鎧や剣は飾り物であってくれた方がいいなと思った日
あれからもう随分と走り続けているが、アリサは一向に止まる気配を見せない。
賑わっていた街並みは既に静まり返り、俺たち以外の人の姿はない。
一際大きな通りを走り続けると、遠目に大きな門が現れる。通りを駆け抜け、そこにたどり着いたところで、ようやくアリサが立ち止まった。
「はあっはあっ……、あー、しんど。なあ、こんな所に来てどうするんだ?」
息も絶え絶えに尋ねると、アリサは返事もせずにそのまま門の外へと向かい、出口に差し掛かった所で振り向いた。
「この先に、アンタを呼んだ理由があるわ」
その瞳には、これ以上ないほどの真剣さが宿っている。
「俺を呼んだ理由……?」
三年前に突然現れたとかいう化け物の事かと思い、口を開こうとする。しかしそこに、ようやく呼吸が整ったらしいサラが割って入る。
「駄目だよ、アリサ! 危ないから、早く戻ろう!」
アリサを心配するサラの顔には、不安や恐怖といった類の感情が表れている。
恐らく、この門の外には俺が想像している以上に危険な何かがあるのだろう。
しかし、俺は逃げようという気にはならなかった。好奇心のせいだろうか、むしろ、危険の正体――自分がこの世界に呼ばれた理由――を確かめてみたいと思っている。
心の赴くままに足を前へと進める。
制止しようとするサラのそばを通り過ぎ、アリサの立つ場所へと到達した。
「行くわよ」
アリサに促され、更に歩を進める。
門の外へと足を踏み出したとき、門番と思しき四人の衛兵の姿があり止められるかと思ったが、四人は俺たちに気づいてすらいない様子で、ただ前方だけを見つめている。
四人の側を通り過ぎる際、彼らの顔が視界に入った。
そのとき、俺の胸に外に出たことへの後悔の念がよぎった。顔面蒼白、唇は青く、ガチガチと歯を鳴らしている上に、よく見れば体全体が震えている。
彼らの視線を追うと、その先には緑の平原が広がっている。
柔らかな風が吹き、暖かな日差しを受けるそれは、本来であればのどかで美しい平原なのだろう。そう、本来であれば。
今、俺の目には日常を侵す災禍が映っている。
人、鳥、獣、様々な形を模した黒色の軍勢、暗雲を纏う幽鬼の群れが、嵐の如き勢いで迫り来る様が映っている。それらの先頭を走るのは狼に似た巨大な影、率いる群れの総数は千を超えているだろう。
呆気にとられながらも、俺は何とか言葉を絞りだす。
「あれは、なんだ? 魔物か?」
「違うわ。……多分、生き物ですらない」
素っ気なく答えるアリサに対して、さらに疑問をぶつける。
「生き物じゃないって……。なら、一体……?」
「影の軍勢、と私たちは呼んでいます」
背後からサラの声がした。振り返ると、俺たちと同じように外に出て来ている。
「影の軍勢?」
「はい、三年程前に何の前触れもなく現れ、シュレベールの領土を荒らし始めた存在です。彼らは時とともにその勢力を拡大し、今では、このイオグレイス大陸の半数以上の国が被害を被っていると聞きます」
――三年前に突然現れた。端末を通してアリサと会話していた時にも、同じことを聞いている。ならばやはり、目前に迫る軍勢こそ俺が呼ばれた理由であり、この世界の危機の原因ということだろう。確信を得たところで、俺の胸に次々と疑問が湧き起こってくる。
「大陸の半分が勢力範囲ってことは、もしかして今見えてる連中は全体の一部分ってことか?」
「はい、その通りです……」
冗談じゃないぞ、今見えてる奴らだけでも千は超えてるんだ。ということは、全体の規模は万を軽く超えるレベルなんじゃないのか。そんなのにどうやって立ち向かうっていうんだ。
絶望的な事実に頭が混乱しそうになるが、今は目の前に迫る連中について考えなければならない。しかし、無い知恵を絞ったところで、答えなど出るはずもなく立ち尽くしてしまう。それはアリサやサラも同じようで、声を発することもなく俯いている。
どうすればいいかわからず、不意に視線を落としたとき、俺の耳にバサバサと翼をはためかせるような音が聞こえた。
「なんだ?」
空を見上げると、そこには天馬に乗った騎士の一団があった。続いて背後から大量の足音と鎧がひしめくような音が聞こえる。振り向いてみると、軍隊が出陣するのだいうことを理解した。
周りを見渡す。俺たちが通ってきた門以外からも続々と兵士が出て来ている。
その様子を呆然と眺めていると、この軍の大将だろうか、一際大きな馬に跨り、荘厳な鎧に身を包んだ男が俺を一瞥し、その重そうな口を開いた。
「兵士でない者がここで何をしておる。そこの娘二人を連れて、すぐさま町へ戻るがいい」
言い終わるとともに、男は馬を走らせ進軍の掛け声を上げる。
「全軍、突撃せよ!」
それを皮切りに、兵士たちが影の軍勢へと向かってなだれ込む。
騎兵と天馬兵、一歩遅れて銃や大砲を備えた歩兵が接敵し、大きな杖を抱えた魔法使いらしき一団は、少し距離を取って詠唱を始めている。
思わず、安堵していた。軍隊が戦ってくれるのなら何も心配することはない。あの男に言われた通り、アリサとサラを連れて早く町に戻ろう。そう思った。
「ここにいても邪魔になりそうだし、早く町に……」
言いかけて口籠ってしまう。二人が俯いたままだったからというのもあるけれど、それ以上に門番たちの様子がおかしかったから。体が震えているのはさっきと同じ。しかし、今は膝をついて頭を抱えこむ者までいる。俺は不審に思い、門番の一人に声をかけた。
「なあ、あんた。何もそんなに怯えることないだろ。軍隊が出て来てくれたんだから」
だが、男は何も言わずに首を横に振り、震えた指で前方を指し示す。
考えてみれば当然のことだった。軍隊が出て解決できるようなことなら、別の世界に助けを求める必要などない。視界に捉えた赤い海を眺めながら、俺はアリサの涙を思い出していた。