるような起伏はいくつもの大波が打ち寄せているといった風で、いったいどこまで行けば平坦になるのかと、ため息が出そうだった。
いくつか坂を越えてみたものの、その多さにうんざりして、坂と坂の間にある窪みにしゃがみ込み、手持ちぶさたな手でもって何を書こうともなく指で地面に字を書き始めた。
「さ」という字ができた。「く」という字も書いた。曲がった字や真っ直ぐな字など気の向くままに地面に落書きした。
そうしている間も、さっき毒虫が触れたと思われる頬の辺りがしきりに痒く、何度も何度も袖で擦った。擦ってはまた地面に文字を書く。そんなことを繰り返していたが、書いている中で、難しい字が我ながらうまく書けたので、これは是非姉に見てもらいたいと思った。そう思ったら、急にたまらなく姉の顔が恋しくなった。
立ち上がり、行く手を見ると左右から小枝が絡み合って、隙間もないほど躑躅の花が咲き溢れている。陽射しは一段と赤味を増して、開いた私の掌を染め抜いたように赤く照らしていた。
坂を一直線に駆け上り、顔を上げると、見えるのは同じような躑躅咲き乱れるゆるやかな下り坂である。その坂を下りてはまた一つ上る。いつまでこんなことを繰り返せばいいのか。今度こそ帰り道に出るのではないかと期待するが、思いに反して目の前には、またもやうねった坂が現れるのだった。
いつの間にか、地面は今まで踏んだことのない柔らかな土になっていて、小石一つ転がっていない。ここはまだ来たことのないところだ。
こんなことでは家までたどり着くのはまだまだ遠いことと知れ、つくづく姉の顔が恋しくて、とても我慢ができなくなってしまった。
再び坂を駆け上り、また駆け下りた時、自分でもわからないうちに泣いていた。泣きじゃくりながら、それでもまた走りに走るけれど、家がある場所にはたどり着けず、坂も躑躅もちっとも変わるところがなかった。そうこうしているうちにも、日が段々と傾きを強めていく。私は心細くなった。肩と背中の辺りに寒気を覚えた。
沈みゆく夕陽が、ぱっと鮮やかな茜色の光を放つと、躑躅の花は紅の雪が降り積もったのではないかと見違えるほどに怪しく映った。
私は涙ながらに声を張り上げて姉を呼んだ。一度、二度、三度。三度呼んでから答えが返ってこないかと耳を澄ましていると、遙か遠くに滝の音が聞こえ、そして、そのどうどうと響く滝の音の中に、甲高い冴えた声でかすかに「もういいよ、もういいよ」と呼んでいる声が聞こえた。
あれは幼い我々がしている「かくれんぼ」という遊びのかけ声ではないか。「もういいよ」は一度しか繰りかえさなかったが、その声に励まされて、気持ちもようやくしっかりしてきた。その声のした方向をたどり、坂を一つ下り、また一つ上りして小高いところに立って見下ろすと、何のことはない、見知ったお堂の瓦屋根が杉木立の中に見えた。これを見つけ、やっと私は紅の雪が降り積もる迷宮から逃れ出ることができたのだった。
お堂の瓦屋根を目指して行けば、躑躅の花は私の後ろで飛び飛びに咲くようになり、青い草もまばらになってきた。お堂の裏にたどり着いた時には、赤い花はただの一株もなく、私の目の前にあるのは、黄昏色に暗く彩られた境内の御手洗だった。それと、柵がこしらえてある井戸が一つ、古い銀杏の樹、その後ろには人家の土塀がある。そこは裏木戸の空き地になっていて、向かいに小さい稲荷のお堂があり、石の鳥居がある。木の鳥居もある。そして、この木の鳥居の左の柱には割れ目があって、壊れないようにと太い鉄の輪が嵌められている。これには確かに見覚えがある。ここは私の家からそう遠くないところだ。そうとわかると、先ほどの恐怖心はどこへやら、たやすく忘れてしまった。
それよりも、私の小さな胸の中には、広い空の下、夕陽の赤に染め照らされて、あかあかとした躑躅の花が自分よりも高く咲いて、前後左右を埋め尽くし、その中をあの毒虫が緑、紅、紫、そして青、白の色鮮やかに光る羽をキラキラさせながら飛んでいる情景だけが絵のように描かれていた。
つづく
「ことばの錬金術師」と呼ばれる鏡花の文章は、言葉を自由自在に操り、一見、文章として成り立っていないのでは? と思われるたりする部分もあるが、しかしそれが怪しさを伴いながら、言いたいことを見事に表現している。そんな風に思われるのである。
それを意味のわかる現代語に置き換えるのは本当に難しい。
浅学な私ができることは少なく、色んなところで過ちを犯しているかも知れない。
ご教示を願うところである。